人間だもの
さきほどまで周囲を包んでいた重苦しい魔力が嘘のように消え去り、消えゆく黒い魔力の隙間から青空が見える。
流れてくる新鮮な空気をすーっと肺に入れ、緩みそうになる気を張りなおす。
ダルは白い煙をあげながら、地面に伏している。
魔力も、気配も弱弱しいものになっている。
だが、それでも3人は油断しない。
これが、ダルの演技である可能性があるからだ。
その証拠に、自分にむけて激しい殺気を飛ばしてくる3人相手に、ダルは余裕の笑みを見せた。
「なにを笑っている。自分に勝ち目はないと悟ったのか?」
ツァリが剣を向けたまま、厳しい口調で問いかける。
ダルは仰向けのまま、目線だけを3人に向ける。
「えぇ、そうでしょうとも。私は弱い魔人ですから。守護騎士様に、聖女様、それに冥府の猟犬が相手ともなれば勝ち目などあるはずもない」
「だったら、諦めますか?」
ダルの言葉を、誰一人信じてなんかいない。
なにか、姑息な手段を使ってくるのはわかっている。
子供たちはアウルディアが厳重に結界で守っている。
フリーとリィン、それにツァリも決して油断などはしない。
一瞬たりともダルから目をそらさない。
なにが起きてもすぐに対応できる。
死の淵にいるはずのダルは不敵な笑みをとめない。
こいつが力尽きるのを待つ必要なんてない。
なにか企んでいるのなら、その企みが発動する前にとどめを刺す。
フリーはそう判断し、力なく倒れるダルへと肉薄する。
そして、鋭い双爪を振り下ろす直前―――
「さぁ、目覚めなさい!冥府の猟犬オルトロスよ!あなたは、こんなところで人間を守るようなものではないでしょう?」
ダルの瞳が怪しく光った。
その瞬間、フリーが不自然に動きを止める。
引き裂かんと振り下ろした爪が、ダルを貫く前に止まり―――
「ガ、ガアアアアアァァァァァァァ!!!!!」
突如フリーが頭を抱えて雄たけびを上げた。
「な、なに!?」
フリーの突然の叫びに、リィンが驚愕の声を上げる。
「ていうか、なに、この感覚……なんか、気持ち悪い……!」
まるで自分の中に異物が入りこんで暴れているような、そんな感覚。
激しい嫌悪感、不快感。
あらゆる負の感覚がごちゃ混ぜにして襲ってきたような。
言葉に表すことができないほどの不快感。
(フリー大丈夫!?)
フリーに問いかけるが、返事はない。
どころか、いつもは必ず感じているフリーの存在感すらいまは非常に希薄になっている。
「どうしたフリー!?」
駆け寄ろうとしたツァリの前に、太い爪が伸びる。
「だめ、こっちにこないで、ツァリ……!フリーの中で、なにかが暴れてる!」
「ほう、抗いますか。さすがは冥府の猟犬ですね。一筋縄ではいかないようだ」
「貴様!フリーになにをした!」
「あなた方も散々目にしてきたでしょう?眷属化ですよ。私は、魔獣や獣を操る能力が特に高くてですね。もちろん、獣の血が混じっている獣人とて同じこと」
なにかに抗うように、苦しみ、暴れるフリーの姿を楽し気に眺めているダル。
「散々私の魔力を吸い、血を浴びたのです。今はまだ抵抗できていますが、それも時間の問題……」
「ならば、その前にお前を倒す!」
アウルディアの神聖魔法が直撃し、ダル自身はすでに満身創痍。
フリーが完全に眷属化されてしまう前に、滅する!
ツァリの剣が激しく輝き、一気にダルへと距離を詰める。
だが、苦しむフリーの横を通り抜けようとした時、
「ぐっ……!」
フリーの腕が、ツァリを吹き飛ばす。
完全に意識の外からの攻撃に、防御することも受け身を取ることもできず地面に転がる。
「ふふふ、いいですよオルトロス。そうです、私を守りなさい……!」
ダルの言葉に抗うように、めちゃくちゃに腕を振るうフリー。
苦し気な唸り声が静かに響く。
「フリー!リィン!しっかりしてください!魔人の洗脳なんかに負けないで!」
神聖魔法を使えば抵抗できるかもしれない。だが、いまの状態の彼女たちに神聖魔法を使ったらどうなるかわからない。下手したらさきほどよりもダメージを受けてしまうかもしれないのだ。
無力な自分は、ただ彼女たちが負けないように声をかけることしかできない。
やがて、
苦し気だったフリーの動きが止まる。
「どうやら、終わったようですね」
勝ち誇ったかのように笑い、立ち上がるダル。
「まさか、そんな……!」
剣を杖の代わりにして立ち上がったツァリも、絶望に染まる。
「さぁ、こっちに来なさい!冥府の猟犬オルトロスよ!」
ダルの言葉を聞き、ぴくんと反応を示し、だらんと腕を弛緩し、一歩一歩、ダルへと歩み寄っていく。
「ダメだ!いくな、フリー!」
ツァリが動きを止めようと駆け寄るが、横から漆黒の球をぶつけられて吹き飛ぶ。
「ツァリ!」
地面に転がるツァリに、アウルディアが駆け寄り治癒魔法を使う。
「アウルディア様!私よりも、フリーを、リィンを助けないと!」
必死にアウルディアに縋りつくツァリだったが、アウルディアは穏やかな表情で微笑んでいた。
「大丈夫です。2人を、信じましょう」
治癒魔法を使うため。
そして、祈るためにアウルディアは両手を組み、跪く。
「打つ手がなくなったから、神へ祈りますか。それもいいでしょう。なんの力も持たない人間が神へと祈る。愚かな行為ですね」
やがてフリーの足が、ダルの前までやってきて止まる。
「さぁ、オルトロスよ。聖女と守護騎士を始末して、ここを魔人たちの都へと変えましょう!」
これで、私の目的はすべて達成される……!
大仰な手振りで命令を下すダル。
次の瞬間、
漆黒の狼人の、鋭い爪が魔人ダルの肉体をたやすく引き裂いた。
「ば、馬鹿な…………!!!」
大量の血を吐き、地面に倒れるダル。
見下ろすのは、漆黒の狼人。
「わ、私の洗脳は完璧だったはず……いかに冥府の猟犬といえど、私の術から逃れられるはずは…………!」
「うん、あなたの術は本当に強力だった」
外見からは似つかわしくない、かわいらしい少女の声。
「ならば、どうやって、どうやって解いたというのですか……!」
「どうやってもなにも……」
獣人化状態を解き、人間の姿に戻る。
「私は人間だから、獣人を操る術は効かないよ?」
いたずらが成功した子供のように。
してやったり、とリィンが笑みを見せる。
「に、人間……?なにを言っているのですか、あなたは……!」
「あなたにだけ特別に教えてあげる。私はリィン。人間の少女。複雑な事情があって、この狼人族のフリーの体に同居しているの。だからね、残念だけどあなたの術は私には効かないってこと」
「同居……すなわち、一つの肉体に魂が二つ……?そんなこと、あるはずが……」
「ないと思うけど、実際に私たちがそうなわけだし。あ、でも……フリーは確かに苦しそうだったよ?だから奥にひっこんでもらったけどね」
この少女がなにを言っているのかわからない。
自分の計画は完璧だったはずだ。
子どもを人質に取り、合成魔獣たちをけしかけ、魔人へと至ったカルネスで聖女と守護騎士を消耗させて、冥府の猟犬を眷属化させて2人を消し去る。
どこで間違えた。
どこで狂ったのだ私の完璧な計画は……!
「だからね」
さきほどまでの、かわいらしい声とは一転、寒気を感じるほど冷たい一言に、慌てて顔を上げる。
「フリーを苦しめたあなたを、私は許さない」
すっ、と上げられた右腕。
そこから感じるのは、濃密な死の気配。
魔人として生まれ変わり、初めて感じる死への恐怖。
そんな……そんなばかな……!私が、死ぬことなど……!
「やっと自由になれたフリーをまた捕えるなんて、私がさせない」
どうにか逃れようと、必死に腕と足を動かすが腹部を踏まれて動くことができなくなる。
「数々の魂を弄んだあなたは、もうどこにもいけない」
深い、紫色の瞳が自分を映す。
その色は……まさか……!
「あなたの魂は、私が喰らってあげる」
ダルの体が紫の炎に包まれる。
魂を喰らう獣など……冥府の猟犬の域を超えている……。
まさか、こいつは……
冥府の―――
魔人の魂は音もなく消滅した。
まるで、はじめからそこには誰もいなかったかのように。
魔力の残滓も。
魂の一片すらも残さずに。
戦場に満ちていた気配はすべて消え去り、
荒れ果てた瓦礫の中で一輪の紫色の花が静かに揺れていた。
そして―――
ダルの仕掛けた最初で最後の、最も悪質な罠が発動する。
読んでくださりありがとうございます。




