婚約破棄された令嬢ヴァランシアは、価値あるものを手に入れる~金に目がない聖女と言われましたが、不死薬の素材はもう私しかまともに手に入れられません~
【Side:ヴァランシア】
不死薬が発明されたことにより、人々が死ななくなった王国。
そこで私は、薬を作成する工房に嫁いだ聖女だった。
「ヴァランシア、お前との婚約を破棄する。聖女といえど、ここまで可愛げのない女を嫁にすることはできない」
「婚約破棄の件、了承したわクランバル様。けれど、不死薬を作るこの工房はどうするつもり? 私がいなくても、やっていけるの?」
婚約破棄を受け入れながらも、私は婚約者だった男の隣で小さくなっている少女に目を向ける。
背の高い私とは反対の、小柄で華奢な体つきの少女だ。
長い金色の髪を揺らしながら、私の視線に気づいた少女は怯えた様子で目を逸らす。
「あ、あの、ヴァランシアさ「あなたが連れているその女が、私の代わりになれるのかしら。不死薬の作成は、この国の基幹事業よ」」
これは脅しではなく、確認だった。
彼女は優れた魔術師にも、聖女としての力を持っているようにも見えない。
しかし横でやり取りを聞いていた男には、私がいじめていたようにしか見えなかったのだろう。
少女に矛先が向いた瞬間、怒りを露わにして反論する。
「だがお前は、不死薬の製造になにも関わっていないだろう!」
(あら、現場には向かったのね)
完全な無策で私に婚約破棄を突き付けなかったことは、評価したい。
けれど彼は昔から短絡的で、大事なところで判断をし損ねることが多かった。
「私は現場に行って不死薬の製造から出荷まで見てきたが、お前の姿はどこにもなかった。それに我が家の不死薬製造は、お前が嫁ぐ前から続いている」
自身の調査結果を意気揚々と語る姿は、いっそ愛らしい。
けれど今度自分の隣に並び立つ男としては、不足を感じざるを得ないのも事実だった。
「お前は国からの口利きで、婚約者にせざるを得なかった。だが今は国内最大の工房長である私の地位の方が上だ、もう国の言うことを聞く必要はない!」
高らかに宣言する男の声を聞いて、私はぎりぎりでため息を飲み込んだ。
確かに彼の実家であるこの工房は、不死薬の名家として王国では名を馳せている。
それはもう過去の話になりかけているのだけれど、甘やかされて育った彼にはそんなことも分からない。
「それにお前は金にばかり触れたがる、可愛げのない女。お前と話していても、少しも癒されなかった」
「あら、お金は大事よクランバル様。大概のものは、まずお金から手に入れるんだから」
話が婚約破棄から私の直接攻撃に切り替わったところで、私は彼の言葉に口を挟む。
私への罵倒は別に構わない、けれどお金に関しての話は聞き逃せなかった。
それこそが私の魔法の秘密であり、現在の不死薬に必要不可欠なものなのだから。
けれど内容に関わらず、口を挟まれたこと自体にこの男は気を悪くした。
幼子のように感情的になり、顔を真っ赤にして声を上げる。
「もういい。屁理屈ばかり言っていないでさっさと出ていけ、偉ぶるばかりで無能の役立たず。いや、私が直々に追い出してやろう!」
「っ」
彼は、座っていた私の手を乱暴に掴んで引き寄せる。
そして気づいた時には、私の胸元が真っ赤に染め上げられていた。
(胸を、刺された)
短剣を突き立てられて、私はその場に崩れ落ちる。
痛みが体を突き抜けて、さすがにうめき声が外に漏れ出た。
「ク、クランバル様。なにも、刺さなくても良かったんじゃ」
「大丈夫だよ、フィリアット。彼女も不死薬を飲んでいるから、死ぬ事はない」
目の前で倒れた私を見て、さすがに動揺しながら少女が彼を制止しようとする。
しかしクランバルは彼女に優しく微笑みかけ、目線を合わせた。
そして部屋の外に、乱雑に声をかける。
「おい、ヴァランシアが怪我をした。治療院につれていってやれ」
「は、はい、承知しました」
部屋に入ってきた侍従は一瞬、私の姿に凍り付く。
けれどすぐに黙って、私を部屋の外に連れ出した。
「不死薬があれば、なにも問題はないんだ」
霞む視界の中、最後に聞こえた言葉には笑ってしまったけど。
でもこれで、ようやく私が望んでいた婚約破棄が完了した。
【Side:クランバル】
生意気な女の血で汚れた部屋を片付けさせて、私とフィリアットは席に着く。
けれどようやく終わったのだという満足感が、私を心地よく満たしていた。
「やっと陰気臭い女がいなくなったな」
まだ女に興味もなかった時期から、婚約者としてあてがわれた女。
工房を年中歩き回り、金周りに口を挟み続けていた、はしたない女。
淡い銀髪で背の高い、少しも私の好みではなかった女。
「いくら顔が良くとも、あぁも言うことを聞かないのでは愛着も湧かない。やはりお前のように、女は愛嬌がなくてはな」
そういうと私は、フィリアットの腰に手をまわして引き寄せた。
すると彼女は一瞬驚きながらも、すぐに私の手に身を任せてくれる。
「ク、クランバル様、こんなところじゃ恥ずかしいです……」
「大丈夫だ、誰も見ていない」
この部屋にいるのは二人だけ、だから誰からも咎められることはない。
昼間から淫猥な真似をする気はなかったが、それでも気分が高揚してくる。
「これから二人で、幸せになろうな」
「はい! 綺麗なお洋服を着て、色んな所に旅行に行ったりしましょうね!」
「あぁ、俺たちに寿命はないからな。いくらでも楽しむ時間はある」
そう、私たちには時間がある。
だからこそ、それから生きていく時間をあの女に捧げる気にはなれなかった。
悠久の時間を消費していくなら、目の前の表情がくるくる変わるような愛らしい女がいい。
「私、ヴァランシア様みたいに綺麗なお化粧もしたいです! 首飾りや耳飾り、あと」
「クランバル様。お楽しみのところ申し訳ありませんが、お呼び出しがあります」
そんな時、扉の向こう側から部下が声をかけてきた。
せっかくの楽しい時間に水を差されて、私は少し不機嫌になる。
けれどフィリアットは私の腕から離れたので、私も部下に目を向けた。
「なんだ、多少の事なら私の手を煩わすな」
「製造部の方で、支障があったようです」
私の命令に対して、部下は淡々と返事をする。
けれどその声音は、いつもよりわずかに固い。
どうやら事態は、それなりに緊急のようだ。
「分かった、すぐ行こう」
少し興が冷めたものの、私はフィリアットと共に部屋を出る。
だがここで私の仕事ぶりをフィリアットに見せるのも、悪くないだろう。
(どうせ私は経営者だ。命令を決めるだけで、実質的な仕事はあるまい)
薬品臭い、薄暗い廊下を抜けて、私は製造部の区画へとたどり着く。
そこには数名の部下がおり、私を見るとすぐに頭を垂れた。
「クランバル様、ようこそおいでくださいました」
「挨拶はいい、要件を伝えろ」
私は彼らを軽く手で制して、用件を聞く。
すると一人の男が一歩前に踏み出し、口を開いた。
「先程、薬の攪拌機が壊れまして。いつ頃調達されるのかと」
「ならば資材部に頼んで、修理用の部品を取り寄せろ。私の仕事ではないだろう」
この程度の問題は日常茶飯事で、いちいち私に報告するような情報ではない。
しかし部下は、想像もしていなかったことを口にした。
「え、資材部はクランバル様の管轄になったのでは?」
「どういう事だ?」
思わず眉間にシワを寄せ、私は男に問いかける。
しかし男は私に質問されること自体が意外だと言わんばかりに、不思議そうな顔をする。
「今まで資材部は、ヴァランシア様が取り仕切っておりましたから。それに資材部の長は、代々クランバル様の身内の方が就任しております」
(……なるほど、そういうことか)
どうやらあの女は、仕事をしていなくはなかったらしい。
だがそれは、せいぜい雑務に関する話だろう。
私に大した話はまわってきていないし、我々が行うべきは全体の指揮のはずだ。
「分かった、では私から話を通しておこう」
「ありがとうございます」
どうせ資材部の部下に仕事を任せ、自身は金の動きでも眺めていたのだろう。
いや、もしかしたら横領などをされている可能性もある。
そう考えると、私の足は自然と資材部の区画へと向かいだした。
「すごいんですね、クランバル様。色んな仕事をしているんですね!」
「これくらいはできて当然だ、それより早く終わらせよう。君との時間が減る方が惜しい」
後ろからちょこちょことついてくるフィリアットが、私を褒めたたえる。
そう、私にかかればこの程度の問題など容易く解決できるはずだ。
ごちゃごちゃと物が置かれた廊下を抜け、私は倉庫へと向かう。
するとそこでは、疲れ果てた顔の女が書類を前に頭を抱えていた。
「資材部がない、とはどういう事だ」
「言葉の通りでございます、クランバル様。数年前の経営方針会議で、経費削減の為に部署取り潰しを行いましたでしょう」
話を聞くと女は別部署の人間であり、人手不足からここに飛ばされたのだという。
会議は数度出席しているが、全くその時についての記憶はない。退屈だったことしか覚えていない。
だがここで、私はひとつの疑問を抱いた。
「では今まで、どうやって部材の調達をしていたんだ」
「さぁ、全てヴァランシア様が取り仕切っておりましたので」
そもそも私は別部署です、と言い訳をする女に腹が立つ。
ここで女を責めても解決しない事は理解していたが、それでも生意気な女というものは存在が許せない。
(それにこの女の親は、おそらく海外の奴隷だな。ならば多少手荒に扱っても問題はあるまい)
半分ほどはこの国の血が混じっているのか、目立つ頭髪の色ではない。
しかし瞳の色が卑しい色をしており、奴隷の子供であるという証明をしてしまっていた。
「ならヴァランシアの部屋の帳簿を探せ! そこに取引先が書いてあるはずだ!」
「きゃあ!」
生意気な女をしつける為に短剣で首を切りつけ、さっさと動くよう命じる。
不死薬を飲んでいるから死にはしないのに、悲鳴を上げるなんて大げさな女だ。
だが隣にいたフィリアットの方が怯えてしまったのは、反省しなければならない。
「こ、怖いですクランバル様」
「す、すまないフィリアット。もう大丈夫だ」
慌てて謝り、フィリアットの肩を抱き寄せる。
そうだ、今はこんな事をしている場合じゃない。
まずはこの場にいる女を使い、なんとかして帳簿を探さねばならない。
別部署の女はそんな私たちを冷たい目で見ながら、首を押さえてヴァランシアの部屋へと向かいだす。
そして私たちも、そのあとに続いた。
ヴァランシアの部屋は、予想していたよりもずっと質素だった。
机と椅子、寝るための寝台。飾り物などなく、それらが撤去された跡も見られない。
「取引先が書いてある注文書は、存在しておりませんね」
幸いにしてヴァランシアが残していた帳簿は、すぐに見つかった。
だが品名や数量、金額や納期まで書いてあるのに、仕入先の情報だけはどこにも書かれていない。
「ヴァランシアの奴、やはり横領していたのか!」
「いえ。そもそも世界的な素材不足で、今はどこも取引自体を停止しております。なのでそんなことはできないかと」
憶測で激高する私に、別部署の女は冷静に答えを返す。
言われてみれば、ここ数年仕入れたはずの部材が搬入されるのを見たことがない。
以前は何度か見た気がするものの、それもいつまでの事だか覚えてはいない。
「ならヴァランシアは、どうやって部材を調達していたんだ」
またも私は、その疑問に行き着く。
だがその問いは解決されることなく、部屋への乱入者によって考えることも阻止された。
「クランバル様! 魔法薬の素材が全く入ってきておりません!」
「うちの農園はどうした、あんなに青々と生い茂っているのに!」
部屋に入ってきた男の言葉に、私は窓から見える農園を指さす。
あれは我が工房の誇る王国最大規模の農園で、大量の作物を育てているはずだ。
(血のように赤黒い実である、魔法薬素材。通称、不死鳥の果実)
あれは時期を問わず収穫されるものであり、そうそう枯れる規模でもない。
しかし男は、あきれ果てたように首をぶんぶんと横に振った。
「もう随分と前に素材が実らなくなって廃園していますよ! あれはもはや、ただの木です!」
「なん、だと」
あまりの出来事に、思わず絶句する。
確かに最近は花が咲いたり、実が成っているのを見たことがなかったが。
けれど随分と前からそれが起こっているなら、不死鳥の果実はとっくに尽きて、薬は作れなくなっているはずだ。
「なら今まで、どうやって素材を調達していたんた」
「ヴァランシア様が「またヴァランシアか!」」
男が口を開くより先に、私は声をあげる。
ヴァランシア。排除したにも関わらず、今も存在を主張し続ける女。
あの女のことなど、考えたくもないのに。
「ク、クランバル様……」
「だ、大丈夫だ、心配するなフィリアット。ヴァランシアは確かに材料や部材を調達していた、だから必ずやり方はあるはずだ」
工房の状態に不信を抱いたのか、わずかにフィリアットの顔が青くなる。
私はそれを見て、少し冷静になった。
彼女を不安にさせるような事をしていてはいけない、それよりも早く問題を解決させるべきだ。
そしてそれに、少し落ち着きを取り戻したフィリアットも同調してくれる。
「そ、そうですよね! 意地悪な人に負けず、前向きでいなくちゃですよね!」
「あぁ、だから応援しててくれ」
「もちろんです!」
フィリアットが私の手を握り、信じていると言外に伝えてくれる。
そうだ。彼女が信じてくれる限り、きっと私も彼女に応えられるはずだ。
そう思うと、心の中の苛立ちや焦燥感が消えていく。
(とはいえ、その方法が検討もつかない。しかし早くしないと、不死薬の出荷に間に合わなくなる)
安定しかけた精神は、今後の事を思うと急に重くなっていく。
数日前は、未来のことを考えただけで幸せだったというのに。
(我が家は不死薬の名家だ。出荷が遅れるなど、決してあってはならない)
不死薬を作る工房は我が家以外にも、小規模ながら存在する。
今は少しの脅威もないが、もしかすると状況が変われば彼らが牙を剥いて来るかもしれない。
そうならないために、ここで多少の手を使っても終止符を打たなければならなかった。
頭を悩ませながら、私は工房を歩き回る。
すると製造部の部屋から、何人もの笑い声が聞こえてきた。
「おい、貴様ら何を遊んでいるんだ! 月にいくらの給料を払ってると思っている!?」
扉を開けると、部屋の中では賭博に興じる部下たちがいた。
当然仕事など行われておらず、全員が酒を片手に大騒ぎをしている。
(相変わらず、趣味が悪いな)
彼らは外から連れてきた奴隷を使って殺し合いをさせ、闘技場の真似事をしている。
奴隷には不死薬を服用させているので、行為そのものはどうでもいい。ただの遊びに過ぎない。
しかし彼らが私を見て、興ざめだと鼻を鳴らしたことが許せなかった。
「クランバル様。不死鳥の果実がなくては、魔法薬を作る事はできませんよ」
賭けに負けたらしい部下が、酒臭い息を吐きながら近づいてくる。
その言葉と不誠実な勤務態度に、私は思わず顔をしかめた。
「ではさっさと材料調達できるところを探せ!」
「それは資材部の役割でしょう」
私の叱責にも動じることなく、彼は堂々と言い返す。
そのふてぶてしさに腹が立ち、私は彼の胸ぐらを掴んだ。
彼は製造長なので役職は多少上だが、それでも私に叶いはしない。
「貴様ら組織に所属している自覚はないのか!? こういう大変な時こそ、部署の垣根を超えて協力すべきだろうが!」
「では大量受注が入った際は手伝ってもらえるんですね?」
掴みかかった私に対し、彼はにやりとした笑みを浮かべる。
そして私は誘導されたことに気づいたが、今さら後には引けない。
「……あぁ、約束しよう」
「なら探してきますよ。ちょっと危ないですが、ツテが使えるかもしれません」
彼がそういうと、周りの部下たちも立ち上がり始める。
少し嫌な予感がしたものの、彼は既に部屋を出て行こうとしている。
そして私も悠長なことを言えるほど、残された手札は多くなかった。
「急いでくれ、出荷を遅らせるわけにはいかない」
「はいはい、分かってますよ」
彼は軽く答えながら、完全に部屋から出て行く。
その背中を見送ると、私は小さくため息をついた。
(くそ。上級魔法薬免許を持っているからって、調子に乗っているな)
確かに現場で働いている奴は、特殊な技能を持っている。
だがそれは、経営者より偉いという意味ではない。
それをあの馬鹿たちは、分かっていなかった。
「クランバル様、魔法薬を作る人を増やすんですか?」
不安そうな顔をしながら、後ろに控えていたフィリアットが尋ねてくる。
その問いに、私はそうだと静かに頷いた。
「あぁ、君がちょっと手伝ってくれればいい」
「え、私ですか?」
きょとんと目を丸くする彼女は、やはり比例するものがないほど愛らしい。
そんな彼女を働かせるのは胸が苦しいものの、今は状況に余裕がなかった。
「あぁ、免許は持ってただろう? 前に話していたのを覚えている」
私が尋ねると、フィリアットは服をぎゅっと強く握った。
その様子に、私は強い不安を覚える。
「そう、なんですけど。実際に薬は作ったことなくて」
「……筆記のみの仮免許か」
「ごめんなさい! クランバル様とお話できるように取ったものだったから、実際に使うと思ってなくて!」
私に嫌われたと受け取ったのか、フィリアットは錯乱したように言い訳を並べる。
しかし彼女が免許を取った経緯を考えれば、仕方のないことだ。
私と話すために取ったというなら、嬉しくないわけがない。
「いや、いいんだ。その気持ちが嬉しい」
「よ、良かったぁ」
うるみかけていた瞳が、私の言葉で安堵に変わる。
その表情の変化は、まるで花が咲いたようだった。
(しかしこうなると、別に上級魔法薬免許を持つ人間を雇わなければならないな。その前に、素材を手に入れなければならないが)
彼女に癒されているはずなのに、どうしても疲れを拭うことができない。
むしろ追放した女の影が、私の心にじわじわと侵食し始めていた。
あれから工房では不死鳥の果実の仕入先を探すため、様々な場所へと連絡をしていた。
だがようやく、部下の一人が吉報を携えてくる。
「クランバル様、素材調達を引き受けてくれるところが出ましたよ」
「でかした! で、どこの家だ!?」
私は興奮気味に、彼に詰め寄る。
すると彼は少し申し訳なさそうに、その名を口にした。
「ヴァランシア様にございます」
「却下だ、他のところにしろ」
緩んでいた頬を即座に引き締め、私は部下にやり直しを告げる。
すると彼は困り果てた顔をして、勘弁してくださいと白旗を上げた。
「しかし王国内の仕入れ先には全て声を掛け、断られてしまっています」
「ならば海外に声を掛けろ! 頭が鈍いな!」
苛立ちを隠さずに、私は声を荒げる。
王国がダメなら、外へ。必需品が足りないなら、意地でも探し出すべきだ。
しかし部下は首を横に振るばかりで、動こうとはしなかった。
「クランバル様。うちの組織で外国語をできる者はおりません」
「ならばこの王国の言葉ができる奴か、翻訳できる魔道具を探せ! 今すぐだ!」
私の剣幕に怯えながらも、ようやく別の指示を得た男は動き出す。
だが足りない物ばかりだ、今までは不足など感じたこともなかったのに。
「クランバル様、海外の仕入先と翻訳魔道具が見つかりました!」
「取引先を今すぐ通せ! 魔道具も即刻調達しろ!」
待ちに待った報告に、私はすぐさま部下に命ずる。
すると彼は、一枚の書類を私に提示した。
「では、こちらが注文書となります。高額取引は、確認が必要ですので」
「ずいぶんと高いな」
渡された紙には特急での対応が可能である代わりに、その分の料金が上乗せされていた。
すぐさま記名しようと思っていたものの、想定外の金額に思わず筆が止まる。
「ではおやめになられますか? 現状、これ以上の手立てはありませんが」
部下が私に気を使っているような、試すような物言いで私に問う。
だがもう、私はあまり強く出れない。
ここ数日の間に、工房からの離職者が大量に出てしまっていた。
「……いや、言い値でいい。今は時間の方が惜しい」
「承知いたしました」
少し鈍い筆跡で、私は了承したと実名を記入する。
これで後戻りはできないが、今は使えそうな物に金を払うしかない。
疲れ果てた心を慰めるのは、片割れにいる少女だけだ。
「クランバル様、かっこいいです! あんなに高いお金を出せるなんて!」
「必要なものには、金を払う。当然のことだ」
彼女の賞賛に、満更でもない気持ちになる。
そう、これが経営者の力だ。
これでいい、私は正しいことをしている。
「もちろん結婚したら君も、その恩恵を感じるだろう。楽しみにしててくれ」
「はい、クランバル様!」
いつか彼女に白い衣装を着せて、婚礼を行う。
その日を思い浮かべながら、私は目の前の仕事を必死にこなしていった。
あれからどれだけの時間が経っただろう。
長いようで短い月日に、私は疲弊しきっていた。
けれどようやく、今日は仕入先との商談に入れる。
「attednev si eman ym ,uoy teem ot eciN(はじめまして、ベンデッダと言います)」
「……あぁ、お初にお目に掛かる」
翻訳魔道具を通した仕入先の男の声は、少し聞き取りづらい。
だが相手は気にしていないのか、特に言及することはない。
(おい、ベンデッダと言ったか。コイツは大丈夫なのか)
(一応、王国の許可を得た貿易商です)
(なら信じる他ないか)
同席させた部下に問うものの、不安が残る。
だがここまで来て、やはり無理だとは言い出せない。
そしてそれ以上に気になるのが、隣にいるフィリアットの存在だった。
「綺麗な人……」
小さく呟く彼女は、まるで恋する乙女のような瞳をしている。
確かに男は奴隷の国の血を引いているのが明らかだったが、同性でも目を引くほど美しい。
体には傷が多いものの精悍であり、特に獣のような黄色の眼が印象的だ。
それでいて髪は長く、優美な印象も与えるのだから罪深い。
だが恋人である私の目の前で、それに言及するのはいかがなものか。
(顔だけの卑しい外国人だ、だまされるなフィリアット)
(も、もちろんですクランバル様!)
咎めるように視線を送ると、彼女もまた私に気づいた。
その途端、慌てふためいて目を逸らしたのでいったんは良しとする。
(他の男に目移りしないように連れまわしていたが、これは逆効果かもしれないな)
だが今は、フィリアットのことを考えている暇などない。
まずはこの男との商談を、一刻も早く行わなければならなかった。
「遠路遥々よく来てくれた、早速商談に入ろう」
「slairetam tuoba s'ti ,seY(はい、素材の話ですね)」
幸いにして、この男は話が早そうだ。
私は少し安堵しながら、彼の言葉に耳を傾けて購入の意思があることを示す。
「不死鳥の果実を今すぐ、できる限り用意してくれ。全て買い取る」
私がそう告げると、彼は一瞬だけ驚いた表情を浮かべる。
すぐに笑顔に戻り、それはありがたいですと感謝を述べた。
だがそう簡単に、話は終わってくれない。
「enif s'ti ,esuoheraw eht ni enoemos s'ti fI .ti eraperp t'nac I ,taht yas ylneddus uoy fi neve tuB(しかし急にそんなこと言われても、用意できません。倉庫にある奴なら、いいですが)」
(やはりか、だがいい。想定範囲内だ)
品薄を理由にごねられるが、それはもう言われるだろうと考えていた。
倉庫にあるということは取りに行く時間が必要なのかもしれないが、今大事なのは確実に不死鳥の果実が手に入ることだ。
「じゃあそれを全てだ。早く契約書を書け」
「dnatsrednu I(分かりました)」
私の指示に従い、男が契約内容を書き込んでいく。
かなり細かい内容だが、今の私にはまともに確認する体力もない。
とりあえず金額が相場から大きく離れていないことだけ確認して、私は了承の記名を行った。
(ようやく、一息つけるな)
素材調達の緊張感から抜け出した私は、寝台に着くなり泥のように眠った。
しかしその目覚めも、また部下の呼び出しによるものだった。
「クランバル様、あの不死鳥の果実を使うんですか!?」
「なんだ、なんの文句がある」
連日の睡眠不足と疲労から、部下を睨みつけてしまう。
だが彼は怯むことなく、私に反論してきた。
「あれ全部、腐りかけですよ!? あれでは場末の薬屋程度の品質になってしまいます!」
「どういう事だ! おい、あの貿易商、ベンデッダを今すぐ連れてこい!」
私の言葉に、件の商人がすぐに連れてこられる。
逃げられたかと思っていたが、彼はすぐ呼び出しに応じた。
(だが、この堂々とした振る舞いはなんなんだ)
詐欺を働いておきながら、全く悪びれていない。
むしろ余裕すら感じる態度に、私は警戒心を強めた。
「ベンデッダ貴様、この不死鳥の果実はどういう事だ! これでは使い物にならん!」
「detaloiv esiwrehto ton .tcartnoc eht ni no deerga ew tahw dereviled tsuj eW(うちは契約書通りの物を納入しただけです。別に違反していません)」
男はそういうと、先日取引に使用した書類を取り出した。
そこにはしっかりと、私の名前が記載されている。
そして細かく書かれた備考欄に、状態についての記載があることに気づいた。
(くそ、本当だ! 契約書には素材の状態を問わない事になっている!)
素材の納入ばかりに気を取られて、肝心の条項を読み飛ばしていた。
自分の失態に顔が青くなるのを感じるが、しかしこれは私だけの失態ではない。
この男は商売で一番重要な、信頼関係を売り飛ばした。
「だが私にこういう仕打ちをしたということは、この王国で商売できなくていいという事だな。我が工房はこの王国で一番大きいのだぞ」
最近は他の工房も勢力を伸ばし始めているが、やはり王国一番という事実は揺るがない。
しかし目の前の男は、不敵な笑みを浮かべたままだった。
それどころか、更に挑発するように言葉を続けてくる。
「dnuorg eht ot nellaf sah noitatuper ruoy dna ,saesrevo si esab ruO .rettam ton seod(構いません。我々の拠点は海外だし、あなたの評判は地に落ちている)」
その言葉に、思わず言葉を失う。
どうやら目の前の男にとって、私の工房はただ潰せば良いだけの相手らしい。
そして男の口は、まだ止まっていない。
「egdurg lanosrep a evah uoy dna(それにあなたには、個人的な恨みがある)」
その言葉に、射貫くような鋭い眼に、私は動揺する。
過去には感じていなかったが、今の私は恨みを買いすぎたことを自覚している。
だがそれがいつ買った恨みなのかも、もう分かっていなかった。
「いつの話だ、それは」
絞り出すように声を出すと、男は対照的に獣のような牙をむき出しにして大声で笑いだした。
そしてひとしきり笑い終わると、声の温度を一気に落とす。
「oga sraey owt deyortsed uoy taht tnemtraped slairetam eht fo dne eht ma I(私は、あなたが二年前に取り潰した資材部の末端だ)」
「っ」
もう聞かないだろうと思っていた部署の名前を聞いて、私は思わず息をのむ。
まさかこんなところで、そんな話が戻ってくるとは思わなかった。
「?od ot gniyrt erew yeht tahw wonk uoy oD .tiforp rof gnikool ylno erew uoY(あなたたちは利益だけを追求していた。自分たちがなにをしようとしたのか、あなたは分かっているのか?)」
この国では見ない、鋭い異国の色をした目がこちらを睨む。
そして男は今まで伏せられていた、工房の罪を開示してきた。
「gniyd ton yb timil eht ot su dehsup dna latrommi su edam uoy dnA(それにあなたは我々を不死にし、死なないことを理由に限界まで使い潰した)」
目の前の男が言っていることは、私も知っている事実だった。
資材部が直接管理されていたのは、奴隷を酷使していることを表に出さないためでもあったから。
だが数年前の経費削減で、ヴァランシアを除いた全員が追放された。
そういえばあの会議の後に、国の人間が怒鳴り込んできた記憶がある。
ヴァランシアが奴らの相手をしていたから、今まですっかり忘れていたが。
「niaga uoy htiw ssenisub od reven lliw ew dnA .uoy rof etal oot s'ti ,yawynA(なんにせよ、もうあなたは手遅れだ。そして我々はもう、あなたたちと二度と取引しない)」
いつの間にか、男は席を立っていた。
だが私には、もう彼を止めることなどできない。
立ち上がった彼の体躯は元奴隷などとは思えない、私より遥かに立派だったから。
「niaga uoy ees reven lliw i .nam roop ,eybdooG(さよなら、哀れな人。もう二度と会うことはないでしょう)」
そのまま横を通り過ぎて部屋を出ていく男を、私は呼び止めることすらできなかった。
再び不死鳥の果実の入手が困難になり、私は手詰まりとなった。
酒を浴びるように飲むことだけが、私に残された唯一の楽しみだ。
「あのベンデッダという男、馬鹿にしやがって! いつか吠え面掻かせてやる!」
できもしない泣き言を吠えると、フィリアットがびくりと肩を揺らす。
だがもう、それに謝る気にすらならなかった。
(むしろフィリアットがもう少し使えるなら、こんなことにはならなかったかもしれない)
どういう理屈かは知らないが、ヴァランシアがいた時は問題などなにも起きなかった。
そう、ヴァランシアさえいれば。
「…………あの女に、話すしかないか」
まだ道は、完全に閉ざされてはいない。
それにあの女は、秘密を隠したまま工房を後にした。
であれば、交渉の余地はあるはずだ。
「お久しぶりね、クランバル様」
「そうだな、ヴァランシア」
久々に見たヴァランシアは、何事もなく私の前に座っている。
刺された事実に怯えるでもなく、傷跡すら残っているように見えない。
私に傷を負わされたことなど一度もなかったかのように、彼女はそこに存在する。
「ずいぶんやつれたみたいだけど、ちゃんと寝てるの? かわいいあの子と一緒だから、さぞ幸せになったと思っていたのに」
その言葉に、苛立ちが募る。
まるで他人事のように話してくる姿に、怒りが湧いてきた。
だがそれを堪えて、私は彼女に話しかける。
「要件は分かっているんだろう、ヴァランシア」
「えぇ。魔法薬の素材、不死鳥の果実のことでしょう」
相変わらず彼女は、余裕のある態度を崩さない。
むしろ私が、一人で慌てふためいているとでも言いたげな態度だ。
だがここで感情に任せてしまえば、また同じことになる。
私は浅く深呼吸して心を落ち着け、改めて彼女と交渉を始めた。
「お前は一体どうやって素材などを手に入れていたんだ。黙っているなら我が組織に損害を与えたとみなし、裁判を起こす」
そう、この女は引き継ぎも何もなしに工房を後にしている。
工房で働く際は必ず契約書を書かなければならないから、この女も例外ではないはずだ。
だが私の言葉に、彼女は少しだけ困ったような表情を見せた。
「謝りもしないのね、なにも」
「私が謝ることなどなにもない、さっさと教えろ」
刺したことについて言っているのであれば、長々と口答えしたこの女が悪い。
けれどこの女は大した抵抗もせず、やはり簡単に答えを提示した。
「まぁいいけど、どうせ真似できないでしょうし。――答えは等価交換魔法よ」
あくまで淡々と語る女の魔法に、この女が聖女であったことを改めて思い出す。
そう、聖女。未知の力を持つ、国が褒め称える存在。私はそれが、大嫌いだった。
(ちょっと力があるだけで国から重用される、憎たらしい女。聖女というだけで、誰も彼もが傅くのが、気に食わない)
しかし今はいくら嫌いな存在であっても、そのからくりを聞き出さなければならない。
私は奥歯をかみしめながら、言葉を続ける。
「聞いたこともない魔法だな。複製魔法の亜種か?」
「えぇ、でも複製魔法は元になるものがなければ使えない。けれど私の等価交換魔法は、交換する物に釣り合う金銭を用意できればなんでも手に入るわ」
つまりこいつは魔法の対価として金を払えば、どんなものでも手に入れられるらしい。
しかも等価交換であるというならば、金さえあれば無限に対象物を生み出せるということになる。
「ねぇクランバル様、どうして私があなたの婚約者にされたと思う?」
今まで礼儀正しく足を揃えて座っていた彼女が、ここに来て足を組みなおす。
それは私が、彼女にとって完全に取るに足らないものだと判断された証拠でもあった。
「素材を作る女が、不死薬を作る工房にいた方がいいからだろう」
「半分正解。答えは私がいなければ、この王国はいずれ不死でなくなるからよ」
そう言って笑う彼女に、私は思わず目を見開いた。
思っていたよりもずっと、話の尺度が大きすぎる。
私の婚約破棄で起こる影響は、せいぜい工房の存続くらいだと思っていたのに。
「なんだと、厄災でも起きるのか!?」
「既に起きているわ、緩やかにだけどね」
彼女の口調から察するに、これは冗談ではなさそうだ。
表情は笑んでいる、けれど温度など一切感じられない。
今は昼下がりだというのに、室内は夜のような冷気に包まれている。
「この国は確かに繁栄したわ、けれどやり方が乱暴過ぎたのよ。乱獲によって、この国から不死鳥の果実は絶滅していっている」
「絶滅まで、いっているのか」
素材がなくなっているのは、聞いたことがあった。
けれどそれは一時的なもので、いつかは回復するものだと楽観視していた。
しかし目の前の女は、この国にある素材が完全に消え去るまで時間はかからないのだという。
「国が栄華を誇り続ける為には、不死鳥の果実を常に供給し続けなければならない。だからこの国は私を、不死の為の歯車にしようとしたのよ」
彼女の瞳は、名前のつけられない何かで満たされている。
それは長い間抑圧された、けれど諦めることもなかった感情の蓄積。
「物理的に存在しない物を用意できる聖女である私を、この王国の人々は祈りによって呼び寄せた。そして不死薬を作る工房にあてがった。それが私が、あなたの婚約者になった理由よ」
気づいているかいないかの違いだけで、私たちは等しく国の駒でしかなかったのだろう。
けれど、ここで引くわけにもいかない。
――このままでは私が、国に罰されてしまうから。
「ならば今すぐ戻ってこい、ヴァランシア。それで全て解決だ」
私はわずかに、頭の位置を下げた。
体勢はほとんど変わらないが、数年共に過ごした彼女ならこれが何を示しているか分かるはずだ。
だが彼女はそれを見下ろし、不快だとばかりに眉をしかめるだけだった。
「どうして私が、クランバル様の元に戻らなければならないのかしら」
「罪のない大勢の民が死ぬからだ。我が王国の不死性は、わが工房で作られる不死薬にて担保されている。それともお前は、罪もない民を殺すのか?」
この女が仕事を放棄することは、この国の民を殺すことと同義だ。
直接的でなくとも、間接的な殺人であることに変わりはない。
普通の人間ならば、罪悪感から反論することなどできないだろう。
しかし私は忘れていた。
この女は、普通の女ではないということを。
「えぇ、望むところだわ。それこそ私が聖女召喚に応じた理由だもの」
「なんだと?」
殺人こそが目的だったとでもいう言葉に、私は思わず顔を上げる。
かちあった視線に感情は感じられず、もはや彼女が生き物であるようにすら見えない。
人とは違う場所に生きる者が、下等生物を見下ろすような瞳。
「クランバル様は知らないかもしれないけれど、本来人間は死ぬものなのよ。今のこの王国の状態は、異常なの」
直感的に察する。この女は、人間に対して何かを見極めようとしている。
今だって彼女が私を通して見ているのは、人という種族そのものだ。
「この国の人々は不死を獲得してから、命に対する敬意がなくなったわ。容易に他者を傷つけ、搾取するようになった」
淡々と紡がれていく声には、抑揚が存在しない。
きっと彼女は、この世界に愛想が尽きてしまったのだろう。
私だけではなく、堕落した人々に対して。
「それを正しに、私は神の使命を受けて、聖女としてこの世界に降り立ったのよ。今までは召喚時の契約があったから、人間に害を成す事ができなかったけどね」
彼女の計画は、私が考えているよりも前からずっと進行していた。
私と出会う前どころか聖女として召喚される前、いや彼女という存在が作られたこと自体が、神の計画だったのかもしれない。
「聖女が人間界で行動するには、婚約を通した契約で召喚される必要があるの。けれどその契約の一つに、人間を害す行動をしないというものがあったわ」
「よくそんなものに承諾したな、お前のような女が」
細かい性格であるこの女ならば、端から断る条件のはずだ。
けれど承諾した理由を問えば、あっさりと答えが返ってきた。
「解除できる算段があったもの。実際に、的中したしね」
「……私の婚約破棄か」
細かいことは分からないが、もはやきっかけなどそれ以外思いつかない。
そして私の答えを聞いたヴァランシアは、ゆっくりと頷いて見せる。
「そう。契約は聖女から解除することはできないけど、人間からなら解除できる。そして私の肉体は契約時に得ているから、もうなんの問題もないわ」
もう目的を終えたから用済みだと言わんばかりの、態度と口調。
私は彼女を道具だと考えていたが、実際は私こそが彼女の道具に過ぎなかったらしい。
「国はあなたの機嫌を損ねないために、強く浮気するなと言わなかったのが仇になったわね。まぁこの破局は遅かれ早かれだった気もするけど」
いっそ魔法で洗脳してしまえば良かったのに、と言う彼女に寒気がする。
奴隷でもない人間にそんなことをするなんて、どうかしている。
「だが、お前がいなくとも、不死薬そのものは作れる。今までそうだった」
「えぇ、だから彼女と一緒に頑張ってね? 彼女がその気ならだけど」
その瞬間、私は隣に視線を向けた。
だがいるはずの存在はどこにも見当たらず、思わず椅子から立ち上がる。
「フィリアット、フィリアット、どこにいった!?」
「やっぱりあの子が欲しかったのは、あなたの愛じゃない。私の立場だったのね」
声を荒げながら工房中を走り回るが、返事などどこからも聞こえない。
疲れ果てて廊下にしゃがみこんだところで、気遣わしげな愛らしい声は掛けられない。
代わりにかけられたのは、温度すら感じない事実を告げる声だけ。
「見た目ほど、華やかじゃないというのに。それが分からなかったのね、お金だって魔法を使うためのものと、聖女の品格を保つ為の必要最低限でしかなかったのに」
いつの間にか私に追いついた彼女はそこまで伝えると、出口へと足を向ける。
追いかける気力もなく座り込んだままの私は、その後ろ姿に吠えることしかできない。
「おいヴァランシア、お前までどこに行くんだ! その力が判明したからには、この王国で逃げられるところなどないぞ!」
この能力を国が知っているなら、そう簡単に彼女を逃がすはずがない。
だが本当は分かっていた。そうであるなら彼女は私になど会いに来ず、さっさと逃げていたはずだと。
けれど私の最後の矜持が、私に吠えさせた。
当然それに、ヴァランシアは足を止めることすらなかったけれど。
「私、外国で新しく囲われているの。だからもうこの国が手を出すこともできないわ」
風を切る足取りは軽やかに、私を置き去りにしていく。
それから彼女は私に振り返ることなく、扉の向こう側へ消えようとする。
「さよなら、クランバル。やっぱりあなたは、私に釣り合わないわ」
「待て、待ってくれヴァランシア! この通りだ、謝るから!」
今になって私はみっともなく地に手をつき、彼女に許しを請う。
けれどそんな私を一顧だにせず、女は部屋を出て行った。
「謝罪は不要よ、クランバル。それに、私を引き留めるほどの価値がないもの」
残されたのは惨めに這いつくばった男と、機材も動かない死に絶えた工房だけだった。
後に国の調査員が着てから気づいたことだが、もうこの時点でここには誰も残っていなかったらしい。
まるで最初から空っぽだったかのようにしか見えないと、彼らは言っていた。
【Side:ヴァランシア】
別れの挨拶を終えた私は、迎えの待つ馬車へと向かう。
そこでは有事に備えた異国の美しい男が、ようやく戻ったかと心配を露わにしていた。
「retsam ym kcab emoclew(おかえり、我が主人)」
「お待たせ、ベンデッダ。もう言葉も、戻したら? 彼を挑発するには、悪くない手段だったと思うけど」
私が指摘すると、彼もそうだなと同意して言葉を戻す。
クランバル様との交渉の際は攻撃手段として母国語を使っていたようだが、今はその必要もない。
「そうだな、ヴァランシア。にしても、ずいぶんと長いこと話あっていたな」
「私怨よ。私とあなたを雑に扱った罰を、この手で受けさせたかったの」
クランバル様は私を人の心がないように思っていたみたいだが、それは思い違いだ。
確かに人に判断を下す役割上、私は傲慢な態度になりがちではある。
(けど人の肉体を得ているから、感情は存在するのよね)
つまり彼への報復は、不死を得た人々の見極めとはなんの関係もない。
ただの、私個人の復讐だった。
とはいえ彼の工房を通して見た人々も、不死を与えるにふさわしい格を有しているとは到底思えない有様だったけれど。
「本当はね、この王国に不死を認めようか考えたこともあったの。でもダメね、彼らは驕り高ぶって、自分の事しか考えなくなった」
この王国の、全ての人間がダメだったとは言わない。
けれど不死を司る薬を作成するために、この国の人々は奴隷を黙認していた。
(肌や瞳の色が違うだけの、罪もない人々を酷使した。しかも命の価値が軽くなりすぎて、傷つけることに戸惑いすらなくなっている。それは人ごときに許される所業じゃないわ)
不死薬に奴隷が使われていたことは工房の秘密ではなく、周知の事実だった。
薬作成以外にも弄ばれたり、使い捨てられていることもみんな知っていた。
(しかも他の工房ではもっと悪いことに、奴隷による不死薬の作成が行われていた。最悪だわ)
それは非合法であり、同時に非人道的なやり方でもあった。
聖女がいない工房で不死鳥の果実を手に入れるのであればそうするしかないが、実際に行動に移してしまった罪は償えないほどに重い。
(奴隷を生贄に捧げて等価交換魔法を起動し、素材を手に入れようとしていた。あれは本当の不死薬なんかじゃない、他人の命で自分の命をつないでいただけよ)
幸いこの工房では惨劇が起こる前に、経費削減の理由をつけて奴隷の解放を行えていた。
けれどもう少し遅ければ目の前の彼も、被害者になりかねなかった。
だが今はこの王国中の奴隷を逃がすための先兵として、見違えるほど立派な青年へと変貌している。
けれど、あともう少しでも遅ければ。
「この世界を永く善く治められるなら、人々に永遠の命を認めた。けどその価値は、この王国の人々にはなかったの」
「だがそれを言えば、俺にだって価値があるとは思えない」
私の言葉にぽつりと差し込まれた、ベンデッダによる否定の声。
その声色は重く、彼が抱えた苦悩を滲ませていた。
「あら、自己評価が低いのねベンデッダ」
「俺は元奴隷だぞ、ヴァランシア」
私は気にしたことなどなかったが、それは彼にとって今も影響があるらしい。
現に彼の口は止まることなく、自分を否定するために動き続けている。
けれど私にとってその過去は、むしろ彼の魅力を引き立たせるものですらあった。
「今でこそそれなりの地位にいるが、拾われる前は泥と恥辱に塗れた外国の男だった。お前が拾い上げ、手厚く保護し、育て上げるまでは、価値のないものだった」
「あら、それがいいんじゃない」
母国へ生きて帰った彼は奴隷解放の功績が認められ、今は爵位持ちだ。
つまり過去の悲惨な境遇から、彼は今の自分にたどり着いた。
その過程が苦しいものであればあるほど、他人を救えるようになった彼の存在は輝かしいと私は考えている。
「私がいう価値は、元々持っているものじゃない。これからどうあろうとして、実際にどうなったかよ」
ベンデッダがいようがいまいが、私の計画は変わらなかった。
クランバル様は落ちぶれ、王国には不死を失う未来しかない。
だからこそ、この言葉は純粋な『私の感情』の形でもあった。
「私にとって、あなたこそ価値のある人よ。だから私が好きになったんだ
し」
「待て、それは初耳だぞヴァランシア」
慌てた様子を見せるベンデッダに、思わず笑みがこぼれる。
美しくも冷たい造形をしている彼だが、私の前ではこういう可愛げも顔を出すことがあった。
「一応婚約破棄するまでは、言わないようにしていたの。けどもういいでしょ」
クランバル様と同じ浮気にならないよう、私はベンデッダへの感情を口に出してこなかった。
けれどもう、それも今日で終わりだ。
「ベンデッダ。私はあなたが好きだけど、「待て待て待て、俺から言わせろ! ヴァランシア!!!」」
話題が出たのでさっさと告白してしまおうとしたが、ベンデッダは慌てて私を止めてくる。
少し残念だが、これはこれで楽しくなるのでよしとした。
「あら。俺からって事は、あなたも私が好きなのね? 今はその確認をしようとしたんだけど」
「っ、ぁ」
今さら墓穴を掘ったことに気づいたベンデッダが耳を赤くし、言葉に詰まる。
それ以上は私から言わずに彼の言葉を待っていると、やがて意を決したように小さく口を開いた。
「……………………くそ、そうだ」
「赤くなっちゃって、かーわいい! 声も小さい!」
下手に否定しなかったところが彼の良いところであり、また愛らしいところでもある。
ここまで素直な反応をしてくれると、私としてもいじり甲斐があって楽しい。
けれどまっすぐな彼は、自身の好意を隠さず伝えてくれる。
「うるさいぞ。だが、お前を好きなのは事実だ」
すがるでも媚びを売るでもなく、ただ好きだという想いを堂々と口に出す。
それは虚栄に導かれたものではなく、彼の感情そのものだ。
「ヴァランシア、お前に俺の価値を一生捧げる。それは、お前に釣り合うか?」
答えが先に出ている以上、もはや確認に近い言葉であるのはお互い分かっている。
けれど分かっていても口に出してくれる彼が、私は好きだった。
「えぇ、もちろんよベンデッダ。そして私の価値も、あなたに捧げる」
そう言って手を差し伸べると、ベンデッダは躊躇なく握り返してくる。
私はその手をぎゅっと強く握ると、彼と視線を合わせて微笑んだ。
「これからは私たちは、死すべき者となってしまう。けれど、だからこそお互いを大事にできると思うの」
聖女として人外の力を持っていても、どうしようもないことは多い。
そのうちの一つが、感情だと私は考えている。
(人の心を操ることはできても、本当に手に入れることってできないし)
やるなら最後までだまし続けないといけないが、どうせ残るのは虚しさだけだ。
だからこそ一縷の望みをかけて、私は人を操らなかったのだから。
「それにこういうのが本当に価値のあるものだって、私思うのよね!」
法外な能力でも、人知を超えた薬でもなく、他者と共有する関係性。
それこそが真に価値あるものだと、今の私は信じている。
お読みいただきありがとうございました。
評価や感想、いいねなどをいただけましたら幸いです。
また他にも作品を手掛けているので、もし興味があったらご覧ください。
短編や完結済みの長編ざまぁものがいくつかあります。
作品は、下部にある「▼この作者の別作品▼」という項目の二つのボタン(新着投稿順・人気順)のどちらからでも読みにいけます。
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以下、おまけのざっくりした説明。
ヴァランシア(balance:釣り合い)
人ではなく、世界を正しい姿にするための神の代行者として降臨した聖女。人の世界に干渉するために肉体を手に入れる必要があったため、人間の男性と婚約するという形で召喚に応じた。召喚時に「人を傷つけてはならない」という制約があったため、しばらくはクランバルの下で不死薬の作成を行っていた。だが、クランバルがフィリアットに惚れて婚約破棄したので、制約が外れて世界を元の姿に戻す(人を不死ではなくす)為に再び動き始めた。
クランバル(crumble:崩れる)
不死薬を作成する工房の跡取りで、ヴァランシアの婚約者。しかし共に長い時間を過ごす為の恋人として、ヴァランシアではなくフィリアットを選んだ。聖女の婚約者として甘やかされていたが故に、自身の役目を軽く見てしまっていた。物語終了後は不死薬の作成する役目を疎かにした罰を国から受け、処刑される。
フィリアット(flirt:遊び感覚の浮気)
不死薬を作成する、国一番の工房の花嫁に憧れてクランバルを落とした少女。しかし彼女はクランバルではなく、ヴァランシアの立場に恋をしていたので工房が危うくなったと判断してからは逃走。
その後は一目ぼれしたベンデッダを探して国を動き回るが、ヴァランシアの恋人と知って心が折れる。
ベンデッダ(vendetta:復讐)
元々は大陸に労働力として輸入された、外国の奴隷。しかし復讐を行うために大陸の言葉を覚え、仕事をしているうちに力を認めたヴァランシアに拾われた。冒頭でヴァランシアが刺された後は、彼が匿っていた。
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長いおまけも見ていただいた方、ありがとうございました!
最後にこの作品を気に入って頂けたら、ブクマ、評価、感想、レビュー、いいねなどをして頂けるとありがたいです。
ここまでお付き合いいただき、本当に感謝いたします!