第2話 「……失礼、俺は常識に疎いもので」
「先程、お客様は私は声で魔法をかけると仰いましたが、より正確に言えば、声に魔力が乗っているのです。私の意志とは関係なく。今、私が声を出す度にこの部屋に魔力が広がっていっていることは、見る人が見れば分かります」
「……聖女様は平気ですか? そんなに大量の魔力を放出して」
「私の魔力は異常ですので、これくらいではなんともありません。ただ、これを受ける方が耐えきれないようなのです。簡単に言いますと、私が話すと私の魔力が受けた方の魔力回路に流れるのですが、その量が膨大すぎて魔力回路で回収しきれません。その魔力が脳に一気に流れ込み、……いわゆる、理性が飛んだ状態になります」
「……それは、どんな人が受けても?」
「私の知る人は、たった1人の例外を除いてもれなく全員です。お客様は、2人目の例外になります」
たった1人の例外。ぽんと頭に手を乗せられた時の暖かい感触が、蘇るようだった。
「例外?」
「……前聖女様。私を育てて下さった方です。お客様もご存知でしょう?」
聖女は清らかな身でなければならない。聖女の純潔は、その力と同義だ。
聖女は、純潔を失えばその魔力を失う。聖女しか知らぬ話だ。一般に知られれば、その力を疎ましく思う者から無理やり犯されかねないのだから。
だから、聖女に血筋は関係ない。貴族であろうと平民であろうと、必要なのは膨大な魔力と魔法の才能だけだった。聖女は、そんな子供を我が子のように慈しんで育てる。そして、自らの死と同時に聖女の名を渡すのだ。
「……失礼、つかぬ事をお聞きしました。では、その……聖女様は、それからずっと、普通の会話をしていないと?」
「そうなりますね。かれこれ3年になりますか」
「さん、ねん……」
「私の話は良いのです。呪いの話ですが、私の持つ魔力を声ではなく別の媒体に移し替えてから、なんらかの方法で体内に取り込めれば、呪いをとくことは可能です。1番確実なのは、液体に魔力を浸透させて飲み込む方法です。ただ……」
少し明るくなった彼の顔。しかし、嘘は言えなかった。
「一つは、魔力を移し替えるやり方が曖昧かつ難易度が高いこと。私にできるかは正直分かりません。二つ目は、その強力な呪いをとけるだけの魔力に耐えうる素材が私の手元にはないこと。二つの理由で、かなり厳しいです」
「……わずかとはいえ、可能性はあると?」
「そう、なりますね」
「では、お願いします。そのために必要なものがあればなんでも、必ず用意します」
「そうですね……。本来ならこのようなことを聞くのは聖女としての務めに反するのですが、どうしても必要なためお聞かせください。お客様のご身分を教えていただけませんか? 必要なものと言いましても、お客様がどのようなものを手に入れられる立場か分からないとなんとも……」
「っ……。どうしても?」
服装や立ち振る舞いから、かなり高貴な身分であることは予想していたが、ここまで抵抗があるというのは予想外だった。
「いえ……詳しくとは言いません。大まかなもので構いませんので」
「それでは……王宮で影響力を持てるくらいの権力はあります。という程度でも?」
「ええ、十分です。ありがとうございます」
「それでは……引き受けてくださいますか?」
そう言ってリディアを見つめる彼の目は、燃えるような熱を持っていた。専用の魔術具を持っているくらいなのだから、人の声が聞こえなくなって長いことは明白だ。彼の身分は知らないけれど、きっと、リディアには想像できないくらい苦しい思いをしてきたに違いない。
この人の力になりたい。久しぶりに湧き上がる想いは、聖女になりたての頃を否応なしに思い出させた。リディアは軽く首を振って、湧き上がる冷たいものを振り払った。
私は『沈黙の聖女』。リディアがそれを忘れることはない。
「はい。力は尽くします」
「ありがとう……ございます」
真っ直ぐにリディアの目を捉えるその目は、希望に満ち溢れている……とはいかなかったけれど。当然だ、可能性が低いのは、先程伝えた通りなのだから。
久しぶりに頑張ろうと思えるのは、きっと難易度の高い魔法に挑戦できるからに違いない。
「それでは……王宮書庫で、本を探してきていただけませんか? 緑色の、革表紙の本です。現物はこちらです。聖女に伝わるものなのですが、なにぶん長い間使われてきたものらしく、ページの抜けや汚れが目立ちまして……。該当のページがあまり読めないのです。王宮書庫にはほとんどの魔術書があると伺っていますから、貸していただけないかと思いまして」
「それは構いませんが……なぜ自分で探さないのですか? 他にも役に立つ本はあるかもしれませんし、王宮書庫に興味があるのかと思ったのですが」
リディアは困惑した。聖女は王宮に入れない、これは常識ではなかったのだろうか。
「お客様は……聖女について、あまりご存知ないのですね?」
思わずリディアが声を漏らしたその瞬間、彼がぴしりと音を立てて固まった。
「……失礼、俺は常識に疎いもので。この耳のせいで、なかなか」
剣呑な光を宿すその瞳に、今までのような紳士的な色はなかった。