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間もなくして、ルシウス様指揮のもと編制された討伐隊が、暴走した第一王子を討つべく出兵していった。第一次討伐隊からはじまり、第二次討伐隊、そして第三次討伐隊。成果をあげられぬまま戦いは長引き、国も民も疲弊する一方だった。
戦争長期化の結果、騎士団員の人員は不足し、国は国民たちからも有志兵を募るようになった。自国の危機に立ち向かおうと、若い男性を中心に討伐隊に参加する者が増えていったが、それでも国へ吉報がもたらされることはなかった。
あれは人間ではない。
見たこともない魔法、黒い炎を操っていた。
もはや我が国の王子などではない。
悪魔。いや、あれは魔王だ。
戦地の声は国民たちに広がり、『魔王』という呼び名が瞬く間に知れ渡った。もはや彼を『第一王子』と呼ぶ者はいなくなった。彼は魔王になったのだ。
また、国民たちの間でひとつの噂が広まった。魔王が王都へ近づいてきている。
第三次討伐隊壊滅の知らせとともに、第四次討伐隊の準備が開始された。国内では帰還した者たちの声、魔王への恐怖から有志兵の数は激減し、隊を作るために十分な人数を集められなくなっていた。国は仕方なく徴兵を開始し、第四次討伐隊を編制した。その討伐隊が出発したのが、およそ三日前になる。未だに隊からの知らせはなく、国には敗北ムードが漂うとともに国民たちの不満がたまってきていた。
ここ最近は王城前に国民が集まり、戦争へのデモが毎日のように行われていた。自分の家族、愛する人、友人が強制的に戦地に送られたことへの怒りを露わにしていた。国民たちの想いは痛いほどわかる。誰しもこんな戦争望んでいるわけがないのだ。平和に、穏やかに、自分の大切な人たちと時を過ごしたいだけなのだ。これはその平穏な日々を取り戻すための戦い。魔王を止めることが、この国を、大切な人たちを守ることなのだ。
王城前に集まった国民たちの顔を見ることが辛い。わたしが教会で見ていたあの笑顔は、どこへ消えてしまったのだろうか。室内にいる分には外の阿鼻叫喚は聞こえない。しかし国民たちの表情からは怒り、悲しみ、憎しみ、悲痛な想いが伝わってくる。
わたしはここににいるだけで何もできないのか。騎士団が、国民たちが、自国を守るために戦っているというのに、わたしは何もしていない。戦地には傷を負った者たちがたくさんいる。わたしの魔法で助けられる命もあるかもしれない。その人が死ぬことで流れる涙を止められるかもしれない。そう思うと居ても立っても居られなくなり、わたしは陛下の元へと向かった。
「陛下、お加減はいかがですか。突然のお願いにも関わらず、謁見のお時間を頂きありがとうございます」
ほぼ乗り込むような勢いで陛下の元へ行き、なんとかお時間をいただくことができた。そして、わたしは今の想いを素直にお伝えした。長期化する戦争、騎士団の疲弊、国民たちの怒り、そしてわたし自身のやるせなさ。わたしの魔法は戦地で絶対に役に立つ。どうか討伐隊に参加させて欲しい、と。今国政に関する決定権は実質ルシウス様が握っているが、わたしの討伐隊参加を許可してくださるとは思えず、直接陛下にお願いすることを決めた。
陛下は怪訝そうな表情をしておられたが、徐々に柔らかくなり、最後まで口を挟まずに聞いて下さった。
「メイベル、君は本当に優しい子だね。君の言いたいことは分かった。私としてもこの状況は看過できるものではない。確かに今の国には君の力が必要だ。第五次討伐隊に君が加わることを許可しよう。そして、これが最後の討伐作戦となるよう全力を尽くそう」
陛下は優しく、それでいて力強い御方だ。わたしの性格もよくご存知でいらっしゃる。言い出したら聞かない性格ということも分かってくださっているのだろう。
「ルシウス。第五次討伐隊を率いるのはお前だ。メイベルとともに、この戦争に終止符を打ってくるのだ」
同席していたルシウス様は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに「御意」と返事をした。
陛下の命により第五次討伐隊の準備が開始された。今回の討伐隊はルシウス様が指揮をとられること、私が同行することが国民にも知らされた。数が減っていた有志兵だったが、今回は多くの国民が参加の意思を見せ、過去四回とは比較にならない大規模部隊を編制することができた。これが本当に最後の戦いになる、そう誰もが思い、国を出発した。
魔王の元へ向かう道中、はじめは賑やかだった隊に少しづつ緊張が見えてきた。わたしは馬車での移動だったが、隣にいらっしゃるルシウス様のお顔もどこか表情が硬く、緊張されていることが分かった。
いつも自信に満ちた笑顔の彼の見たことのない面持ちに、わたしに何かできることはないかと思考を巡らせた。
ルシウス様をまっすぐに見つめ、手を握った。
「ルシウス様、大丈夫です。わたしがついております。わたしが全身全霊でサポートいたします。だから安心してくださいませ」
ルシウス様は先ほどまでの緊張した表情から一転、すぐにいつもの輝く笑顔に戻り、ありがとうと手を握り返してくれた。
わたし自身、周りの空気感もあり不安と恐怖心が芽生えていたが「大丈夫」と声に出して言うことで、気持ちを落ち着けることができた。手のひらから伝わる温もりが、安心感をくれたおかげかもしれない。
そして馬車が止まった。目的地に着いたのだ。
わたしは自分の拳を強く握りしめ、震えを抑えた。深く息を吸い、もう一度心の中で唱える。大丈夫。
「勇気ある有志兵の皆さん。誇り高き我が国の騎士団の皆さん。これが最後の戦いです。ここにわたしがいます。何があってもわたしが皆さんをお守りします。国のため、大切な家族のため、愛する人のため。何としても魔王を討ち、絶対に……絶対に国へ帰りましょう!」
わたしの言葉が届いたのか、緊張感のあった隊に士気が戻ったように感じた。勢いよく馬車の外に出て周りを見渡す。
外に出るとあまりの異様な光景に全員が立ち尽くした。見渡す限り辺り一面の草木は枯れつくし、動物も見えない。生命を一切感じることのない空間が広がっていた。周りを見ようとしたが視界がぼやけてよく見えない。目をこすり、改めて周りを見渡してみるがやはり視界がおかしい。この空間に流れる空気自体が濁っている。どこか黒く淀んでいるのだ。呼吸さえも苦しい。濁った空気を肺に取り込むと、何かが体を内側から蝕んでいくようだった。
異様な光景の先に、明らかな異物が目に入った。この世のものとは思えない黒い何か。塊のような、渦のような、言葉にはできない黒い何かがあった。直感的に、あそこに魔王がいると分かった。帰国した兵から話は聞いていたが、想像の域を遥かに超えた光景だった。先ほど持ち直した士気は消し飛び、口を開く者はなく、沈黙が隊を飲み込んだ。空間の濁りが隊全員の心に浸食し、気持ちを暗く黒く塗りつぶしていくようだった。
街の教会での奉仕活動を思い出した。わたしの魔法は怪我や病に苦しむ人たちの助けになれた。暗い表情が明るい笑顔に変わる瞬間を頭に浮かべる。何のためにわたしはここにいるのか。このままではダメだ。両手を強く握りしめ祈りの姿勢をとる。自分の周囲から光魔法を発動し徐々に範囲を広げる。この黒く淀んだ空間と、みんなの心を何とか清めようと試みた。
「皆さん、わたしの周りの一定範囲はこのまま浄化を続けます。ここであれば少し気が楽になるでしょう。もしお怪我をされた方がいれば、わたしのところへ来てください。絶対に死なせません」
活気を取り戻した隊はルシウス様指揮のもと態勢を整え、遂に第五次討伐作戦が開始した。魔王討伐を目指し、黒い渦目がけ進軍していく隊員たち。わたしにできることは、光魔法で浄化を続けること。少しづつ呼吸を安定させ、魔法の出力を上げていく。辺り一帯の黒い空間の中、光魔法を発動している範囲は月の光が差し込むように輝いていた。進軍していく兵の背中を見守る。そしてその先にある黒い渦に視線を向ける。背筋がゾクりとした。
そこに居ると分かってはいたが、魔王本体を初めて視認してしまった。黒い渦の中に目玉が浮き出しこちらを見つめている。魔王と目が合った。同じ場所で浮遊していた黒い渦が動きだし、すごい速度でこちらに向かってくる。光魔法が目立ちすぎたのかもしれない。
斜め前で指揮をとっていたルシウス様が全軍に大声で指令を出す。魔王の視線が逸れたかと思うと、ルシウス様を鬼のような形相で睨んでいる。魔王はさらに速度を上げ、ルシウス様に一直線に近づいていく。人の声とは思えない地響きにも聞こえる唸り声。
隊員たちはルシウス様の前に陣形を組み魔王を止めようと試みる。魔王一人に対し、こちらは大規模部隊の数で圧倒できるのだ。魔王の周りを囲んだ兵が一斉に飛び掛かる。しかし魔王のスピードは微かにも落ちることなく、ルシウス様の方向へ直進している。数で圧倒しているはずの兵たちは手も足も出ず倒れていく。
絶対に誰一人として殺させたりしない。全員で国へ帰ると誓ったから。魔法範囲を広げ、隊全体に光魔法を届ける。魔王の攻撃を受けた重傷者があまりに多く、一人ひとりを治療する間がない。何とか広範囲魔法で全員の一命を取り留めている状態だ。
近づいてくる黒い渦が光魔法を阻害し、いつも通りのコントロールができない。呼吸が荒くなる。魔法の効果を安定させるために心を落ち着かせないといけないのに、迫りくる魔王の迫力と濃くなる黒い瘴気がそれを阻む。手が震える。人一倍の魔力量が自慢だったはずなのに、魔王の魔力を前に自分の魔法が霞んでいくような感覚に陥る。
ゆっくりと目を閉じ、大きく深呼吸をする。
『大丈夫、メイベル。落ち着いて。わたしがみんなを守るの。そのためにわたしはここへ来たのだから』
再び目を開け魔王を見据える。場の浄化と重傷者たちの治癒に集中する。不安定だった魔力出力を安定させていく。今までになく研ぎ澄まされた感覚が、魔法陣の中にいる全員の生命を感じとる。誰も死んでいない。深手の傷を負った兵は数えきれないほどいるが、誰一人命を落とした者はいない。
『まだみんな生きている。絶対に死なせたりしない』
希望を捨てず戦い続ける兵士たち。わたしの魔法で何とか死者が出ていないのは事実だったが、状況が好転する兆しがない。直進する魔王を止める術はなく、大規模部隊の大半が既に地に伏せていた。陣形を組んでいた兵は全滅し、魔王とルシウス様を遮るものはなくなった。ゆっくりと歩み寄る魔王。ルシウス様だけでも魔王の手からお守りしなければ。
わたしは部隊の後方で魔法陣を展開していたが、ルシウス様の元へと走り出す。ルシウス様に近づいた距離の分、魔王との距離も縮まる。魔王を取り囲んでいる黒い渦だけでも呼吸が苦しく、魔法が乱されるほどの威力だったが、魔王本体に近づくと黒い渦がただの霧だったかと思えるような迫力だった。一刻も早くルシウス様の元へ駆けつけなければならないのに、膝が震えてうまく走ることができない。やっとのことルシウス様の隣へ駆け寄ると、ルシウス様が手を握りしめてくれた。馬車で感じた手のひらの温もりに少し安堵する。手を強く握り返しながら視線を上げると、ルシウス様もこちらを見ていた。お互い視線を合わせ頷き合い、二人で魔王の方へと向き直った。
遂に決着の時が来たのだと悟った。魔王と向かい合い対峙するわたしたち。だが、魔王の目にはずっとルシウス様しか映っていないようだった。
まばたきをした。
視界が一瞬暗くなる。瞼を上げると、再び地獄のような光景が目の前に広がる。呼吸を整える。
わたしの魔法でルシウス様をお守りするんだ。
もう一度まばたきをする。
視界が一瞬暗くなる。瞼を上げると目の前に地獄の光景は広がっていなかった。その代わり鬼のような形相の魔王が視界いっぱいに迫ってきていた。魔王の動きは素早く、魔法を発動する一瞬の隙さえなかった。見据える先は相変わらずルシウス様で、次のまばたきをしたらすべてが終わってしまうと感じた。
ほぼ無意識だったと思う。
三度目のまばたきをして瞼を開けた時、わたしはルシウス様と魔王の間に立っていた。
胸に広がる熱い感覚。
視界が霞む。
状況が理解できず、自分の胸元に視線を落とした。魔王の腕がまっすぐ私の方へ伸び、胸を貫いていた。うまく息が吸い込めない。立っていることができなくなり、膝から地面に崩れ落ちる。うつ伏せに倒れこんでしまったせいで、ルシウス様に何が起きているのか確認できない。
呼吸のできない私とは別に聞こえる荒い息遣い。
そして地面に倒れこむ音。
高らかに響き渡る笑い声。
ダメだった。魔王には叶わなかった。わたしの魔法では、みんなを守りきることができなかった。ルシウス様をお守りすることでさえできなかった。
わたしは何のためにここに来たのだろう。
もっと生きたかった。