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第4話 この依頼が終わるまで。

 第二王子レナード・ウィスタリア。

 彼は公の場に一切顔を出さないことで有名らしい。しかし彼が治める一部の地域に住む人からは、熱狂的に支持されているのだとか。

 身体が弱い、というのが公式に発表されているが、もしかしたら呪いが……と考えて、リディアは首を振る。

 詮索はしない。それが聖女だ。


 リディアは立ち上がり、古い木でできた戸棚に手をかけた。長く使われてきた木の板は、独特の艶を持つようになる。滑らかな表面に軽く指を走らせた後、戸棚を開けてティーポットを取り出した。

 王宮で使われているような高級品ではないが、野に咲く小さな花が繊細に描かれたこのティーポットは、リディアが密かに大切にしているものだった。

 魔法を使って、一気にお湯を沸かす。慣れ親しんだ動作は、考えることなくリディアの手を動かす。


 この世界で、レナード1人。

 唯一普通に話が出来る人は、決して普通に話が出来る身分の人ではなかった。それでも、レナードと話がしたいと願ってしまうのは、リディアにはどうしようもないことだった。

 この依頼が終わるまで。レナードの呪いをとくまで。その期間だけは、レナードのそばにいることが許されるだろうか。


 りん、とベルの音が鳴って、リディアは我に帰った。

 出来上がった紅茶は、芳醇な香りを神殿中に漂わせていた。リディアの、唯一の贅沢。


 ティーポットと揃いのカップに、琥珀色の液体を注ぐ。ふわりと立ち上った暖かい湯気が一瞬リディアの視界を奪い、その下からすぐに美しい光が見えた。神殿に差し込む夕日を写しとって煮詰めたかのような、透き通った光。染み渡るような優しい香りが、頬を撫でた。


 カップに唇を当て、するりと喉を流れていく感触をリディアは楽しむ。知らず知らずのうちに、桜色の唇が柔らかい弧を描いた。


 依頼が終わるまで。リディアはそう期限を決める。

 その時までは、心を許そう。

 『沈黙の聖女』は、しばし休息だ。


 ◇


 レナードは、驚くことに、その僅か数日後にやってきた。

 ティータイ厶前、スコーンを焼いていたリディアは、来客を告げるベルの音に心底驚かされた。

 レナードは、リディアが依頼した通りの本と、その他数冊の本と……リディアが見たこともない茶葉を持っていた。


「これがその本だと思うが、あっているか?」


 レナードからは、外の澄み切った少し冷たい空気の匂いがした。受け取った本のページをぱらぱらとめくり、完全な状態であることを確認する。魔術具を作動させると、リディアは口を開いた。


「はい。ありがとうございます。少し……少しですが、希望が見えました」

「後……土産だ。リディアは紅茶が好きだと聞いたんだが、まあ、その、感謝の気持ちということで受け取ってくれ」


 そう言って差し出されたのは、美しい花が繊細に彫刻された缶だった。受け取ると、ふわりと微かな香りが鼻をくすぐる。それだけで、とても良い紅茶だというのがリディアには分かった。どうしようもなく心が躍り、堪えきれず微笑みが溢れた。


「はい、大好きです。ありがとうございます! ……その、今淹れてもいいですか?」

「ああ、構わないが……なんというか、驚いたな」


 構わないと聞いた瞬間に、抑えきれない早足で道具を取りに行くリディアを見て、レナードは目を見開いていた。

 口から漏れた言葉は、ぱたぱたと忙しく準備をするリディアには届かない。


「……この前は威厳あふれる聖女様といった感じだったが、今は年相応の女性に見える」

「え? すみません、何か言いました?」

「いや、なんでもない」


 光の差し込む神殿の中で、レナードがいて、紅茶を作る。それが、リディアの心を温かくする。

 我ながら、気を緩めるのが早すぎると思う。それでも、心が浮き立って、聖女の仮面が剥がれてしまうのは、きっとお互いにこの世界で1人だからなのだ。


 レナードの座る椅子の脇に、奥からとってきたサイドテーブルを置く。久しぶりに使うそれは分厚い埃を纏っていたものの、丁寧に拭けばもとの艶を取り戻した。

 淹れたばかりの紅茶を乗せ、先程作っていたスコーンを添える。リディアは柄にもなく浮かれていた。


「どうぞ」

「ありがとう。これは、リディアが?」

「はい。趣味程度なので、不味くはないと思いますが期待しすぎないでください」


 レナードは、一口紅茶を飲んだあと、スコーンに手を伸ばす。口に含んだ後、その目が大きく見開かれた。


「……美味しい」


 そう言って顔を上げたレナードは、リディアの姿を見て固まる。

 レナードが持ってきた紅茶を、それはそれは幸せそうに飲むリディア。普段は凛とした光を浮かべているその目はうっとりと細められ、桜色の唇は花が開くように綻んでいた。頬はほんのりと上気し、匂うような色気を出しているのだが、リディアは全く気がついていない。


「ありがとうございます。お口にあって何よりです」


 そう微笑んで言うリディアだったが、レナードの言葉を社交辞令としてしか受け取っていなかった。普段王宮で良いものばかりを食べているレナードなのだから、リディアの手作りの物をそこまで気に入るとは、全く思っていない。


「いや、ここまで焼きたてのものを食べたことはない。味も素朴で、本当に美味しい」


 素朴は褒め言葉なのだろうか、と思いつつ、リディアは小さく綻ぶ口元を抑えられなかった。


「ありがとうございます」

「その、リディア」

「はい?」


 そう言ったレナードは、どこか緊張しているように見えた。形の良い唇を、ぐっと噛み締めている。


「その……また来てもいいか? 用はないかもしれんが」

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