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手まりの森(第一章)  作者: 羽夢屋敷
22/29

序 ~見えざる世界/ 08~

火野が佐伯から受けついだ意志は

膨らみつつも独自の進化を遂げていく……


それが良いことなのか悪いことなのか?

未来は本人にも分からない。


人は答えの無い答えを求め

力強く彷徨う。

  挿絵(By みてみん)



  13時30分  蝦見糸村熊乃経旅館。   


 昼御飯にありつけないまま旅館に辿り着いた火野は、宿の老女将の計らいで中座敷に通され、その日の昼食に出されたメニュー『すいとん』が出てくるのを慣れない正座の姿勢でじっと待っていた。足を折りたたんでから10分も経たぬうちに女将が食事一式をお盆に乗せて戻ってくる。


「いやぁ、佐伯しゃん……ほんなこつお気の毒やったねえ。……ま、食べんしゃいな…………ああ、足、楽にしんしゃいね」


 手際よく配膳を行い、余計なことも喋らず、口を一文字に閉じで戻って行く女将の瞳は心なしか赤く潤んで見えた。佐伯とのそれなりの親交のほどが伝わり、火野の方も思わず押し殺していた感情が込み上がってしまう。

 佐伯の死からそう時間も経っていない今、この年配の女将に事件関連の情報を根ほり葉ほり聞くのは非常識かつあまりに無神経である。ここ、熊乃経旅館については『体を休める為の宿泊拠点』として使おう、と、火野は始めから心に決めていたが、案の定、火野の席から見える台所作業を行う老女の後ろ姿は、何とも言えぬ悲しみを孕んで見えた。


「しかしアメリカとは………タイミングが悪かったな」


 火野の口から無意識にぼそっと恨み節が出る。

 役所での取材で勢い付いた火野は、その流れで病院に連絡をするも、聞き取りを行うべき対象である田代が、運悪く「長期休暇中」で医院には出ていないとの事だった。何でもアメリカの研究学会が主催する医学シンポジウムに参加中との事で、通常勤務に戻るのは丁度一週間後という話であった。

 夕方、タクシーで旅館に向う予定だった火野は、急遽「午後に一本しか出ない」というバスに乗りこみ早めに旅館に到着した、という状況であった。


「あ、おカミさん。この近くの『蝦見糸資料館』の電話番号とか、わかりますかねー」

 すいとんを口に運ぶ箸の動きを止め、火野が台所の方へ声を投げる。


「資料館かぇー。番号はすぐわかるけん後で教えるばいー。」

 女将は良く通る大きな声で即答してくる。佐伯もきっとこんな感じだったんだろうな、などと想像し、火野の口元が少し緩む。

 しばらくするとお盆にお茶の用意をした女将がやってきて、その茶をいれつつテキパキと空いた器を盆の方に戻していく。


「これ、資料館の番号。地図も書いときましたけん」

 そう言って女将はお盆の端にあったメモ片を火野の前に差し出す。メモには電話番号と、

よれた数本の直線で地図らしき物が描かれていた。


「歩きじゃ不便じゃろから、裏にある自転車を使うとええよ。佐伯しゃんも使ってたし」

「ありがとうございます。……あ、あとで電話をお借りしても良いですか?」


 火野の質問に女将は顔を顰めて返答する。

「ここは旅館ばい。好きなだけ使うてくてええよ……………で?」

 女将が突然、火野に疑問符を投げる。

「で、あんたさんは何を?」

「?」

 真剣な表情で問いかける女将に、火野は何事かと訝しむ。


「あんた、はるばる東京から来ちょるんに取材じゃねぇんかえ?……聞く事ねぇん?」


 こちらの仕事を気遣ってくれている事が分かり、火野は慌てて説明する。

「ああ、気にしないでください。今回はこの宿は寝泊りだけが目的なんで……」

 火野の顏をじっと見ながら女将は「腑に落ちない」といった感じでつぶやいた。


「へぇー。そういう事かい……ばってん、聞きたいことがあったら遠慮せんと聞いてくだせぇな。……ちっとは話した方が気が楽になったりもするけん……」

 女将はそこまで言うと、突然ニヤッと微笑んだ。


「お、お気遣いありがとうございます。……じゃぁ、その時は声をかけますね」

 その微笑みが少し妖怪じみて感じ、火野の方は思わずいびつな笑顔を返してしまう。


――お前、なんてリアクションだ……――


 心の中で火野は自分に舌打ちする。


 そんな火野の様子をまじまじと見つめながら女将は言った。

「あんた、目ん下んクマがひどかねー。まずは風呂に入ってきんしゃい。風呂に」



 火野は荷物もそのままに、言われるがまま宿の自慢の内風呂へと案内された。



 *********


  14時30分


 宿の内湯をいただき、翌日の資料館への取材時間の確認も終えた火野は、静かな6畳の和室でぼうっと外の景色を眺めていた。

「まだ時間も早いし、行ってみるか……古部家に」


 明日の午前中に資料館訪問→六ツ鳥居の森→古部邸視察、という順で調査を進める予定を立てていた火野だったが、時間を持て余しているのがもったいなく感じ出し、天気の良いこの日の内に「忌み家」である古部邸を探索してしまおうと考えを改める。

 古部邸を視察する事を話すと、女将はしぶしぶ古部家への道順を説明してくれた。女将が渋ったのは先に佐伯がこの宿を訪れた際、同じように森や古部家など「忌み地」を探索し、えらい目にあった事が記憶に新しかったからである。『自分は日中に短時間しか調査しないから大丈夫』と説き伏せ、やっと女将が首を縦に振るという状況であった。


「自転車なら5分もかからんが………ほんなこつ気ぃ付けてな……」


 泣きそうな顔で見送る女将を前にし火野は精一杯の笑顔を返す。

 女将は火野の強引な作り笑いにつられ、呆れたように少し笑った。


「あんた、そげんおかしな顔して……忌地なんやけんね。ほんなこつ……」

「本当にすぐ帰りますから。1時間もかからないうちに戻りますよ」


 火野はそう言って、年代物の自転車のペダルを力強く踏み込んだ。


 



  14時50分


 目的の『古部家』に到着する。

 火野は、屋敷の全景が写るように少し距離を置いた場所から数回シャッターを切った。


「思ってたより立派な建物だな。大家族の平屋ってこんな感じなのか……」


 正面玄関と思われる戸口は完全に塞がっている。火野は女将に聞いた〝家族専用の出入り口〟から屋敷の敷地内へと入っていく。敷地に入って真っ先に目に飛び込んできたのは10メートルほど先に生えている大きな「柿の木」だった。柿の木を視界に入れつつ母屋に沿って真っ直ぐ進むと、木の少し手前で立派な玄関が現れる。火野は3センチほど開いていた玄関戸の隙間に指を差し入れると、その引戸を一気にガラガラと開けた。


「こんにちはー。どなたかいらっしゃいますかー」


 恐怖心を誤魔化すように火野は無人の屋敷内に向い声をかける。当然、返答など返っては来ない。宿の女将の話では「中はとても暗いらしいから懐中電灯が必要だろう」との事だったが、先に来た佐伯が開けたのだろうか周囲の雨戸は全て開いており、外から差し込む自然光だけで室内確認には十分な明るさが得られていた。火野は土足のままチリの積もった屋敷内へと足を踏み入れる。


「キィッ……キキィッ……キィッ……キキィッ……」


 室内にあがってすぐ右斜め前に見えた大きな廊下を慎重に進む火野の耳に、気味の悪い〝きしみ音〟が響く。建物の造りは相当しっかりしていそうではあるが、長い時間の経過により床板はだいぶヘタっている様子だ。屋敷の外壁位置にあたるその廊下の右側には大きな縦長の窓が4枚連なって並んでおり、それなりの明るさを保っている。ただ、奥側の2枚の方は雨戸が閉まっており周囲はかなり薄暗い状態だ。


「奥は懐中電灯がないとツラそうだな……」

 用意してきた懐中電灯を出す為に、肩掛けカバンを一度床に下ろす。



「コツンッ……」



 何か小さな物音がしたような気がし、驚いて音の方に振り返る。

 後方には「一間」程の幅のスペースに縦長のガラス戸が2枚並んでおり、玄関に入る前に目にした中庭の柿の木が丁度見えている。特に何も無いようなのでそのまま前方に視線を戻そうとしたその時、火野は薄暗い壁際の隅に何かがある事に気が付く。


  挿絵(By みてみん)



「…………手まり?」



 火野は、発見した小さな球体に恐るおそる近付いていく。




『……キ……ノ………タ……』




 突然、窓側から押しつぶしたような男の声が聞こえ、とっさに窓の方に眼を向ける。




――グオオオオオオオオオオーーーーッ……――




 窓越し、ほんの目と鼻の先にあったのは〝巨大な炎の柱〟であった。


「!!!」


 火野は驚きのあまり体をピクリとも動かせず、ただ目の前の光景を凝視する。



『……ノ………タ…………キ……ノ……』



――グオオオオオオオオオオーーーーッ……――



 炎の中で黒焦げの人間が何かを呟いている。まるで自分が業火の中心に居るかのような燃え盛るごう音の中、肉の爆ぜる音が不気味なアクセントを刻む。その炎の中で、カッと見開いた2つの目がこちらを見据え、まばたきすら許さない強烈な圧を発していた。


「……………佐伯……先輩?」


 火野の言葉と同時に突然炎は掻き消え、まるで映画のシーンがいきなり切り替わったかの様に平穏な中庭の景色が眼前に広がる。足元を見ると、先ほどあったはずの手まりもどこかへ消え失せていた。




「ピピピ……チチチチ……」


 庭先で数匹のスズメが楽しそうに砂浴びをしている。



「何だ今のは………幻覚か?……」


 混乱する頭を元に戻そうと、火野は右手の平の付け根で頭をトントンと数回叩く。

「幽霊…………まさかこんな真っ昼間に、ないよな。それは………?」


 高まる鼓動を必死に抑え、自分に言い聞かせるように独り言をつぶやく火野。だが、その言葉も終わらぬうちに、再び背後から異様な何かの気配が漂ってくる。火野は慎重に体を左方にひねり、薄暗い廊下の奥の方にゆっくりと視線を送る。


『!』


 火野の目に入ってきたのは、廊下の一番奥の暗闇の中、こちらを向いて整然と立っている6人の家族の姿だった。


「ふ………古部………???」


 火野は腰を抜かしたように一瞬ぺたりと座り込んでしまうが、必死の思いで己の全神経に号令をかける。



――やばい!これはやばいぞ!……逃げるんだ!ここからすぐに!――



 火野は左右のひざを両手で思い切り何度も叩き、よろめきながらも何とか古部邸の敷地の外へと逃げ出した。




 口から心臓が飛び出すほどの激しい鼓動と全身を襲う悪寒が、今しがた起きた出来事がまぎれもない現実である事をまざまざと伝えていた。ほんの数分の出来事ではあったが、火野のシャツは嫌な汗でぐっしょりと濡れている。


「……俺は乗り切れるのか?…………こんなのを……」


 地面にへたり込み、懸命に呼吸を整えながら火野は自問自答する。



「痛ッ」



 首筋に刺すような痛みを感じ、火野は小さな声を上げる。





 その小さな痛みにどんな意味があるのか、

 その時の火野は知る由も無かった。



           (つづく)

 


~あとがき~


飼っているヤドカリが脱皮の為に土の中に入り、

はや2週間が過ぎました。


脱皮はすでに3回成功していますが、

失敗して死んでしまう事も珍しくないと聞きます。


今回も無事に生還しますように……



(羽夢屋敷)


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