遺品のビデオカメラに映る死者
これは、アパートで一人暮らしをしている、ある男子学生の話。
その男子学生は、親元を離れてアパートで一人暮らし。
学校での成績は良くも悪くもなく、
毎日、学校とアルバイトで忙しくしている。
両親は別のマンションに、祖父は実家の一軒家に、
それぞれ別々に住んでいる。
先日、その祖父が急死した。
祖父は頑固者で、祖母に先立たれた後は、
自分より年下の息子夫婦に面倒を見られるほど耄碌していない、
などと言い張って、父親の実家で一人暮らしをしていた。
祖父は祖母と遅い結婚をして、
それまで一人暮らし生活が長かったこともあって、
一人で生活することには慣れたもの。
大きな病気もせず、生活に不便は無いようだった。
しかし、誰しも寄る年波には勝てないもので、
母親がいつものように惣菜を持って実家を訪ねたところ、
倒れている祖父が見つかったのだった。
葬儀というのは兎角、手間も時間も掛かるもので。
その男子学生と両親は、悲しむ間もそこそこに、
祖父の葬儀の準備と後始末に奔走することになった。
それらがようやく落ち着いて、
数日が経った今日。
アパートに戻ったその男子学生の元に、母親から小包みが届けられた。
小包みを開けると中には、古い切手帳や万年筆などが入れられていた。
どうやら、祖父の形見分けを、適当に見繕って送ってくれたようだった。
その男子学生は、祖父の遺品を手に取って懐かしそうに眺めた。
「これ、爺ちゃんが使ってた万年筆だ。
子供の頃、勝手に弄ってインク塗れにしたことがあったっけ。
こっちは爺ちゃんの愛読書、あの有名作家の初版本だ。
昔は難しすぎて理解できなかったけど、
今読んだら理解できるかなぁ。」
そうして箱の中を弄っていると、何やら重たい手触り。
何事かと手に取ると、箱から小振りの機械が姿を現す。
レンズが付いた片手サイズの機械だった。
「何だろう、この機械。
これ、ビデオカメラかな。
随分古いタイプのものみたいだけど。」
それは、ビデオテープに記録する方式の、
古いビデオカメラだった。
動画を撮影するレンズとカメラ、それを記録する小型のビデオデッキ、
それと撮影した映像を表示するための小さな画面が付いている、
手のひらに辛うじて収まる程度の大きさの機械。
試しにデッキを開けて中身を確認すると、
小さなビデオテープが入ったままになっていた。
「ビデオテープが入ってる。
何か撮影されてるかも知れない。
せっかくだから、再生して中身を確認してみるか。」
ビデオカメラの巻き戻しボタンを押す。
キュルキュルとビデオテープが巻き戻る音が聞こえて、
やがてカチッと音がして止まると、先頭から再生が始まった。
祖父の遺品のビデオカメラ。
その中にはビデオテープが入れっぱなしで、
その男子学生は再生して中身を確認することにした。
ビデオテープを巻き戻して、頭から再生する。
すると、ビデオカメラの小さな画面に、何やら映像が映し出され始めた。
まずは、こたつで湯呑に口をつけている老婆の映像。
撮影されているのに気が付いて、恥ずかしそうにしている。
不鮮明な映像ながら、その男子学生は老婆の顔に見覚えがあった。
「これ、亡くなった婆ちゃんかな。
僕が小さい頃に亡くなったから、あんまり覚えてないけど。
昔の映像なのか、記憶よりも若い感じがする。」
次は、庭で嬉しそうに駆け回る犬の映像。
「この庭、爺ちゃんの家の庭だ。
そういえば、爺ちゃんは犬を飼ってたっけ。
遊びに行った時によく触らせて貰ったな。」
さらに次は、赤ん坊を抱えた夫婦が楽しそうにしている映像。
母親らしき女が、カメラに向かって赤ん坊を差し出し、
カメラを構えているらしい人物が、赤ん坊をおずおずと受け取る。
入れ替わりにカメラが女に手渡されて、画面がぐるっと回る。
すると今度は、赤ん坊を危なっかしく抱きかかえる老爺の姿が映った。
その老爺の顔を、その男子学生はよく知っている。
「これ、亡くなった爺ちゃんだ。
するとやっぱり、この夫婦は若い頃の僕の両親なんだ。
赤ん坊はきっと、生まれたばかりの僕なんだろう。
父さんも母さんも、この時はまだ若かったんだな。
でも、爺ちゃんはあんまり変わって見えないな。
お年寄りはそんなものかな。」
懐かしさと物珍しさで、
その男子学生は黙々とビデオ鑑賞を続けた。
祖父のビデオカメラの映像は続く。
赤ん坊がお風呂に浸けられて、顔をくしゃくしゃにしている映像、
少し大きくなって、幼児が犬と戯れている映像、
孫が生まれてからは、ビデオ映像の主役は孫になったようだ。
家族団欒の映像は微笑ましく、
それを見ているその男子学生も知らず笑顔になっていた。
しかし、そんなビデオ映像に異変が起こる。
「何だ?どうしたんだろう。」
それは、犬小屋で眠っている犬を撮影している時だった。
犬の周りをぐるぐると撮影している映像が突然、落下した。
画面が横倒しになって、庭の犬小屋を映している。
すると、犬が何かに気が付いて、画面の方へ駆け寄ってきた。
犬が吠えて駆け回り、蹴飛ばされたカメラの向きが変わる。
そこには、胸を抑えて倒れている祖父の姿があった。
倒れている祖父は身動きしていない。
そうこうしている内にビデオ映像はぷっつりと途切れ、
後には白黒の砂嵐が映し出されるだけになってしまった。
その男子学生は沈痛な面持ちになる。
「これはきっと、爺ちゃんが亡くなった時の映像だろう。
爺ちゃんは亡くなる直前まで、このビデオカメラで撮影をしていたんだ。
もちろんこれは過去の記録だから、倒れている爺ちゃんに何もできない。
ごめんな、爺ちゃん。」
撮影する本人が亡くなってしまったのだから、ビデオ映像はこれまで。
そう思って電源を切ろうとした時、
砂嵐だった画面に、変化が起こった。
画面が真っ暗に塗り潰される。
何も映ってないようで、何か動いているような感覚。
どうやら、暗い場所で撮影しているようだ。
やがて目の前が開いて、視界が少し開ける。
相変わらず薄暗いが、それでも多少は視界が開けている。
今までは長細い箱の中に入っていて、
今度はそれを仕舞ってある棚のようなものの中に出たようだ。
這うようにして映像が動き、棚の観音扉を内側から開いて外に出た。
外は夕闇で、後ろを振り返ると、厳かな装飾の車が止まっていた。
その男子学生は眉を顰める。
「これって霊柩車、だよな。
するとこの映像は、霊柩車の中から出てきたってことか?
霊柩車って遺体を運ぶ車だよな。
そんな映像、どうやって撮影したんだろう。
もしかして、映画の撮影か?
いや、それよりも・・・」
このビデオを撮影した人が今まで入っていたのは、霊柩車の荷台。
霊柩車の荷台と言えば、乗せるものは棺桶と決まっている。
つまりこの映像は、霊柩車に乗せられていた棺桶の中から、
外に出るまでの映像ということになる。
しかし、それよりも。
それよりも、もっと気になることがある。
このビデオテープには、祖父が倒れる映像が映っていた。
祖父はそのまま亡くなったのだから、
誰もこのビデオカメラを触っていないはず。
形見分けとして自分のところに送られて来たのだから、間違いないだろう。
形見分けの品を、その前に詳しく触ってしまっては台無しなのだから。
では、祖父が倒れた後の映像は、誰がどうやって撮影したのだろう。
その男子学生が考え込んでいる間も、ビデオ映像は続いている。
霊柩車から出てきた映像は、人気がない住宅地を歩いていく。
ゆらゆらよろよろと歩いている映像は、その男子学生にはどこか見覚えがある。
「これ、うちの近所か?
この建物の形には見覚えがある。
じゃあ、この映像が向かってる先は・・・。」
胸騒ぎがする。
映像は商店街や学校の前を抜けていく。
しかし妙なことに、ビデオ映像には他の人の姿がどこにもない。
人通りが多いはずの場所でも、人っ子一人映っていない。
無人の町を、ビデオ映像はゆっくりゆっくりと進んでいく。
その風景は、ますます見覚えがあるものになっていく。
それは確信になりつつあった。
「このビデオ、僕のアパートに向かってるのか?」
ビデオ映像に映る空は、ますます夕闇が深くなっていく。
それは丁度、現実の今と同じくらいの時間帯。
ビデオ映像はとうとう、その男子学生のアパートの前までやってきた。
その男子学生は、ビデオ映像を食い入るように見つめながら、
喉をごくりと鳴らした。
ビデオ映像は階段を一つ一つ、ゆっくりと上っていく。
廊下をゆっくりと歩いて、その男子学生の部屋の前までたどり着いた。
するとその時、現実のその男子学生の部屋で、
玄関の呼び鈴が鳴らされたのだった。
祖父の遺品のビデオカメラに映されていた映像は、
霊柩車の棺桶から出て町を進んで、
その男子学生のアパートの前にまでやってきた。
すると、それと同時に、
現実の部屋の呼び鈴が鳴らされたのだった。
その男子学生は思わず飛び上がりそうになった。
それから汗の雫を一筋垂らして、玄関を振り返った。
「まさか、このビデオを撮ってる誰かが来た、
なんてわけじゃないよな。
ビデオカメラもテープもこの部屋の中にあるんだから。」
恐る恐る玄関へと向かう。
ドアスコープから外を覗くが、そこには誰の姿もない。
玄関の扉をそっと開けて外の様子を伺うが、
やはりそこには誰もいなかった。
その男子学生はほっと胸を撫で下ろす。
「なんだ、誰もいないのか。
きっと、いたずらかセールスか、
それか応対に出るのが遅くて帰っちゃったんだろう。」
安心したのも束の間、部屋の中から電話がけたたましく鳴り響いた。
慌てて部屋の中へ電話を取りに戻る。
「今度は何だ!?
電話だなんて、どうしてこんなタイミングで。
もしもし!」
もしや、あの世からの電話かと考えたが、それは違った。
電話の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた声だった。
「もしもし、あたし。お母さんよ。
お爺さんの荷物を送ったんだけど、ちゃんと届いた?」
「・・・なんだ、母さんか。
脅かさないでくれよ。」
電話の主は、マンションで暮らす母親だった。
どうやら、送った荷物の確認の電話を寄越したようだ。
安心したその男子学生に、電話口の母親が文句を言う。
「なんだ、とは失礼ね。
心配して電話したのよ。」
「いや、実はさ・・」
その男子学生は母親に事のあらましを説明することにした。
祖父の遺品の中から、古いビデオカメラが見つかったこと。
入れっぱなしのビデオテープを再生すると、
霊柩車の棺桶の中から始まって、
その男子学生のアパートの前まで続く映像が映っていたこと。
一部始終を説明し終わって、
その男子学生は改めて母親に尋ねた。
「爺ちゃんが映画の撮影をしていた、なんてことはないよね?」
母親は考えながら応える。
「お爺さんが映画の撮影?
私は聞いたことが無いわねぇ。
お爺さんはお父さんに似て多趣味な人だったけれど、
さすがに自分で映画の撮影をしたことは無いと思うわよ。
せいぜい、そのビデオカメラで家族を撮影するくらいかしら。
あなたが生まれてからは、あなたと犬を良く撮っていたわね。
私、機械のことはよく分からないから、
そのビデオカメラはあなたのところに送ったのよ。」
「じゃあまさか、亡くなった爺ちゃんが、
棺桶から出てきて歩き回ってるなんてことは・・」
「そんなの、あるわけないでしょ。
お爺ちゃんが火葬されたのを、あなたも確認したでしょう。」
その男子学生の突飛な話は、母親に一笑に付されてしまった。
頭を掻きながら応える。
「だよなぁ。
じゃあこのビデオ映像は、爺ちゃんが亡くなった後で、
誰かが何かの都合で近所を偶然撮影していただけか。」
しかしそれでは、
祖父が亡くなった後に、祖父のビデオカメラで、
このビデオ映像を撮影していたというのは、果たして誰なのか。
新しい疑問が浮かんでしまう。
考えていると、母親が逆に質問してきた。
「ああ、そうそう。
ビデオカメラで思い出したのだけれど、
お爺ちゃんが倒れた時、飼っていた犬がいなくなってたのよ。
どうも、誰かが首輪を外したみたい。
お葬式の準備で忙しくて、しっかり探せなかったのよ。
あなたのところに行ったりしてないわよね。」
「あ、ああ。
来てないと思うよ。」
「そう。
じゃあ犬は、今どこにいるのかしらね。
他所の人に迷惑を掛けてないと良いのだけれど。」
結局、このビデオカメラの映像が何なのか。
誰がビデオ撮影したのか。
何も分からないまま、
母親と他愛もない話をして、電話を切ってしまったのだった。
母親との電話を切って、ほっと一息つく。
このビデオカメラの映像は何なのだろう。
そんなことをおぼろげに考えているその男子学生の視界の隅に、
床に転がったビデオカメラが映っている。
それに気が付いて、
はっとその男子学生がビデオカメラを見直す。
いつの間にか、ビデオ撮影モードに入ってしまっていたらしい。
ビデオカメラの画面に撮影中を示す表示がされていた。
「いけね。
さっきの拍子にビデオ撮影ボタンを押しちゃったみたいだ。」
ビデオ撮影を停止して、電源を切ろうとして、
ふと予感がして、ビデオカメラを見直す。
巻き戻しボタンを押して、
今撮影したばかりのビデオ映像を再生してみる。
ビデオ映像を再生してみると、まず横倒しになった映像が映った。
どうやらその男子学生が玄関の呼び鈴に驚いて、
床に置いていってしまったからのようだ。
カメラの向きは偶然なのか、玄関の方を向いている。
それから、カメラの前を横切って、
ビデオ映像の中のその男子学生が玄関へ向かっていく。
こわごわと玄関を開けて、外の様子を伺っている。
それから、部屋の電話の音に呼び出されて部屋へ戻ってきた。
それでもビデオカメラは撮影したままで、
開けっ放しの玄関の様子が映っている。
すると、玄関の外、アパートの廊下では、
白装束を左前に、わらじを履いた老爺が、
ぼんやりと立ち尽くしていたのだった。
その男子学生が玄関の確認をする間、
置きっぱなしのビデオカメラは、ビデオ撮影モードになっていた。
その男子学生は、ビデオ映像を再生して、
そこに映っているものから目を離すことができなかった。
何度見ても玄関に、白装束の老爺が立っていたのだった。
慌てて現実の玄関を確認するが、そこには誰もいない。
ビデオ映像とは違って、玄関の扉もちゃんと閉まっている。
それは先程も確認したことだった。
「このビデオに映ってる人影は何だ?
玄関には誰もいないのを、確かに確認したのに。」
ビデオ映像はまだ続いている。
玄関でぼんやりと立ち尽くしていた老爺が、ゆっくりと部屋の中に入ってくる。
部屋の中に入ってきた老爺が、床に横倒しになっているビデオカメラを掴む。
顔がカメラに近付いて、その人相が確認できた。
「これ、爺ちゃんだ。
間違いない。
表情が無くて分かりにくかったけど、亡くなった爺ちゃんだ。
もしかして、亡くなった爺ちゃんが何かを伝えようとしてるのか?」
そんなことが起こるわけがない。
そう思うのだが、一方で、
このビデオカメラの映像は確かに存在している。
ともかくも、ビデオ映像を確認しなければ何も分からない。
撮影されているビデオ映像の先を見てみる。
ビデオ映像の中でビデオカメラを掴んだ祖父は、部屋の外へ出ていく。
ゆらゆらよろよろとした足取りで、住宅地を歩いていく。
やがて、近所のお寺にたどり着いたところで、
映像がぶちっと途切れてしまった。
ビデオカメラが勝手に何某かの動作をしている。
それを見て、その男子学生が渋い顔になる。
「しまった、ビデオテープが終わったみたいだ。
ビデオテープが終端にきたら、それ以上は撮影できないんだ。」
つまり、ビデオテープが終端になってしまったせいで、
ビデオ撮影が自動的に終了してしまったらしい。
途中で終わってしまったせいで、
ビデオ映像の中の祖父が何を伝えたかったのか、
確認することはできなかった。
キュルキュルと巻き戻るビデオカメラを見つめながら、その男子学生は呟く。
「でも、爺ちゃんが向かった先は確認できた。
あれはきっと、このアパートの近所のお寺だろう。
きっとそこに何かがあるんだ。
せっかく爺ちゃんがこうして伝えようとしてるんだ、調べに行ってみよう。」
そうしてその男子学生は、
ビデオ映像を頼りに、近所の寺へ行くことにした。
ビデオ映像と同じ夕闇の中、近所を歩くことしばらく。
その男子学生は、
祖父のビデオカメラを片手に、
ビデオ映像の中の祖父が示す寺へとやってきた。
寺の外観とビデオ映像を突き合わせて確認する。
「うん、
ビデオの中の爺ちゃんが来たのは、このお寺に間違いないはずだ。
でも、ここに何があるんだろう。」
この寺は祖父の遺骨を埋葬した寺とは別。
近所ではあるが、その男子学生には縁がない場所のはずだった。
では、ビデオ映像の中の祖父は、何を伝えたかったのか。
丁度、箒で掃き掃除をしている坊主を見つけて、
話を聞いてみることにした。
その男子学生がお辞儀をしているのに気が付いて、
坊主は柔らかい笑顔で応じる。
「おや。
お若い方がこんな場所にお越しとは珍しい。
御参拝ですか。」
その男子学生は説明に困って、しどろもどろに話す。
「あ、いえ、違うんです。
ちょっとお聞きしたいことがあって。」
「ほう、何でしょう。
私が当寺の住職です。
お話がおありでしたら伺いましょう。」
そうしてその男子学生は、住職に事情を説明した。
亡くなった祖父の遺品に、古いビデオカメラがあったこと。
そのビデオカメラの中のビデオテープには、
棺桶から出てアパートの玄関までやってくるビデオ映像が映っていたこと。
誰もいないはずのアパートの玄関に、
左前の白装束とわらじを履いた祖父が立っているビデオ映像が映っていたこと。
その祖父が、この寺へやってくるビデオ映像が映っていたこと。
ひょっとしてお寺の住職なら、突飛な話も理解してくれるかもと思い、
母親には説明しなかった部分まで踏み込んで説明した。
そうして、その男子学生が説明を終えて、
話を聞いていた住職は、首を捻ってうーんと口を開いた。
「ビデオカメラのビデオ映像に、亡くなった人が映っていた、
という話ですよね。
左前の白装束とわらじというのは、恐らく死装束でしょう。
亡くなった人が埋葬されるときにする格好です。
しかし失礼ながら、私にはちょっと非現実的すぎて・・・。」
期待していたのとは違う、現実的な言葉が返ってきて、
その男子学生はがっくりと肩を落とした。
その様子を見て、住職が慌てて弁解する。
「ああ、これは言葉足らずでした。
私には信じられませんが、あなたには意味があることなのでしょう。
それを大事になさってください。
念の為に伺いますが、あなたの御祖父が埋葬されているのは、
当寺ではないのですよね?」
「はい、そうです。
祖父のお墓は、祖父が住んでいた実家の近所のお寺にあります。
ここからそんなに遠くない場所なんですが。」
住職が腕組みをして考える。
「ふむ、そうすると、
ビデオ映像の中の御祖父は、何を伝えたかったのでしょうね。
お墓に来て欲しいというなら、寺からして違うのですから。」
逆にその男子学生が尋ねる。
「例えば最近、このお寺で変わったことは無かったですか。
祖父は、それを伝えたかったのかも。」
「変わったこと、ですか。」
その男子学生に尋ねられて、住職が目を瞑って考え込む。
それから、絞り出すように応える。
「そういえば、関係があるかは分かりませんが、
少し前に、納骨堂に新しくお骨が収められましたね。」
「納骨堂?」
「ええ。
納骨堂というのは、お墓の代わりのようなもので、
お骨を納めるロッカーのようなものです。
お墓が用意できるまでの仮の安置所として使われたり、
あるいはお墓として使われたりもするんです。」
「その納骨堂にお骨が納められるのって、珍しいことなんでしょうか。」
「いえいえ、それ自体は珍しいわけではないのですが。
納骨堂に納められたのは、犬のお骨だったんです。」
犬の遺骨と言われて、その男子学生は予感めいたものがあった。
住職の説明を黙って聞くことにする。
「少し前に、犬のお骨を納めたいという方がいらっしゃったんです。
その方は飼い主ではないそうなのですが、
近所を車で走っていた時に、
急に犬が飛び出してきて、撥ねてしまったそうです。
動物病院にも運ばれたそうなのですが、不幸にも犬は助からなくて。
その犬が首輪をしていなかったこともあって、
飼い主は見つからなかったそうです。
その方は大層気に病んで、
それで、後から飼い主が見つかっても良いようにと、
当寺の納骨堂に犬のお骨を納められて行ったんです。」
首輪をしていない犬と聞いて、その男子学生は確信した。
ここに来る前に母親から電話で聞いた話。
祖父が倒れた時、飼っていた犬の首輪が外れていて、
犬がいなくなってしまったこと。
祖父の家はここから遠くないことからも、恐らく間違いないだろう。
その男子学生が住職に頼み込む。
「あの、その犬のお骨を確認させてもらうことはできませんか。」
住職は二つ返事で応える。
「ええ、いいですよ。
飼い主が探せるように、写真も預かっています。
ただし、亡くなった後の写真なので、見る時は覚悟してくださいね。」
気遣う住職に、その男子学生が応える。
「確認なら、僕が見るよりも確実な方法があります。
その犬の写真を、このビデオカメラで撮影させてください。」
そうしてその男子学生は、住職に連れられて納骨堂へ入っていった。
そこで遺骨が納められているという犬の写真を、
祖父の遺品のビデオカメラで撮影する。
ビデオテープを巻き戻してビデオ映像を確認すると、そこには、
犬の写真を見て悲しそうに佇む、祖父の姿が映っていたのだった。
それから。
その男子学生は、祖父が飼っていた犬の遺骨を引き取って、
祖父の墓がある寺で一緒に埋葬することにした。
せめてもの償いに、その男子学生が手続きをすると買って出たのだ。
その男子学生は思う。
きっと、祖父が飼っていた犬は、
祖父が倒れたのを見て、外に人を呼びに行ったのだろう。
しかし、慌てて外に出たところで、不幸にも車に撥ねられてしまった。
犬の首輪は外れていたので、撥ねた人は飼い主を探すことも出来ず、
自分たち家族も祖父を亡くしたばかりで、犬を探すどころではなく、
今になるまで見つけられなかった。
きっと、祖父はいなくなった犬を探して欲しくて、
あのビデオカメラの映像として姿を現したのだ。
現実に起こるとは思えないが、しかし、
実際に起こったのだから、そう考える他ない。
しかし、そうだとすると、一つ分からないことがある。
その男子学生は首を捻る。
「もしそうだとすると、犬の首輪は誰が外したんだろう。
爺ちゃんが倒れたのを見て、犬は外に出る必要ができた。
その時点で祖父は倒れているから、首輪を外すことはできないはず。
倒れていた祖父はそのまま亡くなったのだから、
意識を取り戻したとは思えない。」
何度考えても解答は見つからない。
でも、そんなことは些細なことのように思える。
亡くなった後でビデオカメラの映像に姿を現すなんてことができるのなら、
犬の首輪を外すなんてことも、死者には可能なのかもしれない。
その男子学生はそう納得することにした。
そうして、犬の遺骨は、
祖父が入っている墓のすぐ傍に埋葬されたのだった。
全てが終わってから。
その男子学生は、祖父と犬のお墓参りにやって来ていた。
手には祖父の遺品のビデオカメラを持っている。
徐にビデオカメラを構えて、お墓をビデオ撮影する。
それから、ビデオテープを巻き戻して、撮影したビデオ映像を確認する。
すると、撮影されたビデオ映像には、
笑顔で抱き合う祖父と犬の姿が映っていたのだった。
終わり。
人が霊柩車に入った後を書いてみたくて、この話を作りました。
男子学生は、倒れた祖父が助けを呼んで欲しくて、
死者にしかできない方法で、犬の首輪を外したと考えました。
でも、それは間違いかも知れません。
何故なら、祖父が死者にしかできない方法で犬の首輪を外すには、
倒れた時点で亡くなっていなければなりません。
もしそうならば、祖父はもう亡くなっているのですから、
助けを呼びに行ってもらっても手遅れです。
では何故、祖父は死者にしかできない方法を使ってまで、
犬の首輪を外したのか。
それは、犬自身の安全を考えてのこと。
一人暮らしの自分が倒れたら、飼っている犬は誰か人が来るまで一人ぼっち。
それを避けるために、祖父は犬の首輪を外したのでした。
しかし、それが切っ掛けで犬も死ぬことになってしまい、
それを後悔して、孫であるその男子学生の前に現れたのでした。
お読み頂きありがとうございました。
2021/9/13 訂正
第5段落目70行目
(誤) じゃあこのビデオ映像は、祖父が亡くなった後で、
(正) じゃあこのビデオ映像は、爺ちゃんが亡くなった後で、