序 ~見えざる世界/ 07~
忽然と消えた葉月。
目の前で起きたことは現実なのか幻なのか。
いずれにせよ火野は
未知の領域への一歩を踏み出したのだ。
12時30分 志馬邸(舟越沙奈江の実家)到着。
「帰りは下りやから、歩きでも30分くらいで戻れるよ」
運転手はそう言って器用に車を切り返し、元来た方向に戻って行った。
「ここか。……少しでも沙奈江絡みの新情報が聞けると良いんだが」
東京からの連絡は不通、ここ京都に着いてからの電話も全く繋がらない状態であった為、火野は直接志馬邸を訪れた。大きく目立つ緑の屋根のその邸宅は、曇りだと言うのに一階の窓のカーテンは全て閉ざされ、二階に至っては半分の雨戸が閉まっている状態だ。ふと、かすかな異臭に気が付き、においの方向に目をやる。視線の先には空っぽの犬小屋と銀色のボールが映る。目を凝らすとボールの周辺を沢山の蠅が飛び回っているのが分かる……
異臭の原因は「腐った犬の餌」のようだった。
何とも言えない嫌な空気を感じつつ、火野は目の前の邸宅の玄関を叩く。
「志馬さーん!……ご在宅ですかーー?……志馬さーん!」
ドアをノックする―呼びかける、を繰り返すが家の中からは何の反応もない。
火野は思い切ってその大きな扉のドアノブに手をかける。鍵はかかっている。
『チリリーン!チリリーン!』
不意に響いた背後からの呼び鈴の音で、火野は慌てて後ろを振り向いた。
「あんた!そこで何してはるの?」
声の主は、白Tシャツに作業ズボン姿で自転車にまたがる70才位の爺さんだった。
「志馬さんに何か用かい?」
爺さんは自転車を脇に停めると、首にかけた手ぬぐいで顏を拭き拭き近付いてくる。
火野は怪しまれぬよう急いで反応した。
「あ、……私、東京から来た雑誌社の者でして、取材の為にここに伺ったのですが……」
爺さんはきょとんとした顔になる。
「あんた、何も知らんの?志馬さんは先週お亡くなりになったで」
「え?」
午前中の不可解な現象を強引に思い出さないようにしていた火野だったが、張っていた気持ちが一瞬でぐらぐらと揺らぎだす。
「あ、あの………たしか、義理の妹さんも一緒に暮らしてましたよね?」
火野の言葉に爺さんは眉をひそめて、残念そうに告げた。
「あー芳子さんねー。あの子も残念やったわー若いのに。……あれさ。ここの父っつあんが退院するんで二人で迎えに行ってな。その帰りに事故で全員亡くなってしもうたんや」
――ワン!ワン!ワン!ワン!――
爺さんの来た道を勢いよく一匹の柴犬が追いかけて来て、爺さんの横にちょこんと陣取った。
「ご近所だしコイツはワシがもろーてやったんやが、酷い話やで全く……」
火野は言葉を失い、呆然とただ固唾を飲む事しかできなかった。
*********
22時30分
列車に揺られながら火野は今日起こった出来事を思い返していた。本格的な調査に入りたった一日で「佐伯が直面していた未知なるものの底の深さ」を実感した火野は、緩やかな静寂の中で身体をこわばらせていた。
――……先輩はこんな訳のわからないものと戦っていたのか――
座席の小さな夜間用電灯を頼りに手帳を確認していた火野は、それを勢いよくパタンと閉じると、突然、思い立ったように列車の窓を引き上げ、そこから身を乗り出す。
闇の中を疾走する列車の爆音と鼻腔を襲う草木の香りが火野の頭をクリアにしていく。
「ああああああああああーーーーーーーー!」
火野は人目をはばからず遠方の山の方に向い腹の底から声を上げる。
頬を殴りつけていく風が、火野の恐怖心を少しずつ吹き飛ばしていく。
満天の星空の中、薄赤く光る月が、ぽつんと気味悪く笑っていた……
*********
8月 2日 11時 福岡市役所。
取材の開始時間は11時半からだった。所長との約束時間より30分も早く役所に到着してしまった火野は「早く着きすぎたな」と思いつつも一応、役所の窓口で受付を済ませる。開けっ放した出入り口からは、久々に気持ちの良い穏やかな風が流れ込んでいる。
火野の姿を見つけた中年の男がすいと近寄り、笑顔で話しかけてきた。
「火野さん?……東京の」
「え?……はい。そうですが」
「そのカメラでわかりましたよ、記者さんて………ああ、すいません。所長の村山です」
そう言って男は軽く会釈をした。
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「これが佐伯さんが確認されていた資料です。その真ん中辺の「しおり」が挟んである所です。蝦見糸の事件関係のところは……」
所長室のテーブルの上には既に一冊のファイルが用意してあった。火野は所長に言われるままファイルの上方に突き出たしおりの部分でそれを広げる。開いたページの最初には「六ツ鳥居事件の新聞記事」の切り抜きがあり、その後ろに数ページ、手書きの資料が続いている。新聞記事については火野は既に同類の資料を取得済みだったので、その部分はさらっと流し読みし、目的の「手書き資料」の方に着目する。
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六ツ鳥居事件の考察
一九四二年 七月二十一日
古部亜紀の行方に関しては、現状も手がかりの無い状態が続いている。
実際に事件が起こった十九日の夕刻に現場に居た付き役の話もちぐはぐで、実際に何が起きたかについては断定できかねる状況ではあるが、今回、本当に影人らの介入があったと見るには未だ時期尚早かと思われる。
現状までに確認が取れた付き役からの報告内容には不審な点が多々あるが、今回注目すべきは生きた人間が『門』をくぐったという報告であり、仮にこれが事実だとすれば現在において再現不可能とされる古来術式と同等の封印式を組める可能性も出てくる。
今回の一件で、長年続く祓衆による術式が「経年劣化」する事が明らかになり、一つのデータ獲得という意味では確かに有意義ではあったが、それに伴い近年稀に見ない強力な監視役を失ってしまった事は我々にとって大きな損失であったともいえる。言うまでも無い事だが、強力な魔を監視し、封ずる事ができる能力者は祓衆の中からでも然うは出現しない(不本意ながら、今後はプランβの始動も念頭に置かねばなるまい)。
いずれにせよ現在のこの「封印安定状態」が続く内に次なる手を打つ必要があるというのが我々と祓衆側の同見解であり、できるだけ早急に内閣府のリードのもと具体的対処法の検討会を開催すべきと考える。
最後に現在の亜紀に関してだが、祓衆によると「精神の波動が微量しか感知できない(すなわち大変危険な)状態」にあるらしい。事件前週の監視者からの報告によれば、現段階で亜紀は既に〝重度の侵奪状態〟にあるとの報告がでており、この状況から亜紀は恐らく尊徳との完全同期を完了していたと推測できる。
仮に影人らにより亜紀が発見されてしまう、もしくは既に彼らの手にある場合は、最悪のシナリオも覚悟せねばなるまい。
~現状において我々がとるべき道は2つ~
①亜紀の発見及び確保
②御神体と札の奪還
(②ができれば最悪の場合「亜紀不在」でも対処法はある)
※補足情報※
「神山信仁、舟越沙奈江、舟越無一」の3名に関しては『重要参考人』扱いとし、現在警視庁関連部署が総力をあげて調査中との事。
祓衆曰く「現状は3人とも生きている」との事なので、情報つかめ次第共有したい。
以上。
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火野は、佐伯の手帳に示された情報と原文資料とを交互に見比べる。それらを照らし合わると、それまで火野の中でブツ切れだった断片情報が次々に繋がり出す……
「なるほど……そもそもこのアキという少女は、事件の起きる随分前からこの祓衆が用意した監査役、つまり『舟越沙奈恵』に監視され続けていたという訳か。そして、アキは生まれながらにその身に「御神体」なる邪悪な腫瘍を宿していた……文章からすると、この〝完全同期〟と書かれた直前の単語が亜紀に憑依していた怨霊の名前のようだが……」
ぶつぶつと独り言をいう火野を心配そうに眺めていた所長が、堪りかねて声をかける。
「あのぉ…………何かわかりましたかね、その資料から?……」
「これ、この文字!この名前、何て読むと思います?〝そんどく〟?〝そんとく〟?」
いきなり振り向かれ、大声でまくしたてる火野に所長は反射的に即答する。
「そりゃ、名前なら〝そんとく〟でしょう。知らんけど」
「ですよねー……うん。尊徳か……でもこの『付き役』とか『影びと』ってのは何だろう……それにこの『門』を通るって部分も気になるな……」
再び考え込み、何かを呟き始めた火野から視線を外し、所長はお茶の用意をし出す。
『あ!……ここ!』
突然火野が声を上げた。
「ど、どうなさった?」
所長は、お盆に乗せた茶菓子セットをテーブルの上に慌てて置き、火野の指差す箇所に視線をやる。
「先輩のメモでは、役所で見た手書き資料の方は〝報告者不明〟となってたんですが……見てくださいここ。書いてあった文字をマジックか何かで消してありますよね」
「はぁ、確かに……でもそれが何か?」
「これちょっと薄い感じしませんか?たぶんマジックインキですよ。少し薄まった」
「??……でも、真っ黒で何も読めんですよね?……まさか、マジックの部分だけインクが落ちる訳でもあるまいし……それ、コピーですから」
所長は呆れ顏で薄笑いしている。
「たぶん先輩もそんな風にハナから諦めてたんでしょ……見えるかもしれませんよ、そのマジックの中身。俺、中学の時新聞部だったんです」
「???」
所長は訳もわからず、言われるがままにそのページをファイルから外して火野に手渡した。火野はその紙片をいきなり蛍光灯に当てて一点を凝視する。
「ビンゴだ!」
黒塗り部分に視線を集中したまま微笑む火野。
所長は驚いて火野の横に顏を近づけ同じように目を細める。
「まさか、こんな事で奥の文字が見える訳………!……え?え?……なんで?……うっすらだけどちゃんと見える???」
「でしょ。同じ黒でも刷り上がりが微妙に違う場合は、普通にみたら真っ黒でもこうやって透かすと文字が見える場合があるんですよ」
キツネにつままれたように目を丸くしている所長をよそに火野は文字を確認していく。
「山………根………勝………信………山根勝信と書いてありますね。まぁ、名前だけじゃどこの誰だかさっぱりですけど」
「いやぁ。東京の記者さんはすんごぃのぉ……まるで探偵さんのごたーなあえ……」
所長は感心しきって普段は気にしている方言で言葉を返していた。
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一通りの資料を確認した後、少しだけ佐伯の訪問時の話を聞き火野は所長と別れた。
「さて、博多近辺で次に行くのは……」
火野は佐伯の手帳からある電話番号を確認し、そのページに指を挟みながら役所の電話口に急いだ。
「この辺の病院って、お昼も電話受けてもらえますよね?」
奥の職員がこちらを向いて、片手で「OK」のサインを作ってみせた。
(つづく)
~あとがき~
先日、飲み会の帰りに「事務所のカギ」を忘れてしまい、
入り口横の階段で暫くうたた寝をしてしまったのですが、
その間に、横に置いておいた手さげ袋に入れていた
ケータイが消えてしまっておりました。(間抜けーーっ!)
盗まれたのなら、瞬時に売られてしまうだろうから×。
どこかで落としたとしたなら出てくる可能性もあり△。
でも状況的には限りなく「×」。。。
買い換えて1年くらいしか使ってないのになぁ……
トホホホ~……
(羽夢屋敷)




