外伝1#弔いの花
冬の話
シリアス風味
客演、姫
ひたひたひた……
冷たい石の床を素足で歩く音が聞こえる。
ひたひたひた……
昨夜降ったばかりの雪を抜けてきたきたのか。
その心意気は誉めたいが、正直バカじゃねぇのと言いたくなる。
こんな寒い夜に素足で石の床を歩くなんて、よほど足の裏皮が厚いわけでもなければ赤く爛れ、血を滲ませていることだろう。
てゆーか、マジで馬鹿だろう。
ひたひたひた。
足音が部屋の扉の前で止まったことに気がつく。
そっとベッドを抜け出し、気配を殺してドアの脇に移動する。
別に自分の部屋なんだからそこまで警戒しなくても、といわれたこともある。
が、どこからでも紅竜は入ってくるし、方々から刺客は来るし、言った当人は夜這いにきやがるのだから、仕方がないと思ってもらいたい。
よくよく考えたら、普段から碌でもない状況なのは、全部ここに俺をつれてきた王子のせいじゃないか。
でも、不思議と憎めない。
最初にあんなに毛嫌いしていたのが嘘みたいだ。
ドアの側面についたとたん、大きな音を立てて扉が開いた。
「リンちゃーん、あっそびっましょぉっ」
「なっ、姫ぇ?」
薄紅色のネグリジェを着て、白く細い腕に何故か酒瓶を二、三本抱えてはいるが、緩く編み込まれた金髪も普段より火照って赤い頬も、紅の花をつけたような唇も、どうみても姫である。
彼女はふらふらとこちらに近づいてくると、無邪気な笑顔で微笑んだ。
つられて笑い返したものの、おそらくは引きつっていたに違いない。
「姫、酔ってますね」
えへへーとだらしなく笑いながら、彼女は俺に抱きついてくる。
抱きつき癖程度なら別に構わないんだけど、何度か彼女の酔っている姿を見ている俺は彼女を無理矢理に立たせ、ベッドに連れて行く。
「リンちゃんもぉ、一緒に飲もぉうと思ってぇ」
背中を押されながら陽気に話し、酒瓶を振り回す。
外見からはとても想像できない醜態だ。
口を開かなければ、深窓の姫君にしか見えないというのに、もったいない。
「はいはい。
今日はいったいどんな口実で飲んでたんですか?」
一応彼女も王族の一人であるし、日々外交業務もある。
そうそうは飲ませてもらえないと聞いたこともあるのだが、どうやら彼女はちょくちょく御台所に行っては、仲の良い使用人からもらってきているらしい。
わかっていて渡しているのかどうかが気になるところだ。
「ちょ、姫。
脱がせないでっ」
「じゃ、自分でやる?」
「脱ぎません!」
いいじゃなーい、とふくれて彼女は椅子に座る。
テーブルに持ってきた酒瓶を並べ、ポケットから紙札を一枚取り出す。
紙札に描かれているのは文字のような模様のような不可解なもので、彼女の持つ武器でもある。
通常、彼女はその紙札を使って刺客を退けたりしているらしい。
直接見たことはないからなんとも言えないけど。
彼女は紙札を一別した後、そのまま空中に放って、またポケットから取り出す。
それを何度か繰り返し、床に数十枚の紙札がばらまかれた後、彼女は紙札を一段と高く放り投げた。
「お酒飲むグラス2つ召還えいっ」
「するなよっ」
紙札をそんなしょうもないことに使うのは、彼女以外に見たことがない。
てゆーか、酔った勢いで札を使うな。
もったいない。
酒臭さがこちらまで漂ってきたので、仕方なく窓を開ける。
吹き込んできた風が冷たいと姫が笑う。
いつにもまして陽気だ。
「何かあったんですか?」
「何もないわよっ」
だんっと強く拳をテーブルにたたきつける。
どうみても何もないとは言い難い。
「あーぁ。
リンちゃんが男だったらなぁ」
「俺もそう思います」
もしも俺が男だったら、こんなところに連れてこられることもないだろうし、姫だって王子の婚約者のままだったろうし。
「あ、でもそれじゃリンちゃんで・遊べないから駄目」
俺「で」遊ぶな。
本当に。
「リンちゃんは変身させ甲斐があるからなぁ。
……男でも変わらないかもだけど」
女神の眷属はまず美人になるから。
そんなことを言われても俺は伝承の詳細まで知らないから、わからない。
よく知らない俺は、姫の向かいの椅子に座り、手近な酒瓶から少量をグラスに注ぐ。
住まわせてもらっている場所は神殿の最奥だから、不謹慎だがバレもしないだろう。
ここに近寄ることが出来るのは少数の王族と大神官、神官長たちとシャルダン様ぐらいだ。
例外的に紅龍も来るが、許可云々ということとなるとあるわけもないので除外していいだろう。
「ねぇ、ディルはリンちゃんに優しいでしょ?」
そうなのだろうか、と首をかしげている俺を無視して、姫は続ける。
「いいなぁぁぁ私も優しくさーれーたーいーぃぃぃ」
誰に、と聞くのは憚られた。
彼女がディルファウスト王子を好きなのは周知の事実だからだ。
ただ王子に見る目がないだけ、としか俺には思えない。
でなければ、俺を選んだりしないだろう。
「私の系統はさぁ、」
あぁ、また始まった。
これから約三時間は続く話だ。
「て、何度も話したか」
「ええ」
そういうと、しばらく彼女は黙っていた。
酒を飲みもせず、グラスを手の上でただ弄んでいる。
彼女らしくない憂いを帯びた表情は儚げで、どんな男でもたちまち彼女の虜になってしまうだろう。
だけど、俺は女で、姫のことを図らずもよく知っていて。
彼女の憂いは俺が原因で。
かける言葉は見つからなかった。
いなくなるという選択肢をどうして選択しないのか。
と、以前紅竜にも言われた。
「帰ればいい。
俺の所へ」
帰るも何も、俺は紅竜と住んだことなんてほんの一、二日ぐらいしかない。
気に入られてはいるが、まったくの他人だ。
後半はともかく、帰れば、という言葉に少なからず動揺した。
帰りたい、でも、離れたくないという気持ちに気がついたからだ。
結局、俺も結構王子が気に入っているのだ。
「リンちゃーん」
消え入りそうな姫の声に呼ばれて、思考を中断する。
「なんですか?」
姫は椅子を立ち上がって、よろよろとこちらに歩いてきて、俺の前に座った。
「遊んでいい?」
いいわけあるか。
反論した言葉に上から声が被される。
「いいよ。
思う存分、やっちゃって」
戸口に王子が寄りかかり微笑んでいる。
しまった。
姫の足が傷つきもしていない時点で王子が来るのも予想しておくべきだった。
「やったーっ」
「うわ、こら脱がすなっ」
「えー」
「えー、じゃないっ」
なんとか姫の腕を逃れている隙に、王子はちゃっかりと椅子に座っている。
あーもう、この男は。
「――囁く風 春の日の安らぎ 彼女に穏やかな平安を――」
俺の目の前で彼女の目元がとろける。
そして、幸せそうに目の前で眠りに就いた。
倒れる寸前の姫を俺が抱き留めると、幸福な寝息が聞こえてくる。
まぁ、本人が幸せならいいんだけど。
「おいこら、姫をここで眠らせるわけにはいかないだろ」
「いーじゃないですか、別に。
よく眠ってるし、ちょっとやそっとじゃ起きないですよ」
「そーゆー問題じゃねぇだろ」
俺の元に王子はゆっくりと歩いてきて、姫を抱える。
彼女を見る目はごく親しいものに向けるものだと思うが、姫がいうには家族みたいなものだかららしい。
王子にとっては妹みたいなものだと。
王子が使ったのは、姫専用の安らぎの魔法。
しかも自作の簡易呪文だ。
あいかわらず、ほいほい魔法をつかうやつだ。
でも、姫のためだけに作られたこの魔法は、今のところ、彼女にしか使われてはいない。
王子は彼女を俺のベッドに寝かせる。
姫が眠っていると言うだけで、粗末な木造りのベッドが豪華に見えてしまうから不思議だ。
「じゃ、行きましょうか」
「どこに」
唸るように尋ねても王子は答えず、いつも微笑むだけだ。
あいにくと俺には魔法が効かないし、王子にやられるような腕でもないので、さっきのように無理矢理に連れて行かれることはないのだが。
ここ最近、どうも逆らえない。
差し出された手に自分の手を重ねる。
当然引っ張られて、その腕の中に抱かれる格好になる。
「――彷徨う風 流水の雲 彼女の望む場所ラーズイースへ――」
え、と思ったときにはもうそこにいた。
俺が育った町で、養い親が眠る墓所に。
「なんで」
知っているのか、という声はでてこなくて。
ただ風だけがひゅうひゅうと喉を通り抜けた。
来たいなんて一言もいっていない。
ましてや、養い親の話なんて誰にも言ったことはない。
それなのに、どうしてここがわかったのだろう。
「剣士より強い拳闘士アルバ・クルーラ・ラーズイースは、貴方の師でしょう?」
師であり、父であった彼と過ごしたのは六年。
赤ん坊だった俺を拾い、六歳まで育ててくれた。
近所の火事で逃げ遅れた子供を助けるために崩れそうな家に飛び込み、大火傷をして戻ってきた彼は次の日に息を引き取った。
初めて大声をあげて泣いた。
一晩中泣いて、埋葬した日の夜に俺は町をでた。
年若いせいもあったが、たいした仕事ももらえなくて何度も死にかけた。
でも、何故かそういうときに助けられてしまう。
死んでもいいと思ったのに死ねない。
師匠であり父である彼の言葉が頭から離れない。
「大事を成し遂げるまでは、絶対死ぬんじゃねぇぞ。
そんなことしたら、許さねぇからな」
死んだ人間がどう許さないのかと思ったが、もしかしたらこうして助かってしまうのは師のせいかもしれないと思った。
だから、生きようと思った。
そして、王子と出会い、今、ここにこうしている。
「り、リンカ?」
声を出さずに泣く俺に動揺していた王子は、最初に出会った頃のことを思い出させた。
あのときから、全部始まっていたのかもしれないと、王子の腕の中で思った。
ディルと出会うことも、こうして好きになるということも。
「ありがとう、ディル」
ひとしきり泣き終えてから、アルバ師の墓に向かい合う。
「あ、花……」
「出しましょうか?」
お前は奇術師か。
いや、魔法使いだったな。
「いいよ。
魔法で出したものなんて飾ったら、アルバにどやされる」
そうですか、と少し残念そうに、だが何かを含んだ言葉で話す。
でも、まぁいいか。
「酒」
「え?」
「もってんだろ」
マントに手を突っ込み、腰から袋を引き抜いて素早く戻る。
「はやっ」
師の墓に酒瓶をひっくり返し、ほとんどを注いでから自分も口にする。
生前は一緒に飲ませてくれなかったけど、まだ子供だって怒るかもしれないけど、俺からの選別。
(アルバ、俺、元気にやってるよ。
もう、大丈夫)
心の中で頭を下げた。
* * *
帰りは徒歩がいいというリンカが先に歩いて行ってしまった後(城からそう離れていないと気がつかれた)、僕は墓を振り返る。
「アルバ師、あなたにはこっちの花のがいいですよね」
この墓は僕にとっても特別だ。
アルバはかつて守り仕えてくれた護衛隊長であり、僕にとっても武術の師匠であったから。
城を出てから道場を開き、孤児を育てていた話も聞いていたが、リンカがその一人と知ったのは本当に最近で、偶然だった。
柔らかく微笑んだ後、僕はまじめな顔で墓に頭を下げる。
「彼女を僕にください」
遠くから聞こえるリンカの声に呼ばれ、僕はそっと場を去った。
後には静かな夜と一つの酒に濡れた墓石だけが残り、城に帰った僕に珍しくリンカは素直に寄り添って眠ってくれた。
――了
読了有難うございます。
これは改訂が完了する前から書いていた外伝です。
友人にはこれはこれでいいけど、本編の改訂を終わらせてくれとお約束のツッコミを受けました(笑)
城に来て、だいたい一年?いや、たぶん一ヶ月程度ですね。