5#よくある衣装変え
城の中は、外から見た通りとても静かで、でも噂みたいに幽霊がでそうってほどでもない。
城壁の中は手入れが行き届いているし、きちんと人の住んでいる気配がある。
もちろん、それはここにシャルダンやカーク、姫とその他数人の護衛の兵士がいるからである。
強制的に刻龍への繋ぎの仕事を受けさせられた俺は、ひとまず服を着替えることを納得させて、城の一室に通された。
「これを」
カークが持って来たのは、俺の要求どおりの服で、兵士に支給されているカーキ色の制服と黒のTシャツだ。
王子や姫に頼むととんでもないものを用意されそうだったので、シャルダンに頼んだのだが、その判断は正しかったらしい。
服を渡すと、さっさとカークは出て行ってしまい、部屋には俺だけが残される。
素振りや視線から、カークが俺を快く思っていないのはわかっていた。
おそらく俺でなくても、主人のシャルダンに近づく者には大抵そうするのだろう。
一見、王子や姫の命令を優先しているようにも見えるが、最終的にはシャルダンに従うというのが、端からみているだけでも容易に想像できた。
ドアの閉まる音を合図に、俺はようやく鬘を外す。
あー暑かった。
「俺はショートの方が似合ってると思うぞ。
長い髪も確かに似合うけどな」
俺ではない男の声は、部屋の中から聞こえた。
さっきまで確かに俺とカークしかいなかったし、カークが出て行った今は俺以外の誰もいないはずなのに。
しかし、俺は彼の声に聞き覚えがあった。
彼ならそれも容易だと知っているだけに、振り返るのが怖い。
「紅……竜?」
おかしなぐらいに声が掠れている。
さっきまで普通に出ていた声なのに、自分のものではないようだ。
恐怖に、全身が凍りつく。
なぜとか、いつのまにとか、そんなのはどうでもいい。
ここに彼が、紅竜がいるということが問題だ。
「それ、ここの兵の制服だろう。
せっかくのドレスを着替えちまうなんて、もったいない」
紅竜がただの世間話をしに来たはずがない。
目的は、王子かカークか。
それとも姫か。
「あんたが出向いて来るなんて珍しいな」
「そうか?
俺は先代と違って、活動的なんだ」
紅竜がやけに嬉しそうなのは、標的をみつけたからだろうか。
冷や汗が、俺の背中を滑り落ちてゆく。
自然と研ぎ澄まされる俺の神経を逆撫でするように、彼の気配が動く。
「お前の標的、俺に売らないか?」
俺のすぐ後ろで、彼の声がすることに、驚きはしない。
そんな風に喜ばせる気は毛頭ない。
精神を奮い立たせ、勢いで彼を振り返る。
鬘がとれて、涼しい風がうなじを通り抜けるのを感じる。
「なんでだ?」
不敵に笑って見せていても、全身が逃げたい気持ちを抑えるので精一杯。
それをわかっているのか、彼は手元に残る鬘を無造作に放り投げた。
その描く放物線に、視線と意識が吸い寄せられる。
天井に付くか付かないかのギリギリの高さを頂点に、重力に従って落ちてくる。
「リズールで会う時までに、良い返事を期待しておくぞ、リンカ」
パサリと、椅子の背もたれにそれが落ちる。
それから、窓から涼しい風が入ってきて、俺はようやく一人になれたことを知った。
いまさら、彼に恐怖して、震えて見せるなんて真似はしない。
どこからか見ている彼を、喜ばせるようなことなど。
魔物なんか、怖くはない。
この世界で今の俺が怖いことなんて、きっと彼と会うこと以外にない。
窓を閉め、部屋をもう一度見回し、緊張を解く。
それから、のろのろと着替え始めた。
ドレスを脱ぎ、コルセットを外し、大きく深呼吸。
新鮮な空気が体中に響いて、暗い気持ちが少しだけ晴れた。
「リンカ、今日はここに泊まり――」
「はいってくんな」
開きかけたドアをすばやく押えつけ、俺はため息をついた。
まったく、次から次へと。
「俺は一度町に戻るからな」
「え?リンカはここで泊まらないんですか?」
「他にも仕事あんだよ。
あたりまえだろ」
ドアの向こうの王子に向けた言葉は、半分嘘で半分本当だ。
一応仕事だってあるし、ここから離れたいのは本当だ。
だけど、どこかで放って逃げたら、後悔する予感がしてる。
こういう予感はよく当たるんだと、俺は小さく舌打ちした。