ゴブリン帝国
1匹のゴブリンが、自分たちのボスに報告をする。
周囲にいる他のゴブリンたちが騒めくが、ボスの一言で一斉に静かになる。
10匹はいるであろうゴブリンたちが整列している姿は、ある種異様である。
ほとんどものは棍棒を持っているだけだが、錆びたナイフを持っているものもいる。序列があるのだろう。
まるで人間の軍隊のように揃った足並みで、直立不動でボスの話を聞く。
与えられた命はただ一つ。
我らの帝国に入ってきた人間を捕らえよ。
絶対に逃がすわけにはいかない。
「ゲギャ!」
と一斉に返事をして散っていく配下のゴブリンたちを見ながら、ボスがにやりと笑う。
誰にも、我の帝国の邪魔はさせない……。
刹那。
闇の中に銀閃が奔ったかと思うと、醜悪に笑うボスゴブリンの左目にナイフが突き刺さった。
一瞬、なにが起こったのか理解できなかった。
左目に灼けるような痛みが走り、脳が痛みを感知し、絶叫が―――。
―――ヒュー……!
だが、ボスゴブリンの口からは空気しか出てこない。
声が、出せない……。
言葉を発しようとしても、ヒュー、ヒュー、と空気が漏れるだけ。
自分の体にかかる生暖かい液体。
残った右目を動かし、かろうじて自分の状態を見る。
切り裂かれた首から、噴水のように溢れる血液。
ばかな……ここに、われのていこ……く、を…………。
ビクビク、と2,3回痙攣をおこしてゴブリンたちのボス、ホブゴブリンが声を上げることもなく倒れる。
完全に動かなくなったのを確認してから、心臓辺りをナイフで切り裂き、魔石を取りだす。
魔物の源でもある魔石を取り出したら活動できる魔物などいない。
ここまでやって、ようやく小さく息を吐く。
よかった成功して。
生き残ったゴブリンを追いかけ、この巣を発見してからずっと彼らのことを観察していた。
ホブゴブリンを中心とした小さな群れ。
棍棒をもっているのはただの下っ端だろう。ナイフを持っているのは少しだけ力をつけたもの。
なんとなく、ナイフの方が強そうな気もするが、リーチが短いので棍棒の方がましなんじゃないかと思う。
あたしの体だとどちらが当たっても致命傷だ。
ゴブリンたちの巣は入り組んだ下水道の行き止まり。
少しだけ大きな空間となっているところに、いろいろなゴミが集められていた。
錆びたナイフや棍棒も町のゴミ捨て場からこっそりと集めてきたのだろう。
ゴブリンだけならなんとでもなるけど……。
壊れそうな椅子に座り、マントのように服を背中にかけている一際大きな個体。
ホブゴブリン。ゴブリンの上位種で、そこまでの脅威ではないけど、あたしではまず勝てない……。
別に戦う理由もないので退いて違う道をいけばいいだけの話だけど。
ぎゅっと、ナイフを握る手に力を籠める。
戦うための武器は持っている。
それに、ホブゴブリンの魔石はゴブリンよりも強い力を秘めている。それを、食らうことができたら……。
確信があるわけではないが、経験的に魔石を食らうと強くなれる。
あたしは、もっと強くならないといけない。
そのために、あいつを倒してあたしの糧にする……。
時間の感覚はまるでないが、ゴブリンたちに見つからないように身を潜めてその時を待つ。
息をするのすらも最小限にとどめて、自分という存在を消していく。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
散っていた下っ端ゴブリンたちが戻ってきて、ホブゴブリンの周囲に集まり、そのまま全員が横になる。
来た。
細い通路からするりと抜け出し、誰も起こさないように静かに、ホブゴブリンが座っている椅子の後ろ。よくわからないゴミが大量に積まれているところの一角に身を潜める。
ゴミとゴミの隙間に、細く小さい体を器用に滑り込ませてそのままじっと息をひそめる。
ゴブリンたちの休息は短い。
ほんの数時間皆が一斉に休憩を取り、一斉に起きてくる。
一匹のゴブリンがなにかを報告し、一瞬騒がしくなった面々をホブが黙らせて、耳障りな言葉を叫んだかと思うと全員が散っていった。
チャンスは一瞬。
散っていく下っ端たちを満足気に見ていたホブゴブリンの背後からそっと近寄る。
闇に紛れるように、極限まで気配を殺し、ホブゴブリンが油断した一瞬の隙を見て目を貫き、悲鳴を上げる前に首を裂く。
こうして、強さだけでいうとはるかに格上のホブゴブリンを見事に打ち取れた。
だが喜んでいるひまはない。
すぐにあの下っ端ゴブリンたちが戻ってくるだろう。
「いや、別にいいか。」
この場を離れようと思っていたが、ふと足を止める。
自分たちのボスを倒したものに挑みかかってくるやつが一体どれくらいいる?
むしろ、自分たちでは歯が立たないと思わせることができるかも。
挑みかかってきたとしても、ゴブリンが相手なら多分大丈夫。
ホブゴブリンを椅子から蹴り落とし、その魔石を手にもって血まみれの椅子に腰かける。
「楽しみ……。」
犬歯をむき出しにして、笑みを浮かべるその姿はまるで―――。
ほどなくして戻ってきたゴブリンたちは一瞬理解が追い付かなくて足を止める。
自分たちのボスが座っている場所に、人間が座っているのだ。
いや、人間ではないのかもしれない。
血まみれの椅子に座り、こちらに笑みを向けてくるその姿は、自分たちが見てきたどんな人間にも当てはまらない。
肝心のボスは、その脇に血まみれで転がされている。
「で?あなたたちはどうする?ボスの仇うちでもする?」
得体のしれない存在が自分たちに問いかけてくる。
戸惑うゴブリンたちの目がある場所に釘付けとなる。それは、手にもっているある物。
その存在が弄んでいるものは、ボスの魔石。
本能で理解した。
自分たちは、絶対に勝てない、と。
ボスを中心としたゴブリン帝国はいとも簡単に潰されてしまったのだ。
「やるなら、やる。」
冷たい殺気を向けられたゴブリンたちがとる行動はただ一つ。
全力でこの場から逃げ出すこと。
「意外。襲ってくると思ったのに。」
特に追うこともせず、その背が見えなくなるまで見送ると、自然な動作で左手に持っていた魔石を口の中に放り込む。
少しだけ力を籠め、バキンと魔石をかみ砕く。
ぼりぼりと、口の中が切れることもおかまいなしにかみ砕いていき、小さな破片になったところで飲み込む。
慣れないうちは激痛にもだえ苦しんでいたが、回数をこなすごとにマシになっていき、最近はほぼ痛みは感じない。
ただ、ホブゴブリンはゴブリンの上位種。
全身に痛みが走るが、動けないほどではない。
意味があるかどうかは正直わからないが、多少でも魔石から力を得られているのだとしたらやり続ける。
痛みが治まると、椅子から立ち上がって根本から折れてしまったナイフを放り投げ、改めて周囲を見る。
ゴブリンたちが住み家としていただけあって、いろんなものがある。
ただし、そのすべてが壊れていたりで使い物にならないが。
特に使えそうなものはないか……。
唯一の収穫は、ホブゴブリンが持っていたナイフ。
どこで拾ってきたのか、あまりさびていないし、刃も丈夫そうだ。
ここに長居していてもしょうがないので、ゴブリンたちが逃げて行った通路とは別の通路を行く。
ゴブリンたちの巣からだいぶ離れたところで、隠れられそうな細い通路を見つけて身を潜める。
静かに目を閉じて、ゆっくり呼吸をする。
さすがに、少し疲れた……。
意識が、闇の中へと落ちていく。