2人目の魔人
部屋すべてを覆いつくすように広がった黒いスライム。
壁や天井、床とあらゆる方向から突然伸びてくる太い腕。
普通の人間ならかなり苦戦を強いられることだろう。
だが、
『あ、後ろ来るよ』
「わかった」
フリーが前方を、リィンが後方を警戒することにより、死角がない二人には不意打ちなぞ通用しない。
背後の壁が蠢き、太い腕が伸びてくるが軽く横に移動してかわす。
『この世界にきてスライムとは何度も戦っているし苦戦を強いられることもあったけど……』
「こいつはそこまでじゃない」
冷静に敵を見据え、魔石の場所を把握する。
「厄介なのはきっと、倒した後」
『同感だよ』
おそらく、この黒いスライムはツァリを欺くためだけのもの。
戦闘能力は低い。
その証拠に、フリーがたやすく全身を細切れにして魔石を取り出す。
―――あーあ。残念。もっと遊びたかったのに。
最初から最後まで、変わらぬ少女の声。
核である魔石を抜き取られたことで、形を維持できなくなりスライムはべしゃりと崩れて消えていく。
残される謎の魔法陣。
赤い文字が、脈動しているように明転を繰り返す。
ドアが開けられたことで歪となった魔法陣。
それがもたらすものがなにか。
―――パチパチパチ
フリーが考える前に、不釣り合いな拍手が部屋に響く。
「デモンスライムをいとも簡単に退けますか。さすがですね」
振り向き様に、声をかけてきたものの首に剣を当てる。
「カルネスをどこにやった?」
首に剣をあてられながら、院長は微笑む。
「ツァリから聞きましたか。残念ながらカルネスは病気なのですよ。体をデモンスライムに乗っ取られるという病気のね」
「よくいう。お前が召喚して、カルネスに取りつかせた。一体なんのために?」
「取りつかせたわけではありませんよ。勝手に取りついたのです」
あれは想定外でした、と肩を竦めて苦笑する。
「質問を変える。ミミたちはどこ?」
「ミミとキャットは教会の掃除に、ベアとベンガルは冒険者に。この間言いましたが?」
「嘘をつくな。ベアとベンガルがどうなったか、知らないわけない」
「あぁ、あなたは優秀ですね。もう、知っていましたか」
「お前……!」
首を斬ろうとした時、横から入ってきた殺気を感じて咄嗟に剣をむける。
「院長先生に悪いことするな!」
甲高い音が響き、フリーの剣が犬人族の少年、ガルムの剣を防ぐ。
続けて放たれる幾本の矢。
院長の横をすり抜け、正確に飛んでくる。
部屋の奥に下がり、剣で矢を切り落とす。
その間に、院長は下がり守るように獣人の子供たちが立ちふさがる。
彼らの瞳は、みな一様に紅く染まっている。
「お前、子供たち全員を魔人にしたのか」
極めて冷静に。だが、フリーの胸の内では怒りの感情が渦巻いている。
「本当に、あなたは優秀ですね。優秀すぎる、といった方がいいでしょうか。あなたの存在は必ず私たちの邪魔になる。その前に、消えていただきましょう」
「お前も魔人?」
「いかにも。改めて名乗りましょう。私は魔人ダル。以後、お見知りおきを」
紳士面をして、わざとらしく頭を上げる魔人ダル。
「ドレアムの仲間?」
「一応は仲間ですがね。私をドレアムのような単細胞と一緒にはしてほしくないですね」
「下衆さでは似たようなもの」
ドレアムは力を誇示しているタイプだったからまだましかもしれない。少なくとも、子供を魔人に変えるようなやつよりは。
「ふふ、その強がりがいつまでもつか。見ものですね」
ダルが下がり、彼の前に魔人の子供たちが集まってくる。
「逃げるの?」
「そんな挑発には乗りませんよ。あなたたちのことはよく知っています。さぁ、この子たちを斬り殺すことができますか?」
それだけ言って、ダルは闇の中へと姿を消してしまう。
「あいつむかつく」
リィン、全員あの光の鎖で捕まえられる?
『いやちょっと人数が多いかな……あれ、なんか特殊な魔法みたいで発動が難しいの。ウルがいてくれたらよかったんだけど……』
いないものはしょうがない。なんとか、切り抜ける。
『うん……フリー、あんまり傷つけないであげて』
わかってる。
双剣を鞘に戻し、鞘ごと引き抜く。
ガルムを筆頭に、一斉にとびかかってくる子供たち。
腕を叩き、剣を叩き落しながら、間をすり抜ける。
裏庭に足を踏み入れると、屋根の上から大量の矢が降ってくる。
入口の方も、剣や槍を構えた子供たちが立ちふさがっている。
『あ……』
どう切り抜けるか考えている時、リィンの悲しそうな声が頭に響く。
リィンが見ている方を見てみると、屋根の上に弓を構えているミミとキャットを見つけた。
「ミミとキャットも……」
さらに入口の方からベアとベンガルも現れる。
『ジャッジメントチェーンの拘束を解いた……いや、解いたやつがいる』
「大丈夫。みんなもとに戻る。ウルがその方法を見つけるって言っていた」
『……そうだね。そのためにも、私たちがここでやられるわけにはいかないね』
「そう。この場を抜けて、あの魔人をぶっ殺す」
いくら魔人の力が強いとはいえ、相手はまだ子供。しかも正気を失っている。
逃げるだけならたやすいが……。
「そう簡単に逃げられると思いますか?」
空からダルの声が降ってくる。
「もちろん逃げてもらっても構いません。ただ、その場合この場にいる子供たち全員が死ぬことになりますが」
「どういうこと?」
「すぐにわかります……」
声と気配が空へと消えていく。
ダルの言葉の意味を考える前に、答えはすぐにわかった。
カルネスがいた部屋に描かれていた歪な魔法陣。それが、起動したのだ。
突如膨れ上がる魔の気配。
黒い靄が部屋を埋め尽くし、溢れ流れてくる。
その中から、赤黒い腕が伸びて近くにいた子供を捕えた。
「あれは……!」
フリーが駆けようとした瞬間、足元に矢が突き刺さる。
「く……!」
その間に、靄から出てきた巨人が無慈悲にも捕えていた子供を口の中に放り込む。
「あれは、オーガ……」
『あいつ、まじでぶっ殺さないと気が済まない……!』
呼び出されたオーガは一体だけでなく、靄の中から三体のオーガが姿を現す。
のそりと立ち上がったその姿は、リィンがイメージする鬼そのもの。
赤黒い肌に、ゆうに3メートルはある巨体。特徴的な一本角。
まるで次の餌を探しているように、周囲を睥睨している。
「あいつらを放っておいたら子供たちが全員食べられる』
『ぶっ殺す!』
オーガの腕が次の子供を捕えようとする前に、身体強化を発動させて地を蹴る。
双剣を戻し、背中に背負う大剣、竜の顎を抜く。
腕を切り落とすために剣を振りかぶるが、振り下ろす前に子供たちが前に立ちふさがる。
「どいて!こいつを殺さないとあなたたちが食べられる!」
「院長先生をいじめるな!」
「院長先生は優しい人なんだよ!」
真後ろにいる怪物には目もくれず、ただただフリーをにらみつけてくる子供たち。
「違う!あなたたちは騙されている!」
剣を振り下ろそうとするも、あろうことか腕を広げオーガをかばう子供たち。
そんな子供を、オーガが捕える。
「させるか!」
一瞬、フリーの意識がオーガにのみ向けられる。その隙を突かれ、脚に鋭い痛みが走り思わず膝をつく。
屋根の上にいる、ミミの放った矢がフリーの足を貫いた。
「えぇい、くそ!」
右手に魔力を集中させ、撃ちだされた火球が寸分たがわず子供を掴んでいる腕に当たり、爆発を起こす。
「ガァァァ!!!」
叫び声をあげ、握っていた子供を落とす。
だが、落とされた子供はいま自分が食べられそうになっていたことなど気にも留めずに剣を握り突撃してくる。
さらに、屋根の上からは矢の雨。
「操ってここまでになるものなの!?」
『魔人に洗脳されたことはないからわからない』
「そうでしょうけども!」
死の淵に瀕したら多少正気に戻りそうなものなのに、その気配が全くない。
リィンたちを排除するためだけに動いている。
『あたしたちが知っている洗脳よりも強力な洗脳ってこと』
「どうしたらいいかな、これ」
『とりあえずオーガたちを倒すしかない』
「子供たちに妨害されながら?」
『そうなる』
いくら力が弱いとはいえ、10人以上はいる子供たち。倒すのは簡単だが、あまり手荒なことはしたくない。
「手荒なことはしたくないけど……しょうがないか」
『どうにかしないとどうせ殺される。だったら、多少手荒でもやるしかない』
「そりゃそうだ」
屋根の上から矢を撃ってくる子たちはとりあえず大丈夫だろう。矢を気にしないといけないのがめんどくさいが、オーガの手にかかることはない。
問題は、いまもなお剣を構えて突撃してくる子たち。
「炎の槍」
リィンの呟きに呼応して、周囲に炎の槍が何本も浮かび上がる。
「いけ!」
槍は子供たちに手を伸ばすオーガの腕に突き刺さり、燃え上がる。
「私が子供たちの足を止めるから、フリーその間によろしく」
『わかった』
リィンが地面に手をつき、魔力を流すと子供たちの影から腕が伸びて足や腕を縛るように掴む。
「ジャッジメント・チェーンを参考にしたつもりだったんだけどな……」
『比べ物にならないぐらい禍々しい』
「動きさえ止まったらなんでもいいでしょ!代わったらあんまり維持できなくなると思うから手早くよろしく」
『わかってる』
一瞬でリィンからフリーへと変わり、大剣に魔力を通し竜の顎を解放させる。
「まず一匹」
燃え盛る腕の痛みにもだえている一匹に接近し、胴体を引き裂くように両断する。
断末魔を上げる間もなく一体のオーガが倒れ、そのままの勢いで近くにいたもう一体のオーガと対峙する。
明確にこちらを敵と見なしたのか、憤怒の形相で見下ろしてくる。
「もう油断はしてくれないか」
でも……。
ふっ、と息を吐き軽く跳躍し、オーガの肩に飛び乗る。
「ただでかいだけのでくの坊じゃあたしには勝てない」
巨体を支えるだけの身体強化魔法をかけているはずだが、関係ないと言わんばかりに牙が首に食い込む。
「今度は、お前たちが食われる番だ」
首を斬られたオーガが、ゆっくりと地面に倒れて地響きを鳴らす。
「ぐぅぅぅ……」
残された一体のオーガは力の差を悟ったのか、一歩後ずさる。
「怖いなら、異界に引きこもっていればよかった」
フリーを映すオーガの瞳には、はっきりと恐怖の色が宿っている。
オーガは幻視していた。
双頭の狼が、己を食おうと大きな顎を開けている姿を。
ここにいるのは、下等な種族ではない。
自分たちの餌だと思っていた人間種ではない。
あれは、化け物だ。
そして、オーガの意識はぷっつりと途絶えた。
最後のオーガを切り伏せたちょうどその時、子供たちを拘束していた影の手が消えた。
途端に臨戦態勢に入る子供たち。
「しょうがない……できる限り子供に手を出したくはなかったけど」
屋根の上から見ていたミミたちは、フリーの姿を見失った。
慌てて探し出そうとするが、その間にバタバタと地上の子供たちが倒れていく。
「必ず、あなたたちをもとに戻してみせるから」
声だけが聞こえて、ミミの意識は闇へと沈んでいった。
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