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ヒース村に何かあるのかもしれない。ハーマンの言葉に何かを感じたわたしは、ヒース村を訪れることに決めた。一度やると決めたら待つことを知らないわたし。すぐにミーナを呼んだ。
「ミーナ、ヒース村に行くわよ!」
突然の話に目を丸くするミーナ。ヒース村は王都から片道二時間を要し、やや長旅になる。そんなところへ急に行くと言い出したのだから、驚くのも無理はない。
わたしは立場上ひとりで自由に行動することは難しく、王都を出る場合は何かしら理由付けが必要だ。少し頭をひねり、ヒース村への来訪は聖女としての活動の延長として行くことにした。
「わたしは教会でのお手伝いを通じ、いろいろな人たちを治療してきたわ。でも今のままでは王都周辺の人たちにしか、光魔法を届けることができない。きっとこの国にはわたしを必要としている人がもっといるはず。王妃になれば、今より自由に行動することはできなくなる。その前にわたしを必要としてくれる人たちの元に行きたいの」
ヒース村へ行くための理由付けではあるが、実際ずっと思っていたことだった。この国の国民は王都周辺だけでなく、もっとたくさんいる。
目を丸くしたミーナだったが、話を聞くと、どこか誇らしげにも見える笑顔で同意してくれた。早速スケジュールを確認し、ちょうど三日後は予定がなく空いているとのこと。唐突な思いつきではあったが、わたしたちは三日後にヒース村を訪れることにした。
翌日、翌々日はいつも通りの日常で、王室に関する勉強や教会でのお手伝いをし過ごしていた。いつも通りの日常だが、ヒース村への訪問のことを思うと胸が高鳴り、早く時が過ぎることを祈った。
そして遂に当日、ヒース村を訪れる日がやってきた。
国の北端、つまり端に位置するのがヒース村。わたしは王都から離れるほど、経済的には厳しく、生活が困難な環境をイメージしていた。実際、王都からヒース村に向かっていくにつれ、人の往来は少しづつ減少し、建物もレンガ造りではなく木造のものが増えていった。しかし、ヒース村に到着し馬車を降り辺りを見回してみると、わたしの想像していた貧困や飢餓といったイメージはまったく的はずれだった。
建物や服装などは確かに王都とは異なっているが、緑が多く、村人たちの生活はとても豊かに見えた。わたしの訪問は事前に知らされていたため、村の広場に行くと多くの人が集まっていた。
「聖女様、本日は遥々こんな遠くの村までお越しくださりありがとうございます」
「聖女様!聖女様のお噂はここまで届いています!お会いできるのを楽しみにしていました!」
「せいじょさま、おはなです!」
下から可愛らしい声が聞こえたので、視線を向けると女の子が黄色い花を差し出してくれていた。しゃがみ込み女の子と目線を合わせ、お礼を伝えながら花を受け取る。女の子は満面の笑みで頷くと、元気に走っていった。
一度も訪れたことがなく、会ったことも、もちろん光魔法を届けられたこともない村の人たち。それにも関わらず、あんな小さい子までわたしのことを歓迎してくれている。どうして今までもっと色々な場所へ足を運ばなかったのだろう。みんなこの国の一員だというのに。
「皆様、はじめまして!王都より参りましたメイベルと申します。ご存知の方も多いかと思いますが、わたしは光魔法を使うことができます。怪我や病を患っている方の手助けができればと思い、本日はこちらにやってきました。順番に診ていきますので待っていてください!」
ヒース村の人たちを順々に診ていく。大きな怪我をしている人はいなく、怪我といえば農作業でできた軽傷を数人治療する程度だった。あと多かったのはお年寄りたちの年齢に伴う体の不調だった。腰痛、肩こりなど慢性的なものは一度で完璧に治すことはできないまでも、少しは痛みを軽減することができたと思う。
治癒活動に没頭していると時間はあっという間に過ぎ、空は徐々に赤を滲ませていた。当初の目的はすっかり脳内から消え去ってしまっていた。ふと一息つき、上を見上げると、王都の何倍もの空が頭上いっぱいに広がっていた。ここの建物の高さは王都と比較すると低いものが多く、視界を遮るものがいっさい無い。少しづつ姿を現す夕日と、その色に染められていく空のグラデーションがとても綺麗に見えた。
空に見とれていると、列整理のために離れたところにいたミーナが駆け寄ってきた。
「メイベル様、夜道は危険ですからそろそろ帰りましょう」
ミーナの言う通り、夜道は暗く、馬車が獣や魔物に襲われる可能性があるため危険だ。しかし、まだ村の人の治療が終わっていないことが気になり、わがままを言ってもう少しだけ滞在する時間を伸ばしてもらった。帰り道は、光魔法で結界を張れば魔物たちは近寄れないので、問題ないはずだ。
村の人の治療は大方終わっていたが、あと数人だけ待っている人がいるのでその人たちを診たら切り上げようと思っていた。あと何人いるのか数えようと視線と向ける。
あと残っているのは、ひとり、ふたり……さん……
人数を数えていると、その奥の林に人影が見えた。木の影から頭を少しだけ覗かせ、こちらをこっそり見ているようだった。
どこか診て欲しいのかしら。急に村を訪れたわたしに話しかけるのを戸惑っているのかも。そう思い、ゆっくりとその人影に近づいてみる。
しかし、わたしが近づいたのを見たその人影はびくっと肩を強張らせ、林の方へと走り出した。走り出した姿を見て、わたしも驚き立ち止まってしまった。ゆっくりと近づいたつもりだったが、怖がらせてしまったのだろうか。
走り去る後ろ姿を唖然と見ていたが、なぜだか追わなければいけないという感情が湧き、わたしは林の奥へと小さくなる背中を目指し走り出した。
林の中は木々が生い茂り、視界が遮られ、走っていく後ろ姿を見失わないようにしなければだった。人影を見失いかけた時、ちょうど林を抜けたのか視界の開けた草原のような場所に出た。人影はまだ先にいたが、しっかりと目視することができた。はじめて全貌を確認することができたが、背格好からどうやら人影は男性のようだった。
障害物にもなっていた木々がなくなったので、走る速度を上げる。何度か後ろを振り返り、わたしの姿を確認すると、人影も足を止めず走り続ける。草原で全力追いかけっこ状態のわたしたち。
男女の脚力差に加え、ドレスの走りづらさも相まって少しづつ距離をつけられる。最初は驚かせてしまったかと思い申し訳なさも感じたが、ここまで全速力で逃げられるともうその気持ちも消え、むしろ苛立ちさえ覚えてきた。そこまでして、わたしから逃げる必要ある?
もう黙っていられず、大声で呼び止める。
「ちょっと!待ちなさーーい!!」
急に大声を出したせいで周りへの注意が散漫になったのか、見事にわたしは草の根っこに足をひっかけた。自分でも驚くほど大きな音をたてて、それはもう綺麗に前のめりに倒れこんだ。
「痛った……!!」
一度も足を止めることのなかった人影は大きな音と声に気づき、足を止めたようだった。
このチャンスは逃せない……!今あの人影の気をひくことができている。わたしは足を抱えてうずくまり、より一層音量を上げて痛みをアピールし続けた。
立ち止まった人影は、わたしの異様な痛がり方にどうしたらよいかと戸惑っているようで行ったり来たりしつつ、様子を見ながら近づいてきた。
痛がる演技を続けつつ、少しづつ近づいてきた相手を横眼で確認する。遠くから見た通り人影の正体は男性だった。身長は高いが、がたいがいいわけではない。顔を見ようとしたが、長い前髪によって隠されており表情までは読み取れない。一番印象的だったのは顔を覆い隠している髪の色だった。彼の髪の色は夜空のように真っ黒で、この国ではあまり見かけない珍しい色なのだ。その黒髪が顔を隠すほど伸びており、少しもっさりとした感じだ。
先ほどまでおどおどしていた様子だったが、逃げることを諦めたのか、うずくまるわたしに手を差し伸べてくれた。痛がる演技はしていたものの、盛大にこけたダメージはあったので差し出された手をありがたく握り返した。
彼の手を掴んだ、その瞬間。今までにない感覚が全身に流れ込んできた。宙を舞うような、自分が浮いているような、心地の良い風が通り抜けるような。わたしたちを包む淡い色の光。緑の生い茂る草原は、いつの間にか見渡す限り小さな白い花に埋め尽くされている。心臓の辺りがじんわりと温かくなったように感じた。
夕暮れの茜色、私たちを包む淡い光、絨毯のような白い小さい花。息を吸うのも忘れるような、すべてが溶け合った幻想的な光景。何が起きたのか理解できなかったのはわたしだけではなかったようで、手を握っている相手も動かずこちらを見ており、見つめ合ったまま時が止まっているようだった。
何か言わなければ、と思い言葉を発しかけた時だった。
「あれまぁ。こりゃまた珍しい魔法だこと。綺麗やねぇ」
声の方を振り向くと、おばあさんが立っていた。この村の人なのだろうけど、広場では一度も見かけなかった気がする。誰なのだろう。わたしが疑問に思い見ていると、握られていた手が急に離された。
「マーシャ!!こんなところ、出歩いて大丈夫なのかい?」
「坊ちゃん、わたしは大丈夫ですよ。そんなに心配なさらんでくださいな」
どうやらふたりは知り合いのようだった。男性はすぐに立ち上がっておばあさんの元へ駆け寄ると、心配そうに肩を支えた。ひとりで立っているのが困難なほど体が悪いのだろうか。わたしも立ち上がり、近づきながら声をかける。
「大丈夫ですか?どこか悪いのですか?」
わたしの方をゆっくりと見たおばあさんは、にっこりと笑いながら優しく答える。
「あれまぁ、別嬪さんじゃないか。心配してくれているのかい?ありがとう。足腰をちょっとね。この歳にもなったら体のどこかにガタが来るもんなのさ」
なるほど。おばあさんの話を聞いて先刻の疑問が解消された。おばあさんの治療をして欲しくて、男性は木陰からこちらを覗いていたのだろう。
「おばあさん、わたし光魔法が使えます。少しだけお時間をいただけませんか?わたしに治療させてください」
おばあさんは少し驚いた後、申し訳なさそうな表情になった。断られるかもしれないと思った瞬間、男性も同じことを思ったようだった。支えている肩を強く握り、視線でおばあさんに訴えかけていた。視線の圧に負けたおばあさんは、分かったよ、と言いながら頷いてくれた。
おばあさんの腰あたりに手を持っていき、光魔法で治癒を試みる。難しい病ではないので治療はすぐに終わった。わたしが離れると腰に手をあててみるおばあさん。
「まぁ。えらい楽になったわ。ありがとうね、お嬢さん」
慢性的な病は一度での治療は難しい。今は痛みが軽減されているが、完治したわけではないので、これからも無理はしないようにと伝える。
「感謝する」
ぶっきらぼうな言葉とともに頭を下げたのは、黒髪の男性だった。頭を上げる瞬間に、隠れていた目がちらりと見える。珍しい黒髪の隙間から見えた瞳の色は青。
この色……魔王と同じ……
「メイベル様ーー!!」
林の中からミーナの声が響いてきた。夜を迎える前に帰ろうと言っていたのに、気づいたら夕暮れ色の空はもう暗くなっていた。
「ごめんなさい!わたしもう行かなくちゃ!おばあさん、お大事になさってくださいね」
青い瞳の男性が気になったが、今はミーナと帰らなければいけない。後ろ髪を引かれる思いを残しつつ、わたしは林の中へ戻っていった。