表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/19

13話

 



「おい!何してんだよテメェ!」


 午前十時、公園の芝生には朝露の名残がきらめき、木漏れ日が揺れる遊歩道に、突然響き渡る粗野な怒声。


 静かだった公園の空気が、ピリリと緊張を帯びた。


 振り返る人々の視線の先。


 ブランコの裏手にある木陰、そこに真っ赤な髪を逆立てた男が立っていた。ニキビだらけの顔を歪め、何かを怒鳴っている。


 その足元では、小さなゴールデンレトリーバーが尻尾を下げ、ぺたんと地面に伏せていた。


「すいません、僕の『小太郎』がどうかしましたか!?」


 近くの水飲み場から、慌てた様子で少年が駆け寄ってくる。マッシュルームカットに大きめの眼鏡、まだ小学校低学年だろう。


 片手には水の入ったペットボトルを握りしめていた。


「この馬鹿犬はお前が飼い主か! えぇ!?」


「はい、そうです……」


「お前のこの馬鹿犬が俺の荷物に小便したんだよ! おいお前、飼い主だろ、飼い主だったら責任とれよ! 学校で習わなかったのかよ、馬鹿野郎が!」


 男の怒鳴り声に、近くの母親たちが子供を連れて少し距離を取る。

 ベンチの足元には黒いボストンバッグ。たしかに、その脇の地面がわずかに濡れている。


 子犬の小太郎が、どうやらそこに粗相をしてしまったようだ。


「苦楽!」


 やわらかくも芯のある声が、芝生越しに飛んできた。


 スルメ・クルシェフスキ。


 眠そうな顔でタマゴサンドをパクついていた姿は一片、信頼のこもった強い目を向けていた。


 瞬間、男が動く。


 ――狼のような猟犬が、命を受けて駆けだしたのだ。


 千光苦楽。


 身長198センチ、体重113キロの巨体が、風を切って走る。まるで重機に足が生えたような迫力だ。


 芝を蹴り上げ、土煙を上げながら一直線に怒声の主へと向かっていく。


「止めろーーーッ!!」


 その声はただの怒鳴りではない。


 声量、通り、響き――高校時代、音楽教師から合唱団へのスカウトを受けたほどの声は、オペラ歌手もかくやという迫力を持っていた。


「なんだテメェ!」


 男がぎょっとして一歩引く。


 その顔に刻まれるのは怒りではない。恐怖だ。足元の小太郎も、苦楽の存在を察して小さく鳴いた。


 ――よし、勝った。


 苦楽は心の中で呟く。


 この反応。相手に戦う意思がなくなったことを、彼は過去に何度も経験から知っていた。


 この戦いは、もう終わったも同然だ。


(消え失せろ、ゴミ野郎……)


 口に出しかけたその言葉を、飲み込んだ。


 見れば、少年の瞳がこちらを見ている。


 子犬のつぶらな瞳も。


 そして、公園中の視線が――


 そう、まるで舞台の上に立ったように、今、この瞬間、すべての視線が自分に集まっている。


 この状況で、汚い言葉を使いたくない。


 苦楽は背筋を伸ばし、右手を腰に当てた。左手はやや斜め前に差し出す。


「正義の味方だッ!」


 ――なぜ言った。なぜ口から出た。自分でも不思議だった。


 だが、口走ったその言葉に、子どもが目を輝かせるのを見てしまった。


 子犬がうれしそうに尻尾を振っているのも見てしまった。


 うん、まあ、悪くない。


 そんなふうに、少しだけ自分に酔っている苦楽の姿が、陽だまりの中で妙に浮いていた。






最後まで読んでいただきありがとうございました。


「ブックマーク」と「いいね」を頂ければ大層喜びます。


評価を頂ければさらに喜びます。


☆5なら踊ります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ