11#よくある伝承劇
※まだまだ続くよ、王子視点←
室内からはくぐもった音が聞こえている。
中にいるのは三人――姫とシャルダンとカークだろう。
中に入るのが気まずいわけではないが、僕には笑って済ませてもらえるかどうか、自信がない。
右顎の辺りをさすり、その痛みに僕は苦笑いする。
「殿下?」
静かにドアが開かれ、カークに招き入れられる。
まったく、気配を殺そうとしてもこの男の前ではまったくの素人技なのだと思い知らされる。
だからこそ、シャルダンの側近として、執事と護衛の両方を兼ねているのだろう。
部屋に入ると、姫はすぐさま立って、荷物から応急セットを持ち出して来た。
その間に僕がシャルダンの隣に座ると、後ろからカークがお茶を入れたカップを差し出す。
「追い出された、のか?」
シャルダンの質問に僕が答えるよりも先に、姫が憤慨した様子でまくしたてる。
「リンちゃんをいじめるからよ」
つけられた薬がしみるのは、一番効いて、一番しみる薬を使っているせいだろうか。
それを堪えて、僕は笑って返す。
「いじめてるわけじゃないんだけどなぁ」
ますます不機嫌そうな姫に、湿布薬を叩きつけられた。
「本気だから、タチが悪いんでしょう。
ディルの場合」
姫の本気も痛い。
すごくしみる。
「え、本気っ?
あんなのに、おまえが?」
「あんなのとは酷いな。
僕の運命の女神だぞ」
耳慣れない言葉に、カークが首を傾げている。
彼が知らないのも無理はない。
これは俺たちがまだほんの小さな頃に聞いた話だから。
「運命の女神って、子供の時の叔父上の御伽噺の中のあれか。
あれを信じてるって?
しかも、あんなガキがそれっ?」
容赦ないシャルダンの言葉には、さすがの僕も傷ついた。
たしかに今二十歳の僕たちと比べれば、まだ十に満たないリンカはほんの子供でしかない。
リンカからみた自分は、どうしたっておじさんと呼ばれるだろう。
「シャル、言い過ぎよ。
確かに嘘みたいな話だけど。
でも、リンちゃんはそんなの関係なく、ディルの心を捕らえたの」
それでいいじゃない、と姫はお茶をすすった。
彼女の言葉に僕は安堵する。
彼女の言うように、確かに最初はただの子供だと思っていた。
ただリンカを取り巻く人々に触れ、彼女自身の行動や言動が確かに琴線に触れて、ただそのままのリンカがとても愛しくなっていくのに時間はかからなかった。
「どんな格好をしていても、リンカは綺麗だよ。
このラルク石の原石みたいにね」
小さく秘密の言葉を僕は紡ぐ。
開いた自分の右の掌の上に虹色の光が灯り、リンカに渡した指輪よりも十倍はあるラルク石が現れる。
光はその石の内側から溢れており、壁面に僕ら四人の影を幻想的に揺らしている。
姫、シャルダンもだが、恐らく僕自身の瞳も、とてもなつかしげであることだろう。
石を見ながら思うのは、遠い過去の冒険の思い出。
子供の頃、旅暮らしの叔父上が帰ってくる度に僕たちは話をせがみ、彼が来なくなった頃から三人で冒険をするようになっていった。
その中でも最高だったのはラルク石の輝くばかりの資源を称えた虹色の湖だった。
そこで出会った一人の女性に僕は欠片のひとつをもらったのだ。
――貴方のたった一人の女神にそれを渡しなさい。
白い布を一枚纏っただけの彼女はまるで絵本に出てくる女神のようで、ゆるく微笑みながらも真剣な目でそれを託した。
あとはどうやって城まで帰ったか覚えていないのだけれど、三人で僕のベッドに丸まっていたと、部屋付きの侍従から聞いた。
想い出を忘れないために、彼女との約束を守るために、僕は魔法でそれを隠し、こうして魔法によってのみ呼び出せるようにした。
子供心にそれがどれだけ高価であるかも理解していたし、義母には疎まれていた。
だから、あの女性との約束を守るためにはどうしても隠さなければなかった。
そういう魔法を編み出すまでは時間もかかったが、それまでは三人だけの秘密の場所へ隠した。
王子が数多の魔法を操るようになったのはそれを隠し、絶対に見つからないようにするという理由もある。
もともとの素質も手伝って、リンカのいうように大抵の護衛は必要がないほどの力を手に入れた。
指を伸ばしたシャルダンが触れる前にそれは消え、部屋は元通りの色を取り戻す。
「そんなのなくてもあの子、面白そうだけどね」
リンカとの約束をすっかり忘れて、姫は楽しそうに笑い、僕もうなづく。
「それもある。
だからつい、な」
リンカの色々な表情が見たくて、彼女がどんなことを考えて生きてきたのか、生きているのかが知りたくて。
何を言えば笑ってくれるのか、知りたくて。
話を聞いているときのリンカのまっすぐな視線が眩しくも嬉しくあり、言葉一つでいくらでも変化する彼女がもう愛しくて仕方がない。
姫やシャルダンと合流する前、リンカに言った言葉は確かに本心だ。
出会わなければ知らなかっただろうけれど、もう出会ってしまったから。
リンカがいない後の人生をどう生きていけばいいのか想像も出来なくなっていた。
そういえば、と思い出す。
遺跡で壁面の遺文に触れた後から少しだけ様子がおかしかった。
出会ってからリンカがそこまで動揺するのを見たのは初めてだった。
必死に何かを探り出そうとしていたようにも思えるけれど、小さく何かを言おうとして、何度か小さな口が開閉していた。
あれは、一体――。
小さな物音が聞こえ、隣の部屋だと気が付くより先に体が動いていた。
さっきまで一緒にいたし、リンカ自身の強さも理解している。
だけど、彼女自身がこの町に、刻龍という存在に脅えてもいたのは間違いなく真実。
不安が騒ぎ立て、気持ちが落ち着かない。
リンカのいる部屋のドアを、僕がノックしても返事はない。
幼なじみたちが駆けてくる足音もする。
もう一度、僕は強くノックする。
「リンカ?」
今度は、さっきよりも強く大きく聞こえたはずだ。
「っ入るな!」
強い制止をはらむリンカの声は、反論を許さない。
それに一瞬だけ僕は躊躇したが、奥の焦りの響きとさきほどまでのリンカの不安げな様子が過り、ドアを開けて部屋へ足を踏み入れた。
窓から差し込む夕暮れの弱い光で照らされるベッドで、座ったままのリンカはまっすぐに目の前の影を見つめている。
丁度光と闇の境界線の辺りには丸いテーブルがある。
その側で一瞬だけきらめく紅を見た。
その紅で、僕はようやく気づいた。
テーブルには見知らぬ男がリンカを向いて、座っている。
「こんばんわ。
リンカのお連れさんか?」
よく見れば、黒装束の背中に、光沢のある紅い糸で城で見た刻龍の紋が緻密に、鮮やかに刺繍されている。
「そうだ。
もう用は済んだんだから、出て行け」
リンカは、ベッドに座ったまま微動だにしない。
「随分、面白い顔触れだ」
男は楽しげに笑った。
「おっさん」
リンカの畏怖と嫌悪と恐怖を綯い交ぜにした声に男が嗤う。
声だけでは結構若く、二十代後半ぐらいに聞こえる。
「クラスターの王子。
次期公爵閣下。
それに……姫」
瞳しか見えないのに、僕は萎縮してしまう。
男にはそれだけの存在感があった。
「また来る、リンカ」
「いいから行け」
「例の件、考え直せ。
こちらは本気なんでね」
男は黒い風のように消えた。
「…………………………………………なにあれ……」
僕の視界の端に映る姫は自分の両肩を抱いていた。
さきほどの視線を思うと、僕も凍えるほどの寒さが足元からじわじわと追い詰めてくる。
とても自分たちでは敵わない相手と悟れるのは、王族らしくなく何度もしてきた冒険のためだ。
でなければ、どんな言葉で噛みついていたかしれない。
「刻龍の使いですか」
普段と変わらない平静なカークの声が、この場ではひどく不自然な気がする。
ベッドに座ったままのリンカは、小さく頭を振る。
「あいつは使いなんかじゃ……。
くそっ、こんなに明るいうちに来るなんて」
そうはいっても、もうすぐ黄昏も過ぎる時間だ。
早いというほどではないだろう。
王子とリンカの間を縫って、まっすぐに姫が窓へ向かい、外を確認してから閉める。
窓が姫の手で閉められると、リンカはやっと息をつけたようだ。
「リンカ、大丈夫ですか?
まさか、なにかされたんじゃ」
「んなわけあるか」
反論にいつもの覇気が無い。
彼女の恐れていた畏怖、恐怖そのものが彼か。
僕は歩み寄り、外したマントで小さなリンカを包み、そのまま抱き締める。
身じろぎするモノの、リンカの震える腕に力はほとんど入らない。
こうしてみると、虚勢をいくらはっていても、やはりまだ小さな子供なのだと実感する。
「いいかげんに冗談はやめてくれ、クラスター王子」
「冗談なんか言ったことはありませんよ」
リンカから返されるのは、信じられないという弱々しい光で。
力で押し返して来る腕に僕は素直に押されてやり、マントの中の存在を見つめる。
「本気なら、余計にタチが悪い。
お姫様は取り戻したんだ。
あんたは国へ、家に帰れ」
帰れと言いながら、リンカの瞳は縋り付いてくる。
まだ、彼女の手は小刻みに震え続けている。
「さっきのやつは、誰です?」
いつも、何にも負けまいと虚勢を張っている少女が、これほどまでに本気で怯えるほどの恐怖に半ば確信はあった。
だが、確信するにはあまりに大きすぎる相手であり、違ってほしいという淡い期待で僕は問い掛ける。
「刻龍の……頭領だ」
黒ずくめの隙間から見た瞳を思い出し、僕は納得した。
一瞬目が合ったというだけで、あれだけの恐怖を与える男だ。
刻龍の頭領、それにリンカが震えるほどの恐怖を感じても、不思議はない。
「彼が、何故自らリンカを訪れるんですか?」
リンカが小さく息を呑んだのが分かった。
こちらから接触しようとしているのだから、刻龍の誰が訪ねてきてもおかしくはない。
だが、あえて頭領が出てきて、しかも殺す気もないというのが気にかかる。
僕らが部屋に入った時も、僕らを殺すことなど容易だったはずだ。
それに本当に殺す気で来ていたなら、わざわざリンカだけの部屋を狙い、座って話などしないはず。
「それは、俺がアイツに気に入られちまったからさ」
リンカは躊躇い、一度言葉を切る。
しかし、僕がなにかを言うより先に続けた。
「嫁に、アイツのモノになれ、と、言われている」
笑い出しそうながら、リンカは笑わなかった。
笑えなかったのは、それが本気だと彼女が確信しているからこそだろう。
「恋敵か」
なかなか手強いが、まぁ、そうこなくては。
リンカを狙うやつがいないことのほうが不思議だ。
「そういや、王子と同じだな。
あの男も最初から俺が女と気づいていやがったよ。
俺の意志も聞かずに、二人とも勝手いいやがって」
リンカの声には本当に、まったく、出会った頃からこの町に入る前までにはあった覇気が無い。
「一人に、してくれ」
僕にはリンカの言葉がそのものの意味とは反対に聞こえた。
それに今リンカを一人にしたら、連れ去られてしまいそうで。
「今、もう一度あの男に来られたら困るでしょう。
守ってやるから、安心して眠りなさい」
本当は守られるべきは自分じゃない。
リンカがいなければ、この世界に意味がない。
理由なんか関係ないんだ。
リンカのいない世界は想像することさえ、僕には怖い。
だけど僕が差し伸べた手は、強く押し返された。
「違うだろ。
あんたが守るべきは姫たちであって、俺じゃない」
守りを拒むリンカは、顔を上げようとしない。
「頼むから、一人にしてくれっ」
腕を離れ、そのまま布団に潜り込んでしまうリンカに伸ばそうとした腕は、横から姫に押さえられる。
「引き際も肝心よ」
「ですが」
「あなたがいると余計に安心して眠れないんじゃない?
さっきも襲うかなんかして、殴られたんでしょ」
襲ったことなんて、ない。
ただ安心して欲しいと、自分がいるということを知って欲しかっただけだった。
だが、姫のいうことも一理ある。
今はまだ刻龍の頭領の来訪で、混乱しているのかもしれない。
「何かあったら、すぐに呼びなさい」
聞いているのかわからないが部屋を出る前にベッドと、部屋全体に魔法をかける。
自分の力で刻龍にどれほどの対抗ができるかわからないが、リンカとベッドに守護と防御の魔法を。
守らなければ、そばに置いておけない。
守れなければきっと、一生後悔すると心が警告していた。
ずっとずっと探し続けていた自分の女神を奪われないために、そのために自分は力をつけてきたはずだから。
「余計なことを」
部屋の戸を閉める前にかすかに聞こえたリンカの苛立つつぶやきに、少しだけ安堵して、僕はその扉を閉めた。