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Routes 1 -リンカ-  作者: ひまうさ
本編
8/33

8#よくある寄道劇

 澄んだ青とか突き抜けるような青とか、そこにわずかな雲母の欠片が漂っていたりする空は、とても旅日和だと言う人がいた。

 言ったのは旅をしたことのない人。

 聞いていたのは、旅人。


 旅人は、ただ苦笑していた。

 その旅人にとっての旅がどんな意味をもっているのか、目的などといったことは、旅人にしかわからないことだ。

 だから、旅をしたことのない人は楽しそうに日常に戻っていった。


 俺は思った。

 旅人はきっと晴れの日が嫌いだったんだ、と。

 雲一つない快晴の日を、俺は嫌いだったから。

 そして、そんな日に出発したことを、あの町を出て数キロも進まないうちに後悔していた。

 雨とはいわないから、せめて曇りなら良かったのに。


 隣町まではどの方向でも、暫く森の中を歩く。

 森の中と言っても、道なき道ということはなく、歩きやすいように土で平らに舗装されている。

 轍の跡は少なく、圧倒的に馬蹄や人の足跡の方が多い。

 けっこう物騒な道であるはずなのに、今日に限って何も、誰も出てこない。

 出てきてくれないと、リズールにはなんの問題もなく辿り着いてしまう。


「こうしてると、昔に戻ったみたいじゃない?」


 馬上から姫が楽しそうに言う。

 手綱を握っているのはシャルダンで、姫は彼の前で座っている。

 二人とも動きやすい旅装で、馬の扱いには慣れているのだろう。

 動かし方は長年馬に乗り慣れている人のものだ、とも思ったが、シャルダンの手綱を時折修正しているのは姫のようだ。

 どうやら、姫の方が数段、慣れているらしく、シャルダンの操作は多分に危うい。


 シャルダンの有能な執事カークはというと、3人分の荷物を乗せた馬を引いて、徒歩である。


「そうですね~。

 じゃあ、帰りは盗賊退治にでも行きましょうか~」


 え。


「さんせーい」


 言い出したのは王子、賛成の明るい声は姫だ。


 て、待てよ。


「盗賊退治って、何言ってんだよ。

 終わったらとっとと国に帰れ」


 王子たちは当然そうするものと思っていたし、俺だって、リズールで刻龍と会うセッティングをし、護衛までもが終わったら、とっととあの宿場町に戻るつもりでいた。

 持ち物は少ないので持ってきてあるし、かまいはしないが、女将にも皆にもすぐに帰るといってある。


 そうでなくてもあまりこいつらと長く同行したくない。

 なにしろこの連中と来たら、一癖も二癖もある上に王族らしくもない。


 あまり長く一緒にいて、情が移ったら困るじゃないか。


「じゃあ、今行くしかないわね」


 そんな俺の心配を他所に、あっさりと言ってのけてくれるのは姫だ。

 いやもう、普通じゃないどころじゃない。

 ピクニックにでも行こうかというノリで、盗賊退治に行こうとか言う姫なんて見たことない。


「今って、この辺はダメですよ」


 しかし意外にも、言い出した王子から止められた。


「この間やったあとだし、出てこないと思います」


 やった?

 何を?

 まさか、ひとりで盗賊退治なんてしたんじゃねぇだろうな。

 そうだとしても、質が悪いって有名なこの辺りの盗賊を、いとも簡単に「出てこない」と称する辺りが甘い。


 いや、まてよ。

 こいつのこの性格ならあるかもしれない。

 王子のくせに魔法使いで、その上幼なじみの折り紙付きの性格だ。

 もしかするともしかするかもしれない。


 が、曲がりなりにも質の悪さにかけては名のある盗賊なのだから、王子に少しぐらい脅されたとしてもあきらめられては困る。

 なぜって、リズールにさっさとついちまうじゃないか。

 ついたら、いやでもアイツに遭わなければならなくなる。

 誰だって、嫌なことは先に伸ばしたいものだ。


「念のため聞くけど、そこのボスって」

「無理だ」


 聞こうとした質問を、沈痛な面持ちの声で遮られた。

 シャルダンは、どうしてか暗い顔で歩いている。

 まるで、いやな過去でも思い出したような。


「ディルは倒した相手のことは、一切思い出さないんだよ。

 一晩寝たら、綺麗さっぱり忘れてんだ」


 こっちは何度そのとばっちりをくらったかわからない、と更にシャルダンの周辺の空気が重さを増す。

 それはよっぽどの目に遭ったのだろうなと容易に想像がつくほどで、俺は深く同情した。


「いや~ん、シーちゃんひどーぉい。

 そんなことないですよ~」

「それはヤメロ」


 疲れたようなシャルダンと反対に、王子と姫は実に生き生きとしている。

 昔から、この三人はきっとこうなのだろう。

 そして、標的が一時的にこちらに一筋ずれているだけなのだろう。

 そうにちがいない。

 そうであってほしい。

 そうであってくれ。


「リンカさん」

「なんですか?」


 王子とは極力関わりたくないのも事実なので、俺はシャルダンのかける声に即座に向き直る。

 すでに彼は笑うでも怒るでもなく、なんというかなんでもない普通な顔をして、リンカを見る。

 まっすぐに目を見て話す人だ。

 それは見下すとか、そんなんじゃなくて、リンカの間違いでなければ対等な態度を示してくれている。


「君の系統ルーツを聞いてもいいかな?」


 もちろん教えてくれるよねと、優しい瞳で問う。


 ルーツは、生まれた時に神殿で受ける儀式によってわかる、いわゆる先祖の分類のようなものだ。

 神々の系統にいるものもあれば、獣の系統にいるものもいるし、精霊の系統や楽器、植物の系統のものもいるというように、それは多岐にわたる。

 それが何を意味するのかを知っているものは少ない。


 この人になら、なんでも答えてしまいそうだったが、俺は首を振った。


「俺、儀式を受けたことないんだ」


 わずかにその瞳が驚きを示す。

 彼のような貴族階級はたいていが神々の系統に属する。

 だからこそ、俺のようなものがいるなんて、思いもよらないのだろう。


「そう、か」


 でも、それから彼は何も聞かない。

 ただ少し残念そうな顔をしている。

 そんな顔をされても困る。

 わからないものはわからないんだから。


「知りたいと思うことはない?」


 考えたこともない。

 あれは受けるだけで金もかかるし、俺はこれまでずっと生きるだけで精一杯だった。

 一息つけたあの宿場町でだって、別にそんなものは必要なかったし、時としてあるほうが邪魔なことだってある。


「ないよ。

 いらねーし」


 俺の軽い答えに、彼は何かを考え込んでいるようだった。

 どうにもこの人は王子とは別な意味で貴族らしくなくて、何を思っているのかも読み難い。

 それにシャルダンだけじゃなく、姫だってぜんぜんお姫様らしくない。

 助けが待ちきれなくて、高い塔から命綱もなしに逃げようとしてみたり、いきなり人に女装させたり。

 何を考えているのかさっぱりわからない。


 俺の前を馬頭と歩調を合わせて歩いている王子は、やはりどうみても物見遊山の青年貴族だ。

 性格は穏やかで、いかにも争い事が嫌いそうに見える。

 が、その会話内容は正反対である。


「じゃあ、少し遠回りだけど、カルシュの森に神獣伝説があるそうですから、行ってみますか。

 観光がてらに」


 護衛もつけずにここまでのんびりと観光ガイドまでしている王族なんて、見たことない。


「神獣?

 なんの?」

「たしか、黒い一角獣だったと」


 姫の瞳が怪しくひかったように思う。

 女子供は大抵、伝説とかが好きだとはいうけれど、わざわざ自分で見に行こうなんて考える姫なんて珍しい。


 どうしてなにがなんでも行きたいんだ、こいつらは。

 そんなものに付き合っていられるほど、こっちだって暇じゃないんだ。


 リズールには早くつきたくない。

 でも、王子と極力関わりたくない。

 そのどちらを優先するかと聞かれても、両方としか答えようがない。

 紅竜も王子も、俺にとっては両方が人生で関わりたくない者の一番だからだ。


「リズールに真っ直ぐいかねーのか?

 だったら、俺は先に行ってるから」


 多少苛つきながら、付き合ってられないと歩き出すと腕を引かれ、俺はあっという間に王子の腕の中に収まっていた。


「もちろん、リンカも行くんですよ?」


 当然でしょうと断言しながら、王子は口元を綻ばせ、とてもたのしそうである。

 どうみても、俺をおもちゃとして扱っているようにしかみえない。


「いかねー」


 玩具にされてたまるか。


「僕の護衛でしょう?」

「本当は護衛なんていらないんだろ」


 王子は彼自身を守る者なんて必要がないというだけの実力を持っている。

 出会ってから、それほど時間はたっていないが、十分すぎる程にその片鱗を見せられている。

 護衛なんて邪魔だけで、下手すれば実験体ぐらいにしか考えていないかもしれない。


「――風の流転――」


 ふっと俺を腕に抱えたままその姿がゆらぐ。

 いつものとおり、王子の金の髪は光と風をはらみ、緩やかに波立つ。

 つまり、魔法を使う前兆だ。

 不思議に和らぐ光を内側から放つようで、その容姿も合わせてみると、とても人間には見えない。

 童話に出てくる光を纏った導きの使いみたいだ。


 どうしてか、俺はそれが怖かった。

 触れてはいけないように、声をかけてはいけないように思えて、体が震える。


「――逆さの神殿――」


 王子の紡ぐ魔法の言葉に、なんとか声を絞り出す。

 きっと聞いてはいまい。


「何をっ」


 自分の体なのに、言うことを聞かない。

 思うように声が出ない。


 いや、そんなはずはない。

 そう思いこんでるだけだ。

 きっと声は出る。

 王子だって、至近距離で叫ばれたら、無視もできないだろう。


「――我らを女神の元へ導き給え――」


 しかし、制止の声を発する前に、身体に浮遊感を感じる。

 力ある言葉の余韻がガンガンと頭に響く。

 耳鳴りが大きくなり、シャルダンと姫の抗議の声が遠ざかり、風が耳元を通り抜ける音で目を開いた。


 高い。

 かろうじて姫達の姿が確認できる程度だ。

 むろん、それもすぐに木々の陰に見えなくなった。


「こ、こ、ここ」

「すぐに着きますよ」

「じゃなくて、」


 俺と王子がいる場所は森の背の高い木々の更に上を、風のように動いていた。

 風とは逆方向に動いているようだから、おそらく違うのだろうけど。


 とにかく高い場所には違いない。


「姫とシャル」

「少しの間落ちますから、口を閉じておいたほうがいいですよ」

「落ち」

「二人分の体重を支えてこの高さをゆっくりというのは、いくら僕でも厳しいですから」

「え」


 考える間もないぐらい、今度は強い落下間に襲われる。

 この高さから落ちたら、さすがにやばいって。

 いくらなんでもこのスピードからなんて。


「なに考えてんだー!」

「あははははは」


 癪だけど、楽しそうに笑う王子に必死でしがみついた。

 こうすれば、何があっても道連れに出来る。

 なんて、考えていたわけじゃない。

 ただ怖かったから、しがみついてた。


 風に声が混る。

 この状況で何を言われても聞こえるはずがないのに、しっかりとその言葉の意味まで理解した瞬間、足元がなにかふにゃふにゃしたものを踏みつける。


「うわぁぁぁっ」

「落ち着きなさい、リンカ。

 もう着きました」


 引き剥がされそうになって手を伸ばした俺を、王子は軽々と抱き上げた。

 目の前には少し見おろす形に端正な彫刻張りの青年の顔がある。

 まっすぐに見つめてくる瞳は柔らかく、優しく、信頼できるものに思える。


「つい、た?」

「はい。

 最初の神殿、フィリストに」


 力強く頷く様に安堵する事なく、引っ張られるように、そのまま後ろを振り返る。

 誰かに、何かに意識ごと強制的に引っ張られるような感覚だ。

 強く呼ばれるというのではなく、柔らかな存在が振り返った自分を迎えてくれるというような。

 途方もないことを一瞬信じてしまっている自分がいる。


「神殿?」


 でも、当然のようにそこには誰もいない。

 風化した石造りの建物があるだけだ。

 砂色のレンガを積み上げてつくられていたのだろうが、今は見る影もない。

 屋根と呼べるものは見当たらない。

 王子の腕から降ろされ、廃墟の一番奥へ自然と俺の足が向かう。


 廃墟。

 そう、ただの廃墟だ。

 なのに、さっきと同じ、誰かを求める感覚が溢れていて、優しくて懐かしい空気に包まれている。

 俺は親を知らないけれど、きっと母親の腕の中のような、そんな空気だ。


「フィリスト神殿は、最古の神殿であると同時に、女神たちが最初に降り立つ」

「ちょっと黙ってろ」


 奥に歩いてゆく俺の後ろを、落ち着き払った王子の足音が追ってくる。

 でも、俺にはそんなことを気にするほどの余裕がなかった。

 小さい頃の記憶は、養父に出会ったところからしかない。

 だから、母親も父親も俺は知らない。

 自分の系統なんて、調べたこともないし、知る気もない。

 シャルダンに答えたように、本当にいらないと思っていたんだ。


 でも、この朽ち果てた神殿の中にいると、どうしようもない郷愁が胸に広がる。

 もうすでにいないものを求めようとする、自分がいる。


「リンカ?」


 王子の声が、遠い。

 壁に手をつく。

 リンカを支えようとした腕を振り払う。

 手の下に文字の感触。


「古代語、ですね」

「もうここには来ない、って」

「読めるんですか?」


 読むというよりも、感覚に近い。

 自分は、たぶんこれを知っている。

 文字じゃない、なにかを。


――愛し子よ、嘆くなかれ


 優しさに満ちた言葉が直接心に語りかけてくる。

 きっと戻ってくるから、泣かないでと。

 できない約束を繰り返している。

 できないとわかっていても、戻ってきたいと嘆いても、叶わないこと。

 すべては、定められたこと。


 誰が定めたことかと問われても俺には答えられない。

 確かに覚えているはずなのに言葉よりも畏怖が先に立つ。

 この世界を与えられ、慈しんだその存在に畏怖と同時に腹もたつ。

 だって、どうして取り上げられねばならない。

 俺たちは女神によって作られ、存在しているのに。

 何故、滅びねばならない。

 理由のわからない事柄にどうしようもなく腹もたった。


――リンカ


 打ち付けようとした拳の前に声が降りる。


「……な」


――ただひとりを残すなんて


――彼女ひとりでは


――だめよ、やっぱりおいていくなんて


 ひとつの音だったものが複数に被さり、争う。


――あの子はただ一人ここで生まれた


――帝の命令をうけないただひとりだ


――あの子が残ればいつか戻る日まで、世界は守られる


 落ち着いたひとつの声が反論する。

 強い言葉に複数の女神たちの声は押し黙る。

 落ち着いた声を放つ女神に、俺は固まる。

 この人が寄せるそれはつき放つだけの冷たさではない。

 ただ与えらる絶対の信頼に、俺は安堵と不安と動揺に動けなくなった。


――そうだな、リンカ


 声を遮り、黒いものが降ってくる。

 黒い、羽だ。


(これは、刻龍の……合図っ)


 女神の声が消え、現実に対面しているのに、俺はぴくりとも動けない。

 動かなきゃいけないと感じているのに、なにかに遮られるように指一本動かせない。

 唯一動くものは。


「王子、ここを出ろ」

「え?」

「早くしろっ」


 石が擦れて落ちてくる砂が煙幕を作りだす。


「リンカも」

「すぐ行く!

 走れ!」


 動け、と強く願う。


 王子が俺から離れたのを見届けた刹那、俺の頭上が影に落ちた。

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