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Routes 1 -リンカ-  作者: ひまうさ
外伝
21/33

外伝3#ある日常

王子とリンカがいちゃついてるのと、城の生活を書きたかったというか…

 俺の前には肩口にかかる黒髪をひとつにまとめた少年がいる。

 歳はだいたい十三で、身体に合わない大きめの兵士服のパンツの裾を折り、上には袖の長くて白い薄手のシャツを着ている。

 少年は両足を斜めに開き、軽く握った拳を上げて、俺に向かって拳闘の構えをしている。


 その上、挑戦的な少年の強い目は自信ありげに笑っている。


「はぁっ!」


 鋭く打ち込んできた少年の一撃を辛うじてかわした俺が手にしているのは稽古用の木刀だが、それを動かす間もなく、少年が回し蹴りを放ってくる。

 当たる、と俺が身構えると、寸前で少年の動きが止まる。


「……リンカ様」

「やる気ねーなら、俺の勝ちでいいな?」


 にやりと笑った少年――いや、リンカ妃の言葉に、俺は仕方なく頷いた。


「負けました」


 今のこの人を女性と見抜くどころか、まさか近日王位継承するディルファウスト王子の妃とわかるものは少ないだろう。

 正装している時と今の姿では、リンカ妃はあまりに違いすぎる。

 正装している間はまさしく女神と見紛う威厳と美しさがあって、誰でも傅かずにはいられなくなるのだ。


「おっけー。

 んじゃ、賭けは俺の勝ち」


 晴れ晴れとした表情で俺に背を向け、そばのベンチに置いていた兵士用の上着を取り上げるリンカ妃に、俺は声をかける。


「賭けなんて、最初から成立しませんよ、リンカ様」

「そんなことないだろ?

 だって、おまえ仮にも俺の護衛隊長なんだから、それなりに強いはずだし。

 それに勝てたら外出して良いって賭けは成立するじゃねぇか」


 確かに俺は最初に出会って、リンカ妃から外に出る条件を持ちかけられたときにそう言った。


「それは貴方がここに来たばかりで実力を知らなかったからです。

 これだけの力があれば、そりゃ護衛もいらないとおっしゃいますよね」


 正直、もしも彼女が女神の眷属でなく、本気で対峙したとしても、今の俺ではリンカ妃に掠り傷一つ負わせられないだろう。

 それぐらい、この人は強い。

 元は拳闘士として日銭を稼いで生活していたというが、納得もできる。


 振り返ったリンカ妃が、快活な笑いをこぼす。


「あはは、でもおまえ最初から本気できてくれたじゃねぇか。

 だから、俺も本気で返してる」

「嘘でしょう。

 リンカ様はまだ手加減しているじゃないですか」

「おまえだって、まだ手ぇ抜いてるじゃねぇか」


 そうは言われても、こちらにも万が一でも本気を出せない理由がある。


「そりゃあ、リンカ様に傷でも負わせようものなら殿下に半殺しにされますからね。

 いや、半殺しでも甘いでしょう。

 あの殿下なら間違いなく、瀕死寸前まで追い詰めますよ」

「人望無ぇな、おい」

「もしも私が王妃方の人間なら間違いなく焼き殺されるでしょうね」


 笑っていたリンカ妃が笑いをおさめ、空を仰ぐ。

 ディルファウスト殿下と仕事をした縁で知り合ったというから、おそらくその時のことでも思い出しているのだろう。

 いや、それともこちらに来てからの事件のほうだろうか。


「殿下は仲間や自分を慕うものにはとてもお優しい方ですよ」


 一応のフォローをする俺に、リンカ妃は諦めの息を吐き出す。


「優しい?

 あれで?」

「リンカ様がそう感じられるのは、いつも逃げようとなさるからでしょう」

「別に逃げようとしてるわけじゃねぇんだけどな。

 その、一緒にいるとなんていうかこっぱずかしいんだよ。

 それに、あんなの連れてたら落ち着いて商売できねぇじゃねぇか」


 わずかに頬に朱が混じるのはディルファウスト殿下のことを思い返しているのだろう。

 俺もそれほど多くを見ているわけではないから知らないが、明らかにディルファウスト殿下のリンカ妃への愛情は度を越している。


 ごまかすように、リンカ妃が俺に背を向ける。


「さあ、今日も稼ぎに行くぞ!」


 そもそも今では生活するために稼ぐ必要もないのに、何故リンカ妃がでかけようとするのかは、俺にはわからない。


「なんでそんなにお金が欲しいんですか?

 リンカ様が一言殿下に言えば、いくらでも」


 塀の蔦の割れ目に手を這わせ、小さな出入口を探すリンカ妃は、小さく笑った。


「あのな、それは俺の金じゃない」


 そうは言うが、此処に来た当初ならばともかく、既にリンカ妃が女神の眷属でないと疑うものもいなければ、王族ではないと蔑むものもごく一部の対立派だけしかいない。


「ですが、あなたは」

「仮に女神の眷属だろうが、そんなもんは俺には関係ない。

 金は自分で稼ぐからこそ意味があるんだよ」


 俺が尚も疑問を投げかけようとすると、リンカ妃は片手で俺を追いやる仕草をする。


「あーもううるせぇよ。

 これは俺が自分で稼がなきゃ意味がないんだよっ」


 リンカ妃は俺にとって、本当に分からない人だ。

 サフラン姫はとてもわかりやすいというが、俺には今もまだよくわからない。


「んじゃ、約束通り夕食までには戻るから、それまでディルを誤魔化しておいてくれよな」


 わかるのは、リンカ妃がとてもディルファウスト殿下を大切にしていて、周囲にいる俺や他の兵も信頼してくれているということだ。

 信頼している割に、こうしてひとりで出掛けたがるのはやはり腑に落ちないのだが。


 小さな子供一人ぐらいしか通ることの出来ない通用門からリンカ妃が姿を消すまで、俺はじっとそれを見つめていた。

 俺には此処を通ることを出来ないから、別なルートで城下へ出て、リンカ妃を探さなければならない。

 戻ってはこないだろうなとさっさと諦めて、俺は鍛錬場の出口へと身体を向けた。


「相変わらず、頑固ですね~」

「で、殿下!?」


 いつからそこにいたのか、ディルファウスト殿下が戸口で寄りかかり、リンカ妃の消えた方向を見ている。

 自分の大切な女性が出ていったことを知りながら、何故止めなかったのだろう。

 普段の溺愛ぶりから考えると、ディルファウスト殿下のこういう点も俺にはよくわからない。


「あー何も言わなくていいですよ。

 わかっていますから。

 リンカが城で大人しくしていられるなんて、僕は最初から考えていません」


 確かに、婚姻ぐらいでつなぎ止めておけるような女性なら、ディルファウスト殿下がここまで溺れることもなかったかもしれない。

 恐れながらも、おそらくはディルファウスト殿下も俺と同じ思いを抱いているはずだ。

 リンカ妃はいつも城下で何をしているのかが心配だが、その反面で何をしてくれるのかが楽しみでもある。

 びっくり箱のような女性だとディルファウスト殿下自身も言っていたが、まさにその通りだ。


「お怒りにはならないのですね」

「ふふっ、リンカが大人しくしているなんて、貴方も想像できないでしょう?」

「はぁ」


 はいともいいえとも答えるわけにもいかず、曖昧に返す俺をディルファウスト殿下は急にきりりと政務と同じ真面目な顔で見た。


「護衛は必要在りませんけど、一応見ておいてもらえますか」

「はっ」


 俺は儀礼通りにディルファウスト殿下に頭を下げ、そのまま予定通りにリンカ妃を追いかけようとする。

 その背に、ディルファウスト殿下のお声がかかる。


「ああ、服は着替えていってくださいね。

 剣も置いていってください。

 短剣一つで十分でしょう」


 とても意外な言葉に俺は足を止めて、ディルファウスト殿下を顧みた。


「え!?

 いや、それではリンカ様に何かあった場合に対処しきれないと」

「君は拳闘も最近は稽古しているんですよね。

 だったら、なおさら、彼女の拳も見ておく方が良い。

 良い勉強になりますよ」


 確かに俺はリンカ妃の護衛隊長となって以来、拳闘の稽古をしている。

 だが、城で行ったことはないし、ディルファウスト殿下はどこでそんな話をきいてきたのだろうと眉をひそめる。

 それに後半の言葉の意味は、仕事内容とは明らかに違う。


「……それは、リンカ様を守るというためではなく……?」

「そう。

 君が強くなって、リンカを守れるように成長するためです」


 余程俺は困惑した顔をしていたのだろう。

 ディルファウスト殿下は、とても楽しそうな声を上げて笑った。


「早くリンカより強くなって、彼女を守れるようになってくださいね」

「は、はいっ!」


 俺はディルファウスト殿下に一礼してから、すぐに外ではなく、詰所へと足を向けた。


 リンカ妃は足が速いから、少しでも迷えば発見が遅れ、その間にカスリ傷一つでもあれば、ディルファウスト殿下の報復も恐ろしい。

 詰め所にいる仲間への挨拶もそぞろに、俺は防具と剣を外すと短剣だけを身につけ、すぐに城下へと降りた。




* * *


 リンカにつけた若い護衛隊長の背中が遠ざかるのを見送り、僕は城内へと戻る。

 廊下を急ぎ、西の塔へと足を向けるとそこには、この城で魔術において一番信頼できる女性がいるからだ。


 西の魔女と呼ばれる女性の部屋を軽くノックする。

 返答はないが、今日はシャルダンも来ていることだし、おそらく部屋にいるだろうと、僕は扉を開けた。

 部屋の中には床まで届くひと繋ぎの薄い水色のスカートを纏い、同じ色の布を頭にかけた女性が、どこか呆けた様子で窓の外を見ている。

 スカートにもヴェールにも、端は白と僅かな金色の糸を使ったレースで彩られているようだ。

 窓と女性の間には人ひとり分のスペースがあって、微かに埃が舞っている様子からついさっきまで誰かがいたのだと物語っている。


 誰がいたのか僕はよく知っているし、追求するつもりもない。


「西の魔女殿」

「っ!ディルファウスト様!?」


 僕が声をかけると、ようやく気づいた西の魔女が慌てて立ち上がり、拍子に彼女の座っていた椅子が倒れ、その椅子が背後のカーテンを引き倒し、天井でしっかりと支えられているはずのカーテンが落ちて、隠されていた彼女の魔術道具を顕わにする。

 西の魔女が整頓が苦手というのは有名な話で、いつもその場所は乱雑とものが積み上がっているが、彼女自身はどこに何があるかは把握しているらしいと聞く。


 僕がここを訪れるのは珍しいことではないのに、西の魔女はいつもこうして慌てるから飽きない。

 僕にとっては、リンカの次ぐらいに面白い女性だ。


「うわ、す、すみませんっ」

「そんなに慌てないでも良いですよ」


 西の魔女は奥からどうにか椅子を引っ張り出し、小さく魔術を呟いて、椅子を磨き上げる。

 そこまでは見事な手際だが、そのせいで周りが余計に崩れている気がするのは僕の気のせいではないだろう。

 だが、西の魔女はそんなことをまったく気にせず、ただひたすらに僕の存在に慌てているようだ。

 僕が王族だからというのもあるのだろうが、おそらくは別の理由の方が多くを占めているはず。


「ええと、とりあえずこれに座ってください。

 すいません、掃除してなくてっ」

「いや、僕の方がお邪魔してしまったんですから、そんなに緊張しないでください」


 僕が立っているといつまでも西の魔女が落ち着かないのはわかっているが、しばらく見ていたいと思ってしまう面白さだ。

 だが、リンカが城下で何をしているかの方が気になるから、僕は出された椅子に大人しく腰を下ろした。

 僕の目の前にいる西の魔女は、テーブルの上に乗せた魔法陣の描かれた布を端から持ち上げるのに失敗して、その上に乗っていた粉をぶちまけている。


「あ、あぁ、やばっ!」

「あの、本当に落ち着いてください、西の魔女殿。

 僕は何も見ていませんから」


 僕の一言で、それまで落ち着きなく動き回っていた西の魔女は、ぴたりと動きを止めた。


「な、何もって」


 本当に面白い、と心の中で僕はほくそ笑む。


「ええ、いくら僕でも人の情事を覗き見るような趣味は」

「そんなことしてませんっ」


 本気で慌てた西の魔女の顔は、高熱でも出したように赤く染まっている。


「ああそうなんですか?」

「そりゃちょっと流されそうでしたけどっ、仕事中にそんな不謹慎なっ」

「ふふふ、そうですよね。

 西の魔女殿は真面目ですから。

 だから、僕も貴方を信用しているんです」


 西の魔女はシャルダンの執事であるカークがもっとも信頼している魔女であり、そして彼が主人と僕ら以外に唯一大切にしている女性だ。

 王立学院で出会ったと西の魔女から聞いているが、彼女の卒業後にカークが彼女を賢者に弟子入りさせ、ここに就職できるようにと手を尽くしていたのを僕は知っている。

 シャルダンには隠しているようだが、西の魔女から話を聞いて、それから少し調べたら簡単にそのことは判明した。

 だからといって、僕はその情報をどうこうするつもりもない。


「光栄、です」

「そういうわけで、用件はわかりますね」


 漸く落ち着いたのか、西の魔女は僕の言葉に深く頷いた。


「姫様、ですわね」


 すでにリンカが城を抜け出して城下を走り回る回数は数え切れない程で、その度に僕が来るから西の魔女にもすぐに合点がいったらしい。


「はい、リンカに西の魔女殿の友達を貸してくれませんか」

「危ないことになってないといいですね」


 もう一度頷いた西の魔女は、本気でリンカを心配している表情でため息を吐く。


「それは大丈夫でしょう。

 女神の眷属の本質は、誰からも愛されると言うこと。

 何者であっても、リンカに危害を加えることはできませんよ」


 西の魔女は僕と話をしながら、後ろの積み重なった道具の中から布の束を取りだし、数枚の中から選別する。

 どうして、そこに無造作に召喚用の魔法陣があるのかは西の魔女以外の誰にもわからない。

 だけれど、それらはすべて西の魔女だけが扱える魔法陣で、彼女が呼び出す友達の数々なのだ。

 僕もいくらも魔法士も魔法使いも見てきたし、それなりに腕に自信はあるつもりだ。

 けれど、西の魔女のこの魔法を編み出す力、そしてそれを使いこなす技には適わないと思う。


「エルとミューがいいかな。

 エルはイイ手助けが出来るでしょうし、ミューはこっそりと彼女に忍ばせておくことが出来ますから」


 西の魔女の言うエルとミューがどんな姿で何が出来るのか、詳しいことを僕は知らない。

 リンカが言うにはとても可愛らしくて憎たらしい小動物だというが、リンカと西の魔女以外に姿が見えたものはいない。


 魔法陣に粉を振りかけた西の魔女が長い長い詠唱を始めると、言葉と共に徐々に魔法陣が光を強くしてゆく。


「……まあ、リンカのことだから心配ないと思うけど……」


 独り言のように呟いた後で、西の魔女は何かに気づいたように僕を見た。


「あ、す、すいませんっ」


 それがリンカを呼び捨てての非礼を西の魔女が気がついたからと知っても、僕には別にどうでもいいことだ。


「いえ、いいですよ。

 リンカと親しくしていただける方が僕としても助かります」

「その、リンカが、じゃなくて、リンカ様が様をつけたり、敬語を使うとお怒りになるのでっ」


 リンカが怒りながらいう様子が目に浮かんで、僕はくすりと笑いを零す。


「あはは、はい。

 よくわかってますから」

「も、申し訳ありませんっ」

「だから、気にしないでくださいって。

 どうか、これからもリンカをよろしくお願いします」

「……もちろんです。

 私にとっても大切な友達ですから」


 魔法陣の光が消えた後、西の魔女がリンカの居場所を教えてくれたので僕は部屋を出る。

 あまり長居をしてはカークに余計な気を揉ませてしまうことだろう。


 普段なら何も言わずに見送る西の魔女が、珍しく僕を呼び止める。


「リンカを怒らないでください。

 彼女なりに、恩を返そうとしているんです」


 僕に、という言葉を飲み込んだらしい西の魔女に、僕は柔らかく微笑む。

 もちろん、わかっているからリンカの好きにさせているのだ。


「ええ、わかってますよ、西の魔女様。

 それと、シャルダンは夕食もここでとって行きます、とカークに伝えておいてくださいね」

「え!?」

「ああ、もう必要ありませんね。

 じゃあ、ここには人払いでもかけておきます。

 僕の大切な仕事をしているということで」

「な、な、え、カーク!?」


 深々と隣で頭を下げる恋人に驚いている西の魔女を残して、僕は彼女の部屋の扉を閉めた。


 そのまま城の正門へと足を進める僕は、あえて人の通らない道を選んだ。

 リンカと逢うのに伴など邪魔以外の何者でもないし、それにこの国で僕とリンカが揃っていて恐れる敵などいない。

 いるとすれば刻龍だけだが、彼らは今おいそれとこちらに来ている状況ではないはずだから、本当の意味で一片の心配もないのだ。


 だから、僕はゆっくりと歩いて、西の魔女に示された場所へと向かうことにした。




* * *


 僕が城下を歩くだけで、道行く人たちがリンカの居場所を教えてくれる。

 それはリンカがこの国に受け入れられているという証拠だと僕は思っている。

 城にいるよりもこの方がよっぽど安全だというのもあるから、僕はリンカが城下に出ることを止めないのだ。

 実際、この国で僕とリンカ以上の強さを持つものはいないし、世界中探しても僕らに敵うのは刻龍以外に存在しないはずだ。


 大通りを歩きながら、僕は花売りから籠ごとの花を買い取る。

 もちろん、この花はリンカを飾るためのものであり、リンカはこういう簡素で素朴なプレゼントを喜ぶことを僕は知っている。

 要は高価な物は売れるという意味で喜んではくれるが、純粋に喜ぶのは金のかからないようなものほどいいということだ。

 王族に迎えられた今でもリンカのその本質は変わっていない。


 遠目に僕を見つけたリンカがあからさまに逃げようとする姿に、僕はあえて大きく手を振る。

 もちろん、リンカが嫌がると知っていての行動だ。

 僕はリンカの姿も行動も表情のすべてが好きだから、つい苛めたくなってしまうんだ。


「あ、リンカさーん!」


 逃げるリンカと追いかける僕を国民はいつも微笑まし気に眺めてくれる。

 もちろん、僕にはリンカが逃げる方向など聞かなくてもわかるが。


「すいません~」

「はははっ、今日も大変ですね。

 殿下、おひとつどうぞ」

「ありがとうございます」


 投げ渡された林檎一つを受け取り、僕はポケットから一銅貨を取り出して、店員に投げ返す。

 林檎一つには少々高いかもしれないが、釣りといっても微々たるものだし、元は国民の金なのだ。

 民の間で巡る方が良いに決まってる。


「まいど!」

「ガンバレよー、殿下!」

「リンカ様はそちらの角を曲がって行かれましたよ~」


 行く先々の人の案内に導かれて、僕はリンカを追いかけるが、当然ながらそう簡単に彼女には会えない。

 リンカはもともとすばしっこいから、いろいろな情報を含めて僕は先回りをして、どこかへ追い込む方法をとるしかない。

 ここに来てから、リンカが城下を把握するのは三日もかからなかったから、僕はもともと警備隊長に期待はしていない。


 そもそも、僕はリンカとのこの追いかけっこが好きだから、そういう意味でも好きにさせているのだけど。

 今日はどうやってリンカを追い込もうかと、僕は軽く走りながら考える。


「おまえ、仕事の邪魔っ」


 と、急に前に子どもがひとり飛び出してきて、そのまま僕につっこんできた。

 間違いようのない出会った頃と変わらないリンカの姿は、僕を倒れさせるには十分だ。

 一瞬見とれた僕だったが、リンカが怪我をするのは本位ではないので、とっさに唱えた短い術式で自分とリンカを風の力で包み込む。

 魔力風で僕の手元の籠から花が飛び出し、辺りにまき散らされる様はとても綺麗で、降ってくる色とりどりの花に飾られたリンカは眉を寄せて、口を尖らせた不機嫌な顔で僕の腕の中から見上げてくる。


「はははっ、これは珍しい。

 まさか自分から飛び込んで来るとは思わなかった」


 驚きと喜びで、僕は思わず素の言葉が溢れる。

 もちろん、リンカは僕を倒そうと思って体当たりをしようとしただけなのだが、そんなもので僕が倒れると本当に考えていたのだろうか。


「いつもいつもいつもいつもいーっつも、おまえはなんで俺の邪魔するんだっ!」

「僕はリンカを探していただけです」

「それが邪魔なんだっ」

「ふふふ、約束通りに危険な仕事でなければ問題ないハズでしょう?」


 僕の腕の中、リンカの気配が鋭さと戸惑いを綯い交ぜにした気配に変わる。

 呼ばれて困ると言うことは、つまり危険な仕事に手を出しているということだ。

 僕は以前から、リンカに城下を好きに動きまわっていいと話しているが、ただし決して危険な事に首をつっこまないという条件付きだ。


 もちろん、リンカがそれを守れると、僕は本気で考えていたわけではない。

 リンカは優しいから、おそらく危険とわかっても、誰かのために命を張らずにはいられないだろう。

 それはリンカの美点であり、欠点でもある。


「別に、危険じゃねぇよ。

 ――俺にとっては」

「確かにリンカの腕なら大抵の荒事は問題ないでしょう。

 ですが、言ったはずです。

 身体に傷はつけるな、と」


 リンカは僕がどれだけリンカを愛してるか、これだけ一緒にいて気がついていないはずがなく、ぎくりとその身体がこわばるのが抱きしめている僕にはわかる。

 リンカの髪についた花の一つを手にしながら、僕はいつものように力を紡ぐ。


「――風の時 時の風――」

「うわ、待て待て!

 俺まだ仕事の途中なんだよ。

 せめて、報告だけっ」


 慌てたリンカがもがいているけれど、そう簡単に僕が逃がすわけがない。


「――女神に愛されし者 その腕に迎え入れられん――」


 僕らを魔力の風が包み込み、それを振るう精霊王――ウィドーが楽しそうに僕らを運ぶ。


 震えているリンカは僕にしっかりとしがみついていて、この時以上に彼女が僕を頼ってくれることなどないだろう。

 それほどに魔法を恐れる理由は、婚姻を結んだ今でも教えてはくれない。

 どれだけ近づけば教えてくれるのかもわからないが、無理に暴くつもりもない。

 もうリンカは、女神は手の内にあるのだから、これからいくらでも機会はあるだろう。

 だから、僕はいつまででも待つつもりだ。


「着きましたよ」


 震えているリンカの耳元に、僕はそっと囁く。

 そうしないと、彼女は移動が終わったことにすら気が付かない。


 顔を上げたリンカは、泣きそうな顔で僕をみる。

 周囲を確認しようともしないのはこの術式を使うのが初めてではないからだ。


 今僕らがいるのは大神殿の最奥で、世界で一番リンカにとって安全な場所とされる。

 リンカには檻と話してあるが、ある意味ここ以上に安全な場所はない。

 ここは世界で一番色濃く女神の力が残されているから、リンカは思う存分その力を振るえるはずなのだ。


 もっとも、未だその力に目覚めていないリンカに自覚はないだろう。


 本来ならありとあらゆる魔法はこの場所に届かない。

 どれだけの術式を組もうが、それは世界に寄るものであり、女神とは異質の力であるが故に神殿の中にまでは届けられないのだ。

 僕は此処にくるためだけの術式を完成させることができたのは、リンカと西の魔女の助けがあればこそだ。

 この術式にはリンカの存在が必要不可欠とされるが、僕にとっては願ってもない。


 西の魔女によれば、僕の系統(ルーツ)も関係しているという話だが、それ自体についてはよくわからない。

 知っているのはごく一部の信頼できる者だけだが、女神の眷属を守護する木霊――それが、僕の系統ルーツと示されている。


「なんで、いつもいつも邪魔するんだよ。

 俺はおまえに心配されるほど弱くなんかないぞ」

「知っています。

 ただ、僕が一緒にいたいだけですから」


 本当ならいつまでもこの腕の中にリンカを抱いていないと、僕は不安で仕方がない。

 リンカの心が誰かに盗られてしまわないか、リンカがどこか遠くへ行ってしまわないか。

 元々が無理矢理に国まで連れ去り、無理矢理に系統を調べさせ、無理矢理に婚約まで持ち込んだのだ。

 ここまで無理強いされて、いつリンカが僕の手元から逃げ出したっておかしくはない。


 僕はここに来てからリンカが伸ばしている髪についた花を落としながら撫で、留めている髪紐を取り除き、その髪に口づける。

 出会った頃の少年そのものだった時はごわついていた固かった髪も、いくぶんか柔らかくなっている。

 リンカもその通りに心が溶けていてくれればというのは、僕の我侭すぎる願いだろうか。

 触れるとまだ篭もる熱を伝えてくるリンカの髪を梳きながら、僕はまっすぐにリンカと視線をかわす。


「……ディル?」

「髪が焦げていますね。

 せっかく伸ばしているのに、もったいない」

「悪い。

 避けたつもり、だったんだけど」


 思いの外、勢いが強かったとリンカが申し訳なさそうに謝罪してくる。

 リンカが悪いわけじゃないし、リンカを怒っているわけじゃない。

 ただ、自分のいない場所でこうしてリンカの一部が失われるだけで、僕はひどく胸が締め付けられるんだ。

 術でその焦げた部分だけを切り払い、僕はリンカの頭を強く自分の胸に押しつける。


「お、おい、ディル……っ」


 以前なら僕がこうするとリンカは本気で嫌がっていたが、今では戸惑いしか返ってこない。

 それはとても嬉しい。

 嬉しいのだけど、それ以外は以前と変わらないリンカの行動が不安で仕方ない。

 好かれていないとは思っていないが、僕らの想いは同じではないだろう。

 リンカはきっと僕がいなくても困らないし、きっと思いのままに翼を広げて飛んで行ってしまうだろう。


 刻龍に奪われても、リンカひとりであれば容易に逃げられる。

 だけど、誰かひとりでも足かせとなってしまえば、簡単にリンカは己を捨ててしまえるんだ。

 僕はそれがいつも怖くて仕方ない。


「おまえ、意外と臆病だよな」


 僕の背中に手を回し、リンカが自然と抱きしめてくれる。

 こうしてくれるようになるまでずいぶんと時間はかかった。

 それでも、誰もいない時でなければ、自分から近づいてきてくれないのだけれど。


「俺、ディルのこと嫌いじゃないし、この国も大好きだ。

 だから、どこにも行かないぞ」


 ここにいるよ、とリンカのそんな言葉ひとつで安心してしまう僕は単純だと思う。

 リンカの言葉ならこんなにも信じられるのに、なのに僕はこの手からリンカが離れてしまわないか、いつも不安でしかたなくて。


 女神の眷属だからじゃない、僕はリンカという存在そのものが愛しくて、なくしてしまうことがとても怖い。

 僕は王族として、この国の王になると決めた日から弱点など作ってはいけないとわかっていたのに、リンカは容易にその場所に入り込んできた。

 その強さを信じていても、それでもいつかはと想像してしまう。


「ほら、そんな泣きそうな顔すんなって。

 女神に笑われるぞー?」


 明るい笑い声を立てるリンカの額に、僕はそっと口づける。


「な、ディ、ディル……っ」

「安心、させてください」


 僕は慌てるリンカの染まりゆく頬に、震える瞼に口づけ、そして淡い桃色の花弁で紅を引いたような小さな口に、自分の口を近づける。


「ちょっと、まだ昼だしっ、それにここはっ」


 この後の展開を予想しているリンカを、小さく僕は笑う。

 その僕の笑いが弱く見えているのか、逃げ出そうとするリンカが本気でないのはすぐにわかった。


「リンカの家ですよ」

「神殿だっ!」


 勢いのままに口を重ね、僕はリンカが気づかぬうちにベッドまで移動する。

 リンカの背中にシーツの感触が触れて、彼女は僕の首に両腕を回してきてくれて。

 その気になってくれたかと、安堵した僕が離れた一瞬――。


「ごめん、ディル」


 僕の鳩尾に鋭い一撃が入り、腕を緩めた隙間からリンカは逃げ出してしまった。

 そうとわかっていたとしても僕は避けなかっただろうし、魔法を使ってリンカを追い込みたくもないから、結局僕は黙ってその拳を受けるしかない。

 そうして、嫌われたくないという気持ちが先に立ち、いつも僕はリンカが逃げることをいつも許してしまう。


「その……よ、夜なら構わないから、ディルのトコにちゃんと戻るから。

 だから、昼は俺の好きにさせてくれ」


 部屋を出る寸前に振り返ったリンカが顔を真っ赤にして言って、あっという間に僕の視界から消える。

 精一杯の照れを抑えて、言ってくれたのは明らかで、天蓋もないベッドで仰向けに倒れ込んだ僕は、リンカの部屋の高い高い天井を見上げた。

 ここだけに限らず神殿にはいたるところに女神の影があって、ここの天井に装飾されているのも女神と女神を護る精霊たちの姿だ。

 古い細工師たちが彫り込んだと言うそれは今でも遜色なく目の前にある。

 だが、小さい頃ならば見とれた光景も霞み、今では僕の目の前にさっきのリンカが焼き付いて離れない。


「ふふっ、今夜は覚悟しておけよ?」


 約束通り昼間は好きにさせてやるけど、夜は絶対に離してやらない。

 僕がそんな決心をしたとき、城下のどこかでリンカがクシャミをしたとかしないとか。


 リンカの気配が強くある部屋の中で、僕は目を閉じる。


――女神の眷属は世界の宝だけど、リンカは僕の宝だから。

 絶対にこの手から逃さない。


 僕は僕の女神にそう希いながら、穏やかな午睡に身を委ねた。




――了

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