9#よくある二人劇
※王子視点
リンカは馬鹿な娘だと思う。
僕を――というか権力者全般を嫌っているくせに、こういう時に己を省みず、僕の安全を真っ先に気にする。
こういう人間をお人良しというのだろうなと考えながら、僕は滅多に抜かない剣を抜き放つ。
剣を使うのは苦手なんだけど。
「――真風――っ」
魔法を纏わせて振るった剣は、その先に落ちてきていた大きな岩を粉々に分解した。
後には砂煙が上がっているので、リンカが無事かどうか、わからない。
だが、上に誰かがいるのはわかる。
青い龍の紋が刺繍がされている黒いマントを風にはためかせる男は、黒い布で顔の半分を覆っていた。
「ほう、あの状況で外に出て、すぐさま剣に魔法をまとわせ、岩を砕くか。
なかなか楽しませてくれそうじゃないか」
くぐもっているが、拡張機でも使っているよう彼の声はよく通る。
「こんなところまでくるとは、ご苦労なことですね~」
「あんたこそ、わざわざこんな場所で寄り道とはな。
それとも、わざとか?」
からかう声に平然と返してやる。
「ええ。
もちろん、わざとですよ」
気がついていたのか、とでも言いそうな男に畳み掛けていう。
「こうでもしないとリンカと二人きりで話が出来ませんから」
折角リンカを落とすために、幼馴染みたちを置いてきたというのに、こいつのせいで邪魔をされて、僕は自分でも不思議に思うほど不機嫌になっていた。
自分の作った筋書通りに進まなかったというだけじゃない。
僕は自身が本当に、リンカを気に入り初めていたことに気づいた。
触れる度、言葉を交わす度に感じる、リンカの魂の純粋さや強さが僕を引き付け、引き寄せる。
「それを邪魔したんですから、それ相応の覚悟はしてくださいね」
「なにを寝ぼけたことを」
ガラガラとリンカが岩を退かせるために動かす音がする。
彼女が出てくる前に、これは早急に勝負をつけなければいけない。
出てきたら、きっとあの時のように巻き添えにしてしまう可能性は十分にあるだろう。
「ちょっと時間がないんで乱暴になりますけど、いいですよね」
「行くぞっ」
僕はポケットから白い布を取り出し、それを広げて地面に置いた。
布には既に爆風の魔法を発動するための紋を描いてある。
「――発動――」
風は僕の声に合わせて集まり、すぐに巨大な竜巻となる。
「なっ?
うわあぁぁぁっ」
刻龍の彼は竜巻につれられて、そのままどこかへ飛んでいった。
瓦礫を踏む足音が後ろから近づいてくるので振り返ると、リンカがうつむいたまま近づいてきていた。
「あんた、本当に護衛が必要なのか?」
「詠唱には時間と集中力が必要なんです」
「でも今」
「それはちょっとした種のある手品みたいなもので」
「さっきの刻龍の幹部のひとりなんだけど」
拳を握り、肩を震わせているのは、心配からかと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
「そうなんですか」
僕があっさり追い払ったのが悔しかったのだろう。
そんなところは全然子供だ。
彼女の身体を抱き上げる。
「なんにせよ、リンカに怪我がなくてよかった」
「てゆーか、自分の心配しろよ。
狙われてるのが自分だってわかって」
はっとしたように、口を押さえるリンカ。
狙われているのが自分だってのは、もちろん承知していることだ。
なにしろ、この長旅の間にいくつこんなことがあったか数え切れない。
うっかり口を滑らせるとは、ね。
せっかくなので突っ込まないで流してしまおう。
「さて、そろそろリズールに行くとしますか」
「え」
意外そうに問い返すとは珍しい。
「おや、不服ですか?
たしかにもう少しゆっくりしたいですけど、戻らないと」
「あ、いや、そういうわけじゃ」
「こうして二人きりという機会はなかなかできなですし、僕としても名残惜しいんですけどね~」
「だから、そうゆうわけじゃない」
「姫やシャルは気がきかないし、刺客はもっと無法ですし」
「きけよ」
きいてはいるけど、リンカが怒ったりあきれたりしている姿も可愛いいので、僕はついからかってしまう衝動を押さえられなかった。
「この仕事が終わったら」
「俺は帰るぞ」
「うちに来ませんか?」
うちというのは、世間一般でいうような小さな家ではなく、当然クラスター城を指していると気づき、リンカは強く僕を睨みつけてくる。
冗談にも程度というものがあると、彼女の強い視線が語る。
「だから、帰るって言ってんだろ」
「考えて置いてください。
できれば、リンカ自身の意思で来て欲しいので」
もちろん、こちらもせっかく見つけた女神を手放すつもりなんてない。
誰がなんと言うと、リンカが僕にとってのたったひとりの女神だという事実は変わらない。
これ以上の宝などないと伝えられる女神を、僕は手放すつもりはない。
「考えるまでもない。
行くわけないだろ」
一瞬の逡巡の後、彼女は断った。
ビジネスとしてはかなりのビッグチャンスのはずだ。
しかし、断った。
断る理由はやはり、それほどに僕が嫌われているということなのか。
「いいかげん、冗談はやめろよ。
あんたには可愛い婚約者がいるじゃないか」
「断りましたよ」
目の前で断ったのに、リンカはまだ信じていなかったらしい。
「そんな簡単なもんじゃないだろ」
「公式に発表するには国に帰ってからですが、姫も納得してますし」
「でも、お姫さんは」
「僕の姫は、リンカひとりです」
まっすぐに見ると、リンカの瞳は吸い込まれそうに深い色をしている。
晴れた夜空の瞳を恥かしさと怒りで潤ませて、泣きそうな顔で僕を見る。
沸き起こる自分の中の感情が語るならば、それは何よりも愛しい光を放つ。
「さあ、リズールに行くぞっ」
元気に僕の腕から飛び降りて、さっさと歩き出そうとするリンカ。
歩いて戻ったら日が暮れてしまうに違いないのに。
でも、まぁ、リンカと二人なら野宿でも楽しいだろうと、僕には容易に想像できる。
「おい」
「なんですか?」
「ここってどこだ?」
「ルクセールの」
「じゃなくて。
さっきの道からどんぐらい離れてんだよ」
「大体、馬で1日分ですか」
「馬?」
「短距離移動でしたからね」
「まあ、戻れない距離じゃないか。
行くぞ」
距離があるといえばやめるかと思ったが、予想に反して、彼女はすたすたと歩き出す。
しかも方向も合っている。
さっきの魔法で、と言われたら何か条件でもつけようかと思ったのに。
「リンカ」
「魔法はいやだ」
「そういわないで」
「魔法使って戻るなら、歩いて戻ったほうがマシだ」
「嫌いなんですか、魔法」
「嫌いだ。
魔法も、魔法使いも」
そういえば、城で眠りの魔法を使った時もひどく嫌がっていた。
女神の関係者が魔法を嫌がるとは聞いたこともないし、別な何かがあるんだろうか。
「……僕も?」
「最初っからそう言って……なかったな。
とにかく、俺は魔法とか貴族とか王族とかは大っ嫌いなんだよっ」
僕は環境のせいか大抵の言葉には慣れていたはずなんだけど、リンカのこれは効いた。
心の中が暗く、淋しく、闇が広まってゆく。
前を歩くリンカの腕をとって、抱き寄せる。
「なんっ」
「そんなに、悲しいことを言わないでください」
僕は誰になにを言われても気になったことはなかった。
世界中の人に好かれようなんて思っていなかったから、別に僕を嫌いなら嫌いでいいと思っていた。
でも、リンカに嫌われることは、拒絶されるのはどうしようもなく辛い。
「お、い、なぁ」
「嫌わないで、ください」
リンカに拒絶されるだけで、どうしてこれほどまでに自分が絶望するのか、最初はわからなかった。
あとから考えると、たぶんこの時に僕は彼女に落ちていたのだと思う。
女神だらなんて理屈で恋をしたわけでなく、リンカだから好きになった。
ほんの一日前に出会ったばかりなのに、僕にはリンカが一緒にいない世界でどうやって暮らしていたのかを思い出せても、到底同じ毎日が過ごせそうにない。
「な、泣くなよ、男だろっ。
わかった、わかったよ。
できるだけ嫌わないようにはするから離せ」
焦った声でリンカが譲歩する。
できるだけ、では足りない。
「それと、俺は別に王子とか姫を嫌いじゃないぜ。
だって、」
全然王族らしくねーもん。
けなされているのかもしれないのに、僕の心は絶望から開放された。
あとは、リンカが魔法を嫌いだという点をクリアすれば良いってことだ。
「ありがとう」
「っは、離せって。
やめろーっ」
暴れるリンカを押さえたまま、僕はもう一度呪文を唱える。
「え、だから、魔法はっ」
「怖かったら、さっきみたいにしがみついてていいんですよ」
「ぎゃーっ」
本気で怖がっているらしく、しがみついてくるリンカを強く抱きしめる。
まだ口実がないとこうさせてくれないのはとても残念だ。
触れるだけでも嫌がられるのは、それだけでも少し傷つくんだけどな。
魔法の風に乗って運ぶ途中、僕は気がつかれないようにリンカのつむじにキスをする。
この手にした女神が離れていかないように、産まれて初めて女神に希った。
リズールの手前で降りると、リンカは借りてきた猫みたいに大人しくなっていて、さすがに心配になる。
だけど。
「言っても無駄だと思うけど、ここは気をつけろよ。
あんた、高額の賞金かけられてるから狙われるぜ」
「そうなんですかぁ」
気遣って言ってくれた告白に頭を撫でて返すと、リンカは口を尖らせながらも恥かしそうに反対を向いてしまった。
「心当たりありまくりって感じだな」
「何故か恨みを買うことが多くてね」
「性格だろっ」
声音がだんだんと優しくなっている気がして、僕はもっと嬉しくなって、もう一度リンカを強く抱きしめる。
「やめろーっ」
大好きだと告白したら、リンカは逃げるだろうから。
「僕を守ってくださいね、護衛さん」
今はただ、そばにいてくれることだけを願う。
「っ、し、仕事だからなっ」
腕の中でリンカは変わらず、つれない返答をくれた。