ストレスで倒れた友人の話
20××年、ストレスへの治療法が確立された。
仕事や家事、子育てなど日々多くのストレスを抱える現代人にとって、この治療法は、衝撃的で、またとても魅力的だった。
確立された当初はかなりの高額であったが、数年もしない内に保険が適用されることになった。そのため、ストレスで疲れたら病院で治す、それが当たり前の時代となっていった。
今日はストレスで倒れた友人の手術の日である。数日前、心を壊す寸前だったところを自分が見つけ、入院することとなった。
無事に手術が終わったとの知らせを受け、友人の病室へと足を運ぶ。
これでまた、前のように笑いあいながら日常生活を送ることができる。そう信じて疑わなかった。
「手術おつかれ。退院したらお祝いに何処か出かけよう」
笑顔で扉を開けた。
肯定の言葉が返ってくると予想していた。だが、友人の反応は違った。
「あ、あのだ、だれですか」
「……え」
予想していた言葉とは大きく違った展開に、一瞬反応が遅れた。
友人は、胸の前で手を組み俯きながら、おずおずといった風に問いかける。
明らかに自分を不審に思っているであろう態度だ。本当に心の底から誰だかわからないのだろう。
その瞬間、友人を担当した医師に告げられた言葉を思い出す。
信じたくない。信じたくはない。だが、
「自分が、傷つけてたのか」
その言葉は、友人には届かなかっただろう。
『今回行うストレス除去手術では、手術をする際、ストレスの大元の原因である事象を忘れる可能性があります。これは脳の防衛反応で、つらい記憶を忘れることでストレスから脳を守ります』
つまり、自分の存在が友人の心を壊す寸前まで追い詰めたのだろう。
何が悪かったのだろうか。自分にとって、友人との思い出は、どれもかけがえのないものだ。しかし、友人にとっては忘れたいほどつらいものだったのかもしれない。
だが、何を考えても今更もう遅い。
「今まで、ごめん」
何のことかわかっていない友人を背に病室を出る。
頬に熱いものが伝う。きっと、もう二度と会うことはないだろう。
「さよなら、君は自分にとって大切な人だったよ」