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ミーナが勢いよく扉を開けたことで、自分がずっと放心状態だったことに気づいた。現実を受け止めきれず、動き始めたはずの脳がまた停止していたようだ。
白い丸テーブルの上に、手早く朝食が広げられていく。どれもできたてで、スープやパンの良い香りが漂ってくる。ミーナが気をきかせてくれたのか、スープはわたしのお気に入りの野菜たっぷりポトフだった。正直あまり食欲はないが、身体はこの香りに逆らえそうもないので大人しく席に着いた。
ゆっくりポトフを口に入れる。いつもの味、できたての温かさが口に広がり、いくらか気持ちが落ち着いた。
「ご気分はいかがですか?ご自分に光魔法は使えないのですから、お嬢様の体調管理はわたしにお任せくださいね」
光魔法。わたしは生まれつき光魔法が使えた。
この世界には魔法が存在する。魔法の種類は様々だが、代表的かつ使える人間が多いのは 水魔法 や 炎魔法 だ。魔法はその人の魔力量に応じてできることが異なる。水魔法を例にとると、庭の花に水やりをする程度の水を出す魔法から大きな火災を鎮火するほどの水量を操る魔法まで魔力量によって差が生まれる。
水魔法に次いで一般的なのが炎魔法だ。日々の生活で必要となる水や火が多数派となるのは、生態系として自然なことなのかもしれない。
炎と聞くとイメージされるのは赤色だろう。だがわたしは数回だけ青色の炎を見たことがある。赤色の炎と違い、神秘的な光を放つ青色の炎を扱えるのは王家の血筋だけ。わたしが見たのは、ルシウス様が操る鮮やかな青色をした美しい炎だった。陛下、ルシウス様が扱うとても特殊な魔法なのだ。
話を戻すと、わたしは光魔法を使うことができる。青色の炎魔法ほどではないが、光魔法の人口もそう多くはない。光魔法は 浄化の力・治癒の力 を持っており、傷や病を癒すことができる。その力は万能とは言えないし、できることには限界がある。だが、人の役にたてる力であることは確かだ。
光魔法を使える者は聖職者となり、教会で働くケースが多い。わたしは聖職者ではなかったが、空き時間には教会に通いお手伝いをさせてもらっていた。生まれつき人より遥かに魔力量の多かったわたしは自分の生まれ持った力が人のためになると知り、心から嬉しかったし誇らしかった。与えられた魔法、魔力量で、わたしはできる限りのことをしたかった。それがわたしの生まれてきた意味なのだと思っている。
日々街の人と接しているうちに、みんなはわたしを『聖女様』と呼ぶようになった。自分自身そう思っているわけではないが、それほど慕ってくれていることが素直に嬉しく、より一層みんなのために魔法を使っていきたいと思った。充実した毎日。自分が誰かの役に立てるという幸せ。そして、そんなわたしの生き方を笑顔で肯定してくれるルシウス様。わたしらしくて素敵な考え方だと言ってくれた。ルシウス様との結婚後は、正式にこの国の王妃として国民のためにこの力を使っていこうと心に誓っていた。
ルシウス様とこの国を支え、国民のために生きていく日を夢見て自己研鑽に励む日々。しかし、そんな時間は長く続かなかった。
ある日の午後のことである。王城で国家の歴史についての本を読んでいると、部屋の外が騒がしいことに気がついた。不思議に思い、ミーナに様子を見に行ってもらうと、数分後、ドアのノックも忘れたミーナが息を切らせて部屋の中に飛び込んできた。
「ル、ルシウス様が……!!」
息絶え絶えに紡がれた言葉に頭が真っ白になった。ルシウス様に何かあったのだ。
気づいたら走り出していた。ミーナの横をすり抜け、開けっ放しになっていたドアを飛び出し王城の入り口に向かった。後ろからミーナの呼び止める声が聞こえたような気もするが、それどころではなかった。足が重い。一刻も早くルシウス様の元へ行きたいのに、水の中にでもいるような感覚だ。
うまく息ができない。
足が前に進まない。
視界が濁る。
まだ何があったか聞いたわけでもないのに、脳内によぎるイメージは嫌なものばかりで、必死にそれを振り払いながら足を前に出すことに集中した。
きっと大丈夫。
王城の入り口付近には人だかりができていた。わたしが駆け寄るとすぐに道を開けてくれたので、ルシウス様のお姿はすぐに確認できた。
先ほどまで前へ前へと進んでいた足は止まり、息がより苦しくなった。ルシウス様は生きていらっしゃった。想定していた最悪のケースではなかった。しかし右腕から上半身にかけてがひどく焼けただれており、重度の火傷状態だった。辛そうに呼吸をしている姿がとても痛々しい。すぐさま駆け寄り光魔法で治癒を試みる。恐怖で手が震え、うまく魔法をコントロールできないわたしをルシウス様は微笑みながら見ていた。
「ありが……とう……メイベル……」
呼吸をするだけでも辛そうなのに、お礼を言うルシウス様。絶対に治療してみせる。そう強く想い、手に力を込めた。不思議と手の震えは収まり、魔法のコントロールに集中できた。出力を最大にし火傷を徐々に癒していく。
ルシウス様は少しづつ回復し、ゆっくりと深い呼吸ができるまでになった。周りに集まった王城の者たちが口々に質問を投げかける。ルシウス様はゆっくりと今までの経緯を話してくださった。まだ表面的な傷を塞げた程度で、話すと痛みが出るのか、単語をポツリポツリと呟く感じだったが、お話の内容は衝撃的なものだった。
ルシウス様のお話を要約するとこうだ。国務の都合で訪れた視察先でたまたま第一王子と再会した。しかし久しぶりに再会した第一王子は突如暴走しだし、ルシウス様一行を攻撃してきた。同行していた騎士たちも応戦したが、突然のことだったためにほぼ不意打ち状態で、攻撃を防ぎきることができずルシウス様以外全滅してしまった。青色の炎で応戦したルシウス様だけが火傷を負いつつもなんとか生き延び、帰国したのだった。
「わたしの魔法であいつの魔法を相殺できていれば……」
騎士たちを守ることができなかった、とルシウス様は悔しそうに涙を流した。
ルシウス様はこの国の王子だが、第一王子ではない。第一王子は以前に魔力の暴走を起こし、国全体に大きな被害をもたらした。一歩間違えれば国が滅んでいたかもしれない災害レベルの異常事態だったため、その事件をきっかけに第一王子は王城から追放され僻地に移り住んだ。以降、第二王子であるルシウス様が次期国王として国務を果たしていた。
ルシウス様は騎士団長を呼ぶように、と近くの近衛兵に声をかけた。公務中なのかまだこの場にいないかったが、間もなくして騎士団長が登場した。
「今すぐ出兵の準備をしろ」
ルシウス様が騎士団長に静かに言った言葉に、その場にいた全員が息をのんだ。
「聞こえなかったのか?今すぐに出兵の準備をするんだ。もたもたしていると第一王子が攻めてくるかもしれない。陛下が病床に伏せている今、わたしにはこの国を守る責任があるのだ」
静まりかえっていた場が一気に騒然とした。ルシウス様のお話は、もちろんこの場の人間に十分な恐怖を与えた。しかし、どこか僻地での出来事と思っていたものがこの王城に向かっているかもしれないと聞き、先ほどまでとは比にならないほど人々の恐怖が急激に膨れ上がったのだ。
騎士団は日々鍛錬を積み重ね国防を担っているが、あくまで守りを固めているだけでありここ数十年間『出兵』つまり『攻撃』を意図した指示が出されたことはなかった。それだけの緊急事態ということだった。
ルシウス様は辛うじて自分で立ち上がれる程度に回復すると、わたしに一言お礼を告げ、騎士団長の肩を借りながら自室へと戻っていかれた。支えられながら歩いて行く後ろ姿を見ながら、わたしは唇をかみしめた。光魔法が万能ではないことは百も承知だが、ルシウス様のお怪我を治しきれないことが悔しい。ルシウス様が去った後、その場の騒然とした空気は城内全体に伝播し、今までにない緊張感が王城を包んだ。