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第7話 触れたい。その衝動は、もはや抑えようがなくて。

 次の日、レナードはやってこなかった。その次の日も、また次の日も。


 レナードが好き、と認めてからは、リディアの心はリディアの言うことを聞かない。

 これくらいの期間が空くことは今までだってあったのに、気がつけば窓の外を見つめている自分がいた。意味もなく磨き立てられたテーブルは昼の強い日差しを反射し、リディアの目に突き刺さる。


 想いを伝えるつもりは一切なかった。聖女でしかないリディアが到底会うことの叶わぬ人に、会って、恋をした。その想い出を大事にして生きていこうと思っていた。

 レナードを困らせるつもりは、ない。


 りん、と軽やかにベルがなった。浮き立つ心を誤魔化すつもりは、リディアにはもうない。

 普段のように外を見て、普段のように日差しを反射する銀色の髪を見て、普段のように小さく笑って、ドアを開けて。


「いらっしゃいませ」


 そう、それでいい。


 ◇


「すまない、リディア」


 淹れられたばかりの紅茶が芳醇な香りを漂わせ、レナードが持参した小さな焼き菓子がつやつやと光っている。お茶の支度をしたテーブルに座って、レナードは開口一番そう言った。


「……実は、リディアの魔力に耐えられる素材、というのがどういうものか分からんのだ」

「そ……れは、王宮の魔術師様に聞けば分かるかと思ったのですが……」


 王宮の素材は魔力ごとに階級で分けられていて、それは、人間の魔力にも適応される。

 聖女がS級に分類されることは周知の事実だし、魔術師に頼んでS級の素材を取ってきて貰えば良いだけの話だと、リディアは思い込んでいた。

 確かに貴重品ではあるが、手に入れるのが不可能と言うほどのものでもない。ましてやレナードの為なら、簡単に許可は降りると思っていた。


「っ……。いや、それが……、その。……いや、すまない! 俺はきちんと説明していなかった。俺を助けようとしてくれている人に対して。すまない」


 そう言ってレナードは、深く頭を下げた。そんなことをされるのに慣れていないリディアは、酷く慌てるしかない。


「い、いえ! お気になさらず、皆様それが普通ですから」

「いや……本当に、申し訳ない」

「いえ……そんな……」

「いや、それは」

「……」


 そう言われても、リディアには、それなら正直に言ってくださいとも、それなら言わなくてもいいですとも言えない。

 漂う微妙な気まずさを振り切るために、リディアはレナードが持ってきた菓子を口に運ぶ。

 噛んだ瞬間にほろりと崩れ落ちたそれからは、香ばしく甘い香りと、何か嗅いだことのない不思議な香りがした。

 ふわりと、思考に霧がかかったような気がする。なんとも言えない幸福感に、リディアはふっと微笑んだ。


「すまない。正直に、ちゃんと話そうと……リディア?」


 レナードが不思議そうな顔をしているのは分かったけれど、リディアはレナードの顔を見るだけで浮かぶ微笑みが抑えられない。

 好きな人が目の前にいる、それだけですごく幸せだ。


 できるなら、叶うなら、貴方に触れたい……。

 そんな衝動が身の内から込み上げ、リディアは立ち上がった。足元が安定せず、ふらりとよろける。


「ま、さか……」


 慌てて自身の皿とリディアの皿を見つめていたレナードが、恐る恐ると言ったようにリディアに問う。


「リディア、酒を飲んだことは? 弱いか?」

「ん……ない、です。だから、わかりません」


 きゅうっと胸を締め付ける切なさに、リディアは唇を噛んだ。

 どうやらあの菓子にはお酒が入っていたらしいと、リディアは霞んだ頭で考える。


 今なら――。


 頭のどこかで囁き声がする。


 今なら、全部お酒のせいにして、レナード様に触れられる?


 そんなことをしてはいけない、と諭す声は、今のリディアからはひどく遠いところにいた。


「レナード、さま」


 レナードのすぐ隣に来たところで、足がもつれ、リディアの体は大きく前にかしいだ。急激な浮遊感がリディアを襲い、そして。


 胸と腰の辺りに、硬い感触があった。

 レナードに抱きとめられたのだ、と気づいた瞬間に、リディアの顔が朱に染まる。胸や腰に当たるレナードの腕を意識して固まっていたリディアは、そのまま強く抱きしめられ、堪えきれずぎゅっと目を閉じた。

 恥ずかしい。でも、レナードに抱きしめられている今を、どうしようもなく嬉しく感じている自分がいることも、リディアは分かっていた。


「ありがと、ございます」

「大丈夫か? すまない、酒が入っているとは知らず……申し訳ない。立てるか?」


 そう言われて立とうとするが、上手く力が入らない。リディアは諦めて、小さく首を振った。


「っ……失礼」


 レナードの腕が動き、リディアには何があったのか全く分からない間に、リディアは抱き上げられていた。先程とは比べものにならない浮遊感に、リディアは思わずレナードにしがみつく。

 ハンカチを借りた時にも感じた爽やかな香りが、あの時よりずっとはっきりと感じられ、リディアの頭は沸騰寸前だった。


「やっ……」


 思わず漏れた声はどこまでも甘く、リディアは唇を噛んだ。否定していながら、全く否定する意思はないことが分かる声。


「っ……。どこか、横になれるところは? 休んだ方が良い」

「わたしの、へやなら……あっちです」


 指先で部屋の方向を指すと、微かな振動で、レナードが歩き出したのが分かった。とん、とん、と規則正しいリズムに、少しずつ眠気が押し寄せてきた。瞼が重くなってくる。

 とん、と音が止まった。


「……ついたぞ。ベッドに下ろして、いいか?」


 部屋をきちんと掃除していて良かったとリディアは思う。好きな人に見苦しい部屋は見せたくない。

 好きな人、なんて。

 自分で考えておきながら、リディアはその慣れない響きにきゅっと身を縮めた。


「おねがい、します」


 頭がふわふわとしていて、眠くて、リディアは目を細める。目に映るのは、大好きなひと。


 ぽす、と柔らかい音がして、背中が柔らかいものに包まれた。体から離れていく熱になんとも言えない名残惜しさを感じて、リディアはレナードに手を伸ばす。


「や……レナード、さま」


 触れたい。その衝動は、もはや抑えようがなくて。


 その大きな手に手を伸ばし、そっと包み込んだ。暖かく、リディアよりずっと硬いその手がどうしようもなく愛おしくて、そのまま胸元に引き寄せる。

 ぎゅっと力を込めて握ると、レナードが息を飲む気配がした。


「……っリディア。それはやめろ」


 ぼんやりとした視界で見上げたレナードは、ひどく苦しそうな顔をしているように見えた。押し寄せる眠気で言葉は上手く理解できなかったけれど、レナードが苦しそうな顔をしているのが、リディアは嫌だった。


 片方の手を伸ばして、その頬に触れる。

 そんな、苦しそうな顔を、しないで。そんな気持ちを込めて。


「……!! リディ、ア」


 そんな声がして、気がつけば、すぐ側に、息がかかるほど近くに、レナードの顔があった。

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