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手まりの森(第一章)  作者: 羽夢屋敷
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序 ~終わりのはじまり~

2018年に作成したオリジナルのアナログホラーゲーム『手まりの森』のストーリープロットをまとめ直して小説化!

小説は初挑戦ということで、なかなか思うように行かず苦戦中です…

この一話目は「出来ていた部分をまとめてアップ」したのでメチャメチャ長いですが、二話目からは軽くなります。(悪しからず…)


  挿絵(By みてみん)




  --- 赤 い 月 ---



 目が覚めて、はじめに目の前に映ったのは美しい朱色の「丸」だった。

 一瞬、「ああ、きれいな夕日だなぁ」と思ったが、その円の形からそれが太陽ではなく月であることがすぐに分かった。


「赤。この赤は懐かしい色だ」


 そう感じた俺は、その赤色をどこで見たのか懸命に想い出そうとする。

 だが想い出せない。

「しかし、月にしては少し赤すぎないか?」

 赤について色々考えている内に、そういえば今日は何月何日で、昨日の自分が一体何をしていたかも、ぼやけてうまく想い出せない事に気が付く。

「はて? これは夢の中か? 現実か?」

 妙な不安感に襲われ、俺は慌てて自分の記憶のひだを丁寧に手繰り始めた……

「たしか俺は『とてつもなく重大な何か』を発見したのだ」

 屋外で寝ていたためか、首が冷え切って思うように動かなかったが、周囲の木々の濃厚な香りは、おそらくそこがどこかの林か森の中であることを物語っていた。


「リーン、リーン、リーン、リーン……」


 遠くで鈴虫が鳴いている。

「そうだ!……俺はあの事件を追ってこの森にやってきたのだ」


 断片的に蘇りだす記憶とともに、俺の鼓動は凄まじい速さで加速していった……


 





 --- 1963. 6/29 火野 秀樹 ---



「あ、火野さん!あなた、主人の行方……何か聞いていないかしら?」

朝一でデスクから回ってきた電話先の女は、切羽詰まった口調で唐突に切り出した。

 デスクからの内線は、大抵が「新人、ゲラまだか?」というおきまりのフレーズ

だったので、「お前に電話だ」という予想外の切り出しに、低血圧で巡りの悪い頭は肩すかしを食らった状態になり、一瞬思考が止まる。

――この声は聞き覚えがあるぞ

電話の相手は「佐伯利恵」。俺の先輩であり師匠でもある佐伯一郎の妻だった。 

「利恵さんですか、俺も、今先輩がどこに居るのかはつかめていないですね。社に連絡が入るのも大体一~二日おきになってまして……」 

 俺の言葉を遮って彼女は続けた。

「由香里が……由香里が今朝からすごい高熱で、今救急車を呼んだのだけれど、泡を… 泡を吹いてしまっていて……」  

 由香里というのは佐伯の一人娘で、半年ほど前、佐伯と俺が深酒して佐伯宅に一泊させてもらった際に紹介された人なつっこい八歳の女の子だ。その彼女が危険な状態にあるという。

幸いなことに佐伯宅は会社から車で数分の場所にあり、俺はデスクに事情を説明し、由香里のもとへ急行した。

 

「おじさん、写真撮ってよ」

 佐伯家のソファーの横にちょんと置かれた「ニコンの一眼レフ」に興味を示した

由香里 に、半ば『命令』されて撮った家族写真。抜けきらないアルコールのせいで、手元がままならなかった割には、どれも出来の良い写真に仕上がった。

 ただ、一連の写真の中に一枚だけ、家族に渡さず手元に残したものがある。それは、ポジ確認時に誤って印刷面にコーヒーをこぼし、大きなシミができてしまった一枚だった。

 佐伯宅の住所を確認するために、車中で手帳を開いた俺は、そこからヒラリと落ちた失敗作をしばし懐かしく眺めていたが、ふと妙な気分になった。

「これ、こんなに黒かったか?」

 写真は「二日酔の父に母娘が満面の笑みで絡んでいる」ほほ笑ましいカットだったが、そこに写りこんだ由香里と利恵の頭部周辺のシミの印象が以前と違い、二人の顔面部だけが数段階トーンダウンしているように見えた。

「変わってる?……まさかな……」 

 突然芽生えた『不安感』を振り払い、俺は手早く写真を手帳に戻すと、それを元あった胸ポケットにしまいこんだ。


 佐伯が長期取材で東京を離れてからちょうど十日が経っていた。その間、会社の方には本人から何度か連絡が入っており、その度にデスクは 

 ――佐伯ちゃんの今回のネタ、かなりヤバそうだな…… 

 と、悪童が悪だくみをしているような歪んだ笑みを見せていた。デスクがああゆう顔をする時は、必ず社内外でひと騒動起きる。嫌な兆候だ。

実は数日前、俺は佐伯から連絡を受け、ある人物についてこっそり調査を進めていた。人物の名は『舟越無一』。日本で初めて「一般の科学では説明しきれない数々の不可思議な事象」について、独自のアプローチでこれを研究~解明していく組織「日本超常現象研究学会」を設立した人物だ。舟越はその筋ではかなり有名な人物だったらしいが、彼の突然の失踪で、十七年間続いたこの稀有な組織も解散に至ってしまう。

 どうやらその「舟越無一」が、佐伯が調査中の怪事件の『重要参考人』であったらしく急遽、彼の情報が必要になったようだ。 

 舟越が特に力を入れていた研究に『子供の能力者を用いた臨床実験』というものがあり、当時はその異様な実験風景に拒否反応を示す者も少なくなかったらしく、見つかった写真資料には「頭に無数の得体のしれない金属棒を突き立てられ、白目をむいている少年」や「奇妙な笑みを浮かべて指の関節を尋常ならざる角度に折り曲げている少女」等、何とも不気味なものが多く点在し、確かに手放しでは認めづらい内容であった。 


「自分たちは『良くない何か』に触れようとしているのでは?……」 


 直感的にそう感じた俺は、後日、調査結果を聴くために再び連絡を入れてきた佐伯に対し、率直に意見を伝えようとしたものの、佐伯は例によって自分の要件だけ済ますと、すぐさま「ブツリ」と電話を切ってしまった。


 考えてみれば、そもそも佐伯が「長期取材願い」をデスクに進言したその日に、彼が前日に聞き取り取材を行った男が『事故死』してしまった事も不自然すぎた。

 ドタバタ状態で、詳しい話などとても聞けない状況ではあったが、あまりにタイミングが良すぎる死亡事故だ。どう考えてもおかしい……


 自分の手帳のメモをペラペラと確認しながら、ここ最近起きた出来事の詳細を思い返している内、車は佐伯宅前に到着した。 

 家のすぐ横の広がった道路わきに救急車が止まっている。 

「良かった。間に合った」 

 俺はタクシーから弾けるように飛び下りると、そのまま佐伯宅玄関に駆け込んだ。  

 

「そこ邪魔っ、道開けて!!」 

 最初に飛び込んできたのは、タンカを握りしめ、今まさに玄関を出ようと足を速めている救急隊員の怒号であった。はっとしてその手元に眼をやると、一人の少女がタンカの上で激しく痙攣している。由香里だ。由香里はその小さな口から白い泡を吐き出しながら、苦悶の表情で何かを叫んでいる。


『ウレグァッツ、イドニッ!……ガガッ…………オグジァミーーーッツ!!』

『ウレガッ、イドニッ!………ウレガイドニイイィッーーーーーッツ!!』


 ――これは一体なんだ? この声は人の声か?

 俺の目の前のソレは確かに由香里の形をしていたが、その表情や動きは「この世の者」らしからぬ邪気を放っており、直視しているだけで精神がどうにかなりそうになる……

「由香ちゃん!……しっかりして由香ちゃん!」 

 狂気染みたその空間で、辛うじて声を絞り出し、その傍らでしっかり娘の手を握っていた利恵ではあったが、娘のあまりの変貌ぶりに体がショック状態をおこしているのか、ガクガクと身震いを止められないでいるようだった。

「利恵さん、俺もご一緒します」 

 由香里の周囲一帯を包む異様な空気に、そう話しかけることで精一杯だった俺は、よろめく利恵の肩を支えながら救急車に同乗した。

 

 激しく叫び、暴れまわる由香里に鎮静剤が投与され、車内に静寂が戻ると、利恵がこちらをじっと見つめ、訴えるように切り出した

「良い子だったの……。本当よ火野さん……昨日まで由香里は本当に良い子だったの……」

 車は最寄りの救急病院である「大久保病院」をめざし、新宿駅前を高速で走行していた。

「病院到着まであとわずか」というタイミングで、由香里の体にまたもや異変が起こり始める。

 激しい発作を抑える為に相当量の鎮静剤が投与され、意識を失っていたはずの由香里がいつの間にか目覚めており、突然むくりと上体を起こすと、「野太い男の声」でなにやら、ぶつぶつとしゃべり始めたのである。それは、日本語ではあるようだが、どこかの方言で話されており、車中の誰一人意味がわからない言葉だった。

「うわっ!」

 と、突如、由香里の真横に座って様子をうかがっていた救急隊員が声をあげる。

「な……なんだお前?…………どっから入ってきやがったこのジジイ!」

 隊員の男は由香里を押し退けると、彼女を凝視したまますくっと立ちあがった。

「三浦、何言ってんだいきなり……変なこと言うのはやめろ!」

 もう一人の隊員が彼の肩をつかみ、椅子に腰かけ直すよう促す。

「えっ……いや、変なのはコイツだろ?……こ、この気持ち悪い爺さん、誰だよ!?……ダメだ……よせ………そんな顔でオレを睨むのはやめろーーっつ!」

 隊員は、そう叫ぶや否や由香里に襲いかかり、彼女の首を力いっぱい両手で締め始めた。

「ばか!やめろっ!」

「やめてっ!何をするの!!」

 一瞬にして車内は、掴み合いの狂騒状態に陥いる。

 後部席一団の異様な状況に気付いた運転手は、後方を振り返り怒鳴り散らす。

「やめろっ!何やってんだお前ら!………女の子が死んじまうぞっ!!」

                                         

『ブブーーーーーーッ!』

『キキキキキーーーーッ!』

『ブブーーーーッ!』

『ガリガリガリガリガリッ』

『ドガシャーーーーーーーン!』

『ギギギギギィィーーーッ!』

『ガッシャーーーーーーーン!』

                                       

『ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー………』   

                                      

 耳をつんざくブレーキ音と幾つかの激しい衝突音が交錯し、俺は気を失った……



*********



『ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー………』


 けたたましいクラクションの騒音で俺は意識を取り戻した。

気を失ってどれ位経っただろう?数分か?数十分か?……ひょっとしたら数十秒の出来事だったのかもしれない……。 

『ズキン!』 

 どこかに頭を打ったらしく強烈な痛みが右頭部を襲う。右手で痛みの中央を慎重に触ってみると、そこには大きなコブができていた。

 ――由香里たちはどうなった?

 コブの痛みで状況を理解した俺は、すぐさま上体を起こした。。 

 

『赤』 

『黒』 

『ガラス』 

『鉄針』  

『髪の毛』 

『血だまり……』  

 

 俺の目の前には、しっかりと抱き合った姿勢で行儀よく椅子に座る「利恵と由香里」の姿がある。だが、二人の息はすでに無かった。

 彼女たちは死の直前、一体どんな気持ちでいたのか?恐怖に戦慄したのか?全てを諦めてこれを受け入れたのか?その表情から察する事は到底できない。

 ふたりとも『首から上』がごっそり無いのだから……


 理由はわからないが、俺の後ろ側、車体の左側の窓を突き破り、そのまま右側の方向に「鉄針」の束が貫通している。丁度その軌道上に親子の頭部が位置していた為、無残にも二人の頭はこの鉄針の一撃で粉砕されてしまったのだ。

『ああああああああああああああああああああああああああ……』 


 俺は救助隊が到着するまで、二人の亡骸を只々じっと見守るしかなかった。






   --- 佐伯 一郎 ---  



 1963年 6月13日。


 今年から放映が始まった『鉄腕アトム』のマネだろうか。

「自分はロボットだぞ」

 と、何やら妙な動きで路地裏を駆け回る子供たちが増えた。若い女たちは、流行病のように一斉に髪を短く刈り込み、「ボーイッシュルック」なる、意図的にだらしなさを演出したキテレツな服装で街を闊歩するようになった。


 戦後の高度成長の速度は確かに目を見張るものがあった。だが、ここにきて世間にはどこか退廃的なムードが漂いはじめていた。実際、来年行われる東京オリンピックを前に、ほとんどの人間が『自分には関係ないし、どうでもよい』という姿勢を決め込んでいた。

「千円札を伊藤博文にしたところで、何が変わるのかねぇ……」

 ついさっき、取材をしてきた日銀関係者は「これでまた物がどんどん売れる」と、新札発行について嬉しそうに語っていたが、全くもって問題を取り違えている。      

 むせ返るコンクリの匂いをかき分け、俺は自分が働く日暮里の雑誌社に足を速めた。

 社に戻ると、いきなりデスクが片方の口角を上げながら近寄ってきた。

「いやーー。丁度良い所に返ってきたね佐伯ちゃーん」

 彼がこの顔をしている時は、面倒くさい事が起きる、と相場が決まっていた。

 俺は煩わしい気持ちを悟られないよう彼の横をすっとかわし、なるたけ相手の顔を見ないようにしながら、自分の机の上の書類を無意味に整頓する。

「やけにごキゲンじゃないですか。何かいいネタでも掴んだんですかね?」

 俺は社交辞令の月並みな返答を返す。

「コレ見て佐伯ちゃん。……次はこっちだよ。ホ・ラ・ア。……ホラーブーム来るよ~」

 そう言ってデスクは数枚の原稿を俺に手渡した。

「いやさぁ~。それ持ち込みだったんだけどさぁ~。切り口はグッドなんだけど、何ていうか、ダレるんだよね~。緊張感不足って言うのかなー……」

 見ると、そこには『昭和の隠された猟奇犯罪』というタイトルのもと、別々の三件の奇怪な事件がまとめらていた。デスクの言う通り、長文の割にインパクトが弱い内容だ。

「これって、採用ですか?」

「な訳ないでしょ~。ボツ連絡今した所だよー。ただテーマは良いから佐伯ちゃんさぁ~、この記事まとめ直してくんないかなぁ~……『猟奇事件』って響きも暗すぎるし、持ち込んだ彼に後でとやかく言われるのも面倒だから『怪死事件』とかにタイトル変えてさ。で、アレだ!追加で五~六話、ホラー色の強い事件を突っ込んでまとめるってのどう?

 ――相変わらずの汚いやり方だ。

 だが、売れ筋を嗅ぎ付ける嗅覚と、そのずば抜けた狡猾さこそがこのデスクの強みであり、我が『集敬社』の曲者記者達を束ねる魅力でもあった。

「わかりましたよ。やりますから落ち着いてくださいって……ただ、この記事は三分の一……いや、五分の一位にカットして、サブに回しますよ」 


 人の話を最後まで聞かないうちに踵を返して席に戻っていくデスクは、こちらに背中を向けたまま右手で「OK」サインを掲げた。 

「来月頭に片づけちまわないと、八月発売に間に合わんだろうに……相変わらず強引な人だなぁ、うちのデスクは……」 

 勢いで無茶な要求を引き受けてしまった俺は、小さくボヤキながら給湯室に入る。

 妻と娘にプレゼントされた白い萩焼の湯飲みに茶を注ぎ、さぁどうしたものか?と考えを巡らせていると、ふと一件の事件を思い出した。

「そういえば、俺が新聞屋から集敬社の方に転職してきた年に、こっち系の気味悪い事件が起きたっけ……」

 思い出されたのは、六年前に某TV局内で起きたとある死亡事故の事だった。複数のスタッフがスタジオセットの機材の下敷きになって死亡する、といった内容の事件であったが、現場に居合わせた故人の知人の証言のあまりの不気味さに、雑誌やTVがこぞってこれを報じ、当時はちょっとした巷の話題にもなった事件である。

「まず、あれからあたるか」

 自分の記憶が定かなら、この記事だけでも相当面白い内容に仕上がるはず、と確信した俺は、湯飲みに残った茶を一気に喉に流し込み、給湯室を飛び出した。


 机に戻った俺は真っ先に、以前の職場である『毎潮新聞』に電話をかける。

「関か。俺だ。佐伯だよ」

 関は毎潮時代に同じ部署に居た同僚で、自分より六歳も年下だったが、鋭い着眼点を持った優秀なブンヤだ。特に、こういった「変わりネタ」について知見が広く、今回の事件について情報を得るにはもってこいの男だった。 

「あらあら、イチローさん!……ご無沙汰じゃないですか~。元気にしてましたか」 

「まぁな。ところでまたお前に頼みたいことがあってな」 

「きたきた……久しぶりの情報提供会ですね。何か面白いネタに当たったんですか」

 関にはそれまで幾度か新聞社のデータベースや個人のネットワークを使って「普通では得られない情報」を流してもらっていた。その見返りにこちらの持っている秘密情報を提供したり、ちょっとした酒席で舌を満足させたりという、いわゆる「持ちつ持たれつ」の友好的な関係にあった。

「俺がそっちを辞めた年に、TV局スタッフが変な死に方する事件があったよな」

「変な死に方……ああ!ありましたね。確か、何かの番組を作ってた制作チームが全員揃って局内で死んじゃった話ですよね」 

「そうそう。あの時の報道詳細と、何か面白い情報残ってたら教えて欲しいんだよ」 

「なるほど……。今、丁度担当のコラムをやっつけた所なんで、このあとちゃっと調べときますよ。そっち系の方が得意分野ですしね……あ、イチローさん、明日の四時か、五時あたりにコッチにこれますかね?それまでに調べときますんで」 

「わかった。じゃぁ五時にそっちに行くよ。よろしく頼むな」

 ――関のヤツ、論説に回されたのか。随分出世したもんだな。

 さらっと言っていたが、新聞社でコラム担当といえは、論説委員から選ばれてやっとこありつけるポジションである。それを六つ下の元同僚がこなすようになったとは、嬉しくもあり若干寂しくもあった。



 *********


 「毎潮新聞」は上野の合羽橋にある古びた四階建てのビルにある中堅新聞社だ。

上野といっても建物はむしろ浅草寄りに位置し、駅から道具街を十五~二十分ほど歩かねば辿り着けない交通の便が良いのだか悪いのだか微妙な場所にあるビルであった。 

 ――懐かしいな。

 今年は例年より相当早い梅雨入りで、この日もあいにくの雨だったが、商品サンプル等を眺めながら通いなれた道を歩くのはそう悪いものでもなかった。


 上野駅からのんびり二十分以上かけて会社に到着。建物入り口の両サイドにある薄緑に塗られた二本の石柱の左側下方が若干欠けているのを見て苦笑いする。それは、自分が会社を後にしたその日、力一杯柱を蹴とばした時に少し欠けてしまったその痕である。 

「俺は欠けたカケラの方だったな……」

 集団主義に染まりきれず会社からはじけ出てしまった自分とその小さな傷あとが重なり、思わず独り言がこぼれる。 

 様々な感情が交差する中、俺は気持ちを切り替えて久しぶりに古巣のドアをたたいた。 


 扉を開けると待ちかねたように満面の笑みを浮かべた関が小走りでかけ寄ってくる。

「きたきたーっ!佐伯さんの久々の凱旋ですよ~。皆さん道をあけてあけて……」

通り過ぎる馴染みの面々と社交辞令的に軽い挨拶を交わしつつ、俺は案内されるままに小さな応接室に入った。 

「いやぁイチローさん、改めて調べ直してみましたけど、なんていうか……本当に気色悪いですよこの事件は……」 

 関が神妙な顔で唐突に切り出す。 

「当時の「週刊現象」にでた記事がこれです。現象さんは事件当時、現場を目の前で目撃してたという男への独占取材に成功してまして、これがおそらく一番事件の詳細がわかる記事ですね」  

 そういって関は数枚の印刷物をくるりと反転させてテーブルの上に広げた。 


 ―――――――――


「たまTV」番組スタッフ変死事件の真相に迫る!

すべては『呪いの森』から始まった……

  (※週刊現象七月十八日号より抜粋)

  

 1957年6月20日。関東のローカル局「たまTV」の人気番組『日本不思議紀行』のロケハンスタッフ6名がスタジオ内にあった照明器具の下敷きになり死亡した。

この事件は、事件当時たまたま現場に居合わせた関係者による極めて不可思議な証言から、異例の『怪奇事件』として取り上げられ、世間を騒がせたことは記憶に新しい。


 ~報道された目撃者の証言~

① 6名は事故当時、なぜか全員で横一列に手をつないで並んで立っていた

② 6名は全員でよくわからない呪文のような言葉を絶叫していた 

③ 6名は全員、照明器具が頭部に命中するその瞬間まで上方をじっと凝視していた 

④ 会議室で待機していたはずの彼らが、なぜ鍵のかかったスタジオに入れたのかが、今もって謎のまま(スタジオ準備の為に一番入りしたのは鍵を持っていた目撃者)


 以上が一般的に知られている事件当時の状況であるが、今回、事件の詳細について目撃者の角田氏(仮名)への独占インタビューに成功した。当記事では対談時に彼が語った内容をできるだけ忠実に再現しようと思う。


◇6名が関わっていたロケとは?◇ 

 我々が制作しようとしていたのは、『日本の奇祭』と題した特番で、日本各地に古くから伝わる不思議な祭典を集めて紹介するという内容の番組でした。ちょっと不思議で、なおかつゾッとする要素を含んだ番組を「お盆時期」にぶつけて視聴率を出そう、というのが 番組プロデューサーの狙いだったんです。

 その中で、6名がディレクターから仰せつかったのが、福岡のある地域で行われていた「まり供養祭」を調べろ、というものでした。 

 この祭りは、そもそもこの地を昔から祟っていた「大怨霊」の怒りを鎮めるための『鎮魂の儀式』がその由来らしいんですが、そこで用いられたのが、美しい『手まり』だったそうなんです。連中は「祭りに伴う一連の儀式」の成り立ちと、細かい事実関係の調査を兼ねて、福岡のロケ地に飛んだんです。

 そこで、どうやら無断で強行取材を行ったらしいんです。


◇強行取材とは?◇  

 祭事は、その地区のとある森にある『手まり堂』というお堂で行われていて、実は十数年前まで普通に続いていたらしいんです。ところがこの森である時、恐ろしい「殺傷事件」が起きて、それ以来、森への立ち入りすらできなくなってしまったそうなんです。

 あろうことに連中はそこに無断で侵入して、「事前現場検証」という事でカメラを回してしまったんですよ。そこを丁度通りがかった「近くの神社の神主」に見つかってしまい、ひどく注意されたらしいんです……一応、その場は大事にいたらず、話し合いで解決したらしいのですが、問題はその後でした。

 東京に帰って、現地で録画した映像を一通り確認したんですが、その中に『手まり堂』の内部を映したカットがあって、そこにとんでもないものが映っていたんです……

 

◇「手まり堂」に映っていたものとは?◇

 生首ですよ。生首。しかも6つ……

 お堂の扉を開けてカメラがその中を映したら、こう……お堂の奥の方に男の生首が6つ、ふわふわ宙に浮かんで、鬼の形相でカメラを睨みつけていたんです。で、その前方に連中が普通に入ってきて、平気で談笑してるんです。おそらく撮影時には、本人たちにはその生首は全く見えていなかったんだろうと思いますね。

 

◇その映像の話は誰から聞いたのですか?◇

 聞くも何も、事実ですよ。

 だって私自身が、この目で実際に見たんですから……


◇映像の所在は?◇

 わかりませんねぇ。記録テープを最後に扱っていたのは編集を任されていた担当者ですが、彼はもう会社を辞めてしまってますからね……

 社内でその映像を確認したのは、死んでしまった6人と、その編集担当とこの私、全部で8人だけでした。

 つまり、この事件について語れるのは、今は私一人になってしまった訳です。今までこういった取材は全てお断りしてきたんですが、何というか、この話は生きている内に誰 

かに伝えておかねばと……

 

 以上が角田氏の話だ。

 にわかには信じがたいが、誠に恐ろしい話である。

 その呪いの森は、今も福岡のどこかでぱっくりと口をあけ、次なる生贄を探しているのかもしれない……

             ( 取材・文=工藤甲二 )


 ―――――――――


 「確かに気味悪い話だよな……」


 記事を一気に読み終えた俺は、続けざまに問いかける。 

「それで、この報道の他に何か情報はあったかい?この場所の実際の住所とかさ……」 

 関は「もちろん」という顔をして、さらに一枚のメモをテーブル上に差し出した。 

「言わずもがなですよイチローさん。コレ、この記事にある「森」の住所です。地図に名前が載っていないそうなんですが森に鳥居が「六つ」あるらしくて、現地では『六つ鳥居』って呼ばれてるらしいですね。それから、ついでに記事に出てきた「目撃者」の居場所も調べときましたよ。角田じゃなくて『北見』って奴でした。当時の関係者の住所を調べるのはかなり手こずりましたけど、ちょっとしたツテがありましてね……」 

 相変わらず大した情報網である。通常、仮名で扱われる情報提供者の住所など、まず漏れないはずだ。

「お前、よくこんな情報手に入ったな。どんなツテだよそのツテって?」

「たまTVの役員……実は私の親戚なんですよね。だから、手こずったってのはウソです。『たまTV』なだけに、『たまたま』ですよ。ついてましたね~イチローさん」


 ――相変わらず、くだらないダジャレを言ってやがる…… 

 

 俺は苦笑して軽く礼を言い、席を立った。

「あ、イチローさん」

 応接室のドアに手をかけたその時、関が呼び止めた。 

 振り返ると、先ほどまでにこやかだった関が、厳しい顔でこちらを見ている。

「このネタ……ちょっと気を付けた方がイイと思いますよ。……実はこれを書いたブンヤ、工藤甲二って男ですが……」

「なんだよ、いきなり神妙な顔して。そのブンヤがどうしたって言うんだ?」




「死んじゃったそうなんですよ……その記事を書いた次の週に」




 *********


 6月16日 20時 おでん屋「板幸」前。


「水滴」になるかどうか、というサイズの細かな雨粒が霧のように辺りに降り注いでいた。今日で八日間も雨が続いている。

 先日、事件の目撃者「北見」に連絡したが〝電話では話づらい〟との事だったので、俺は北見が希望した新橋のおでん屋での会合を設定していた。先に店の暖簾をくぐったのは俺の方だった。店内は常連客で賑わってはいたが、予約席になっていたテーブルは比較的話が通りやすい位置にあり、少し安心する。


 待合せ時間を五分ほど過ぎた時、「佐伯さんですか?」と、しょぼくれた猫背の中年男から声がかかった。

 

「初めまして。北見です」

 

 男は想像していたより若かったが、その表情には覇気が無く、目は暗く落ちくぼんでいる。席に着き、酒を一杯入れて落ち着いたところで、男は当時の状況を想いなぞるように、静かに淡々と語り始める。


 公になっている一通りの情報が話し尽くされると、北見は注がれたばかりのビールを一気にグイと飲み干し、意を決したように話を再開した。

「実は雑誌の取材で話さなかった事が二つほどありまして……ただでさえ説明しづらい事件でしたし、それ以上変な目で見られるのも嫌だったんで言わなかったんですが……」 


 ――きたぞ――

 俺は一言も聞き漏らすまいと、身を乗り出してその耳に神経を集中させる。


「出たんですよ、スタジオに……例の「6つの生首」が……」


 それまで力の無かった北見の表情が、突然、別人のように険しくなる。

「照明器具が鉄骨ごと真上を向いた6人の上に落下した訳ですから、全員の顏の上部はめちゃめちゃで、とても直視できない状態だったんです……でも奴ら……救急隊が来るまでその状態でぴくぴくしながら生きてたんですよ!……それで……そんな状態だったんで皆、必死で『頑張れ』とか『何とかなる』とか言いながら、介抱を続けてたんですが……」

 話しながら北見はわなわなと震えだしていた。よほど恐ろしい状況だった事が窺える。

「顔が半分むちゃくちゃなのに、6人ともヘラヘラ笑ってるんですよ!……信じられますか?……顔が半分無くなってるってのに、笑ってたんです!……ずっと、ずっと!……」

 北見のいきなりの咆哮に俺は動揺し、横にあったビール瓶を倒してしまう。


「し、失礼しました。……それで、その………〝生首〟が出たというのは?」

 こぼれたビールを慌てて処理する俺の姿を見て北見は少し語調を弱めた。

「はい。……そのあと救急隊が到着する頃には連中もおとなしくなっていて、そのままタンカで運ばれたんですが、隊員が6人を運びながらこう言うんです。 

『全員頭に大ケガをしてると聞きましたが、この「おじさん」達、本当に怪我人ですか?』

って。それで驚いて連中を見たら、「顔」が別人になってたんですよ……そう、例のお堂で撮れた〝6つの首〟の顏に変わってたんです」

 ――そんな馬鹿な。この男、ひょっとして俺をかついでいるんじゃないか?

 刻々と現実離れしていく話の内容に、俺はこの北見という男の言葉を疑いだしていた。 

「当然、6人を介抱していた皆はギョッとして目を見合わせたんですが、次の瞬間には元の状態に戻ったもんですから、今度は救急隊の人たちが悲鳴をあげてタンカを落としてしまったりで……まぁ、大騒ぎになったんです」

「……でも結局、この「6人の首」の話についてはその後、誰も何も口にしませんでした。……そりゃそうです。こんな馬鹿げた話、誰が信じるもんでしょう」

 俺はこの話にどこまで付き合うべきか自問自答しながらも、できるだけ平静を装い、更に質問を続けた

「何だか怪談じみた話ですね……そう言えばさっき『話してない事は2つある』と言ってましたが、もう1つの話ってのはどんな内容なんでしょう?」

 冷淡な相槌からこちらの不信感を察したのか、北見は俺の顏をじっと見つめると、少し間をおいてから吐き捨てるように話しを再開した。

「もう一つの話は『この番組がお蔵入りになった本当の理由』とも言える話なんですが…連中がお堂で撮影したテープに『6つの男の首』が映りこんでいた話、実はあの話には続きがあるんです……」

 北見はそこまで言うと少し顔を顰め、首の包帯を数回さする。それまで気にならなかったが、その首にはぐるっと包帯が巻かれていた。俺は少し薄気味悪さを感じたが、わざと気にしていない体を装い、相手のグラスにビールを注いだ。


 北見は右手に持ったグラスをじっと見つめたまま話を続ける。

「実は、6人が亡くなった時点では、番組制作を辞めずにそのまま放映する方向で進んでたんです。既にモノは8割方でき上がっていましたし、スポンサーも相当な金を突っ込んでましたからね。……それで、後日他のスタッフらが作成したパートとかを全部つなぎ合わせて通しチェックをする事になったんです。まり供養祭のパートも、『6人が下見で撮影した長尺を編集すれば使える』って事で、数カット抜き出して単純につなげました。 

 例の〝生首〟が数秒映った部分とかも『後で削れば問題ないだろう』って感じでまずはザックリつないじゃったんです。で、最初の試写で大変なことがおきまして……その生首が映るシーンなんですが、6人が生きてた時に確認した映像と〝全然違う〟内容になってたんです……」

北見はもう一度まじまじと俺の顏を覗き込んだ。どうやら既にこちらの心境が伝わってしまっているらしい。

「まぁ、これ以上話すと本当に信用されなくなりそうなんで、映像の内容についての話は控えますが、とにかく試写会場はとんでもない有様……一種のパニック状態になりましてね。そこでようやく『この番組は危険だから止めましょう』って事になったんです」


 そう言って北見は小さく笑った。


 *********

 

 駅の時計は十時を回っている。

俺は今しがた別れた北見の話を反芻していた。

――信じられんし、信じたくもないな…

そんな気持ちとは裏腹に、俺の記者魂は別の衝動を掻き立てる。

――しかし、このネタ一本だけでも間違いなく凄い記事になるだろうな。

北見は別れ際にこんな事を言っていた。

『社外秘ですが、「たまTV」の資料庫に、お蔵入りの映像を集めた「開けずの棚」というのがあるんです。ひょっとしたらそこに映像データが残っているかもしれない』と……


「たまTV」には関が強烈なコネを持っている。

――関に相談すれば内部取材もいけそうだな……


 俺は恐怖と期待が入り混じった奇妙な心境を抱えたまま家路を急いだ。




  ********* 


 6月18日 11:30  たまTV4階 第1応接室。



「あんたが佐伯さんかい?」


 三十分も待たされた挙句、一人の男がノックもせずに応接室にバンと入ってきた。

 小太りで背が低く、妙に甲高い声で喋るこの男がどうやら関の親戚の『お偉いさん』らしい。「子供の頃は『はげめがねのおじちゃん』とからかって、よく叱られていた」という話を聞いたが、いかにもからかいたくなる風貌で、俺はこみ上げる笑いを必死で堪える。

「はい。関君とは毎潮新聞社で3年ほど一緒の部署でして……」

 話を遮って関の『おじさん』が急き立てる。

「いい、いい、……堅苦しい挨拶はいいって。キミ、あれだろ。ウチの『開けずの棚』を開けて資料が見たいってんだよな」

 人の話を全く聞かないこのテンポは、見知ったどこかの誰かさんにそっくりで、ついつい頬が緩む。

「ついといで、見せてあげるから」

 しかし、関は仕事が早い。奴にテープの事を話して、「たまTV」で資料が探せるかどうか聞いてみて欲しいと頼んだのは先日の夜中の事だ。次の日の朝イチで返事が届き、昼にはこうして「たまTV」で実際に資料探しができる運びになっている……出世も早い訳だ。

 関の段取りの良さに感心しつつ、この「小さなおじさん」について行くと、地下の薄汚い扉の前にたどり着いた。

「ここウチの資料庫。開けずの棚はこの一番奥にあるから」

 そう言って、おじさんは鍵束から一本の鍵を選び、それを扉に差し込む。資料庫の中は蛍光灯をつけても薄暗く、古本屋のような据えたカビの匂いが漂っていた。

「君さー。うちのロケハンが全員死んじゃった時に撮られた『お蔵入り映像』が観たいって聞いたけどさぁ……本当に観る気?」

 迷わずうなずく俺に、おじさんは眉を顰めつつ続ける。

「いや、観せるのは全然かまわないんだけど、あれ、当時『かなりヤバい』って言われてたいわくつきの映像だよ。正直おすすめできないんだけどなぁ……」

 部屋の左奥に立ててあった「つい立て」をずりずりと横にずらすと、その後ろに古びた木製の棚が現れた。棚には『日付』が書かれた大小様々なサイズの段ボールが所せましとひしめいている。

「1957年6月……1957年6月…………あった!」

おじさんは暫く奥の方で「ああでもないこうでもない」と箱を出したりずらしたりしていたが、十分ほどで古びた大きめの段ボール箱を見つけてきた。

「これこれ、入ってるとしたらコイツの中なんだが……え~と、テープテープ~と………ほら、あった!」

 おじさんは雑多な品々の中から、一本のオープンリールのテープを探り出した。ラベルには赤字で『視聴厳禁!』と書かれている。

「観るなら映像編集室を貸してやるから、そこで観ていくといいよ。係りの奴には伝えとくから。……え?オレ?……観るわけないでしょーそんな気味悪いモノ。そもそも問題があるから、こういう扱いになってる訳だしさ」

 関のおじさんはそう言って俺にテープを差し出した。

おじさんの顔には、少しひきつった何とも言えない微妙な笑みが浮かんでいる。

「下の階。三階の真ん中辺の部屋だから。『編集室』って扉に書いてあるから行けばすぐわかるよ……あ、観終わったらテープはそのままにしといていいから」


  *********


 編集室に入ると、短髪のボーイッシュな女性が機材を準備して待ち構えていた。

「えと。関さんのお知り合いの記者さんですね。……この部屋結構立て込んでるんで、さっさと観てしまいましょう」

 その若い女技師は挨拶もなしにぶっきら棒にそう言うと、俺の持っていたテープをむしり取るように奪い手際よく機材にセットしていく。

「あー。これ3時間位入ってますね~。高速で進めていきますから、ココってところで言ってください。そこで止めますから」

 言葉が終わるかどうかというタイミングで女技師は映像を早送りで流し始める。オープニングでは『日本の奇祭』というタイトルが流れ、しばらくすると『北海道、アイヌに伝わる不思議な祭り〝アヌンナライ〟』という個別タイトルのような文字が数秒表示された。北見からは「とりあえずつないだ」と言われていたので、テープ全編から問題のカットを探すのは困難だろうと思っていたが、この状態なら容易に見つけられそうである。

「『まり供養祭』という個別タイトルが出たら、早送りスピードを緩めてもらえますか?」

 彼女は機材の方を向いたまま、軽くコクリとうなずく。

 早送りを続けて4~5分後、探していた『まり供養祭』のタイトルにたどり着く。

「でましたよ、おさがしのまり供養祭。じゃぁここから少しだけ速度落としますから、検証したい箇所になったら教えてくださいね」

 こちらが何も言わずとも女技師は的確に作業を進めていく。俺はその手際の良さに少し感心しながら、画面内のスタッフらの挙動に集中する。


「あっ、ここ!……ここから普通の速度でお願いします」

 森の中でスタッフが『お堂』を発見するシーンが流れだし、俺は慌てて指示をだした。


 ――これが「手まり堂」か。


 森の奥の背の高い木々がうっそうと生え茂るその中に、そのお堂は場違いな感じで唐突に建っていた。辺りの薄暗さがそのたたずまいの不気味さを一層引き立てている……

カメラがお堂の周囲をゆっくりと回りこみながらその全体像を映す。スタッフが周りで喋っている声も入っているが、恐らくこの音声はカットされ、それらしいお堂の説明ナレーションなどに差し替わる予定だったではずである。

 お堂の全体像を映し終えた後、画面はロケハンスタッフの一人がお堂に入りこもうとするシーンに切り替わった。他スタッフから「中はヤバいんじゃないか?」とか「黙って撮っちゃえば平気だって……」などという声が上がっている事から、最初は撮影を躊躇していた事がうかがえる。

 お堂の扉には一見汚いガムテープのようにも見える「ボロボロで今にも朽ち果てそうな紙片」が何枚か貼られていた。

「これ、もう開けちゃいますよ」

 扉の隙間からその内側を懸命に覗いていたスタッフが、堪りかねた様子でそう切り出すと、扉に汚く張り付いた紙片をつまみとり、お堂の脇にぽいぽいと投げ捨てていく。


 と、突然、映像を一緒に見ていた女技師が指摘した。

「いや……、これ、お札でしょ?はがしちゃまずいですよこういうのは……」

「え?お札でしたか今の?」

 彼女は軽い侮蔑を込めた目で一瞬俺の方を見ると、手早く映像を巻き戻し、スタッフが扉に手をかけるシーンでテープを止めて『紙片部分』を拡大してみせる。

「ほら。うっすらだけど、ちゃんとそれっぽい文字がある」

「……ほんとだ」

 それは非常に状態は悪いものの、確かに『お札』であった。 

「TVの取材って、こういうとこホント嫌ですよね~無神経で……バチ当たんなきゃいいですけどね。この人たち」

 女技師はそう言ってテープを通常再生に戻し、確認作業は再開される。


 ――罰は当たってしまったがな……

 俺は心の中でそう返答しながら、黙って映像を凝視した。そろそろ問題のシーンが始まるはずだった。


 気味悪く高音で軋む扉の音が流れる。先頭を切ってお堂の中に入っていく女性スタッフのすぐ後ろをカメラが追っている。

 お堂の中に光源はないものの、古びて隙間だらけのその空間には、外部からのこぼれ日が数本入り込んでおり、肉眼でも辛うじてその内部構造が確認できた。

「これはすごい……」

 女性スタッフから小さな驚嘆の声がもれる。

カメラが映し出したのは、暗闇から現れた無数の美しい『手まり』であった。手まりは奥の壁と左右の壁につくられた「ひな壇」に整然と何重にも重ねて並べられており、薄暗い闇の中で厳粛な雰囲気を醸し出していた。

 ――確かににすごいな。

 その〝幽美な魅力〟を発する手まりの映像を見ながら、――やはり俺は北見にからかわれていたのだ……。と、ガッカリともホッとするともとれない不思議な安堵感に包まれる。

 だが次の瞬間、俺たちは絶句する。

「なに、なに!……これ何ですか?………この出てきたの何ですか!」

 突然大声で女技師がわめきだした。

「ストップ!……一旦ストップだ!……早くっ!」

 俺の叫びにハッとして、彼女は動揺しつつもテープを一時静止にする。


 最初に問題が起きたのは薄暗いお堂の中で、女性スタッフがこちらを振り返るシーンだった。美しい情景に満足し、微笑みながら心境を伝えている女性スタッフのバストアップカットで映像は進むが、彼女の顔の真横の暗闇から何やら青白い固まりが現れたのである。


 固まりは数秒で『頭の形』を形成し、驚くべきことに、その顔はすぐ横の女性スタッフのそれに変わっていく。そしてその変化に呼応するが如く、横の当人の顏はいびつに歪みだす。新たに形成された彼女の「生首」は、観る者を戦慄さしめる不気味な表情でカメラを凝視していた……


 挿絵(By みてみん)


「何なんですこの画?………いや、……あれですよね………つ、作り物の………」

「いいから、続けてくれ!……止めないで!」


 女技師は引き攣った顔でテープを再生させた。なおも戦慄の映像は続く。 

歪みがピークに達したスタッフの顏は上部から崩れだし、終いには首から上が全て無くなってしまう。しかし、どこから発せられているのか、スタッフの軽快なコメントは続き、それに合わせて首のない胴体だけが、普通に動き続けていた。


「冗談ですよね……これ……………本物のハズない……」


 女技師は顔面蒼白でぶつぶつと力ない言葉をつぶやいている。

すると次の瞬間、今しがた現れた〝女性スタッフの生首〟の周囲に別の5つの固まりが発生し、あっという間に「他スタッフの『首』」が形作られる。6つの首は揃って恐ろしい形相でカメラを凝視している。何事もないようにロケの進行は続いていく……

「じゃぁ、みんなで記念に映像撮っとこう。扉んところに寄って、寄って」

 カメラマンの声で、スタッフ全員が談笑しながらお堂の前に集まってくる。


「いやーーーーーーーーーーっつ!」

 映像を観ていた女技師は凄まじい声を上げて、映写室から飛び出していった。 


「何だこの映像は………………どうなってんだこれは?…………」

カメラは首の無いナレーターの周りに集まるスタッフ達の姿を映していた。だが、そこに映った全員が、その首から上がごっそり無い。首の無い体が楽しげに談笑しながら小突きあったり、こちらに向かってピースポーズを決めたりしているのだった。

 異様なシーンがしばらく続き、映像は別のカットへと移行した。 



 ――――――本物だ―――――― 



 今までかいたことのない汗が毛穴から吹き出す。

 おれは暫くの間、その場から全く動くことができなかった……


*********


 大急ぎで社に戻った時は、既に三時半を回っていた。

社では週に一度、主任以上のクラスの社員が集まって行う定例会があり、その開始時刻が三時と決まっていた。俺は大会議室に走りこんだものの、今日は特に大きな報告事項は無いということで、丁度会議が「おひらき」になったところであった。

 俺はデスクを捕まえると、乱れる呼吸を必死で整えながら、事のいきさつを説明した。

「なるほど……ちょっと信じられない話だがね~。ま、佐伯ちゃんがそこまで言うなら、いいよ、長期取材行ってきて。福岡でも鹿児島でもさ」

「ありがとうございます!十日ほどで帰りますので、宜しくお願いします」

 遠方への長期取材は結構な金がかかる。いつもなら渋られそうな要求があっさり通ったことに一抹の疑問を感じつつ、俺はデスクの気が変わらない内にと、準備の体を装い急いで踵を返す。

「あ、ちょっと待って佐伯ちゃん!」

 デスクはそう言って俺を呼び止めると、小走りで駆け寄ってきて怪訝な顔でこう告げた。。

「このネタ、随分とヤバい匂いがしてきたよ~。今朝方の事件、聞いた?」

「もう十分気味悪い匂いがしてますけどね……何かあったんですか?……今朝?」

 彼は俺の耳元に顔を近づけると、まわりに聞こえないように右手を口元にあてて小声で続けた。

「佐伯ちゃんが取材した北見って奴、あいつ今朝方新橋の郵便局の前で死んじまったらしいよ。」


「……???……」


 デスクは近寄せた顏を少し引いて話を続ける。

「奴さん、佐伯ちゃんに何か郵送しようとしていた様で、佐伯ちゃん宛ての封書を持ってたんだって。その封筒、警察から届いてて、佐伯ちゃんの机の上に置いてあるから確認しておいてね。……あ、それと警察が一度連絡くれって」

 呆然としてその場に立ちつくす俺の顏を覗き込み、心配そうな顔でデスクが言った。


「取材行く前に、お祓い行っといた方がイイと思うよ……………本物だよこれは」




 *********


 ―――――――――


  佐伯様

 

 死んだスタッフの一人に札を預けられました。 

先日、お話しなかった事ですが、実は死んだ6人のスタッフのうちの一人は、私が大学時代から交際していた方で、近々結婚を約束していた女性でした。

 同封した札はその彼女から、『六つ鳥居の神社の神主からもらった大切なものだから』と説明され、事件の直前に預かったのもです。


 佐伯さんの態度から、私の話を信じていない事がよく伝わりましたので、さらに突っ込んだ個人的な話をしたところで仕方ないと思い、札の話はあえてしなかったという状況でした。

ですが昨夜、いつもは一人で現れる彼女が、良くわからない二人の男を連れて私の所にやって参りまして、三人に襲われました。非力な女性の力ですから、いつもでしたらそれなりに私の首も持ちこたえておるのですが、昨夜は三人して順繰りに私の首を絞めあげるものですから、さすがに大変でした。


 今、朝の六時を回った所です。しばらく気を失っていたようですが、彼女の声で目がざめました。今も真横で正座をして私の耳元でずっと同じ言葉を繰り返しています。この様子だと、まだしばらくは帰らないつもりのようです。もうかれこれ小一時間

「さびしいよぉーーーあなたもこっち来てよぉーーーー」

「さびしいよぉーーーあなたもこっち来てよぉーーーー」 

 の繰り返しです。


 私はもう疲れました。                     

 この札は、今までずっと庭に埋めて隠しておりましたが、私が死なずにすんだのはこの札のおかげのような気もいたします。私はもういらないので次はあなたが持つべきです。

 この札が佐伯様のお役に立つ事をお祈り申し上げます。


                 北見 亮 


 ―――――――――


 *********




 丸尾に電話がつながったのはその日の夜九時を回った時だった。


「なんだ佐伯、随分とご無沙汰じゃないか。……で、こんな時間に電話ってことはまたあれか、何かヤバ目のネタでも追ってるのか?」

 丸尾は大学時代の親友で、大分県警に務める刑事である。俺が彼の自宅に直接電話をかける時は大概が「一般に情報が出回らない、何らかの曰くつきの事件」の情報提供を求める時であった。

「察しの通りではあるんだが、今回はちょいといつもと毛色が違ってな……「祟り」とか「呪い」とか、そういう系統のネタなんだよ」

 受話器先から丸尾の含み笑いが伝わってくる。  

「おいおい、どういう風の吹き回しだよ。お前、そっち系のネタになると、いつも鼻で笑って全く取り合わなかったじゃないか。……気持ち悪いぞお前」

「それが、今回はとても笑ってる場合じゃなくなってな……このネタに足を突っ込んだとたん、死人がでたんだよ………しかも、その死人に気味悪い置き土産まで残されてな」

「死人だって!?……」

 丸尾は絶句して暫く黙りこむ。

「……そうか……そりゃ厄介な展開だな……。で、俺に何を調べろっていうんだ?」

 流石に現役の刑事である。丸尾は俺の様子から事の深刻さをすぐさま察した様であった。

「福岡の蝦見糸村ってところに『六つ鳥居』って森があってな……そこで昔から『まり供養祭』っていう祭事が行われてたそうなんだが、ある殺傷事件がきっかけでその風習が途絶えてしまったらしいんだよ。その事件の情報が欲しくてな」


「六つ鳥居?………どっかで聞いたことがあるような無いような……。まぁ、殺傷事件て事なら福岡県警にツテもあるし、ちょっと当たってみるか」 

 こういう時、友人が桜田門というのは心強い。俺は、森で撮られた映像の話にはあえて触れず、調べてもらいたい事柄に関する情報のみを駆け足で伝え、電話を置いた。



 *********


 6月19日。


 さしあたり、問題の「六つ鳥居の森」を調べることから開始しようと判断した俺は、蝦見糸村のある○○市の役所に連絡をし、取材の意向を伝え、所長との面談を依頼した。当然、「心霊」めいたワードは一切使わず、誌上で取り扱う記事のテーマも『昭和の不可解史・埋もれた未曾有の未解決事件を追う』という差障りの無い表現をし、いかにも自然な探究心による取材であるよう印象付けると、以外にあっさりと明々後日の面談日程が組めた。

 スケジュール的に1日空き時間ができたので、福岡へ出立する前に、俺は「自分のご意見番」として馴染みの、東洋大の清水教授を訪ねることにした。彼は、古い文献や書画などに関する見識が広く、先日、北見から受け取った手紙に同封されていた〝札〟について、是非とも彼の意見を聞いておきたかったのである。

 連絡を取ると、間が良かったのか、清水本人から午後イチで研究室へ来るよう促された。



 *********


「また物騒な物を持ってきましたねぇ、佐伯さん……」


 そういって清水は俺が持参した〝札〟の裏表を注意深く観察する。

「呪文ぽいな。しかも邪気を集める類のか?……ちょっと待っててください……」 

 清水はしばらく席を外すと、奥の部屋から一冊の古びた本を持って戻ってきた。

彼はおもむろに本をめくりだし、その中の一箇所をトントンと差し示した。

「ほら、それとほぼ同じでしょ。……その札は9文字でこっちは11文字ですが、出だしの6文字は完全に一致してる。いや、すごいな。割と状態も良いし……」

 本の資料は劣化が酷く見づらいものの、それは確かにそっくりな〝札〟であった。


――迂伶我意遠似異尼迦――

――迂伶我意遠似奥苦蒔阿弥――


 清水は新しい玩具を手に入れた子供のように燥ぎながら解説を続けた。

「簡単に言うとその前半6文字は『捧げる』って意味です。後半はその対象に直接訴えかける何らかの言葉みたいですが、ちょっと何を示してるかは解りませんねぇ……なにせこの札、江戸時代の隠密儀式で使われていたっていう珍品ですし……」

 そこまで説明すると清水は札から目を外し、こちらを覗き込むようにして言った。

「佐伯さん、あなたこの呪文………まさか読んだりしてないでしょうね?」

 俺が首を左右に振ると彼はホッとしたように微笑み、再び札の方に視線を戻す。

「まぁ、それはそうか。……古文を正確に発音すること自体、普通の人ではまず無理でしょうからからね。普通の人では………失敬失敬」

 学者タイプにありがちな上から目線の物言いである。清水もたまにこんな表現をするが、俺は適当にあしらいながら会話を続けていく。

「それで、この『札の裏』の妙な記号は何を意味してるんでしょうか?先生の本の札の裏面は、こっちの札とは全然違う図柄が描いてありますけど……」

 そう言いながら俺は自分の持ってきた札を裏返す。俺の札の方には


〈『8』の字の中央に横線が入ったような絵柄〉


本の札の裏図の方は、それとは対照的な複雑な図案で、


〈『四角形の中に小さな複数の「丸」と複数の「人」の字』が描かれたような絵柄〉


 が見てとれた。

「こういった一見よくわからない『記号部分』が重要であることが多いんですが……」

 そう言うと、清水は本のページを素早く数枚めくり、こちらにはサッパリわからない古文で書かれた説明文献らしき資料をさらさらと呼んで行く。

「この『裏の記号』は、具体的な札の〝効果〟を定義しているようですねぇ……」

 彼は俺をちらっと横目で見、ニヤッと少し笑ってから説明を再開する。

「この辺はちょっと難解ですよ……この本に載っている札に付いている記号は、「人=人」

「○=エネルギー」「四角=空間」を表しているようで、大ざっぱに言うと、対象に向けられた『呪力』を別の事象に転換させるような効果があるようです。……ただ、そちらの記号に関しては、残念ながらよくわかりませんねぇ……」

 彼は再び札を縦にしたり横にしたりしながら、食入る様にしばらくそれを凝視する。

「ところで佐伯さん、あなたこんな珍しい物を一体どこで手に入れたんです?」

 清水は札から目をそらすと、突然俺の眼と鼻の先まで詰め寄り問いかけてきた。

「福岡の蝦見糸村という所に『六つ鳥居』という森がありまして。その札はそこで知人が入手したものですが……」

「六つ鳥居!」

 清水がいきなり大声をあげる。

「佐伯さん、まさかあなた、これからそこにお行きなさる?」 

「はい。暫くは福岡に滞在して取材をするつもりですが、それがなにか?」

それまで穏やかだった清水の表情が悲しみを帯びたそれに変わっていく。彼はスッと窓の方に顏をやるとそのままゆっくり窓際まで歩みを進め、ポツリと呟いた。

「私がまだ小学生位の頃、その蝦見糸村の近くの炭鉱で落石事故がありましてね……親戚のおじさんが亡くなったんです………まぁ、五十年以上前の昔話なんでけどね……」

 当時を回想しているのだろうか、彼は窓の外をじっと見据えたまま動かない。

「……先生?………」

「すいません。おかしな話をしてしまって……ただ、六つ鳥居を取材するなら気をつけてください……あそこは『ごろんぼう』に呪われた禁忌の地ですから」


 そう言って話を括った清水の横顔を、夕焼けの朱が不気味なほど赤く照らしていた。

 


 ********* 


 明日は早朝からの移動になるので、今夜中に丸尾に状況を確認しておこうと電話に近づいた矢先にベルが鳴った。

「佐伯か。頼まれた事件の件だが、この事件、そうとうヤバそうだぞ」

開口一番、丸尾が興奮した様子で切り出した。

「古い事件記録からそれっぽいのを当たってたらドンピシャなのを見つけてな。『蝦見糸村古部家一家殺人事件』、通称「六ツ鳥居惨殺事件」てやつで、これが起きた年から例のまり供養祭も休止になってるから、まずコイツで間違いなかろう」

「惨殺事件?……またずい分、物騒な名称がついてるな。それでその事件てのは?……」

「俗に言う猟奇事件ってやつさ。……発生したのは今から二十一年前。蝦見糸村で薬問屋を営んでた古部正造って男の家の家族六名が殺されて、六つ鳥居の脇にある『六つの井戸』に捨てられたって事件だ。ちょっと引っかかるのは事件直後から行方不明になってる古部家の「末娘」の存在でな。彼女を捜索した類の記録が一切無いんだよ。事件直後に犯人が自首した事で完全に事件の方は幕引き、少女の件はあえて触れないっていうか……どうも何か妙な感じなんだ。それで県警の刑事課の知り合いに頼んで、少し突っ込んで調べてもらったんだが、そしたらお前、……ゲホッ、ゲホッ……」

「おいおい、そんなに焦らなくて平気だって……ゆっくり説明してくれ。な。」


 丸尾は「喘息」持ちで子供の時から体が弱く、その克服のために始めた柔道のおかげで、大学に入る時分には国体で上位入賞を果たすほどの強靭な身体を手に入れていた。ただ、意図せず興奮状態に陥ると、こういった流れで発作が出てしまうことがしばしあった。

 電話先で「コキューッ、コキューッ、コキューッ」と、吸入器を使う音がした。

「すまんすまん……つい興奮してしまったよ。それで話の続きだが、そいつに色々調べてもらったんだが、公に出ていない気味の悪い情報が出るわ出るわ……」


 丸尾の話をまとめるとこうだ。


 ①六つの井戸に捨てられた死体には全て「首」が無く、全員がなぜか一個の「手まり」を大事そうに抱えていた

 ② 六つの井戸からは六人の死体以外に少なくとも「五十人以上」のものであると思われる『白骨』が見つかっていた。それらもまた頭部(頭蓋)のみが無い状態だった

 ③ 森の中心地区には「手まり堂」というお堂があり、「刈り取った六人の首をそこに捨てた」という犯人からの自供があったが、周囲から見つかったのは大量の血痕だけで、実際の「頭部」は一つも見つからなかった

 ④ 自首した犯人は事件後、福岡拘置所に移送中に車内で消失してしまった

 ⑤ 犯人以外に重要参考人が三名上がっているが、その人物情報が存在しない

 ⑥ 事件で死んだ古部家六名に関する詳細情報はあるが、末娘の情報が存在しない


「佐伯……お前はこの件についてどこまで調べてんだ?……公の資料に『車内で消失』とか、俺の方は話が突飛すぎて正直困惑してるんだが……」

 丸尾は明らかにトーンダウンした声で、いくばくかの納得できる答えを求めて、逆に俺の方に自分の問いをぶつけてくる。

「残念ながらこっちもそれほど変わらん状況だよ。……そうだ丸尾、お前、明日の夜は時間とれるか?実は、明朝の列車で福岡に向かうつもりなんだが、先にお前に直接会って話したいこともあってな」


 ――この事件では丸尾の協力が絶対必要になる。

 直感的にそう感じた俺は、次の日の夜に丸尾と会う約束をして電話を切った。



 ********* 


 6月20日 21時 日本料理「つくし亭」。


「で、つまりなんだ……そのTV局スタッフが「手まり堂」を荒らしたせいで呪われちまって、その呪いのきっかけが六つ鳥居の惨殺事件かもしれん、と言うんだな」


 そう言いながら、丸尾は白く湯気立つ大振りのアユを口いっぱいに頬張った。

丸尾と俺は、二人が学生時代に数回だけ訪れた中津駅前の小さな小料理屋の小座敷で久しぶりの再会を果たしていた。この店は絶品の「尺アユ」を出す事で昔から有名だったが、当時の貧乏学生には敷居が高く、「来たくてもなかなか来れない店」であった。当然、小座敷などは使った事も無かったが、丸尾の強っての希望でこの店の「座敷」が、会合場所に選ばれていた。


「俺はこの目で映像を見たからね……お前もアレを観たら信じざるを得なくなるって」 


 店に来てかれこれ一時間以上同じような説明をしているが、丸尾は未だに『信じられない』という表情を崩していない。丸尾は黙ったまま魚のハラワタをいじくっている。


「あ、そうそう……」


 何かを思い出したのか、丸尾が目を丸くして切り出した。


「呪いといえば、あれだ。俺が情報をもらった福岡県警の後輩なんだが、奴自体が蝦見糸村の近くの出だそうでな……「情報が欲しい」って頼んだ時はちょっと面倒だったんだ。『六つ鳥居は昔から呪われてる』だの『ごろんぼうに祟られる』だの言われてな」

「ごろんぼう?」


 先日、清水教授に言われた最後の言葉が蘇った。――あの時と同じ言葉 ??


「その『ごろんぼう』ってのは何の事だろう?東京でも聞いた言葉なんだが……」


 俺の質問に、丸尾はその口元に「薄気味悪い笑み」を浮かべ、周囲に聞く人など居ないのに、何かを言いたげに俺の方に身を乗り出してくる。俺も仕方なくテーブル越しに身を乗り出して聞き耳をたてる。


「『首』のことだよ、『な・ま・く・び』……」


 不意に「何かが一本につながった」ような気持ちに襲われ、背筋に悪寒が走る。

 丸尾はゆっくりと姿勢を元に戻すと、目の前の焼酎を一気に飲みほし、なお話を続けた。


「あの地域には大昔から出るんだとさ〝首の亡霊〟ってのが……何でも、5~6個の首が六つ鳥居の周りを夜な夜な徘徊していて、それを見ちまうとしばらく仕事もできなくなる位、体調を崩すそうなんだ。で、地元の人達はそれを『ごろんぼうの祟り』って呼んでいるんだと。……おい、ちゃんと聞いてるか佐伯。さっきからボーッとして」


 頭の中で、自分の周囲で最近起こり始めた〝不可解な出来事〟が、ぐるぐるとフラッシュバックし、一つの新しい固まりを形成していく。俺は丸尾の言葉に辛うじて反応した。


「すまん、すまん。……その〝首〟ってのはどんななんだろう?おっさんの首かなぁ」

「はぁ?。知る訳なかろうが。俺がそんなことまで」


 丸尾は怪訝な顔でぶっきら棒にそう答えると、残ったアユの半身を一気に平らげた。


 丸尾が事件を真剣に受け止められないのは仕方ない事だった。だが〝首の亡霊〟と〝六つ鳥居惨殺事件〟には繋がりがあり、一連の『呪い』と呼ばれる現象自体が、蝦見糸村で過去に起きた事件と関わりがあるであろう事は明らかであった。 


 ――後は実際に現地で調べるしかないな。


 俺は丸尾に引き続き事件についての調査を依頼した後、2匹目のアユを注文した。



 ********* 


 6月21日。


 福岡市役所から六つ鳥居のある蝦見糸村までは、車で1時間ほどの距離との事だった。

 役所に到着した俺は、まず観光施設案内を訪ね、蝦見糸村での聞き取り調査に備えて宿の手配を行った。なんでも六つ鳥居の近くには、小さな温泉がひとつ湧いているらしく、その傍で貧小ながも昔から宿泊業を続けている宿が存在するという。ただ、宿を切り盛りしているのが齢八十近い婆さんで、夕方五時以後は電話に出ないだろうから、それまでにチェックインするようにと念を押される。

 奥の方でまた別の職員が


「あの辺、町に出るバスが朝夕一回ずつくらいなんで注意してくださいねー」


 と、声を上げる。目的地が相当な僻地である事を実感しつつ俺は所長室に向かった。


「お待たせしました」


 そう言って所長が現れたのは、約束時間の午後一時丁度だった。

 ぱっと見、五十代前半と思われる愛想の良い中肉中背のその男は、額の汗をその容姿とは不釣り合いな小さなハンケチで拭きながら目の前の席に静かに座った。


「遠い所から御足労いただきご苦労様です。確か『埋もれた未解決事件を追う』でしたね、記事のテーマは。で、あの蝦見糸地区で起きた事件が調べたいと」


 取材の内容がきっちり伝わっているようで少しホッとしつつ、この勢いで切り込んでしまえ、とばかりに俺はいきなり男に主題をぶつけた。


「はい。蝦見糸村で起きた『六つ鳥居事件』についてお聞きしたく思いまして」


〝六つ鳥居〟の単語を聞き、彼は一口飲みこんだ麦茶をむせ返し、咳きこみながらこう返した。


「む、六つ鳥居の事件ですか……私はまたてっきり〝神隠し〟のお話だとばかり思っておりまして……こりゃたまがった」


――神隠し?


 俺は所長の予想外な返答に興味をひかれ、まずはその話を掘り下げてみる事にする。


「すみません。電話で予めお伝えしておくべきでした。……因みに、その神隠しとは一体どんな話でしょうか?」


 所長は、慎重に麦茶を口に運び直し、ゆっくりと説明を始めた。


「蝦見糸村というか、その地域一帯で頻繁に神隠しが起きた時期がありましてね。時代で言うと二十年ちょっと前……丁度、先の大戦が始まった頃の話です。期間的には二年間位の間に起きた出来事なんですが、蝦見糸地区一帯で二百人近い行方不明者が出た奇妙な時期があったんです……園児のバスに乗ってた人間が丸々消える、とかね……まぁ、大戦中の事なんで、さして取り上げられなかったんですが、数年前にフリーの記者がこの件を調べに来ましてね……それで、てっきりそちらの話かと……」

 切り口は違えど、奇しくも自分と同じような目的でこの地区の「禁忌」に絡んだ前任が居る事に、俺は一種の安堵感を感じつつ所長の話に耳を傾ける。


「なるほど、そんな事があったとは……勉強不足で失礼しました」


すると、「とんでもない」とでも言う様に所長は右手を左右に振り振りこう加えた。


「いえいえ、知らなくて当然ですよ。なにせその記者さん、取材中に事故で亡くなってしまったんですから。……この話は結局記事にならなかったんです」


 ――またか。


 そう心の中で思うと同時に、「そうですか」という答えが反射的に口を衝く。

 確かに幾多の現象は、それらの根本となる大きな「呪い」の存在を物語ってはいたが、それをいつの間にか〝当たり前〟のように受け入れ出している自分に当惑する。

 俺は頭を左右に強く振って、目の前の麦茶をグイッと喉に流し込んだ。おそらくこの神隠しの話も、突っ込んでいけばこの地に注がれた「呪いや祟り」に何かしら関連があるに違いないのだ……

 俺は気を取り戻し、そもそもの主題にもどった。


「その記者の方にはお気の毒ですが、今回ウチの雑誌で取り上げる記事には実は〝裏のテーマ〟があるんです。『昭和の怪死事件の真相に迫る』というのがその内容でして……それで、こちらで起きた『六つ鳥居惨殺事件』が話に上がった、という経緯なんです」


「ここはでき得る限り情報を引き出そう」と開き直った俺は、自分でも滑稽と思えるような誇張を入れつつ、話を展開していく。


「そうですか。そういう事なら、是非とも色々調べていってください。あ、当時の資料も残ってますから……ちょっとお待ちください」


  俺の勢いに押されてか、それまで距離を置いて聞いていた所長が、突然席を外す。



 十分ほど待つと、一冊の古びたファイルを小脇に抱え、所長が部屋に戻ってきた。ファイルの側面にはマジックで『1942年』という文字が記されている。


「お待たせしてすみません。これが六つ鳥居事件が起きた年の資料です」


 所長はおもむろにファイルを開くとそれぱらぱらとめくり進める。


「えーーと……あったあった。ここです。まぁ、大ざっぱな資料ですが……戦時中の事件ですし、資料が残っているだけましな方ですかねぇ」


 ページに眼をやると、そこには当時の事件記事のスクラップらしきものと、数ページに及ぶ手書の資料が収められていた。俺は食い入るようにそれらを読み込んでいく……





 ********* 


 6月21日 15時25分。


 役所を後にした俺は、蝦見糸村に戻る車の中で、自分の手帳に書き込んだ取材メモと、役所からもらってきた「事件の新聞記事のコピー」を交互に見返していた。



《 ○○市蝦見糸村で一家六名が惨殺 》

              福岡県民新聞 1942年 7月20日 


 福岡県○○市蝦見糸村で薬問屋を営む古部一家六名が殺害された。

 犯人は同地域に住む植木職人「保口陽一(三十五歳)」と確定。

殺害された六名は、勇天山ふもとの森林(通称:六つ鳥居)中にある「龍頭神社」裏にて殺害され、同森林内に点在する六つの鳥居脇井戸中に遺体を破棄されたとみられる。

 殺害のあった二〇日の翌朝、たまたま鳥居近くを散歩中だった住民の犬が、大量の血痕を発見し吠えだしたことで事件が発覚。その後の警察による探索で他五名の遺体発見となった。

 なお、古部家の家族構成は七名であり、末娘の「亜紀(六歳)」のみ、未だその行方がわかっていない。


  [死体で発見された六名]


 ・祖父 ¨寿三郎(八十歳) 

 ・祖母 ¨シズエ(七十二歳)

 ・父  ¨正造 (四十一歳)

 ・母  ¨八重子(三十八歳) 

 ・長男 ¨幸助 (十七歳)

 ・長女 ¨照美 (十五歳) 

               (コピー資料はここまで)


 六つ鳥居事件は、現所長が今の役職に就く前の年に起こった事件だそうで、前所長が所長職を降りる要因にもなった事件だったことから、その記憶が今でも鮮明に残っているとの話だった。

 何でも前所長は、蝦見糸村区域の五つの村の代表からなる村民会の会長と親交が深かったらしく、役所のファイルに記載されている情報は村民会が運営する「蝦見糸歴史資料館」に原本が存在し、会長のたっての希望により、その写しを〝市の重要事件記録〟として保管することになったのだという。

 言い方は悪いが、蝦見糸地区のような辺鄙な村で起きた一事件の情報をどうしてわざわざ役所で厳重に保管しているのかは、全くもって謎である。

 また、前所長は六つ鳥居事件後、行政指導で森が閉鎖となった際に「まり供養祭だけは独自で継続すべき」としてこの政策に反対し続けた村民会を最後までバックアップしていたらしい。その事がきっかけで上層部と険悪な関係になり、結果、辞職せざるを得なくなった、というのが所長交代劇の裏話だとの事だった。


 俺は事件のコピー資料をたたんでポケットにしまい込み、〝複写厳禁〟とあった手書き資料の方から手帳に書き映した情報を再確認する。



○主犯「保口陽一」について

・手まり堂を管理する『龍頭神社』の剪定師を代々継ぐ植木職人

・村民会の会員。周囲からの信望厚く、若者を引っ張るリーダー的存在


○古部家について

・監視者からは、事件前週の段階で〝重度の侵奪状態〟との報告あり

・末娘アキの消息は不明だが、報告状況から恐らく完全同期が完了していたと推測


(※「監視者」「侵奪状態」「完全同期」が何を意味するのかは所長もわからないとの話)


○行方不明になった監視者について

・神山信仁、舟越沙奈江、舟越無一(監視補佐)の三名の行方に関しては、関連部署が現在総力をあげて調査中

(※丸尾情報の「事件の重要参考人」とはこの三人の事? 同姓「舟越」は夫婦?)


 


 手書き資料については、誰が何の目的で書いたかを含め謎だらけの内容である。


「こりゃどういう資料だ?……舟越無一……どっかで聞いたような名前だが……」


 釈然としないストレスからか、自然と独り言が出る。今日はこのまま宿で休み、明日は近くにあるという『資料館』で情報を集める予定だが、全く持って前途は多難だ。


 気づくと車外の景色は、3時台だというのに夕方かのように薄暗い色に変わっていた。窓から入り込む空気からは、雨の兆しが感じられた。



 ********* 


 6月21日 16時40分。


 予約した『熊乃経旅館』に到着する。

 辿り着いたその宿は、バス停の脇にある鬱蒼とした小さな林を抜けた場所にぽつんと建っていた。一見すると、茅葺き屋根の大きめの民家のようだが、この母屋に三部屋、離れ小屋に一部屋、計四部屋を客間として提供している歴とした旅館である。


「こんにちはー」


 声をかけ暫くすると、どう見ても三十になるかならないかの若い女性が廊下の奥から小走りで現れた。ここの女将は齢八十近いと聞いていたのであれっ?と思う。


「いらっしゃい。えーと……東京の佐伯さんですね。……おばぁちゃーん!佐伯さんがいらっしゃったわよー。そっち早めに切り上げて、こっち早くねー」


 現れたのはどうやら主人の娘のようだった。見ると、廊下の奥の方で小さな女の子と男の子がニヤニヤした顏でこちらを伺っている。


「あ、私たちはいつもは居ないんですけどね……たまたまウチの旦那が出張で遊びに来てまして。……ささ、古臭い田舎の宿ですが、どうぞどうぞ」


 感じの良い女はそう言って俺を奥の十二~十三畳ほどの座敷に案内した。

 座敷には使いこまれた座卓が3つ配置してあり、部屋の長辺に対して直角に置かれた一番大きい座卓の横にだけちょこんと火鉢が置かれていた。傍らの座布団の上で丸くなっていた白い日本猫は、見知らぬ客の侵入に反応してスッと身を起こすと、とことことどこかへ行ってしまった。

 おそらく、客が居ない時はあの白猫と主人は、ここに鎮座して火鉢の茶でも飲みながらのんびり過ごしているのであろう。


 俺が座卓の奥席に座るのと同じタイミングで、旅館の主と思われる老婆が現れた。


「どうもどうも……遠くからわざわざ難儀やったねぇ。すぐ晩飯の用意をするけん、お茶飲んで一服したら部屋の方で待っとってくれん。」


 主人は簡単に挨拶を済ますと、そのまま台所へすたすたと戻っていった。



 ********* 


 質素ではあるが、うまい焼き魚を満喫した俺は、後片付けを始めようとした婆さんを捕まえ、話を切り出した。


「婆様。実は私、雑誌記者をやっとりまして、この蝦見糸村には取材にきたんですが……」

「記者さんと!そげん人がこげん田舎になしてきなしゃったん?」


 二人の会話を横耳で聞いていた娘が苦笑しながら口をはさむ。


「婆ちゃん!佐伯さん東京の方やけん方言気ばつけてあげんしゃい。わからんけん」

「わかったわかった。しゃーしかーもう」


 婆さんはそう言いながら虫でも払い退けるような仕草で娘の言葉を一蹴すると、俺の目の前にゆっくり座り話を聞く体制に入った。


「しやーしかねーあれは。うちの話でよければ何でも聞きなされ」

 

 旅館の客は俺一人という状況だった。次の予約は七月まで入っておらず、飛び込み客など滅多に無い空き状態の旅館は、子供にとっては打って付けの遊び場だ。俺と婆さんの会話の横では、子供たちの笑い声と廊下を走り回る音が取材のバックミュージックの様に流れ続ける。俺は差障りの無い東京の出来事やオリンピックの話で婆さんとの距離を縮めつつも、この空間の和やかさに躊躇し、いつ本題に入ろうかと切り出すきっかけをつかめずにいた。 

 と、不意に子供たちが歌いだした数え歌が耳に入ってくる。



    一ツついては父のため

    二ツついては母のため

    三ツみんなはどこに居る

    四ツ世の中おっかねえ

    五ツいらはいごろんぼう

    六ツ向こうに飛んでった

    七ツなきんぼ乗っかって

    八ツやしろにゃ入れまい

    九ツここからとおりゃんせ

    十でトリイはまっかっか……


 

 ――ごろんぼう!?――

 俺は、突然聞こえた単語に一瞬耳を疑うが、急いで婆さんに問い質した。


「婆様、今外の子供たちの歌の中に『ごろんぼう』って言葉が聞こえたんですが、ごろんぼうって確か「生首」の事ですよね……」


 婆さんは、驚いた顔で答えた。


「あんた、東京の人がそげん事よく知ってますな。たしかに「ごろんぼう」はこっちでは『首』っちゅう意味があるのですよ」


 俺は、チャンスとばかりに話に食い込んでいく。


「こちらに来る前に、先に東京で調べてきたんです。この地域に「首」にまつわる『祟り』のような話がある事とか……今、子供たちが歌っていた歌は一体何の歌ですかね?」


 とたんに婆さんの顏が「怪しい者」を見る眼付に変わる。婆さんは慎重に話しだした。


「この地域は大昔から……爺さまの話では、お侍様の時代くらいから『首』の怨霊に呪われておるそうでな。出るんや。首の怨霊が。こう、「ぷかーんぷかーん」と、5~6個位。……あん歌は『森をしゃまよう生首の霊が、森のトリイを通って「此の世とあの世」ば行き来するさまを表した歌』ちゅう事ばい。」


 婆さんは火鉢の方に眼をやると、火もくべてない鉢の灰を火箸で2~3回かき回して、話を続けた。


「何でもその昔、この地域でとんでもない人数の人達が殺されたっちゅう事件があって、その呪いの固まりが「生首」になって出てるそうばい。その事件ちゅうのがどげんもんだったかウチは良うわからんがの……ところで、あんた様は一体何を調べとーんか?」


 婆さんは厳しい顔でこちらを見据えた。俺は怯まずに更に身を乗り出して答える。


「六つ鳥居事件を調べてます」


 婆さんはギョッとした顏で一瞬後ろにのけ反ると、子供の方に向かい大声をあげた。


「あんたたち!もう夜ばい!部屋に戻りんしゃい!……カヨ子さん、子供たちば部屋に連れてってくれん!」


 何事かあったと悟った様子で、娘は「はいはい」と二人を連れて部屋に戻って行った。


「あんた、六つ鳥居事件の事調べるって……なしてあげん危なか事件を調べると?」


 婆さんは口元をわなわな震わせながら、悲痛な顔でこちらの挙動に意識を集中している。俺は何となくこの婆さんには本当の事を話した方が良い気になり、それまで東京で起こった一連の出来事をかいつまんで話して聞かせた。


「そりゃーどえれぇ事やったねぇ…………そんで真相ばしゃぐりたかと」

「はい。どうも何かとんでもない出来事が始まっている気がしてならなくて……それで、

色々と調べだしたら、この『六つ鳥居事件』に辿り着いた訳です……今しがた役所の方には行ってみたんですが、やはり当事者「古部家」の細かい情報等は現地の人にでも聞かないとわからない、そう言われまして……」

「そげな事と――。ならできる限り協力しぇないかんね。古部さんとことウチんとこはあっちの女中さんに薬ば届けてもらう間柄やったけんね。あん家族ん事はようしっとーばい。あ、……良く知ってましたでな。」


 婆さんは俺に気を使い、たどたどしくもなるたけ解りやすく話を進めてくれた。婆さんの話は小一時間にのぼり、俺はいくつもの貴重な情報を手に入れた。


 ********* 


 6月21日 21時30分。


 近くの源泉から引いているという小さな内湯で風呂をもらい、早めに床に就く事にした。湯船から窓方向を見ると、湯気の隙間に薄紫と青の2種類の紫陽花がぼうっと霞んで顏を覗かせている。少し開いた窓の隙間から6月の冷たい風と少し生臭いカタツムリの匂いがほのかに漂ってくる。 


「これが休暇だったらな」


 そういえば自分がここ2~3年旅行らしき事を全くしていなかった事に気づくとともに、こんな状況にも関わらずふと自分の家族の事が思い出された。

既に宿の子供たちの声は止み、薄暗い静寂の中に「サァーーッ」という微かな水の音だけが響いていた。やはり雨が降り出したようだ。長湯をしすぎた俺は湯冷めをしないよう、急いで浴衣を羽織り自分の部屋に戻った。


 早めに布団に入ってみたものの直ぐには寝付けず、俺は愛用の手帳を開いて、夕飯時に婆さんから聞いた話を思い返してみる。


 ―――――――――


~婆様の情報~


○古部家の評判について


・一家の主人「正造」は高等学校時代から既に店の手伝いをしていたそうで、父、寿三郎が大戦中に青島に派遣された時期から父に代わり店を切り盛りできる程に優秀な人物であったという。また、勤勉で誠実な人柄から、村の連中からも大変慕われており、他人に恨みを買うような事は考えられないとの話。


・一家は、はたから見てとても幸せそうな仲睦まじい家族に見えたとの事。正造の3人の子供たちも明朗闊達で、特に長男の幸助は剣道で何度か県大会の決勝まで進んだ事があるほどの腕前だったとの話。ただ末娘のアキは産まれた時に体に大きなコブがあって、それを手術で取り除くまでは周囲の子供と普通に遊ぶこともできず、兄姉や女中が押す乳母車に乗せられて散歩する姿をよく見かけていたらしい。


○事件関係で何か変わった出来事はあったか?


・事件の直後、六つ鳥居の「手まり堂」を管理していた神社の神主が失踪した事、また、神主が「まり供養祭の主催者」でもあった事から当時の村人達は一連の事件を『ごろんぼうの祟りに違いない』と噂していた。


・事件の直前、京都からこの熊乃経旅館に来ていた夫婦のもとに、失踪した神主が訪ねてきた事があったらしい。この話は当時、警察にも説明したが〝騒ぎが大きくなるから〟という事で他言を控えるよう念をおされていたとのこと。


・惨殺事件が起きる一~二年前にも一度、アキが行方不明になる事件があり、その時は

次の日にひょっこり屋敷に戻ったそうだが、周辺は大騒ぎになったらしい。


・古部家には当時、若い女中が務めておりアキの面倒をよく見ていたらしいが、失踪事件の直後に若奥さんともめ事を起こして帰省してしまったとのこと。


 ―――――――――


――植木屋と神主……京都から来た夫婦……そして末娘アキ………か。


 俺は、恐らく事件の中心となるであろう謎多き人物たちの姿を想像し溜息をつく。

婆さんと古部家の女中とは親密な関係であったらしく、実家が山口の有名な蕎麦屋であるとの情報も得た。彼女を訪ねれば当時の古部家の事をさらに詳しく聞けるはずだ。特に末娘のアキに関してはいろいろと不可解な点が多すぎる。

 婆さんからは、事件のあった「古部家」は、この宿から歩いてすぐの場所にあると教えられた。明日は村の古い情報が残っているという『資料館』を訪ねるのと、森の探索が主目的だが、時間が余るようなら古部家に寄ってみても良いかもしれない。


 そんな事を考えている内に意識はゆっくりと混濁しだし、俺はいつの間にか「深い闇の底」へと沈んで行った。

「カッ!」という雷が一回だけ響いたが、俺の耳がそれを意識する事はなかった。






 ********* 


 6月22日。


 目が覚めると、先日の雨はすっかり上がり、所々の雲の切れ間から少しの青空が見えるほど天気は回復していた。婆さんから呼ばれ朝食を取りに居間に向かうと、既に身なりを整えた娘親子が庭先で猫と戯れていた。婆さんは、少し寂しそうな笑みで親子をちらと伺った後、俺のご飯と味噌汁を卓上に並べながら話しかけてきた。


「あんた、今日一番で資料館に行きたいと言いよったね。雨もやんだし裏にある自転車に乗っていきんしゃい。歩きでは三十分はかかるけん」

 俺は急いで朝食をすませ、きしみ声をあげる古びた自転車で資料館に向かった。




 『蝦見糸資料館』。


 小さな鉄製の門の横には思いのほか立派な板彫りの表札が掲げられていた。門が閉まった状態だった為、俺は表札の横の東京でもまだ見慣れぬドアホンのボタンを押してみた。


「何用と?開館は十時半ばい」


 老人のものらしきしゃがれた声が返ってくる。開館時間から十分ほど早く到着してしま

ったようだったが、とりあえず用件を話してみると「取材という事なら」と、すぐさま門は開かれ、思いのほかすんなり館長との面談にこぎつけた。


「はじめまして。小西と申します。しかしまた、東京からこんな田舎に来なすって村の歴史に興味があるとは、えろう奇特な方ですなぁ……まぁまぁ、そこに掛けてくんしゃい」


 表れたのは予想に反し、まだ若さを感じさせる朗らかで感じの良い中年の男だった。

俺は形式的な自己紹介を早々にすまし、早速本題を切り出す。


「今、この地域に伝わる『ごろんぼうの呪い』について調べているのですが、実は東京でこの『ごろんぼう』の話を何人かから聞いておりまして――」

「ごろんぼ様の話を東京で!?……」


 話を遮り、館長が身を乗り出して口をはさんだ


「おっ、こりゃすみません。都会の人から『ごろんぼ様』っちゅう言葉を聞くとは、ちょっとたまがって……いや、驚いてしまいまして……」

「こちらこそ不躾ですみません。最近、その『ごろんぼ』に関係していると思われる事件が東京で起こりましてね。それでこちらなら何か詳しい話が聞けるんじゃないかと思い、こうして伺った次第なんです」

「東京でごろんぼ様の事件?こりゃまたけったいな話ですなぁ……まぁ、そういう事でしたらウチは古い資料も揃っとりますけん……しかしまぁ、ごろんぼ様とは……」


 館長は、テーブルの脇のポットから小さな急須にじょろじょろと湯を流し込むと、そばにあった茶碗に鳴れた手つきで茶を注ぎ、俺の前にそれを差し出した。


「いやね。本当の所は私もよく知らんのですが、何でも江戸時代末期にこの辺で酷い病が流行って、数百人単位の人間が死んだっちゅう惨事があったらしいんです。それで、そん時にその病気の治療を妨害した罪で斬首刑になった連中がおったらしいんですわ」


『パリン!』


 突然、館長の背面の神棚に供えてあった水入れが倒れて割れた。

それまで気付かなかったが、見ると神棚の真下にある引き戸棚の上辺に一本のタコ糸のような紐がピンと張られており、そこに数個の「紙垂」が下がっている。どうやら棚の中に何か神聖なものが管理されているようであった。

 館長は後方を振り返り、小さく首をすくめて驚いて見せたが、さっと立ち上がると倒れた水入れを素早く整理し、再び席に戻った。


「ははは……縁起が悪いですな……。それで話の続きですが、その斬首刑になった連中が世を恨んで怨霊になったっちゅう話なんですよ。ごろんぼ様と呼ばれてるのは、刑が執行された六つ鳥居の森に居着いた『首の霊』の事なんです。その首を……」


『ゴトン!』


 館長の言葉を遮るように、今度は神棚の木札が倒れて床に落ちた。


「佐伯さん。ちょっと場所を替えましょう。こ、ここは窓もないし辛気臭くて行けない…

そうだ。談話室……談話室の方に行きましょう。あそこは日も当たるし、あそこがいい」


 館長の顏から滝のように汗が流れだし、その言葉はしどろもどろになっていた。俺は言われるがまま、館長の後に続き談話室へ向かったが、最初の呑気な様子とは打って変わった館長の動揺から、彼が普通では無い〝重要な何か〟を知っている事は明らかだった。



 通された談話室は日当りが良く、十畳ほどの大きさの空間に簡素な四人掛けテーブルが四つ並んでいた。大きな窓からはのどかな田園風景が見渡せ、確かに快適な空間だった。


「さっきの部屋の神棚の下に紙垂が下がってた棚があったでしょ」


 こちらが質問する前に館長が先に切り出した。


「あすこには、この地域の最重要資料と言われちょる資料が入っておりましてね。さっき

話してた『集団病死事件』と『六つ鳥居で執行されたの斬首刑』関連の古い資料が入っちょるんです…」

「なるほど。しかしなぜそんな貴重な資料が展示もされずそんな所に……」


 館長は額の汗をハンケチで拭きとり、眉をひそめつつ話を続けた。


「いやね。この資料館が建てられた当初は中身はちゃんと展示室の方に陳列されてたらしいんです。ですが祟りっちゅうか、妙な事件が起きましてね……実は資料の中にその集団病死事件の有様が記された『絵巻物』が入っちょるんですが、陳列時にそれに触れた職員達が揃って頭に酷い怪我をしたらしいんですわ。まぁ、それ自体はただの事故で終わったんですが、その後、巻物を観たお客さんから「体調が崩れた」って苦情が相次いだんです。それ以来別管理になったんですわ。〝禁忌の遺物〟って事でね……ちょっと失礼」


 館長は立ち上がって窓際に歩みを進め、ブラインドを下げた。


「まぶしかね今朝は。しかし、今日は久しぶりの快晴ですなぁ」

 ゆっくりと席に戻った館長は、すでに落ち着きを取り戻した様子だった


「話が脱線してしまいましたな。えーと……そうそう、ごろんぼ様の呪いについて調べてるんでしたね……だいたい頭をやられるんですわ。この祟りは。……あ、この辺じゃ呪いっちゅうか『ごろんぼ様の祟り』って言っとるんです。首の霊を見てしまうと体に異変が起きるっていう言い伝えですな。、大抵は、数日間頭痛に悩まされる位で治まるんですが、稀に頭に大怪我する人もあったりで……ただ、東京で何かが起きるってのは解せんですな。そもそも、ごろんぼ様自体は六つ鳥居の森に憑りついているから、六つ鳥居周辺でしかそういう事は起きないはずですし……」

「あの、さっきの『巻物』を見せていただく事はできませんか?」


 話題を変えようとする館長の話に横やりを入れてみるが、館長は顰め面で即答した。


「ダメダメ!あんた、無茶言わんでくれん。祟らるーって言いよるやろう。そもそも古か巻物やし、観たっちゃ意味は分からんばい……」


 やはりだめか――と思いつつ、俺は切り口を変えてもう一つの重要な質問『古部家の惨殺事件』について聞いてみた。


「そうですよね、失礼しました。では質問を変えますが、この村で二十年ほど前に起こった『六つ鳥居殺人事件』について、何か知っていたら教えていただきたいのですが……」


「む、六つ鳥居殺人?」


 冷静さを取り戻したばかりの館長の顏は瞬時にこわばり、その口元は不自然な引き攣りをみせる。館長はこちらの心の奥を探るように俺の顏を無言でじっと凝視すると、小さく低い声で呟いた。


「あんた、一体どこまで知っとん?……本当は何が聞きたいの?」


 その表情は今までとは明らかに違う疑惑に満ちたものに変わっていた。変に警戒されて全く情報が引き出せないのは困る。俺は、自分が東京で見た『手まり堂で撮影された生首』の話を皮切りに、今まで起きた数々の不可解な現象を洗いざらい館長に話し聞かせた。


「……いやぁ……そげん事が東京で起きたとは……こりゃぁえずか事ですなぁ……」

 一通りの話を聞いた館長の表情は、気づけば同情の念を帯びたそれに変わっていた。


「正直な所、現状かなり切羽詰まっているんです。何だかこれからもっと恐ろしい事が起こりそうな気がしまして」

 館長はこちらに耳を傾けたその姿勢を保ったまま、険しい顔でシャツの胸ポケットから少し潰れたハイライトの箱を取りだす。


「吸うてもよかかね?……あ、よかったらあんたも吸うと?」

「いえ、私は禁煙中なもので。どうぞお気を使わずに」

「そうですか。なら遠慮なく」 


 館長は一本の煙草を口に銜えると、ズボンの両ポケットをまさぐった後、後ろのポケットからライターを取り出し、それに火を点けた。


「『六つ鳥居殺人事件』ちゅうたら古部さんとこのあの事件の事やな……ありゃぁ、今思い出してもゾッとする事件でしたよ。……実はあの事件の話は、この辺の者はあえて話さんようにしとるんです。禁忌なんですこの話は……ところで、あんたはどの程度調べなさったとね?この事件について?」

「はい。実は大分県警に幼馴染がおりまして、そこからあらかた事件の内容については聞いてるんです。事件後、井戸から数十体の白骨が発見された事とか、井戸に捨てられていた古部家6名の遺体に全員首が無くて、それぞれ妙な手まりを抱えていた事とか――」


『ドン!』


 窓の外側で何か鈍い音がし、二人は驚いてそちらに眼をやった。

 しばらく沈黙が流れるが、気を取り直し俺は言葉を続ける。


「先日も、役所の方で色々資料を見せてもらったんです。あと、熊乃経旅館の婆様にも少し話を聞いたんですが、いくつか気になる点がありまして」

 俺は胸ポケットから手帳を取り出し、役所で得た情報のページを手早く開いて見せた。


「あんた、熊乃経旅館に宿を取ってるんかい。なら、古部さんとこのすぐ近うやなかか」

「ええ。婆様から古部家の事も色々聞きました。それで、まず確認したいのはこの主犯とされている『保口陽一』についてなんです――」


 俺は手帳のメモ上にある「保口」の名前の上をペンで差し示す。

「公にはこの男が単独犯として捕まる事で六つ鳥居事件は終了してますが、この事件は、どう考えても一人が一晩で実行できるスケールの事件ではない気がするんです。それに、保口の評判からは、とてもそんな凶行を起こすようなイメージが浮かんでこないんですよ。役所の所長の話ですと、こちらの資料館は『村民会』が運営していて、保口は村民会でも若者のリーダー的な存在だったと言うじゃないですか……」


 保口の名を聞き、少し動揺した素振りを見せた館長は、吸っていたタバコの火をもみ消すと、まるで身内を弁明するような態度でこう返してきた。


「同感ですばい。実は、まだこの辺りに大勢子供が居た時代の話なんですが、村民会が中心になって運営していた『子供会』というボーイスカウトのような会がありましてね。私も小~中学校時代の数年間、そこに在籍しとったんです。その時、私らの事を親身になって面倒みてくれてた人間がそん男、保口なんです……ですから、事件を聞かされた時は、ショックで大泣きした程でしたわ」

「一体、なぜそんな事になったか、何か思い当たる節はあったんですか?」

「さぁ……私にもサッパリ分からんとです。ばってん事件があったのも、その子供会でキャンプ合宿みたいな事をやった直後の事だったんですよ……子供たちと愉快に過ごしたすぐ後に、全く恨みも無い善良な一家を皆殺しにできます?……ありえんでしょ?」


 館長はそういうと二本目の煙草に火を点け、イラついた様子でそれを激しくふかした。


「実は、その保口なんですが、収監中の車の中で姿を消してしまったそうなんです。それと、これも公には出ていない情報ですが、事件絡みで保口以外に『三人の重要参考人』がおりまして、彼らも保口同様事件後に姿を消してしまったそうで……」

「?……保口以外に怪しい輩がおったとですか?……しかも三人も……」


 館長の煙草の灰部分はいつの間に長く伸び、自重でポトリと落ちた。


「『舟越沙奈江』『舟越無一』『神山信仁』という三名が、その重要参考人であろう事までは見当がついているんですが、奇妙なことにこの重要参考人の話はメディアに一切報道されていないんですよ」

「『神山?』……舟越って名は知らんが、その「神山」ってのは、たぶん六つ鳥居の神社の神主さんでしょう。あそこの神主さんが事件後に消えちまったのはこの辺でも噂になりましたから……いやぁ、あの人が事件の重要参考人でしたか……

 そうそう、あんたが話してた『手まり堂の祭事』を仕切っとったのもその神主さんでしたよ。神主さんがお堂で祭事ってのも変な話ですが、その祭事がそもそも〝ごろんぼ様の鎮魂の為の儀式だった〟って話もあるんです。……ご存知でしたかね?」

「神山が龍頭神社の神主だって話は役所で聞いてましたが……祭事や儀式をひっくるめて神山がその中心に居たとは………正直、全く知りませんでした」


 館長は一瞬意外そうな顔をするも、直ぐに思い付いたように切り出した。

「まり祭りと言えば神主さんなんじゃが……まぁ、少し待っててくれますかね。六つ鳥居の祭事関係の資料をお持ちしますんで。あ、『巻物』は期待せんでくださいよ」

 館長はそう言って苦笑すると、すっと立ち上がり、室外へと小走りで駆けて行った。



 暫くして戻った館長の手には、一冊の古めかしいファイルが握られていた。カバーの表紙には、薄暈けてしまってはいるものの『六つ鳥居祭事記録』の文字が見て取れる。

「コレ。六つ鳥居の過去の祭事の記録が記されているファイルです。今、ざっと見てから持ってきたんですが、やはり、「まり供養祭」が実施されるずっと前から、違う名前で行われていた儀式があったようですな」


 館長はそう説明しつつ、ファイルをテーブルの上に開いて見せた。


 ――――――――― 


◇一八九四年 七月二十一日


 本年度まで継承された封印式は、五十八年の完遂期間を満了したものとし、ここに閉式する。これに伴い奉納堂解体式を遂行する。式目は以下の通り


一、奉納堂解体ノ儀

一、首供養ノ儀

一、鎮魂碑建立式

一、手毬堂建立祝賀式

一、堂守役移換ノ儀

(同日を持って龍頭神社の宮司職は三代目神山信仁に引き継ぐものとす)


◇一八九五年 六月十九日


 本年より新たな術式のもと、封印式を再開するものとす。また、同日より新たな祭祀として「毬供養の儀」を実施する。内容は以下の通り


一、祭祀は「毬供養祭」と命名。以後毎年六月十九日に手毬堂にてこれを執り行う

一、祭祀の指揮および施行は、龍頭神社の宮司がこの責を負うものとす

一、祭祀への参加は蝦見糸村を中心とした蝦見糸五地区に住まう者に限定する

一、同日に行う封印式は、同神社宮司の同席の上、内閣府任命の祓衆により執行される


―毬奉納者―


 一八九五年奉納


○蝦見糸杮町一ノ三〔安藤 敬一郎〕○一、蝦見糸杮町一ノ六〔水島 太吉〕○蝦見糸杮町一ノ十二〔石田 和馬〕○一、蝦見糸杮町二ノ一〔東 光之助〕○一、蝦見糸杮町二ノ五〔生田目 幾郎〕………

     

 ――――――――― 


「ここから先は、まり供養祭が廃止になる一九三九年までの間に〝毬の奉納〟を行った者のリストが延々と続いとる感じですな――」

そう言って館長はファイルのページをパラパラとめくりだした。


「ちょっと待ってください」


 俺は慌てて右手をファイルに挟んで館長の動きを止めると、そのまま最初に見ていたページを開き直して会話を再開する。


「まり供養祭が実施される前に行われていたこの『封印式』ってのはどんなものだったんでしょうかね?……それとこれ、何ですかね?『内閣府任命』の下の単語……」

俺は文章の中にある「祓衆」の字を指差して尋ねた。


「なんじゃろうね……お祓いの「はらう」っちゅう字と「しゅう」で、どう読むんかねぇ

……『フツシュウ』?……わしもわからんねぇ」

「内閣府任命ってのも随分仰々しいですよね……。じゃぁ、こっちの『封印式』って方については、何かご存知ですか?」

「いやぁ、まり供養祭が行われる以前から『いかがわしい儀式が続いとった』って話くらいしか聞いちょらんわねー。……供養祭の方だったら、わしが十歳くらいまで実際に出ちょりましたから、よう覚えとりますが――」

「なるほど。じゃぁ、そちらの話だけでも聞かせてください。……やはり、何か特別な儀式をやっていたんでしょうか?」


 館長は腕組みをしながら視線を上の方にやると、記憶を辿るように淡々と話しだした。


「この辺のしきたりみたいなものなんですが、一家に子供が産まれると、皆、龍頭神社に行って『手まり』を一つ貰うてくるんです。毬は丸一日神棚に置いて清めた後に子供の遊び道具になるんですが、そん毬は次の年の供養祭に森の奥にある手まり堂の前に積み集められ、燃やされてしまうんです。毬が燃え尽きたら、最後にお堂の中にある『新しい毬』をもらって帰る、というのが祭りの一連の流れでした……まぁ、一種の〝厄除け祭事〟みたいなもんだったんでしょうな」


 祭事の説明には特に変わった点もなく、俺はさらに食い下がって深堀りする。


「首に関わるお祓いをするとか、そういう何か特殊な事は一切なかったと?」

「無かったですなぁ……ただ、毬を貰う時、神主さんが裏手のにじり口から先にお堂ン中に入っちょるんですが、表戸に付いてる小さな受け渡し口から毬を渡してくれるんです。そん時に格子の隙間から見えるお堂の中の様子だけはよーく覚えとります」

「と、言うと?」

「とにかく、とんでもなく綺麗だったんですよ。手まり堂の中は……なので今でも惜しまれますなぁ。あの祭事が無くなってしまったのは」


 館長は少し遠い目をして独り言のようにつぶやいた。恐らく儀式の背景や本当の意味合いは、現状行方不明となっている神主『神山』でなければ分からない領分の話なのであろう。資料館館長という事で、勝手に〝年配の生き字引のような人物の登場〟を期待していた俺は――ここではこれ以上の情報は得られんな――と、半ば諦めつつファイルのページをパラパラとめくり、奉納者リストを飛ばし見する。


 と、不意にファイルの間から何かが滑り落ちた。


「あ、それそれ。……祭事のファイルだっちゅうのに、古部事件の資料が入っとりまして」


 館長の声のトーンが突然上がった。現れたのはノート大の封筒で、その表側にはしっかりと『六つ鳥居殺人事件関連資料』の文字が記されている。館長は封筒を手に取ると、素早く中の資料を取り出し、それをテーブルの上に並べていった。

 封筒の中から出てきたのは六枚の資料だった。その文面に眼をやった俺は、すぐにそれらが先日役所で見せられた資料の原本である事に気が付く。


「これとほぼ同じものを先日、役所の方でみせてもらいましたね。『資料館にある事件資料の写しだ』と説明されて、……あっ!」


 俺はテーブルに並べられた資料の中に、役所では目にしなかった内容が記載された一枚がある事を発見し、それを手に取る。



 ――――――――― 


 古部亜紀に関する術後所見  

                           

   一九三八年 十二月十日  報告者 舟越沙奈江


 十二月三日に亜紀から切除した尊徳の御心体は、直ちに祓衆本部に運ばれ、古来の形式に則った陰陽術式を施した上で、その日の内に完全隔離状態に据え置く事に成功。一週間が経過した現時点で特に変わった兆候は見られず、安定状態にある。

 また、亜紀本人の術後経過もすこぶる良好で、予想以上の驚異的な回復を見せている。

 既に本部経由で報告済みの手術直後に医院内で起こった一連の騒動に関しては、関係者らとの話合いの結果、公には出さない確約を得ている。


 私見ではあるが気になるのは、この地域一帯に漂っていた強烈な邪気が、術式直後から全く消えてしまった事であり、百年もの長きに渡り続いた呪詛が、これほどあっさり消滅するとはどうしても思えない。


 亜紀の経過観察を含め、引き続き蝦見糸地区の定期的な視察は必要不可欠と判断する。



 ――――――――― 


「これ、初めて見る資料です……この報告者の所、見てください。さっき話した重要参考人の女が書いたものですよこれは。……それにこの亜紀って、事件で行方不明の……」

「?アキと!……ちょっと見してくれん」


 館長はギョッとした表情で、むしり取るように資料を奪うと、それを食入るように凝視した。


「これは……わしも初めてみました……。なにせ六つ鳥居事件の資料ですからね、誰も気味悪くて開けんですよ。……ばってん、今ンなってアキの話が出てきよるとは……」

「このアキって子が何か?」


 館長は一旦、口元を横一文字に引き締める。が、直ぐに何かを振り払う様に話しだした。


「……こげん資料が出たんでお話ししますが、あれはちょっと普通じゃない子でした。その、何ちゅうか…………特殊な力があったんですよ。アキは……」

「特殊な力?」


 突如急展開しだす話に俺は慌ててテーブルの上の手帳を手に取り、身構える。


「私が小学生だった時ですが、実はこのアキの〝姉さん〟と同じ小学校に通ってたんです。向こうは二学年くらい年が上だったんですが、家が近所だったもんで近くの子供達でよく遊んだりしてたんです。テルヨ……いや、テルミ……たしか照美っちゅう名で、美人で性格も良かったもんだから、この辺じゃちょっとした人気者だったんです」


 そこまで話すと、館長は煙草の箱に手を伸ばすが、俺の方をチラッとみてその手を引っ込めた。


「すいませんな。禁煙中の人の前で、興奮してくるとつい、ね……それで、その照美がよく連れていたのが当時三~四歳くらいだった妹のアキだったんです」


 俺は苦笑しながら、テーブルのハイライトを館長の方に押しやった


「タバコ、気にせずどうぞ……もうずいぶん吸ってないんで私は全然平気ですから」


 館長は小さく右手で拝むようなアクションをすると、新しい一本に火をつけた。


「……で、いつものようにアキを連れた照美と近所のワラシが五~六人で遊んでた時の事なんですが、エライ事件がおきましてね……一人のワラシが私らの目の前でいきなりぶっ倒れて死んじまったんです」

「!……いきなり死んだ?……そりゃどういう事ですか?」


 俺はメモの手を止め、館長の顏をまじまじと見つめ直した。


「大人たちは『突発的な心臓発作』、つまり〝事故〟だと言ってましたが、私ら子供の間では『絶対違う』『アキがやりよった』って皆思っとりましてね」

「?……三~四歳の女の子がですか?」


 話が飲み込めず当惑する俺を尻目に、館長は渋い顔で言葉を続けた。


「まぁこんな話、普通信じられんでしょうな……でも、そのワラシが胸ば押さえてぶっ倒れる前にみんな聞いちょったんです。そいつば指差してアキが言った言葉を」

「……一体何を言ったんです?」


 館長はゆっくり俺に顏を近づけ、まるで誰かに聞かれるのを避けるかのように小声でこう告げた。


「『しんぞうつーぶした』って言ったんです」


 聞き耳を立てていた俺はその言葉にゾッとし、反射的にびくっと身を引いた。


「アキは産まれてちょっとした頃に大手術をしたそうで、背中におっきな手術痕があったんです。その傷を見た一人がアキをからかいよったんですわ……そしたら、急に照美が真っ青になってわめき出したんです。『アキちゃんを怒らせちゃダメ!』ってね。その直後にそいつが死んじまったもんですから、私たちも何が何だかで……でも、そん時はまだ、それがアキの仕業とは誰も確信してなかったんです。皆がアキの力に本当に気付かされたのは、その後の事でした……」

「アキの力って……自由に人の命を奪えると?……まさか」


 館長は首を左右に大きく振り、俺の言葉を制して話を続けた。


「……そんな事があったもんで、その後に皆して集まった時に、ワラシん中の一番気の強い奴がまたアキにからんだんです。『死神』って言って……しかも、そいつがリーダー格だったもんで、皆で合唱になったんですよ。『しーにがみ。しーにがみ』ってね……わしは気が小ちゃかったから、何となく怖くて黙っとったんです……そしたら………」


 そこまで言うと、館長は息を飲んで言葉を止めた。煙草を持ったその右手は、心なしか震えているように見える。絞り出す様に館長は話を続ける。


「そしたら次の瞬間、アキをはやし立ててた全員が白目ば向いてバタバタぶっ倒れだしたんです。……わし以外全員ですよ……全員!」


 情景を想像した俺は動揺を隠せずにいた。体から吹き出す嫌な汗が、あごを伝いテーブルの上にしたたり落ちる。


「アキは、ワシの方を向いて『おめぇぇも気を付けぇ』って……ありゃぁ、……ありゃぁ、魔物かなんかだったのかもしれんね……」



 昼を告げる仕掛け鐘の音が響いた。話が始まってから、いつの間にか一時間以上が経過していた。

 その後も館長の話は古部家の話題で一貫したが、末娘のアキに〝他人を呪い、命を奪う力があった〟という情報以外は注目に値する情報は無かった。俺は「ひょっとしたら」という気持ちで、東京から持参した『札』について、館長に意見を求めた。


「何ですかねこの札は……………………ん?」


 館長が何かに気付いたようなリアクションをした。


「何かおかしな事、ありますか?」


 館長は札の下辺に付いた楕円形のこげ茶色のシミを指差して質問を投げかけた。


「これって、血判じゃねぇかね?」


 札自体が古くて薄汚れており全く気付かなかったが、言われてみると確かにその汚れは指先で押された痕とも見て取れた。


「ああ、急に思い出しました!……供養祭で毬を焼く時、各家に一枚ずつお札が配られてましたよ。家長がその場で親指に少し傷を付けて札に判を押したものを毬にくっ付けて、それを焼いてましたっけ……」

「血判を?……そりゃまたどういう意味でしょう?」

「そんな事までは知らんですよ。神社の人間でもないですし」


 館長はそう言ってニヤリと微笑んだ。当時子供だった彼がそんな儀式的な側面について知る由も無く「馬鹿な質問をした――」と俺も苦笑する。


「では、そろそろ失礼します。この後、明るいうちにちょっと六つ鳥居の方も回ってみようと思ってますので……」


 俺は長時間取材に応じてくれた彼に丁重に礼を言って席を立つ。館長は、机の上の資料を手早く束ね、窓際に歩み寄ると閉じていたブラインドを開けた。


「アッ!」


 館長が突然小さく声を上げ、持っていた資料を床にばらりと落とした。

見ると、顕になった窓に小さなひび割れがあり、十五センチほど付きだした窓枠にポツンと子猫の死骸が転がっている。何かの弾みで窓に激突して死んでしまったのだろうか?


「そういえば、窓に何か当たる音がしましたよね。あの時でしょうか?」


 俺が口を開くと、怪訝な顔で館長が言葉を返した。



「あんた。ここ……三階だよ」


             

             (つづく)


現状、全体の半分近くに到達した所で、休止中という状態です。

コロナ騒ぎの影響で、執筆の時間が殆どとれなくなってしまっている状況ですが

少しづつでも更新しながら何とか完成まで持っていきたく思っております。


皆様、よろしくお願いします。

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