序 ~見えざる世界/ 10~
ジョン・ベイダーの透視によって描かれたメモに従い
手まり堂をくまなく探索した火野。
だが、そこに問題の「札」は無かった……
火野は次なる手がかりを求め
大分に飛ぶ。
8月 4日 6時。
空は青々と快晴だった。セミの声があたりに響き、どこからともなく小川のせせらぎが聞こえる。大きな麦藁帽を被った火野は虫取り網を手に、数人の仲間たちと田舎道を駆けている。
「秀樹ー。西瓜切ったけんこっちいらっしゃいー」
婆さんの呼び声で童一同は一斉に古民家の縁側に走り入り、我先にとその赤い扇にかぶりつく。
『ァキ……ノ……シ………タ……』
不意に聞こえた気味の悪い声に驚き、前方を見る火野。
――グオオオオオオオオオオーーーーッ……――
突然、目の前に現れる炎に包まれた佐伯の姿。
「うあっつ!」
跳ねる様に上体を起こす火野の視界に入ったのは朝の光を反射する青白い襖だった。
「夢か……」
時計は朝の6時を指していた。
*********
7時40分。
宿の朝食を済ませた火野は、部屋の窓際で外の景色を眺めながら、先日の手まり堂探索で砂まみれになったニコンの手入れをしていた。最大の手がかりを失った火野であったが、幸いな事にここ福岡は、おそらく佐伯の次に六ツ鳥居事件に詳しい人物「丸尾」の勤務地から近しい場所にある。彼に相談すればきっと何かしらの打開策が得られるはず、と火野は考えていた。
「丸尾さん、つかまると良いんだが……」
不安な気持ちが自然と独り言になってこぼれる。
先日の夕方、丸尾の勤務地である「中津警察」に連絡すると『本日は都合で署には出ていない』と伝えられ、直ぐに丸尾の自宅に連絡するも電話は不通状態であった。
火野はこの日、仕方なく〝中津警察署への直接訪問〟という手段を取るに至っていた。
「火野しゃん、そろそろ出ないとバスに間に合わんよー」
女将が火野の部屋の前まで来て、声をかけて去って行った。
先日資料館の館長に聞いた「博多駅近くの写真屋」に朝イチで立ち寄り、撮影した〝絵巻物〟のフィルム現像を依頼してから警察署を訪れようと考えた火野は、自分の財布の中身と東京から持参した未開封のカラーフィルムを交互に眺めながら泣き言をいう。
「会社じゃタダなのに……白黒も持ってきとけば良かったよ……」
火野はこの独自取材を敢行するにあたり、それまでコツコツ貯めてきた貯金を惜しげなく崩し、当調査費にあててはいたが、調査後半での『資料サイズの大量カラープリント』は代金が高額であるのが目に見えていた。特に〝その日の内に出来上がった現物を東京に送りたい〟という希望を聞いてもらうとなると、相当ふっかけられる可能性もあった。
「……まぁ、なるようになれ。だな」
悩んでいてもしょうがないと悟った火野は撮影済みの3本のフィルムの内、先日資料館で使用した20枚撮りのフィルムをポケットにねじ込んだ。
*********
13時 中津警察署受付。
「いやあー。そう言われましても、規則でしてねぇ……職員の住所は外部には教えられんのですよ」
脈のなさそうな説得劇が始まってから既に10分ほど時間が経過していた。
中津署に到着し、刑事課の丸尾へ取り次ぎを頼んだ火野だったが、「本日も出勤はしていない」との事だった。丸尾とどうしても連絡が取りたい火野は、これまでの経緯を説明し、丸尾の住所を教えてもらおうとするが、当然の事ながら〝規則で教えられない〟の一点張りで、どうにもならない水掛け論だけが続いていた。
「粘られましても無駄ですよ。規則は規則ですから」
先方もさすがに業を煮やしたか、それまでののらりくらりとした受け答えから、突然、きつい口調で切り捨てるように一喝する。火野があきらめて床に置いていた肩掛けカバンに手を伸ばした時、一人の小奇麗な顔をした中年男が受付職員に声をかけた。
「どげぇした?丸尾、丸尾ってえれぇ騒々しいな……」
「いやぁ、こん人が探しよんらしいんや。丸尾さんを……何でん東京の記者さんやと」
「東京の………あれっ!………君、確か佐伯さんとこの?……」
男は火野の胸元を指さしながら覗き込むようにその顔を近付けてくる。
「火野です……集敬社の」
「ああ、やっぱり!……わし、『高橋』!覚えちょらんかね?……去年末、浅草で丸尾と一緒だった……」
幸運な事に声をかけてきたその男は、前年の冬、丸尾が出張で東京に来た際、彼に同行していた仲間の刑事であった。高橋は仕事の都合で飲み会を早々に切り上げて大分に戻ったのだが、火野の事をしっかり覚えていたのである。
「あぁ!丸尾さんのお友達の!……覚えてますとも。生ビールを二杯一気飲みしてささっと出て行かれた……」
それまでにこやかだった高橋の表情が急に曇る。
「酒豪やけんな。こんし」
話を聞いていた受付職員がプッと吹き出し小声で呟く。咳払いする高橋。
「いんやぁー……佐伯さん、何ちゅうか……本当にお気の毒様やったね……丸尾もえろう落ち込んじょったちゃ……」
思い出した様に佐伯の話をし出す高橋を制し、火野は自分の置かれた状況を高橋に伝える。
「お心遣い、ありがとうございます……ただ……実は、緊急に丸尾さんに直接会って話を聞かなければならない事がありまして……丸尾さんの住所が聞きたいんです」
「だからそれはー……」
火野の話に割って入る職員に対し、高橋が片手を上げてその言葉を遮る。
「実は丸尾の奴、先月末から署に来てなくてね。かれこれ2週間になるんやが……署の方でも連絡が付かん状態なんよ。休暇届けは出てるんでまだ放っちゃいるんやが………見てきてくれるかい、わしらん代わりに……」
「高橋さんそれ!」
動揺する職員を尻目に高橋は胸ポケットから自分の手帳を取り出すと、メモ用紙にサラサラと何かを書き写していく。
「いいんじゃ、いいんじゃ。身内みたいなもんなんやって、彼は……」
不安そうに見守る職員に大丈夫とばかりに合図地を打ち、高橋は1枚のメモ片を火野に渡した。
「これ、丸尾の団地の住所やけん。……下のはワシの電話番号。何かわかったら連絡ちょうだいよ」
*********
14時 10分 K団地 304号室。
「こんにちはー。丸尾さーん。………丸尾さん居りますかーー」
丸尾が住むK団地は、中津署からバスで7~8分の場所にある住宅街の中にあった。その建物はエレベーター無しの5階建、外観も特に飾った感じの無い、ごく普通の立地にある普通の団地の中の普通の一棟、という感じの建物であった。
「あれ?ドア……開いてるな」
ノックと呼びかけを繰り返した火野が恐るおそるドアノブをひねってみると、意外にもそれに鍵はかかっていなかった。
火野はそのままゆっくりとあずき色の鉄製のドアを押し開けていく。
「丸尾さーん。……入りますよー……」
室内は暗く、奥の方だけが窓から入る外光でぼんやりと明るい状態であった。壁際にスイッチがあったので、それを入れてみる。電気は普通に通っているようで、少し間を置いて玄関上の照明が点滅しながら明りを灯した。
「丸尾さーん。……居ませんか―」
火野は肩にかけていたカバンとカメラを玄関の脇に降ろすと、声のトーンを落としつつ、人の気配のしない部屋の奥へと足を進めていく。
丸尾の部屋は、入口を入ってすぐの空間が6畳ほどのダイニングキッチンとなっており、前方には〝擦りガラスの扉〟、その左側には半間サイズの〝襖扉〟が確認できる。
火野はまず、擦りガラスの扉を開けて中に入ってみる。中は6畳の和室で、奥の壁面にはベランダへ出入りができそうな大きめの窓が2つ、中央にはテーブルが一つ置いてあり、他には小さめの箪笥と整理棚、一台のテレビが、きちんと整頓され配置されている。火野は窓際に近付くと、半分閉められたカーテンを開け、窓を解放してベランダを確認する。
「何も無いか……」
ベランダには左右に張られた一本の物干し竿と、右端に小さめの洗濯機が置かれているだけで、別段変わった点はない。
火野は一通り観察を終えると、そのまま隣りの「襖戸の部屋」の方に移動する。こちらの部屋も隣りと同じ6畳の和室で、構造的に唯一違うのは〝窓が小さい〟という点だけだった。部屋の隅には布団が二つ折りで畳んで置いてあり、こちらの部屋の方を寝室として利用していた事が伺えた。窓側まで歩みを進め入口方向に振り返ると、入口の横の窪んだ床の間に仏壇が置いてあり、中年の女性の小さな写真が飾られている。
――ウチのカミさん、一昨年病気で先に逝っちまってね……――
丸尾が去年の酒席で寂しげに語っていた映像が蘇る。
「奴ん所は子供も居なくてな……だからお前みたいな若いのの面倒見がすごく良いんだよ」
丸尾が大分に帰った後、佐伯が言っていた言葉を思い出し、一瞬、静かで整然としたその部屋の雰囲気が丸尾の心を映しているかの様に感じ、胸がつまる。
「一体どこに消えてしまったんだろう、丸尾さん……」
目の前にちょこんと置かれた小さな遺影を眺めながら、火野は下唇を噛みしめた。
――ジリリリーーン!ジリリリーーン!ジリリリーーン!――
突然家の電話が鳴る。
火野は驚いて電話の音がするダイニングキッチンの方へ小走りで駆け戻った。
――ジリリリーーン!ジリリリーーン!ジリリリーーン!――
電話に出るかどうか数秒ためらうも『出なければ』という不思議な衝動に突き動かされ火野はその黒い受話器に手を掛けた。
「はい………丸尾ですが……」
『………ザザッ………ザザッツ、ザザザザザザーーーー……』
受話器の向こうから、トランシーバーの待受時の様な機械的なノイズ音が聞こえる。
しばらくそのノイズ音に耳を澄ますと、その奥の方から微かな音声が聞こえるように感じ、火野は自分の耳に神経を集中する。
『ザザッ、ザザザザザ………情報を紡げ……火野………ザザッ、ザザザザ……』
「え?」
『プツッツ!………プーーッ、プーーッ、プーーッ、プーーッ……』
――今の?…………佐伯さん!?――
受話器の向こうから聞こえたその言葉に、火野の記憶の断片が高速でフラッシュバックする。火野は上着の胸ポケットから手帳を取り出すと四つ折りに挟んだジョン・ベイダーのメモ書きを開き、まじまじと見つめ直す。
「お堂の下……」
何かに気が付いたように、火野はそそくさと身支度をして団地を飛び出すと、バス停に向い走り出した。
*********
16時 40分 博多駅西口イノウエ写真店。
「お客さんが言うとった〝巻物〟の写真、『八切り』で12枚分……こんな感じで仕上がったけん。念のため確認してくれんね」
そう言って、店の主人は焼き上がった写真をテーブルの上に広げた。火野はこの日の朝一番でこのイノウエ写真店のドアを叩き、先日資料館で撮影した〝巻物〟の映像が入ったフィルムの現像と即日プリントを依頼しており、蝦見糸村に戻る前にその引取りに来たのだった。火野がざっと目を通した限り、写真は一様に綺麗に仕上っており、文句のない出来栄えであった。
「……問題ありませんね。細かい文字もしっかり読めますし」
火野の言葉に少し眉間にしわを寄せて主人は返す。
「そりゃ、八切りですからね。カメラもちゃんとなさってますし……」
――大枚はたいてるしな――
主人の台詞に複雑な笑みを浮かべつつ火野は会話を続ける。
「ところでご主人、この近くに郵便局はありますかね?この写真、速達で東京に出してしまいたいんで……」
そのセリフを聞いて急に主人は焦り出す。
「ああ、そう言えばそんな話でしたよね。郵便局はこの目の前の通りを渡って、右の方、10メートルもかからない所ですけど、窓口が5時迄なんで急がないと……」
主人はそう言いながら、写真をすばやく束ねて用意していた大きめの封筒にサッと放り入れた。火野はいそいそと代金を主人に渡し、封筒を受け取る。
「ああ、お客さん、残りの〝妙な8枚〟ですが、サービスで手札版で焼いて入れときましたから」
店から飛び出そうとする火野に主人が声をかけた。
「ありがとうございます!じゃぁ、急ぎますんでこれで」
火野は小走りに信号を渡り、右方向へと駈けていく。
――妙な8枚?……露出がおかしかったかな?――
資料館での撮影前にカメラを使ったのは手まり堂の堂内だったので、薄暗い状況の中、露出を間違えた可能性は大いにあった。
「とにかく、急がないと間に合わんぞコレ……」
火野は郵便局入口になだれ込み、その勢いのまま郵便窓口のテーブルに被り付く。局の柱時計に目をやると、時間は4時55分を回っている。
「東京に速達を出したいんですけど、急いで宛名を書いちゃいますからここ、少し開けておいてもらえませんか?」
窓口の局員は微笑みながら頷く。
「今並んでいるお客様は対応しますんで、慌てなくても大丈夫ですよ」
火野はホッとして中央の作業スペースに移動すると、今しがたカバンに入れた封筒を取り出す。
「関係ない写真は送れないからな……」
火野は大判封筒の中から写真屋の主人が入れてくれた小袋を取り出すと、作業台の上に中の写真を広げた。
『!』
「…………何だ……………これは………」
作業台の上に散らばった手まり堂内部の写真。
そこには写るはずの無い奇妙な人間の頭部の様な物体が写りこんでいた。
――やはり問題は〝手まり堂〟……――
火野の脳内を佐伯の言葉が木霊する。
「お客さーん。もう5分過ぎてますけどまだかかりますかー?……お客さーーん……」
窓口の局員の声が客のいない無人のフロア内に響く。
火野はその青白き異形の者達を ただ真っ直ぐに見つめていた……
(つづく)
~あとがき~
このペースで書き進めれば、
『序』章は、今月(7月)の中頃には書き上がりそうです。
クライマックスに向け、
火野のアクションも加速していきます!
(あまりビューが上がらず不安……
ホラー好きな人が少ないのだろうか……
そもそも、文章がなってないのか!?)
(羽夢屋敷)




