序 ~見えざる世界/ 04~
7月28日、火野の眼の前で佐伯は炎に包まれた……
一体彼に何があったのか?
なぜ彼は死ななければならなかったのか?
彼の手帳は何を物語るのか?
--- 手 帳 ---
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6/13
9:30
デスクより8月のホラー特集用記事の依頼
タイトル決定済み→「昭和の怪死事件」
11:30
→関に連絡。明日、毎潮新聞社で打ち合わせ
6/14
17:00 毎潮新聞社打ち合せ(関)
◎TV局スタッフ変死事件→1957.6/20
・番組関係者6名がスタジオ内で変死
→祟りが原因 (?まさか)
・『日本の奇祭』という特番で「まり供養祭」という祭りを
調べていたとの事
・ひどい「殺傷事件」があり現在は祭事を行っていないとの事
☆「六ツ鳥居」という森で最後の取材を敢行
(※「手まり堂」というお堂周辺を撮影)
→現地人とトラブルをおこしたらしい
※現地調査必須か?
福岡県○○市-蝦見糸村○○-○○
・事件の目撃者
◎北見 亮 都内在住 / 電話○○○-○○○○
→※取材OK(16日20蒔:新橋のおでん屋「板幸」)
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6/16
20:00 新橋おでん屋「板幸」(北見-取材)
・スタジオでの事件直後「6つの生首」の霊が出現
・6人の頭上に照明器具が直撃、全員頭部が陥没状態となるも
死なずに「笑い続けていた」らしい(アホか)
・6人の頭が「生首の霊の頭」と少しの間入れかわる
・声も全く別人(???)
・6人のロケ映像が最初の確認時の映像と全く別物になっていた
→お蔵入りの本当の理由はコレ
※映像は「たまTV」の開けずの棚に保管(怪談か?)
6/17
9:30 毎潮新聞社の関に電話連絡→たまTVへの取材の打診
(「開けずの棚」の情報とる)
11:00 関から連絡
→※6/18の11:00~取材OK(たまTV関→関のオジ)
6/18
11:30 たまTV取材(4階第1応接 関)
~以下、棚にあった「お蔵入りテープ」の内容~
・1957年6月 『日本の奇祭内-まり供養祭』
・「手まり堂」の先行ロケ(スタッフ:女1、男5)
・女がお堂の札をはがした辺りから変な現象
→首6つ出現。6人の首が無くなる(こんな映像初めて見た!)
15:40 帰社→北見から手紙と気味悪い札が届いていた
→新橋の郵便局前で北見が早朝死亡!(信じられん)
16:00 警察に連絡→おでん屋の話を根掘り葉掘り聞かれる
※北見の死因=「窒息死」との事。何で?
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☆デスクから10日間の長期取材の許可 -GOOD!
21時 大分の丸尾に電話連絡→六ツ鳥居事件の調査を依頼
6/19
10:00 福岡市役所に連絡。所長への取材依頼
→OK(6/21の13時)
10:30 東洋大の清水教授に電話→北見の札の話を説明
※午後に研究室に来るよう言われる
12:30 東洋大(清水と会談)
<「札」の解説>
・呪術で使う特殊な札
・似ている呪文の別の札を見せられた
→裏の記号で効果が変わるらしいが正直ちんぷんかんぷん
(文字は気安く読んではいけないらしい)
※六つ鳥居→「ごろんぼう」に祟られるらしい
(ごろんぼうって何???)
19:20 丸尾から自宅に連絡
<依頼した惨殺事件の情報>
『蝦見糸村古部家一家殺人事件』=通称「六ツ鳥居惨殺事件」
・一家六人が殺害され森の六つの井戸に遺体が捨てられた
・遺体は全て「首」が無く、全員が「手まり」を抱えていた
・六つの井戸から、一家以外に少なくとも「五十人以上」の
『首のない白骨』が見つかっていた。
・犯人以外に重要参考人が三名→人物情報が存在しない
・古部家の末娘だけが行方不明→この情報もなし
※明日酒会(6/20 20:30 →「つくし亭」)
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6/20
6:10 東京(6:40発「燕」 →中津(大分))
20:30 中津駅前-日本料理「つくし亭」(丸尾と会談)
~丸尾情報~
・六ツ鳥居周辺は「生首の霊」が出る事で有名
・ごろんぼう=『首の霊』のことらしい
・福岡県警で「六ツ鳥居事件」は禁忌の事件らしい
(この日は丸尾宅に一泊)
6/21
11:00 博多駅着
12:00 福岡市役所着→まず宿の手配
→「熊乃経旅館」(くまのえりょかん)
(※六ツ鳥居近辺の宿。婆さんが経営→17時迄に到着必須)
13:00 福岡市役所・所長への取材( 村山 彰 )
~所長情報~
・大戦中、蝦見糸地区で大量の行方不明者が出た時期あり
→調査記者は死亡
・奇妙な失踪事件が多発→2年で200人近い「神隠し」
(※1962年6月→園児バス47人が突然消える事件アリ)
<以下、新聞スクラップから抜粋>
「六ツ鳥居惨殺事件」福岡県民新聞 1942年7月20日号掲載
・薬問屋を営む古部一家6名が殺害(一家は7人の家族構成)
・遺体→「六ツ鳥居の森」の井戸から刺殺体で発見
(※末娘は行方不明)
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<古部家-家族構成>
・祖父 / 寿三郎(80)
・祖母 / シズエ(72)
・父 / 正造 (41)
・母 / 八重子(38)
・長男 / 幸助 (17)
・長女 / 照美 (15)
・末娘 / 亜紀 (6)
※犯人→保口陽一(植木職人 35)
○保口陽一について
・手まり堂を管理する『龍頭神社』の剪定師
・村民会の会員。若者らのリーダー的存在
○手書きのメモ資料(※記事とは別。報告者不明の奇妙な資料)
・事件前週に監視者より〝重度の侵奪状態〟との報告←??
・末娘アキは恐らく完全同期が完了←??
→「監視者」「侵奪状態」「完全同期」とあるが意味はナゾ
○行方不明になった監視者について
神山信仁、舟越沙奈江、舟越無一(監視補佐)
の三名の行方に関しては、関連部署が総力をあげて調査中
・丸尾情報「事件の重要参考人」=この3人の事?
(同姓「舟越」は夫婦?)
・神山信仁=神社の神主
(※神社=龍頭神社。森の敷地内にあるとの事)
16:40 熊乃経旅館に到着
~以下、女将(熊野シズ 81(婆様))情報~
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・ごろんぼうの歌(子供が偶然歌っていた)
※「コワカミのうた」→この地方に昔から伝わる「数え歌」
この地域に出没する「生首の霊」が、六ツ鳥居の森を彷徨う
様子を表した歌だとの事
一ツついては父のため
二ツついては母のため
三ツみんなはどこに居る
四ツ世の中おっかねえ
五ツいらはいごろんぼう
六ツ向こうに飛んでった
七ツなきんぼ乗っかって
八ツやしろにゃ入れまい
九ツここからとおりゃんせ
十でトリイはまっかっか
・古部正造→寿三郎が大戦で青島に派遣され店を継ぐ
(勤勉で誠実。他人に恨みを買うような人柄ではない)
・長男幸助→文武両道に秀でる。剣道で有名
・長女照美→明るく頭脳明晰。妹の面倒をよくみていた
・末娘アキ→産まれた時に体に大きなコブ。乳母車で散歩
・事件直前、泊まりに来ていた夫婦のもとに龍頭神社の神主が
訪ねてきた(※宿帳なし。夫婦=舟越夫婦 たぶん)
・六ツ鳥居事件の1~2年前に末娘が行方不明になった
・古部家→この宿から歩いて10分ほどの場所らしい
・古部家の女中によく薬を届けてもらっていた
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・六ツ鳥居には「龍頭神社」という神社があり、
その奥にある「手まり堂」というお堂で、昔はよく祭事を行っ
ていたらしい→今は無人状態
(年に数回、関係者らしき人が掃除に来てはいるらしい)
※婆様情報大量!
明日は「蝦見糸資料館」→「古部家」の順で調査を
6/22
10:20 蝦見糸資料館の館長を取材( 小西 薫 )
○古く江戸時代から伝わる『絵巻物』あり
→開示禁止との事。
※その昔この地域で、疫病が原因で村人が大量死したらしい
・昔は展示していた資料だが、見た人たちが体調を壊すなど、
妙な現象が続出したため閲覧禁止になったらしい
(館長は中を見た?)
○主犯:保口の追加情報
・小西が子供の頃、『子供会』で世話になった人物だとの事
・事件は「子供会の合宿」の2日後に発生 →不自然すぎ?
~以下、資料情報から抜粋~
○1895 6/19 まり供養祭開始
それ以前は「封印式」という儀式が58年間も続いていた
(※1894年 →神山信仁が龍頭神社三代目神主に就任)
~供養祭の内容~
・「毎年6/19」に手まり堂で実施
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↓供養祭続き
・主催→龍頭神社の神主
・祭り参加者→蝦見糸五地区の住民限定
・内閣府任命の『祓衆』により封印式も同時執行
(「祓衆」←どう読む?)
○古部亜紀に関する術後所見(報告書)
※1938 12/10 舟越沙奈江が作成
・12/3
→アキから切除した尊徳の御心体を『祓衆』本部に運び
陰陽術式を施す
(サッパリわからん…祓衆って何?陰陽術式とは?)
・医院で起こった一連の騒動
→公に出さないとの確約を得ている
(資料情報はここまで)
※アキは他人を呪い殺す力があるらしい?
(館長の子供時代の子供間での噂 →マユツバ )
※内閣ってどういう事?
13:00 六つ鳥居の森を調査
・龍頭神社の先→手まり堂
・お堂前の石階段→変な記号の石版×2
※中に縦穴(何か立てていた?)
・手まり堂内に妙な気配。周囲で変な物を見た(幻覚か?)
17:00 宿に戻る
→宿の前で鼻血を出して気を失ってたらしい(どういう事だ?)
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6/23
9:20 婆さんが介抱してくれていた様子(布団で目が覚める)
9:50 中津署に連絡→丸尾の方から夜連絡するとの事
11:20 古部家を調査
・古い手紙を入手
・奥座敷で「手まり」を発見
・何かの気配感じ屋敷を出た(次は懐中電灯必須!)
12:15 宿で手紙を確認
→古部家の長女に宛てた女中からのものだった
(※女中「生李香織」が「古部照美」に送った手紙)
13:00
→婆様に女中の実家の連絡先を教わり電話取材
生李 かおり (「なまり」と読む )
山口県○○市○○○ 電話:○○○-○○○○
~かおりの話~
〇アキの手術について
・かおり→1938年3月から1940年8月まで古部家に奉公
(同年の冬にアキの背中のコブの切除手術)
・1939.2月にアキ退院。
→春には自力で歩き出せるほど回復(早くないか?)
〇アキの特殊能力について
・特に情報なし。
テルミのアキに対する過剰な気配りが、少し奇妙だったとの事
〇古部家について
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↓かおりの話、続き
・古部家の人間は皆気さくで、おしなべて良い人柄
・ハンデを持って生まれたアキを皆で支えていた。
アキ自身聡明な子供で近所からも好かれていた
・アキは手術後性格が一変した。
その後古部家全体も陰湿な雰囲気になっていった
・かおりは奥方ともめた訳ではなく、古部一家全体の雰囲気に
耐えられなくなり女中を辞めたとのこと
〇アキの失踪について
・1940年6月に失踪
・夕方に突然姿を消し、翌朝「妙なズタ袋」を引きずり
泥だらけで帰宅
→袋の事を訪ねると、聞いたこともない声で文句を言われる
(北見の話に似てる?→幼女が森で一日過ごした??)
〇アキの退院後から訪問者
・アキ退院時、神主と若い女が一緒に古部家にやってきた
・二人はその後1~2ヶ月に1度ペースで屋敷を訪問
・女は毎回妙なまじないを実施(香を炊いてアキの背中に煙を
吹きかけるという内容)
※この女は『舟越沙奈江』に間違いナシ!
・アキの手術の執刀医は「田代」(博多の総合病院の院長)
・田代は手術前の往診で「神山・舟越沙奈江」と一緒に数度
古部家を訪れたとのこと!
・この時、もう一人中年の男が同行
(まさか『舟越無一』??)
→田代に聞く! 田代医院 ○○○-○○○○
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15:20 田代医院に連絡
→明日14時、医院長の田代との打ち合せ確定
18:00 東京に連絡
→「舟越夫婦」と「祓衆」の情報集めを依頼
6/24
14:40 田代医院にて院長取材( 田代英・すぐる)
・アキの手術の依頼主はなぜか政府のお偉いさん
・アキの手術の直前、医師会より「神山」と「舟越夫婦」を
手術現場に同席させる様、命令があった
・術後の定期経過確認で「アキ」の元を訪れていた際に、
田代に同行していた連中もこの3人で間違いないとのこと
<1938年12月3日 アキの腫瘍の摘出手術実施>
・摘出された腫瘍は「奇形嚢腫」
→産まれてくるはずの姉妹の脳髄が丸ごと格納(???)
・摘出した脳は舟越無一に引き取られた
・手術中、奇妙な現象が立て続けに起こり、何人かの医師が
怪我をした
・舟越沙奈江が終始妙なまじないを行っていた(←重要!)
・オペに加わった女医1名が錯乱、田代は事故で硫酸を被って
しまい顔に大火傷を負う
・手術前に撮影したアキの写真から1枚を拝借する
(調査資料として使用という条件付きで借りれた。外だし厳禁)
17:10→火野に連絡、調査状況を確認
・舟越無一の情報→「超常現象研究科の大家」という事意外、
特に参考になる情報ナシ
~以下火野情報~
◎舟越 無一(失踪時:42)
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↓舟越情報続き
・1922年3月 東京大学医学部卒
・1922年4月 関東行動心理研究所にて研究職につく
・1925年8月 日本超常現象研究学会を設立
・1934年3月 沙奈江と結婚(※沙奈江はもと教え子)
・1937年2月 英オックスフォード大学に招かれ講演
・1941年4月 超能力実験番組への出演で注目される
同年出版した著書『世界の超常現象』がヒット
※「子供の能力者を用いた臨床実験」を多く行っていたが、
これに関しては賛否両論だったらしい
→「?衆」の情報はナシ。火野にしては上出来か…
18:00 丸尾から宿に電話
→明日、中津警察署で直接会って話をする段取り決定
6/25
12:30 中津警察署(3階取調室)にて丸尾と情報共有会
~祓衆の追加情報あり~
→大変昔から存在する「政府絡みのまじない集団」だとの事
・祓衆=「はらいしゅう」と読むらしい。
※舟越沙奈江はこの「祓衆」メンバーとみて間違いナシ!
・沙奈江の実家の住所取得(※志馬は沙奈江の旧姓)
志馬 兵衛・多江子 (しばひょうえ・たえこ)
京都府○○市○○町○-○ 電話 ○○○-○○○
13:20 中津駅から沙奈江の実家に連絡
→※取材許可をもらう (6/27の昼に自宅訪問)
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6/26
11:00
先日首に出た変な「アザ」に鈍痛→念のため田代病院で受診
12:20 翌々日の取材の為、京都に出発
(※26日は京都駅近くに泊まり、翌27日に取材敢行)
〇6/27
11:50 沙奈江の母「志馬多江子」への取材
・義理妹「芳子」が同席
(主人の「兵衛」は体を壊して入院中とのこと)
・祓衆であろう男「葉月宗雄」の連絡先を入手
・舟越夫婦には「ケイコ」という娘がおり、現在島根の
精神病院に入院中→20年以上も入院しているらしい
(※念のため、こちらの連絡先も教えてもらった)
<祓衆>
京都府○○市○○町○○ 電話○○○-○○○○
東亜風水研究グループ 神水会
京都支部 主任研究員
葉月 宗雄
<舟越ケイコ(島根の病院)>
東野病院
島根県出雲市○○町○○ 電話○○○-○○○○
16:00 「神水会」に電話連絡
→※明日15時 京都駅前、喫茶「桃源」にて葉月本人と会談
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6/28
10:00 京都府立図書館
・神水会→関連記事を発見(たぶん関与?△、してそう)
〇1940.8/29
「奥羽野ダム開発予定地で死傷者200人の大火災」
→同地域で1年前から原因不明の火災事故が多発している。
※38年に起きた大火災の被害者たちの祟りでは?
との声があがる→国×住民
神社を建立し政府主導で公開祈祷式実施
→境内に清めの井戸が掘られる。
施工担当業者=『神水建設』
12:50 京都市役所
〇神水建設:1955年に解体~執行部が中心となり宗教法人化
・「風水研究グループ」としての正式な登記は現在存在しない
☆神水会=祓衆母体 葉月=祓衆関係者 →ほぼ決まり!
14:30 京都駅北口 喫茶「桃源」にて葉月と会談
~葉月情報~
・祓衆は江戸末期より続く政府お抱えの呪術集団であるとの事
・祓衆関係者であった舟越無一(祓衆ではない)が「沙奈江」を
会に紹介
・沙奈江は呪術師として能力が大変高く1年で幹部に就任
→特殊事例を任されるようになる
・沙奈江はアキに憑依した怨霊の除霊を強行し、夫とともに命を
落としたらしいが、詳細は話せないとのこと
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↓葉月情報続き
・除霊成功の可否についてもノーコメント
(神主「神山」の行方については祓衆も分からんらしい……)
・資料館で得た沙奈江のレポートに
「尊徳の御心体を祓衆本部に運び陰陽術式を施す」
との部分があったが、これは何を意味しているのか?
→尊徳というのは前述の「大怨霊」を指しているが、こちらも
詳しいことは話せないとのこと
(摘出した脳が「御心体」にあたるだろうと想像はつくが…)
・北見が残した札は『生贄の札』といって封印儀式に利用する
ものらしい→「非常に危険だ」との事で没収された
・封印儀式に使用される札には『絶界の札』というものも存在し、
絶大な力があるそうだが、今はほぼ現存しないらしい
・祓衆本部が比叡山の山中にあるとの事。
→「お祓いを受けろ」と助言される
・何かあったら「舟越ケイコ」を訪ねろとの事。(理由は不明)
16:30→東京に向け出立
葉月=祓衆だったが、ことの外いい男で驚いた
→もらったペンダントは紛失(縁起悪い)
6/29
7:50 東京駅到着
→会社についたらすぐ原稿まとめる!
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(つづく)
~あとがき~
佐伯が残した手帳。
そこには彼の時間が濃縮されている……
次回、佐伯の謎多き7月の行動が
その手帳から解き明かされます。
すぐUPしますので
こうご期待!
(羽夢屋敷)




