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Routes 1 -リンカ-  作者: ひまうさ
本編
1/33

1# よくある導入劇

 緑の生い茂る小高い丘には、人ならざる物が棲むという。

 でも噂はあくまで噂と、ある旅人が一度だけ近づいてみた。


 実際、そこはただの古い城だったという。

 青空に溶けそうな、存在さえも薄れそうな石造りの城は、本当にいわゆるよくある古城だった。


 風が吹くと更々と崩れた石の欠片が流れ、中は埃だらけの蜘蛛の巣だらけ。

 しかし、刃物で傷つけた痛々しい傷が石壁に浮かび、誰もいないのに誰かのいる気配がして、不気味なことこの上ない。

 何よりこの城の空気が不快で、旅人は城を離れた。


 城と町との間に深い緑の森があるゆえに、古城はその荘厳さと不気味さを引き立たせている。

 近隣の町々の人はそこを恐怖し、幽霊城と呼んでいた。




――が、これはそういう話ではないし、今はそういう場合ではない。

 なにしろ、その古城近くに自分はいるのだから。




「城に兵が出入りするようになったのは、何時からなんですか?」


 ぴりぴりとした緊張を逆なでする、のんびりとした問い掛けに俺は頭を抱えた。


 問い掛けてきたのは軽装だが、明らかに貴族な雰囲気を隠そうともしない、声同様にのんびりとした空気を纏う男だ。

 陽光に透ける細い金の髪は長く、一本に編んであるし、細められた瞳の奥はペリドット石の瞬きを柔らかく収めている。

 両の耳には深みのある青と緑のピアスが光を飛ばしているし、悔しいことに両方ともが白すぎる彼の肌によく馴染んでいる。

 しかもその上、上等のくすんだ緑のマントを羽織り、隙間からは二藍のくすんだ青緑が覗いている。

 マントの下の体格はおよそ頼りない細さ。


「昨日の夜言ったろ?

 大体一ヵ月位前からだよ」


 薄汚れたチャコールのキャスケット帽の下から男の様子を見て、俺はまた深くため息をつく。


 身分の違いとかそういう問題ととっていいのかわからないが、俺の着ているのは着古したぼろのシャツと鈎裂きだらけの灰色のオーバーオールだ。

 しかも全部が全部、貰い物。


 他人と自分を比べるなんて愚かなことと知りつつも、こののんびりとした男を相手にすると別だ。

 何も考えずに、ただのうのうと暮らしてきたようなヤツが、俺より上等の物を着ていると思うと、理不尽に腹が立つ。


「で、どうやって入りましょうか?」


 予想されていたとはいえ、嫌になる。

 これで金づるじゃなかったら、とっくに有り金騙し取って放り出しているところだ。


「まず、あんたの案を聞いておこうか」


 ゆっくりと振りかえった先で、男は嬉しそうに頷いた。

 嫌な予感は、もっと前からしていたんだけどな。


 男の名は、ディルファウスト・ラギラギウス・クラスター。

 西の大国の王子で、実は今のところの高額賞金首である。

 存在そのものが金づるでなければ、誰がこんな男と行動を共にするものか。


 話を持ってきたのは、王子の方からだった。


 古城と森を挟んで少ししたところに、あまり大きくない宿場町がある。

 必ずしも滞在しなければならないというほどの重要ポイントではないが、風がよく通る、人も町もすっきりとした良い場所だ。

 あまり大きくないので、宿屋も酒場も一続きで一軒しかない。

 そこで俺は約一年半、世話になっている。


 もともと短気は自覚しているが、その日はことさらに機嫌が悪かった。


 絡まれるのも日常茶飯事だったけど、その日は特別。

 剣を抜いて切りかかってくる剣術士なんて、そうはいない。

 しかもどこかの紋章を引っさげて。


 傭兵の中には剣術士が多いとはよく聞くが、一国に仕える者となるとどうしても質が落ちる。

 下っ端の兵士となると剣術見習いと云って趣味程度の腕しか持っていないし、そのまま仕える物が大半なので一応の形として剣術士と呼ばれはするが、大した腕ではない。

 下手をすると傭兵の方が強かったりする。

 剣で身を立て続ける者はより優れた技を目指して国を離れてしまうし、現在の所、本当の剣術使いというのは一国に一、二人しかいないと囁かれている。

 ランクから云うと剣術見習いが一番弱く、剣術使いが強いということになり、剣術士はその中間だ。

 一般にそう広まってはいても、子供なら彼等は楽勝だと踏んで絡んできたのだろう。

 が、世の中そう上手くはいかない。


 剣を使うだけが戦いじゃないし、喧嘩は頭と拳でするもんだ。

 そういうのが拳闘士と呼ばれる者達で、接近戦を得手とする。

 身一つで始められるので誰もが一度はかじるが、剣に目覚める者も少なくない。

 そんなワケで、あまり本当に拳闘士と呼ばれる者は少ないのだが、本物は剣術使いにも引けを取らない技と攻撃力を誇る。


 俺が持っているのはそんな技なわけで、当然、俺の圧勝だった。


 しかし、あまりの弱さに中途半端に力が余ってしょうがない。

 どこかに発散させる場はないかと食堂で食べながら考えていた。


 そこに、あらわれたのがこの王子だった。


「あの、相席いいですか?」


 夕食には早過ぎる時間にがらんとした食堂で、そう切りだしてきた。


 紳士的な態度というよりも、警戒心皆無な笑顔で胡散臭い男だ。

 金持ちの青年貴族が物見遊山でもしているかのような格好で、金髪碧眼の美丈夫。

 その上、どこぞの王子の彫刻張りの容姿ときては、この小さな宿場町ではかなりの人目を引く。

 町に入った時にはもう噂が駆けぬけ、当然俺も聞いてはいた。


 まさか、本人が話しかけてくるとは思わなかったけれど。


「いいぜ。

 あんたがメシ奢ってくれんならな?」


 挑戦的な瞳で意識して睨みつけ、どうせなら他の空いてるテーブルを使えと暗に示してやる。

 普通なら、俺みたいな子供にそんなことを言われて、大人しく相席するヤツなんかいない。

 俺はどう見ても十三歳ぐらいだし、実際に十三歳だ。

 王子もどう若く見積もっても五つは上だろう。

 プライドってヤツが邪魔をして、喧嘩にはならないはずだし。


 このもって生まれた計算高さのおかげで生き延びているから、狂いはない。

 そういった自信を王子は見事に覆した。


「交渉成立、ですね」


 にっこりと微笑んで俺の前に座り、あっけに取られている間にウェイトレスを呼びつけて注文しだす。

 すでに顔馴染のウェイトレスがかすかに頬を染める姿に驚いて、掬ったスープが逃げ出していることも気がつかずに俺はスプーンを口に運ぶ。


「貴方は、何にしますか?」


 問い掛けながら振り向いた王子は余裕の笑みをたたえ、俺はどんな顔をしていいやらわからなくて、スプーンを口に咥えたまま男を観察した。


 どこかで見た顔かと首をひねる。


「メニュー上から下まで全部」

「え!?

 リンカ、そんなに食ったら腹壊すわよっ」


 ウェイトレスが慌てていう様子に、俺は冗談だと笑って応える。

 目の前の男は俺がいっていることを理解しているのかいないのか、それともそれだけ財布に余裕があるのか、まったく表情を変えずに笑んだままだ。


「ま、いつもの頼むわ」

「あいよ〜。

 じゃ、おにーさん、またね」


 へらへらとした男に頬を赤らめて小さく手を振る彼女に、相手も変わらない笑顔のまま手を振りかえす。


(なにをしているんだ、なにを)


 彼女が厨房に走りこんでいる姿を視線で追いながら、俺はスープをまたひと掬い。

 さっきのウェイトレスの様子からして、たしかに格好良いのだろう。

 俺にはさっぱりわからないが。


「リンカさんというんですか、あなた」


 この笑顔がなんだかどうしようもなく胡散臭い。


「そうだけど、何?」

「いいええ」


 この変わらない笑顔がなにより嘘臭い。

 頭のどこかで信用するなと警告されている気がする。


 音をたてて、スープを飲み干したところで料理が運ばれてくる。

 気になることは多いけれど、せっかくのおごりだ。

 美味しく食べなきゃ罰が当たる。


「この町に他にリンカって名前の人は?」

「俺だけだよ」


 手と口を忙しく動かす俺と大差ないスピードで、目の前の料理を片付ける男。

 その仕草の端々に気品のような物を感じて、俺はまた心の中で毒を吐き出す。

 いやみだったらねぇや。


 たった一度のその質問の後、料理がほとんど片付くまで、男は無言で食べ続けた。


 無言でかつ優雅な仕草に、周囲からため息が聞こえてくる。

 そんなにイイ男かねぇ。

 こんな弱そうなのが。


「あんた、俺に用事なんか?」

「……たぶん」


 なんだ、その苦笑は。


「貴方の腕を見込んで、頼みがあります」


 まだ食事中の俺の前で、食後のホットドリンクを優雅に傾ける。

 やっぱり、嫌なヤツだ。


「俺の腕?

 あんた、見たことあったか?」

「直接ではないですけどね」


 この男がここに来たのは今日。

 で、一番最近俺が喧嘩した相手といえば、――あの剣術使いの関係者か。


「依頼を受けるかは、先に話を聞いてから決めてください」


 また、ふわりと微笑む。

 ほらな、やっぱり信用ならない。

 さっきから同じ愛想笑いばかりで、本心が見えない。


 初対面なのだから仕方がないと思っても、拭いきれない予感を振り払い、口元だけ笑んで返す。


「いやだね」


 ほんのわずかに男の表情が固まるのを横目で見ながら、暖かなスープの中の肉を掬い取る。


「名前も名乗らんヤツの話なんか、聞く気しねぇよ」


 しかし、依頼者は大切に、だ。

 どうみても大金をもってそうな餌を他に回してやる気はない。


 男は困ったような顔であたりを見まわす。

 つられて食堂を見回すと、いつのまにやら誰もいないが、そこら中から気配はしている。

 殺気はないのでその点の問題は不用のようだが、好奇の視線を感じる。

 噂の渦中の人物がいるせいとはいえ、面白くはない。


「これは、失礼しました」


 小さく何か呟くのがわかったけれど、男はそれに対して何の説明もいれずに続けた。


「僕はディルファウスト・クラスターといいます。

 ディルと呼んでくださいね」


 人の気配はあるが、騒ぐ声は聞こえない。

 一般に魔法というやつである。


 正式には術式制御者と云い、簡易・中等・高等の三段階に分けられる。

 これは生まれた時から持っている魔力というやつの容量がないとなれない特殊な技能だ。

 簡易術式制御者の俗名は見習い魔法士で、けっこうどこにでもいたりする。

 中等術式制御者は魔法士と呼ばれ、大体の術式をこなすことは出来るが、魔力を引き出すために術式がものすごく長くなりやすい。

 そして、高等術式制御者。

 これは魔法使いと呼ばれ、大陸に十人いるかいないかといわれるぐらい希少だ。

 詠唱を簡略化しても魔法士と同等の威力が出るというし、新種の術式を開発するのも彼らだ。

 もしかすると、この男、魔法士なのかもしれないと、俺は考えかける。


「俺はリンカ。

 ただのリンカだ」


 名乗りは儀式のような物。

 名前があって、名前を呼ぶことで、初めてそこに在るということになる。


 名前に聞き覚えがあって、俺は仰け反った椅子から落ちそうになった。

 ディルファウスト・クラスターなんて、そうそう多い名前じゃないし。

 そう頻繁に聞く名前でもない。


 第一、こんな小さな町なんかで聞く名前じゃない。


「あんた……」

「名乗りましたから、聞いてくれますよね?」


 勝手に話し出す姿を呆然と聞き流しながら、思い出したのは。


 一枚の紙切れ。


 高額の賞金首は一般に出回らない。

 というのも、そういう物はすべてある団体が引き取ってしまうからだ。

 裏の世界では暗黙の了解となっているそれを、俺は属さずして知れる時があった。

 その一枚に彼の似顔絵があった。


「あの〜聞いてますか?」

「聞いてる聞いてる。

 続けてくれ」


 高額の割に誰もが手を出すのを躊躇する男が、こいつだ。

 西の大国クラスターの第一王位継承権を持つ王子。

 噂に踊らされるのが人の常とはいえ、実際にそのとおりであることは少ない。


(まさかな)


 心の中で疑惑を打ち消して、俺はドアの方をちらりと見る。

 そこで丁度、新たな料理が鼻に良い香りを運んでくる。

 俺の前には肉料理で、王子の前には暖かなカップ一つ。


「ホントに聞いてますか?」

「聞いてる聞いてるって」


 何はともあれと嬉々として野兎の土鍋蒸しを口に入れる。


「要約するとだな、幽霊城に婚約者のお姫さんがとっつかまってるから助けろってことだろ。

 本当の話か、それ?」


 左手の肉用ナイフを振りながら疑惑の目で聞き返すと、王子はカップを持って真剣に頷き返してくる。


 こうみると噂の真偽の程は測れない。

 数多の刺客を返り討ちにしているとか、刺客のアジトに乗り込んで壊滅させたとか、捕まえた刺客で魔法実験を行っているとか、実は大陸でも有数の魔法使いだとか。

 恐ろしげな物から女子供が胸をときめかせそうなエピソードまであるから、まさにピンキリ。


「それを聞いてどうすればいいんだ、俺は?」


 今、俺に言えるのはこいつがとても世間知らずで騙しやすそうだということくらいだ。


「それでですね、腕の立つリンカさんに手伝っていただきたいんです。

 お願いできませんか?」


 顔は極上だが中身は最低、と勝手にランクを付けて笑んで返す。


「いいぜ」

「わぁ、ありがとうございます〜」


 張りついた笑顔をとたんに輝かせる王子に俺は畳み掛ける。


「なに、ただとはいわない。

 まず、前金で五千オールな」


 このリンカの腕を安くみて貰われても困る。

 そこらの国に仕える剣術使いに簡単に負けてやるような人間じゃない。


 しかし、この二階建て地下付きの屋敷一つ買えそうな金額に、王子は困ったようにするだけだ。


「え〜、今、ちょっと持ち合わせが……」


 これだから、金持ちは。

 だがしかし、ここでこの客を逃がすと金づるが逃げる。


「じゃ三千」


 しかたない。

 地下は諦めるか。


「だから持ち合わせが……」


 こんぐらいもっとけよ、王子なんだから。

 という言葉を寸での所で飲みこむ。

 正体を俺が知ってると知ったら、仕事が終った後の引渡しが面倒だ。


「二九八〇」

「二千」

「二八五〇」

「二五〇〇オールだったら、なんとかなりそうなんですが」


 交渉の途中で思い出したように、手元の指輪を一つ引き抜く王子を、つい呆気に取られて見てしまった。


 動作が必要以上に洗練されているなんてことは、この際関係ない。


「これで代用、できますよね?」


 ただの宝石じゃない。

 かなりの大粒のラルク石がはめられた指輪だ。

 ラルク石は一見、ガラスと見間違うことも少なくない。

 しかし、一筋の光が虹色に分裂し反射する様は、まさに輝石中の輝石。

 粒が大きいほど、その価値は上がり、場合によっては数億単位で取引も可能である。


 王子の出した指輪は市場価格なら二五〇〇ぐらいだが、オークションにかければ二万オールは固い。


「いや〜おにーさん話わかるねぇ」


 交渉成立して、そのラルク石のはまる指輪を差し出したまま、王子はあの笑顔のまま続ける。


「もちろんですよ、危険手当込ですからね〜」


 噂、すこしは信用した方がいいだろうか。


 その後、王子はカップを持って、椅子に座ったままで眠るという器用な芸当と、魔法士としての実力の片鱗を見せたわけだが、それについては後で語ろうか。


 上から被せるように王子のマントが視界を塞ぐ。

 理由は俺の面が城の兵士に割れている可能性が高いからだ。


「汚れるけど、いいのか?」

「汚れたら洗えばいいんですよ」


 なんのことはないというが、普通の王子がそんなこと考えるだろうか。

 不信に見上げる俺を優しい眼差しが見下ろす。


 背筋に何故か冷たいものが流れる。

 嫌な予感がする。


「やっぱり、他の方法にしねぇ?」

「だってリンカさんの方法って、あの城壁を越えるんでしょ?

 そっちの方が目立つし、余計な体力じゃないですか」


 だから、なんで笑ってるんだ。

 この王子は。


 後ずさりかけて、石につまずいた身体を伸びてきた腕が引き寄せて支える。

 見た目以上の力強さに驚き、反応が遅れて、俺は王子の腕の中にいた。


「気をつけないと危ないですよ。

 こんな森の中で怪我したら……」


 近くで聞こえる声に、恐怖する。

 王子にじゃない、自分にだ。


「怪我なんかするかよ。

 こっちは本職。

 日がな一日遊んでる貴族様とは違って、丈夫なんだ」


 なんとか振り払って、森の中を先に立って進む。

 木陰からはかすかに城壁の石色が見えるけれど、目指しているのは裏口だからまだゆっくりと先に進む。

 ザカザカ歩いても気がつく見張り自体がいないんで楽だが、大丈夫なのか、この城は。


「貴族もそれなりに大変だと思いますよ〜」

「王族も?」

「王族も」


 すんなりと帰ってくる返事が苛立たしい。

 早く見えねぇかなぁ、裏口。


「俺よりも?」

「それはわかりませんよ〜。

 僕はリンカさんじゃありませんからね〜」


 マントにつんのめって、転びそうになるのを後ろから何度も支えられる。

 嫌みなクスクス笑いが耳につく。


「僕のマントはリンカさんには大きすぎですね〜」


 身長差を考えるとそれも仕方ないとは思えるが、でも理不尽にむかついてくる。


「あ、キズ……」

「さわんな」


 細い小枝が跳ねた時に掠った部分に、触れて来る手を跳ね除ける。

 からかい気味の視線がうるさい。


「なぁ……。

 呼び捨てでかまわないって、俺、言わなかったか?」


 さっきからそのせいもあって、かなり居心地が悪い。

 その原因の半分は、騙すつもりでいる罪悪感からかもしれない。


「言いましたっけ?」


 王子は白々しく返して来た。


 いや、この顔は白々しくというよりも、本当に聞いていないってところか。

 どちらか判別しがたい笑顔がすべてを隠している様子に、俺はこっそりと舌打ちした。


 とにかくこの仕事を早く終わらせて、引き渡すのが先決だ。


「あ〜いましたね〜」


 また今度は体ごと引き寄せられて、軽々と抱き上げられた。


 マントにすっかり隠されてはいるが、いわゆるお姫様抱っこというやつで、ものすごく恥かしい。

 でも、これが一応の打ち合わせだ。


「失敗するほうに百オール」

「うわ〜最初からそういうことをいいますか」


 王子が小さく呟く音律で、背中がゾワゾワする。

 でも、近くで聞くと何を言っているのかがわかる。


「……風の流転 逆巻きの時計 時間の花よ 彼の混乱を……」


 あの時と同じに、王子の表情が消える。

 風と光をはらんだ髪がかすかに浮かぶ。

 その状態で門に近づくと、無言で兵士が道を開けた。

 殺気も何もなく、なんの警戒もなく、貴人を迎えるように緊張した静けさがある。


 もちろん、王子も王族の威厳を纏っていて、とてもさっきまでの情けない貴族の姿がない。

 比べなくとも一目で王族と納得できる様子に、俺は舌打ちしたい衝動を堪える。


「どうもー」


 危ぶむ耳に、実に楽しげな王子の声が届いた。

 ここはすでに城内だ。

 だが、城の兵士が、俺たちをまったく危ぶまない。


「あの失礼ですが、そちらは……」

「僕の連れだよ」


 ひょっこりと近づいてきた兵士の一人がおそるおそる聞いてくる様子に、俺は体を固く強張らせた。


「でも、そういう報告は……」

「道で拾ったんだ。

 具合が悪いらしくてね、医務室をお借り出来るかい?」

「え、でも……」


「君は、人の命と君への命令とどちらが正しいと思うの」


 驚くほどに静かな声だった。


 強い強制力が働いているのだと、感じる。

 魔法的なのに、魔法でなく、別の力に縛られる。

 そして、兵士もそれは同じだったらしく、緊張が伝わってくる。


 緊張を破ったのは、緩い王子の微笑みだった。


「いえ、僕は別にかまわないんだけどね。

 このご婦人がもし、今医者に見てもらえなかったせいで死んでしまった場合、どうなるでしょうね。

 僕は別に恨みませんが、このご婦人はどうでしょうね。

 人の思いというものは、時々びっくりするようなことが起きますから。

 たとえば、ミレイユ公の屋敷――」

「わ、わかりましたっ医務室はそこの角を曲がってすぐですから、急いでください!」


 悲鳴のように叫んで、兵士は行ってしまった。


 王子は俺を抱えたまま、静かに歩き出す。


「誰が、ご婦人だって?」


 気配がなにもなくなってから、低く唸る。

 城の内部は平和そのもので、混乱もなにも起きていないように思える。

 噂のような嫌な感じは受けないし、鳥のさえずり、木の葉のさざめき、午後の穏やかな空気に包まれている。


「とりあえず、医務室に知人がいるんで、先に行きましょうか〜」

「とりあえず、こんな元気なご婦人はいねぇと……なんだって?」


 今、医務室に知人がいるとか言いやがらなかったか。

 この王子は。

 さっきから変だとは思っていたが、もしかして、こいつの知り合いの城なのか。

 面が割れていて、どうしてすんなり入れるんだ。


 疑問が一気に押し寄せて、本当に気分が悪くなってくる前にひとつだけ恐る恐る口にする。


「あんた、ここにきたことあんのか?」


 返って来たのは、やはりのんびりとした笑い声だった。


「ないですけど〜でもどこも結構似たような造りですし。

 第一、こんな小さな家で迷いませんよ」


 城でなく、家。

 このレベルで家なのかよと、こっそり歎息した。


 あーもう早くこの仕事終らせたい。


 来たことがないといいつつも、王子はザカザカ勝手知ったる庭のごとく、戸惑いもせずに進んで行く。

 揺られているのはすごく心地好くて、俺はそれだけですごく眠くなってきてしまう。


 夜の闇で俺はあまり眠れないから、時たま昼間に急に眠くなってくることがある。

 周期的というわけでも周期的でないともいいきれないし、期間を考えたこともない。

 ただ唐突に訪れる睡魔に、俺はいつも無駄に足掻く。

 開閉する瞼を笑う声が通り過ぎる。


「眠いんですか?」

「眠くなんかねぇよ……」


 本当に、早くこの仕事を終らせないと。


「もう少しで着きますからね」


 耳に心地好い、優しいささやきだった。


 宿屋の女将とは違う、ひどく落ちつく声。

 男の低い湖畔の響き。


「……あんた、魔法使いか」


 言葉の後に続いた響きが、何故か急に意識を覚醒させる。

 魔法的な響きは優しく甘いけれど、いつも覚醒の引金となる。

 物心ついた時から持っている、体質だ。


「そうですよ」


 振動が止まった。


 見下ろす顔は、柔らかな物腰の平和ボケしてそうな金髪碧眼の青年。

 その顔が少し驚くように歪む。


 何をしようとしていた、この王子は。

 さっきの呪文は、何の呪文だ。

 なんのために俺を、眠らせようとしていた。


「降ろせ」


 低く唸る声が別の言葉に遮られる。


「――相似の楔 虚偽の残像 対なす形よ 彼の道を開け――」


 朗々たる言葉が響いてくるその後で、鍵の開く音がした。


 これで今日彼が魔法を使うのは何度目だ。

 そんなに使っているのにまったく息も乱れず、少しも疲れた様子がない。

 ただの魔法士ならば、多少息切れてもおかしくないはずなのに。

 そんなことが急に恐ろしくなって、俺はもう一度言った。


「降ろせ」


 声に混じる怯えが悟られないといいんだけど。


 返ってくるのは先ほどからまったく変わらない、のんびりとした声だ。


「おや〜、いないみたいですね」


 残念といいたげに、口を尖らせて。

 なんなのだ、この王子は。

 それとも貴族ってのはみんなこんなんなのか。


「降ろせって」


 床ではなく、少し柔らかいものの上にそっと降ろされる。

 軽いスプリングの効いた真っ白なベッドの上だと気がついた時、俺はとっさに手を伸ばしていた。


 掴みかけた王子の腕から手をひいて、さっと窓に飛び乗る。


 なに、しようとしてんだ、俺。


「じゃ、俺はお姫さん探してくるから」


 返事も聞かずに庭の木々に飛びこんだ。

 あの王子は危険だと、警告が聞こえる。

 何よりも王子の目の届かない場所に行ってしまいたかった。


 そして、俺は何をしようとしていたんだ。

 何も出来ない子供のように、あの王子に縋りついて、何を求める気だったのか。


「捕われの姫君は搭の中〜ってな」


 動揺を押し隠すように、俺は空を仰いだ。


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