エレノア・エルクロード
やばい、咄嗟にそう思った史人は
ミートボールの落下地点へと走った。
まひろと桜子も後に続く。
「あのすみません。大丈夫ですか」
史人がすぐさま謝りにいったテーブル席の
3人は全員が金髪の少女。
別に、髪を染めた、気合の入った不良達
ではない。
学園は国際色豊かで外国籍の候補生も多い。
「大丈夫も何も、食前のお茶が台無しですわ!」
立ち上がって腕組みをした、肩までの髪に
リボンをした女生徒がヒステリックに言った。
校章で1年生だと分かるが、なんとも高飛車だ。
テーブルには、ケーキやスコーンなどが置ける
3段のケーキスタンドと英国式のティーセットが
置かれている。
イギリス人は1日に9回お茶を飲むと
言われるが、どうやらティータイムだった
ようだ。
「突然、カップにこんなものが飛び込んで
きて!」
彼女はミートボールの沈んだカップを見せる。
狙いすましたかのように入ったようである。
「こっちの不注意で、弁当のおかずが
飛んじゃって」
「飛んじゃって? あなたのミートボールには、
翼でも付いてるんですの!? せっかくの
エレノア様とのティータイムがこんな」
「そのくらいになさい、タチアナ」
ちょうど史人に背を向けて座っていた、
腰までの長髪に、ゴージャスを体現したかの
ような縦ロールの女生徒がなだめるように
言った。
史人はこの後ろ姿を教室で見ている。
「ですが、エレノア様」
「あなたの、私と過ごす時間を大切に思って
くれる気持ちは分かっているわ。けれど、
些細なことで大声をあげるのは美しくない
のではなくて?」
「……はい」
「寛容な気持ちを持ちなさい。それが
あなたの内面を、より優雅なものへと
磨いてくれるわ」
「エレノア様」
タチアナと呼ばれた少女は、心酔
しきった顔で頷くと、澄まして座った。
それを見届けると、エレノアは席から
立ち上がり、史人達へと向き直った。
ただ立っただけなのに、動作が洗練
されている。
純粋に所作が美しいのだが、輝かしい
彼女の美貌が、よりそれを強調させる
のかもしれない。
完成された彫刻を思わせる顔立ち、
美しく豊かな金髪に、空と海を映したかの
ような碧眼。
制服を押し上げる膨らみは他の追随を
許さないほどのもので、バストは確実に
90を超えている。
あと5センチも増せば3桁に到達するで
あろう迫力だ。
その容姿は、麗しい女神が制服を着たか
のようであった。
「失礼なことをしてしまって、すみません」
「いいえ。誤りは誰にでもあるものですわ。
……そう硬くなさらずに。クラスメートでは
ないですか」
エレノアは同級生であり、当然年齢も
まひろや桜子と変わらない。
ごめんとか、悪かったで済ませて問題ない
のだろうが、史人は自然と畏まった態度を
取ってしまった。
それは彼女から、高貴なものだけが
放つことを許されたオーラのようなものを
感じるからだ。
優雅でおおらかな余裕はその家柄にも
関係している。
彼女の生家であるエルクロード家は世界に
名だたる資産家であり、セレブリティである。
加えて、その家名の影では、精神力を
用いた武具で怪物と戦い続けてきた異能者の
家系でもあった。
祖父はデモンズリンクの戦いに参加し、
生還を果たした1人だ。
「そう言えば、ちゃんとした自己紹介して
なかったね。俺は霧原史人、うちは霧原流の
道場をやってる」
「存じておりますわ。あなたのおじい様と
お父様は、私の祖父と共にデモンズリンクの
激戦を戦い抜いた、猛者であったと聞いて
おります。強かで変幻自在な実戦剣術が
霧原流の特徴だとか」
「あ、詳しいんだね」
「一刀で鬼神さえ打ち倒すという、霧原流の
武勇伝は祖父からよく聞かされておりました
から」
「へえ、そっかあ」
ははは、と史人は照れ笑いしながら、漫画
みたいに後頭部に手をやる。
自分の家族と幼少から熱心に学んできた流派を
ほめられるのは、やはり嬉しいものだ。
「今朝の単独でビヨンドを撃破されたお話も
興味があります。お茶をご一緒にいかがかしら」
「……お茶」
改めて見ると見事なティーセットだ。
名のある海外のブランドだろう。
そういったものに疎い史人でさえ、高価な
ものだと分かった。
「今、ティータイムを取っておりましたの。
この子はタチアナ、こちらはテレーズ。2人とも、
よく気の利く可愛い後輩です」
リボンのタチアナと、髪を後ろでまとめている
テレーズは少しだけはにかむ。
エレノアに褒められたことがよほど嬉しい
のだろう。
史人はちょっと興味があったものの、まひろが
唇を尖らせていたので遠慮することにした。
小さい頃からまひろは、豊か過ぎる表情で
感情を隠せない。
「あの、折角のお誘いは嬉しいんだけど、
こっちもまだ昼ごはんの途中なんだ。今回は
悪いけど」
「いえ、お気になさらず。またご都合の
よろしい時にでも」
断ったものの、このまま無言で立ち去る
のも寂しい。
そう思った史人は時々聞かされた話を
思い出し、
「あ、じいちゃんと父さんも、エレノアさんの
おじいさんのことをよく俺に話してたよ」
「あら、光栄です。どのように?」
「確か、そうだ、逃げのダルトンって」
彼がそう言った瞬間。
エレノアの後ろ髪が、彼女から発せられた
金色の精神力の光で、数秒だけ膨れ上がった。
まるで雄々しいライオンのたてがみのように。
そして彼女から柔らかい雰囲気が消え、
柔和だった表情も色を失い、無表情となった。
タチアナとテレーズが顔を見合わせた。
青くなった顔を。
「あのかた、言ってしまったわ」
「決して言ってはいけないことを」
まひろと桜子も何やら知っているらしく、
大変なことが起ころうとしているのを表情に
出している。
急激に変わった空気を、痛いくらい
ビシビシと肌で感じた史人は、まだその原因に
気付けていない。
そんな彼に、エレノアが言った。
「あなた、今なんとおっしゃったの?」
冷静に、いや冷静に努めている声で。
「え、あの、逃げのダルトンって。じいちゃんも
父さんも、誰よりも逃げるのが上手な人だった
なあって、俺に」
「……私の」
「え?」
「私の祖父が、逃げてばかりの臆病者だったと!?」
彼女を冷静に努めさせていた理性がプツンと
切れた。
つまり、キレたのだ。
「え、なになに? え?」
「祖父が逃げ回っていたと、ビヨンドから
誰よりも先に逃げていたと、そういうわけ
ですか!? まさか、共に生還した身で
ありながら、そのような評価で親族に語って
いたとは!」
「ちょ、ちょっと待って。誰もそうは言って
ない。逃げるのが上手いって言っただけで、
決して悪い意味でじゃないんだ」
「悪い意味でないなら、どんな意味でそのような
言い方をしたというのです!? 共に戦ったものを
侮辱するなんて、噂に聞く霧原流の人間がこうも
矮小だったとは!」
今度は、その言葉に史人がカチンと来た。
「矮小って言い方はなんだよ! 俺が何か
気に障ることを言ったのかも知れないけど、
だとしても家族のことを悪く言われたら
黙ってられないぞ!」
「家族を侮辱されて黙っていられないのは
こちらです!」
「だから俺は貶すような意味で言ったんじゃ
ないって。おじいさんの話題に触れただけで、
なんで急に怒ってるのさ。そんな大袈裟に怒る
ようなことでもないだろうに」
今の彼女に、タチアナをなだめた時の
穏やかさはない。
寛容や和をもって人に接する、静かな
湖面のような性格が、台風直下の荒波の如き、
激しいものに変わったのだ。
とにかく冷静さを欠いている。
「悪いけど失礼するよ。わけも分からず急に
ヒステリックに怒鳴られたら、話にならないよ」
「お待ちなさい!」
踵を返そうとする史人をエレノアが
呼び止めた。
「私エレノア・エルクロードは、あなたに
公式の模擬戦を申し込みます」
「公式の模擬戦? 俺と対戦を? どうして!?」
「私自身が果敢に戦い、祖父ダルトンの謂れなき
侮辱を拭う。そのためにです。私は今までも
そうしてきた!」
清水を湛えたようだった蒼い瞳が、闘争心で
燃えている。
史人はこの申し出を断ろうと思った。
だが、こちらの言い分も聞かず、一方的に
がなり立てられ、大切な家族であり師でもある
祖父と父を矮小呼ばわりされたことに少々腹が
立っていたのも事実だった。
彼は決断した。
「その模擬戦、受けて立つ。俺も、こちらの
話も聞かずに侮辱しただの矮小だのと、うちの
じいちゃんと父さんに妙なレッテルを貼られた
んじゃ、いい迷惑だ」
互いの視線がぶつかる。
エレノアはモバイルを取り出すと、手早く
操作を済ませる。
すると史人のモバイルに連絡が届いた。
そこには、公式模擬戦決定の文字と、その
時間と場所が記されていた。
エレノアは後輩にお茶の後片付けを頼むと、
「ではごきげんよう」
刺すような視線で史人にそう言うと、優雅な
足取りでその場から去っていった。