第9話 「異論は認めん」
お互いに無言だった。時折カップが立てるかちゃりという音が、やけにうるさく響く。
「レナード様。素材について、お願いがありまして……」
「わかった」
「まだ、何も言ってませんよ?」
ふっとレナードが笑う。そして真っ直ぐに、リディアを見つめた。
「他ならぬリディアの願い、しかも俺のためとなれば断ることは絶対にない。確実に叶えられる、という保証ができないのが悔しいところだが……」
「ありがとうございます。……私を、ここから連れ出していただけませんか?」
「は?」
そういうレナードの顔は完全に意表を突かれたというのが分かりやすく見えていて、リディアは苦笑する。
「無茶なことを言っているのは分かっています。実は素材が取れる場所に、青の森の湖があるのですが……」
「ああ、そこそこ近くはあるが、あそこは危険だからな。他の者に取りに行かせるのでは駄目か?」
「かなり魔力がある方なら採取も可能ですが、全くないとなると見つけることも無理かと思います。心当たりはありますか?」
レナードは指先で顎をなぞった。これが考える時のレナードの癖だということに、リディアは少し前から気が付いている。
「かなりというと、具体的には?」
「私の半分くらい……国家魔術師の方より少し多いくらいでしょうか」
「無理だ。そんな人間いるか」
「ですよね……。というわけで、私が行きたいのですが」
そう言うと、レナードはまた難しい顔になった。そうしていると、威厳のようなものが滲み出てくる感じがして、リディアは目を眇める。
「行くにしても、聖女は原則許可なしに神殿から出られないので、体調を崩したことにして抜け出すしかないのですが、さすがにどなたかの手引きがないときついんです。青の森には一人で行くので、この街を抜けるまで手伝っていただけないかと」
「……分かった。ただし、俺も青の森まで同行する」
「危険です!! 私はどうにでもなりますが、レナード様はご自分の身を大」
「異論は認めん」
レナードの目はどこまでも鋭く光っていた。一切の妥協をするつもりがないことを認め、リディアは諦める。
「……分かりました。ただ、私の方でレナード様にはいくつか魔法をかけさせていただきます」
「助かる。だが、剣の腕は悪くないからな、足手まといにはならないつもりだ」
「頼りにしています」
もともと聖女は攻撃魔法の類は苦手だ。青の森も魔物から隠蔽魔法で逃げ惑って突破するつもりだったから、レナードの加勢は正直ありがたい。
なんてことをレナードに行ったら最後、また怒られることが分かっているのでリディアは微笑んで誤魔化す。しかし、レナードは鋭かった。
「リディアはどんな魔法を使う? 共に戦闘をする以上、戦力は把握しておきたい。どうやって抜けるつもりだった?」
「回復魔法の類ならほぼどんな傷でも治せます。欠損も魔力は使いますが何とか。即死については対処できません。後は……身体強化も得意ですね。隠蔽、隠密系もそこそこ」
「……攻撃は?」
「……」
「リディア」
咎めるような目を向けられ、リディアは諦める。
「まともなものは、ほとんど使えません」
「頼むから、そんなので青の森に入るな……。何が何でも俺は同行するからな」
「正直、とても助かります……」
観念したリディアに、レナードはふっと笑う。任せとけ、と首を傾げるレナードの姿が眩しくて、リディアは紅茶に手を伸ばした。
「日時は? 指定はあるか?」
「特には。ただ、採取できる時間が深夜なので、抜け出ることを考えても夜になりますね」
「だとすると……明後日、でもいいか? 時間としては七の刻くらいで」
「随分急ですが、大丈夫です」
急なのは悪い、その先だとかなり空いてしまう、と言って紅茶を飲むレナードに、未練は感じられなかった。
リディアが、こんなにも未練だらけだというのに。
呪いをときたくない、なんて。
レナードの耳が聞こえるようになれば、きっとレナードは良い第二王子になる。かつて思っていたように、たくさんの人に囲まれて生きているわけではないようだが、きっと耳が治れば状況は変わるだろう。
第一王子はさほど優秀ではないと聞く。王になる気はないと言っていたが、民のことを思いやるレナードの表情は慈しみに溢れていて、レナードの王としての器の大きさを、リディアに嫌と言うほど見せつけた。
きっと、レナードが望めば、良い王になる。
だから、リディアが引き止めるのなんて、ここにまたきて欲しいと願うなんて、そんなことは間違っている。
「急でも大丈夫ですよ。レナード様の依頼以外、緊急のもの以外は全て保留にしていますから」
「そうなのか?」
「レナード様用の魔法陣、組むのがどれだけ大変だったと思ってるんですか。見ますか?」
ときたくない、と訴える心にとどめを刺すための提案だった。
完成した魔法陣をレナードに見せてしまえば、逃げ場はなくなる。案の定、レナードは見たいと言った。
「こちらです」
祭壇に案内する声は、落ち着いていただろうか。
「起動」
練りに練った魔法陣は、起動に多くの言葉を必要としない。
その一言だけで立ち上がったそれは、圧倒的なまでの神々しさを持って空中に広がった。
一見無秩序に見える大小様々な魔法陣が重なり合っているが、よく見ればその配置は一切の狂いを許さない精密さで組み立てられていることが分かる。
術式の共有。余波の吸収、利用。様々な技巧が凝らされ、魔力の使用を最小限に抑えたリディアにしか組み立てられない魔法陣だ。
「本当はここまでの魔法陣を組み立てるほどの呪いでもないのですが、私の能力と相性が悪すぎて、こんなにも複雑になってしまいました。多分先代聖女様ならものの数日で治療されたと思います。ここまでかかってしまい、申し訳ありません」
レナードは食い入るように魔法陣を見つめていた。リディアの言葉で我に返ったように視線を下ろし、ほぅ、とため息をつく。
リディアでも分かる、感嘆のため息だった。
「いや……聖女にとってはそうかもしれないが、普通の人にはとけない呪いだ。助かった、ありがとう。魔法陣も、この世のものとは思えないくらい……綺麗だ」
どきりとした。リディアのことを言っているわけでもないのに、うるさく心臓が騒ぐ。
「ありがとうございます。後は素材だけですね。……明後日の夜にお会いしましょう」
平静を装って笑うが、うまく笑えているか自身がない。レナードと出会ってから、感情のコントロールがどうも苦手になってしまったとリディアは自嘲する。
「ああ。よろしく、頼む」
その一言と、柔らかい笑み。
それをリディアの心に置き去りにして、レナードは帰っていった。