序 ~終わりのはじまり/ 06~
古部家の屋敷で拾った手紙をきっかけに、様々な点が線に繋がっていく…
この謎多き呪いの元凶は、果たしてどこにあるのか??
12時15分。
「どげんしたと?えろう早かご帰宅じゃねぇか」
婆さんが怪訝そうな顔で廊下奥から俺を覗き込む。様々な出来事が交錯し、煮詰まった頭をさすりさすり玄関をくぐった俺は、はっと我に帰りシャツの胸部についた一滴の血痕を左手で覆い隠した。
「いやぁ、屋敷の中が暗すぎたんで一旦戻ってきました」
「なんね?あんた、雨戸ばちゃんと開けたんかい?開けてからでなきゃ、あんなお屋敷暗くてまともに歩けもしぇんやろに……懐中電灯貸すかね?」
「いや、ちょっと色々考え事もありまして、今日はもう宿に居ようかなと……」
「宿に居るんか。なら、これから一緒に昼飯でもどうかね?先々週裏で採ったタケノコが余ったんでタケノコご飯ば炊いとーけん」
「……わかりました。後で広間の方に伺いますよ」
会話をしながら、俺は洗面所で血痕を素早く洗い落とす。だが、血痕というのはなかなか落としずらいもので、婆さんから借りたシャツには薄茶色のシミが若干残った。
「あんな思いをした後にタケノコか……」
俺は少し苦笑しながら自分の部屋に戻る。
ふと、古部家の玄関で拾った手紙の事を思い出し、右ポケットの中を探る。強引に2つ折りにねじ込んだその封筒には若干幼い感じがするが丁寧な筆跡で整然と文字が並んでいる。書いた人物が若く、几帳面な性格であることが窺える。一瞬、迷ったが「二十年以上前の手紙だし宛先は故人であるから、まぁ良かろう」と、端を切って開封してみる。
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照美様。
お久しぶりです。かおりです。
随分とご無沙汰しておりますが、ご機嫌いかがでしょうか。
実は先日、新聞の隅に「幼稚園児ら四十七名が集団で行方不明」という嫌な記事を見付けましたが、場所が蝦見糸村という事で、テルミちゃんたちの事を思い出し、急に「今はどうしているんだろうか」という気持ちに駆られペンをとりました。
私が山口に戻ってから丁度二年くらいになるから、照美ちゃんはもう高校生かしら。
当時はいろいろ相談を受けていたのに、何も力になれなくて本当にごめんなさいね。
その後、ご家族の様子はいかがでしょうか?皆さん仲良くやっておられますか?
アキちゃんがあんな状態だったというのに、逃げるようにお屋敷を出てしまった事を、今は少し後悔しています。
何か困った事があったら、遠慮せず相談してくださいね。
皆様にもよろしくお伝えください。
生李 香織
―――――――――
内容を確認してはっと気付く
「なるほど。この手紙は女中さんからの手紙だな」
消印を確認すると一九四二年七月二十三日とあり、事件の直後にこの家に届いた手紙である事がわかる。家族の描写から、この女中が古部家と深く関わりを持っていた事もよく伝わってくる。
――事件までの間に古部家に何が起こったかを知るには、やはりこの人物に話を聞くのが一番か――
などと考えていると、広間の方から婆さんの呼び声が響いた。
「ついでに朝の残りの煮付けも暖めたから召し上がり」
俺の斜め前の席にちょんと座った婆さんが、あたりまえのようにお茶と椀を差し出す。
「婆様、屋敷でこんな手紙をみつけたんですが、これ、女中さんの名前ですよね?」
婆さんは、眼鏡の角度をちょっと直すと、俺が差し出した手紙に向い目を細める。
「な・ま・り・か・お・り……そん通りね。かおりちゃんからの手紙だねこれは」
――この名字「なまり」と読むのか――
少し感心しつつ、俺は続けて婆さんに質問する。
「この手紙、二十年も前のですけど生李さんはまだ実家に居られるんですかね?」
「ああ~そうね……最後にあっちから蕎麦を届けてもらったんが爺様が亡くなった年だから、七~八年は連絡ばとっておらんけど……店を継いじょるからね。たぶん住所はそのままでないかね」
「店?」
「『瓦そば』って知っとーかい?山口の名産らしいおそば。前にもちょこっと話したけど、かおりさん家はその瓦そばで有名な店なんだと。宇治茶とか練りこんだ蕎麦で、ウチのお父ちゃんが大好きでね。生前はよく送ってもろうとったんよ」
「へぇー。そんな仲だったんですね。その女中さんとは」
「薬ば届けてもらった時に、よく駄賃や菓子をお礼に渡しとってね。そんで屋敷を出た後に挨拶で蕎麦が届いたんがきっかけサ……ウチは正直味ばよくわからんやったけどねぇ」
婆さんは悪戯小僧のようなくしゃっとした笑みを浮かべる。
「そのかおりさんに当時の古部家の話を聞かせてもらおうと思いましてね。こっから山口だちょっと遠いですが……訪ねて行って不在だと困るな……」
そこまで言うと婆さんがキョトンとした顔で口をはさんだ。
「電話すりゃぁ良かー。店の電話番号とか分かっとーけん」
――なんだ。電話番号を知ってるのか――
考えてみれば何度も蕎麦を取り寄せている訳だし知っていて当然か、と思わず苦笑する。
「そりゃそうですね。じゃぁ、早速お電話お借りして連絡を……」
「まずはご飯ば食べちぃなさい!しぇっかちな男は嫌わるーよ」
「……これは失敬」
おれは急いで残りのタケノコ飯を口の中にかき込んだ。
婆さんのおかげで、いつの間にか胸の奥の気味悪い嫌な感じは消え去っていた。
*********
食事を済ませた俺は婆さんからもらった〝なまり蕎麦店〟の電話番号を片手にダイヤルを回す。
数回のコールで、威勢の良い女性の声が耳に響く。
「はい。なまり蕎麦店です!」
「こんにちは。私、東京の出版社、集敬社の記者をやっております佐伯と申しますが……かおりさんはいらっしゃいますでしょうか?」
相手に警戒されたのだろうか、少し間をおいた後に一段低いトーンで返答が返ってくる。
「かおりは私ですが……出版社の方が私に何の御用でしょうか」
「良かった。ご本人でしたか……実は今、蝦見糸の熊乃経旅館の婆様からこの連絡先を教えてもらって、その旅館から電話をしておりまして」
「あらら!熊乃経からですか!……いやーこれはまた……ばっちゃは元気ですかね?」
婆さんの紹介と知った途端に、先方の声が急に明るくなる。俺は少しほっとして続けた
「婆様はすこぶる元気ですよ。今、ちょうど昼食の後片付けをされているところです。……実は、雑誌の取材でかおりさんにお尋ねしたいことがありましてお電話させて頂いたんですが……今、お時間大丈夫でしょうか」
「お昼の客も引いてますから、しばらくは大丈夫です。……それで、取材といいますと?」
「ちょっとお話辛い内容かもしれませんが、弊社で『昭和の未解決事件』を扱う特別号を製作する事になっておりまして、二十年前に蝦見糸で起きた「古部家殺傷事件」にも白羽の矢が立った次第でして……」
『パリン!……』
電話先から何かが割れた様な音が聞こえた。俺は静かに相手の返答を待つ。
「す、すいません……古部家と聞いて急に色々なことを思い出してしまって……私が向こうで住み込み女中としてご奉公していたのは、もうご存知で?」
「はい。私自身も色々調べてはいましたが、婆様からもお話は聞いています。失礼ながら、事件の直前にあなたが照美さんに出した手紙も拝見させていただきました」
「まぁ、あの手紙も……そうですか……そういう訳でしたら、私が知っている話は全てお話したいと思います。……まぁ、かれこれ二十年以上も前の話ですが、古部の件では私も未だに引っかかっている事がいくつもありますし……」
「ありがとうございます。では早速ですが、末っ子のアキの話からお伺いしたく……」
「ア、アキちゃん……」
『ガタン!………』
先方が受話器の先でひどく動揺している様子が手に取るように伝わってくる。少しの沈黙を置き、香織はゆっくりと話始めた。
彼女の話の内容はこうだった。
―――――――――
~アキについて~
〇アキの手術の話
・香織が古部家で働き出したのは一九三八年の春からで、同年の冬にアキの背中のコブの切除手術が行われた
・大手術ではあったが、翌年二月には無事退院し、春になる頃には少しの距離なら自力で歩けるほど元気になっていた
〇アキの特殊能力の話
・香織自身は特に何かを感じたことは無く、ただ、アキの機嫌が悪い時は何故か必要以上に照美がアキに気を使っていたとのこと
・能力とは関係ないかもしれないが、アキの近くに犬猫の類が近寄ると、きまってそれらが彼女に牙をむいて唸る・吠える等、攻撃心を顕にしていた
~古部家の家族について~
・古部家の人達は皆気さくで、おしなべて良い人柄であった
・生まれながらにハンデを持ったアキを懸命に皆で支えていた。アキ自身も言葉が早く聡明な子供だったので、近所の人からも非常に好かれていた
・アキは手術後、徐々に気性が暗くなっていき、香織が女中を辞める頃には完全に性格が変わってしまっていた。アキの振舞いのせいもあってか、最終的には古部家全体が非常に陰湿な雰囲気になってしまっていたらしい
・香織は奥方ともめて家を出て行った訳ではなく、古部一家全体の空気が完全に変になってしまった為、気味が悪くなって辞めた。というのが帰省の本当の理由だった
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香織の説明から、事件の二年前の時点ですでにこの家族に何らかの異常事態が発生していた事が伺えた。
店の者に呼ばれ――少しお待ちを――と、香織が電話口を離れた隙に、俺は手帳の過去の書き込みを探る。宿を訪れた最初の日に、婆さんから気になる事を聞いた記憶が蘇ったからである。
「ここだ」
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~婆様の情報~(六月二十一日)
惨殺事件が起きる一~二年前にも一度、アキが行方不明になる事件があり、その時は 次の日にひょっこり屋敷に戻ったそうだが、周辺は大騒ぎになった――
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手帳の中に目的の表記を見つけ出したのとほぼ同じタイミングで香織が電話口に戻る。
「ごめんなさい。ちょっと団体のお客様がお見えになられちゃって……またすぐ向こうに呼ばれちゃうかもしれませんが、大丈夫でしょうか……」
「いえ、こちらこそ営業中に時間を取らせてしまって申し訳ありません。では最後に一つだけ。……事件の一~二年前に〝アキが行方不明になって近所の連中が総出で探し回った事がある〟と婆様から聞いたのですが、その時はまだ香織さんは古部家に勤めておられましたか?……その出来事の詳細が知りたく思いまして」
思いのほか長電話になってしまった事を反省しつつ、俺は香織に最後の質問を投げた。
「はい。確かにそんな事がありました。……私が古部を出るひと月位前に起きた出来事なんでハッキリ覚えてますよ。その時、私と奥様で晩御飯の支度を済ませて料理を配膳していたんですが、長男の幸助さんと照美ちゃんが血相を変えて台所に駆け込んできたんです。『大変だ!アキが家ん中のどこにもおらん!』って言いながら……」
「いきなり居なくなったんですね。でも、次の日にひょっこり戻ったと……」
「そうなんです。その日は夕方から天気が急に悪くなって夜には土砂降りに変わりだしたもんで〝もし山にでも入ったらどえれぇ事になる〟って、町内会の人達も駆り出してそこら中探し回ったんです。雨は一向に収まらず、夜中の十二時位には暴風が本当に酷くなって、〝これ以上は無理〟って事で仕方なく皆一旦引き上げました。……そしたら、明け方に雨がパッタリ止んでひょっこり戻ってきたんですよ。アキちゃんが。ただ――……」
そこまで言うと、突然香織は言葉を詰まらせる。
「ただ?……何かあったんでしょうか?」
「ドロドロの恰好で何か気持ちの悪い〝ズタ袋〟を引きずって内戸からそーっと入ってきたんです。アキちゃん……」
「気持ちの悪いズタ袋?」
「ええ。縦長の米袋のような……。丁度私、アキちゃんの事が気になって一人で庭先に出た時に、ばったり出くわしちゃったんです。」
「それで、その袋は?」
「それが、驚いてすぐに旦那様たちを呼びに行って、アキちゃんが居る庭の方に戻った時には、もう袋は無くなってたんです」
「無くなってた?」
「はい。……それで、聞いたんです。『アキちゃん、さっきの袋は?』って……そしたらアキちゃんすごい顔で私を睨みつけて………」
「睨みつけて?………どうかしたんですか?……アキが?………」
電話先の香織の声は微かに震えている。
『余計なこと言うな』って……それが、本当に奇妙なことなんですが……」
「?……奇妙?」
「声が……聞いたことも無い気味悪い男の声だったんです……アキちゃんの声が!……」
――この話――
俺は反射的に東京で死んだ北見が話していた「生首の憑依現象」の事を思い出していた。
電話の向こう側で『おかみさーん。そろそろこっちよろしくー』と香織を呼ぶ店員らしき人物の声が聞こえた。
「ありがとうございました。貴重な情報、本当に参考になりました。また山口の近くに伺った際には、是非お店の方に寄らせていただきますので……」
俺は手短に挨拶し、受話器を置いた。
――しかし、なぜアキに生首の霊が憑りつくんだ?彼女の体では遠くまで歩くのは困難だったはずだ………まさか、その体で暴風雨の日に六つ鳥居に入った?………あんな険しい場所にか?――
電話の前でしばらく考え込んでいた俺をけたたましい呼び出し音が襲う。
『ジリリーーン!ジリリーーン!ジリリーーン!ジリリーーン!』
とっさに受話器をとる
「もしもし……」
「あっ、佐伯さん?……生李です。なまりかおりです」
電話の相手は今しがた話を終えたばかりの香織だった。拍子抜けしている俺をよそに香織は切羽詰まった感じで素早く話し出した。
「言い忘れた事がありました。重要な事なんじゃないかと思ってかけ直したんです。実はアキちゃんが退院した時に、神社の神主さんと妙な若い女が一緒に古部家までついてきたんです。しかもその後、二人して定期的にお屋敷を訪ねてくるようになりまして……」
――神山と妙な女?…………舟越…………舟越沙奈江だ!――
俺は一句も聞き漏らさなぬ様、自分の耳に受話器をしっかりと押し当て直す。
「それで、付いてきたその二人は何の目的で古部家に?」
「さぁ、理由までは私もわかりませんけど、だいたい一~二ヶ月に一度位のペースで屋敷に顏を出しておられていて、お二人がお見えになった時は必ずアキちゃんが応接間に呼ばれていたんです」
「アキが?」
「はい。それで……私、一度だけ襖が少し開いていたんで、興味本位で中を覗いてしまった事があったんです。そしたら部屋の中でその妙な女がお香を炊いていて、上半身裸になったアキちゃんの背中にその煙を吹きかけてたんです。あれは絶対まじないか何かだったんだろうって、そんな風に思えて……あの女が悪い女だったんじゃないかって……」
調査中に幾度かでてきた『祓衆』の文字がふと頭に浮かぶ。
――ひょっとして「祓衆」ってのは、そういった〝まじない集団〟の事で、舟越たちはそこのグループの一員だったんじゃなかろうか?――
そんな昔の妖怪奇談のような考えが一瞬頭をよぎる。被せ気味に俺も言葉を投げた。
「恐らくその女は、私が今、行方を追っている女と同一人物ですね。ただ、神主の神山にしろその女にしろ、今は行方不明なもんでどこをどう探せば良いのやら……」
「佐伯さん、田代先生の所にはもう行きました?」
「田代?……」
不意に見知らぬ人物の名前が飛出し俺は少し狼狽する。
「あら、……すみません。アキちゃんの事を調べていらっしゃるのなら、てっきりもう田代医院にはお顔をだされたものと思ってしまいまして」
「いえ、病院の方はまだですね。その田代先生とは一体?」
「アキちゃんの手術を執刀された院長先生です。手術の直前に先生が自らアキちゃんの往診に二~三度古部の家を訪ねられまして……今考えるとこれも妙なんですが、その時もさっきの二人が先生に同行されてました。……いや、四人……そうそう、もう一人知らない男の方もご一緒で……線の細い、中年の男性が往診に同行されておりました」
――中年の男?………舟越無一も一緒だったって事か?……――
にわかに繋がり出した幾重のピースを前に、俺の鼓動は高まりだす。
「先生たち、いつも親しげにお話されてましたから、田代先生に聞けばきっとそのお三方の何かしらの情報が聞けるんじゃないかしら」
全くその通りである。
俺は香織に丁重に礼を言い受話器を置くと、すぐさま婆さんの所へ駆け寄った。
「あんた何、そんな慌てて?」
「婆様、博多の総合病院、……田代医院の電話番号教えてくれませんかね」
(つづく)
~あとがき~
今回は、自宅パソコンの前に座って作業する時間が多かったので、頑張って筆を進めてみました。
体調もほぼ元に戻ってきたのですが、数か月前に骨折した左足の小指がなぜかまだズキズキ疼きます。
(完治してるはずなんだけど……)
本文を書いていて感じたのですが、やはり「締切り」がないとズルズル作業が伸びそうな気がし、
『次回のアップ日を毎回宣言する』
というのをテスト的にやってみようかな?と考えました。(ドМか)
という訳で、次回アップ日は
『来週の水曜(23日)の夜』
とします!(何回続くことやら……)
(羽夢屋敷)