迷い
戦場の喧噪が、いまだけは聞こえなくなる。
どこか世界が遠くに感じ、空に浮かぶから魔人から目をそらすことができない。
「ほかの有象無象ならともかく、お姉ちゃんが相手だったら破れないのも無理はないかな」
妹と全く同じ声色で、魔人は人差し指を口元に当てて困っている風を装う。
「ん?」
自分が見ていることに気づいた魔人は、口元を歪ませて嗤う。
「さっきは無視されちゃったけど、もう一度言うね?久しぶり、お姉ちゃん」
手をひらひらと振り、妹と同じ容姿で醜怪に笑う魔人に、怒りの感情がせり上がってくる。
ぎり、と歯を食いしばり、溢れ出る怒りを抑え込んで、剣を魔人へと向ける。
「お前は……一体なんだ!」
妹の肉体を乗っ取ったのか。
それとも、獣人の子供たちのように魔人化したのか。
「え~お姉ちゃん忘れちゃったの~?私だよ私。お姉ちゃんのことが大好きなカルネスだよぉ」
私は悲しい、とめそめそと泣き真似をする。
動作の一つ一つがツァリの心を乱す。
「黙れ!魔人がカルネスの名を語るな!」
「語ってなんかないよぉ。私は正真正銘、お姉ちゃんの妹のカルネスだよ~?」
甘ったるい声で、体をくねくねと動かして、カルネスを語る魔人の姿を見て、話しているとせり上がってくる激しい感情の渦。
憤怒。
殺意。
あらゆる激情に駆られ、知らず剣を握る手に力が入る。
「グオオオオォォォ!!!」
魔人に気を取られている隙に接近していた魔獣。
そちらを一瞥もせずに、込めた力そのままに剣を振るう。
光が放出され、魔獣は一瞬で光に呑まれて消滅する。
明らかなオーバーキル。
聖女の加護を受け、強化されているとはいえ無駄に力を放つと体力、魔力の消耗が激しくなる。
「おい、ツァリ。落ち着け」
「私は落ち着いている!」
見かねたカインが声をかけるも、被せ気味に返事が返ってくる。
まったく、それのどこが落ち着いているっていうんだ……。
「消えろ!ふざけた魔人風情が!」
まばゆいばかりの光が剣に集まり、魔人に向かって振り下ろす―――
「やめてお姉ちゃん!!」
直前に、魔人カルネスの叫びにびくりと体を震わせて。
振り下ろされた剣の軌道に合わせて放出された光の刃が、魔人の横を通り過ぎる。
背後にいた魔物たちを悉く光の粒子に変えてしまうほどの威力。
込められた力が、そのままツァリの心を現している。
確実に当たる保証もないのに放つ全力の一撃。
反動からか、動揺からか。
たった二撃放っただけなのに、ツァリは大量の汗を流して地面に剣を突き立てる。
「あは。やっぱりお姉ちゃんは優しいね。私がどんないたずらをしても絶対に怒らない。ねぇ、覚えてる?お姉ちゃんの誕生日の日に、みんなから祝福されるお姉ちゃんを羨ましく思った私が……キャ!」
過去を思い出すように目を閉じ、朗々と告げる魔人の言葉が急にとまる。
「カイン!?」
カインが光の矢を魔人に向かって放ったからだ。そのことに驚いたのは、魔人だけでなくツァリもだった。
「しっかりしろツァリ!あれはなんだ!お前の妹なのか!?」
「ち、違う!あれが私の妹のわけがない!」
普段の様子からは想像もできないほど強く言葉を浴びせられ、一瞬体がびくりと震える。
「そうだろう!あれはただお前の妹を真似しているだけだ!姑息な魔人どもが好きそうな手だぜ。全く、反吐が出る」
普段飄々としているカインの、鋭い言葉にツァリは一瞬体を震わせて、しかしすぐに目に力を込めて魔人を見る。
「すまん、カイン。少し動揺した。だがもう大丈夫だ」
余計な力を抜き、軽く剣を握る。
魔人への警戒を怠らず、横に立つツァリの様子を探る。
さきほどとは違い、本当に落ち着いているように見える。
「いいってことよ。お前はもう少し気を抜いたらいいんだよ。真面目すぎるのも問題だぜ」
「覚えておこう」
ツァリが剣を構え、カインが矢を引き絞る。
その返答が、真面目すぎるっつってんだけどな。
「な~んだ。もう終わりか。つまんないの」
頬を膨らませ、まるで駄々っ子のような表情を見せる魔人。
その様子が、わがままをいうときのカルネスにダブる。
違う。あれは魔人だ。カルネスじゃない……!
大丈夫。
そう思っていても、ツァリの心に芽生えるわずかな迷い。
あいつは魔人だと、カルネスを模しているだけだと理解はしている。
だが、どうしてもどこかで本物のカルネスではないかという疑問もある。
もしも、あいつが本物のカルネスで、魔人が操っているだけだったら?
あいつを滅したとき、カルネスも同時に消えてしまうことになったら?
私は、一体どうしたら……。
カインには大丈夫だと言ったが、心の中ではまだ迷っていた。
だが、その迷いを断ち切るように、涼やかな声が聞こえてくる。
「えぇ、もう終わりにしましょう」
門が内側から開かれて、出てきたのは聖女アウルディア。
「アウルディア様……!なぜ、ここに!」
こちらに歩み寄ってくるアウルディア。
おもむろに、彼女は両手の指を組み、膝を地面につけて祈りの体制をとる。
「悪しき者に、裁きの剣を。ジャッジメント・ソード」
空が白い光に包まれて。
そこから剣を象った光が降り注ぐ。
光が突き刺さった魔物たちはたちまち浄化され、光の粒子なり消えていく。
「やはりこの魔物たちは、あなた方魔人が魔力で作り出したものたちですね」
闇の魔力で生み出されたものだから、光の魔力に弱い。
「どうりでか。な~んかスタンピートっぽくねぇなと思ってたんだよな」
カインの呟きに、アウルディアが静かにうなづく。
「な~んだ。ばれちゃってたのか。正解よ。このかわいい子ちゃんたちは私のたちの魔力で作り出したもの。だからこそ……」
魔人の後ろに広がる闇。
アウルディアの光を覆いかくさんばかりに広がり、その中から魔物たちが生み落とされる。
「私の魔力が続く限り、永遠に生み出すことが可能なのよ~?すごいでしょ?」
次々と沸いてでてくる魔物たち。
「この魔物たちは他の守護騎士や冒険者の皆様に任せて、私たちはあれを討ちましょう」
「あら?私に勝つ気なのかしら?」
「言ったはずです。終わらせに来ました、と」
立ち上がり、膝についた砂を払って魔人を見据える。
「やれるもんならやってみなさい?小娘」
にやりと口元を歪ませて、魔人が笑う。
黒い渦が魔人の背後に二つ現れ、そこから巨大な腕が2本生えてくる。
大の大人でも軽々と掴めそうなほど巨大な腕。
「なんだあれ?召喚魔法の一種か?」
「暴れ狂いなさい。メフィスト・フィスト」
巨大な腕が宙で指を組み、一つの大槌のようになり振り下ろされる。
大きさに違わぬ重量をもった腕が大地を揺らし、陥没させる。
「なんて威力だよ全く……!」
必死に避け、思わず漏れた愚痴もすぐに引っ込む。
巨大な腕が再び持ち上げられていたからだ。
反動のある必殺技でもなんでもない。ただ腕を上げて下ろすだけ。
それだけで、並の人間ならば手も足も出ないだろう。
だが、ここにいる3人は並の人間ではなかった。
振り下ろされる直前、腕に幾本もの光の鎖が巻き付き動きを止める。
隙を逃すことなく、カインが魔人に向けて矢を放つ。
当然、一発だけの矢が当たるわけもなく避けられる。そこに、空を駆け、接近していたツァリが剣を振るう。
「3体1なんて、騎士様は案外卑劣な手を使うのね?」
「黙れ。お前に卑劣などと言われる筋合いはない!」
魔人が手に持つ細身の剣と、ツァリの剣が甲高い激突音を響かせる。
接近したことで、ツァリの瞳にはっきりと魔人の姿が映る。
紅い瞳に、少し伸びた犬歯、それにねじれた角……その特徴さえ除いて見たら……。
ツァリの握っている剣の光がわずかに弱まる。
「いけない……ツァリはまだ迷っています。迷いがあるまま剣を振るっても……!」
「あんの馬鹿野郎が……!」
舌打ちし、カインが弓を構えて矢を放つ。
接近していた2人だったが、カインの矢は正確にツァリを避け、魔人の足に突き刺さる。
「っ痛……!」
一見すると普通の矢だが、聖女の加護が込められた光属性の矢だ。
魔人へのダメージは大きく、体制を崩す。
「もらった!」
ツァリの剣が再び光輝き、魔人の首を切らんと迫る。
迷うな!ツァリ!こいつは魔人だ!このまま首を―――
「守ってくれるって、約束したよね?お姉ちゃん……?」
涙で潤んだカルネスの姿が目に映り、首を切り落とすギリギリのところでツァリの剣が止まった。
―――カルネス、私がこの聖都の守護騎士となってお前を守る。
それはまだ、ツァリが守護騎士になる前の思い出。
幼い日にした、2人の約束。
私は、私は…………!
「あは。やっぱりお姉ちゃんは優しいね。大好きだよ、お姉ちゃん」
自分の首に添えられた剣をそっとずらし、にっこりと笑ってツァリを抱きしめるカルネス。
その笑顔が、過去のカルネスの笑顔と重なり。
ツァリの頭がなにかを考える前に。
魔人の鋭い腕が、ツァリのわき腹を貫いた。
「ぐっ…………!」
くぐもったうめき声。
口から溢れる大量の血。
「まずは1人~っと」
魔人がツァリから腕を引き抜き、ツァリを地面に蹴り落とす。
醜悪に嗤う魔人の姿を、落ちていく中ぼんやりと眺める。
カルネス……私は…………
血と、涙は宙に浮かび、ツァリの意識は闇へと落ちていった。
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