06 誓えるか
「本当なんです。俺、その」
少し迷って、続ける。
「リ・ガンは〈翡翠〉を目覚めさせるとか、〈守護者〉が翡翠を守ってるとか、そんな話は教わりました。でも、それが何だって言うんです? リ・ガンは最初に目覚めるものだと、俺は聞きました。ならそれはとうに目覚めて、〈時〉の月に向けて動いてなきゃならないはずでしょう?」
「〈時〉の月だと?」
ゼレットの問い返しに、彼の知る伝承にはその話がないのだと知った。
「リ・ガンは〈変異〉の年に翡翠を呼び起こし、〈時〉の月に眠らせる、んだそうです」
「……ほう」
「だけど俺は『目覚め』てなんかいないし、〈翡翠の宮殿〉だって見つけてない。そんな俺に、どうして伝承が真実かどうかなんて判りますか」
「伝承は、言っている」
ゼレットは、エイルの半ば悲鳴のような台詞には何も言わず、声を出した。
「翡翠を間違った相手に渡せば、カーディルの破滅だとな」
「破滅、ですって」
「そうだ。カーディル家の破滅、没落だというのなら別にかまわん。俺の代でそれが終わるのは不名誉かもしれんが、どうせ俺には跡継ぎがおらん」
その言葉に思わずエイルは眉をひそめた。「この」伯爵に子供がいないなどと言うことがあろうか?
「不思議か? 妻を娶ったことはあるが子を成す前に病で死んでしまった。惚れた女の子供は幾人か認知したがな、俺が惚れるようなのは気が強い女ばかりで、伯爵家などに子供を取られてたまるかと。冷たいもんだ」
この部屋に入ってからはじめて、ゼレットは形式でなく笑うような声を出した。
「だからカーディル家に不幸があるというのならそれは俺に不幸があると言うことで、それは別にかまわん。俺が死ねば、陛下は次に手柄を立てた者にこの土地をやるだろう。それだけのこと。だが」
ゼレットは続けた。
「カーディル、と言うのは我が家系の名であると同時にこの城の名、町の名でもある。城の人間や町のものに悲劇があるというのなら、俺はそれを食い止めなくちゃならん」
「だから、俺を警戒するのですか」
エイルは呟くように言った。
「俺が、あなたに……あなたの町に破滅をもたらすと? そんなふうに見えるんですか?」
「見えんから、こうして手元に置いておいた。その判断は間違いだったのか、と自分に問うているところだ」
「俺は、そんなことしません。できるとも思いませんけど」
エイルは正直に言った。
「お前が魔術師のように炎を放って町を焼き尽くすなどとは言っておらん」
ゼレットの言葉に肩をすくめた。「エイラ」は魔術師に近い。ただ、やはりそのようなことはできないが。
「それでも、何かの契機になるのかもしれない」
「なりませんよ」
語気荒くそう言い、たぶん、とつけ加えた。
「俺が探してるのは翡翠の宮殿であって翡翠じゃないし、だいたい、閣下の翡翠はないんでしょう。俺にだろうが誰にだろうが、渡すことなんてできないんじゃないですか」
「失われた。隠されている」
伯爵は繰り返した。
「リ・ガンならば、見つけるであろうな」
「……何です、それ」
エイルは言った。
「試験ですか」
「試すというのか? 俺がお前を。そうではない。お前が知らぬと言うのなら、俺も知らぬのだ。知っているのは戯けた伝承だけ。リ・ガンという存在が翡翠を求め、そして去るのだと」
「翡翠を求める、と」
エイルは首を振った。判らない。彼がリ・ガンなのだとしても――そうらしいのだが――〈翡翠の宮殿〉に行こうという気持ちはあるものの、翡翠を探そうなどと思ったことはない。
「判りません。判らないんです、閣下。俺はあなたが〈守護者〉だと思う。確信してると言ってもいいです。でも、どうしてそんなふうに確信できるのか、俺に触れてくるガラシアの正体は何なのか、リ・ガンだの〈鍵〉だの〈守護者〉だの、物語みたいな知識は教わったけど、それだけじゃ何も判らないんです!」
「エイル」
ゼレットは暖かみを持たない声で彼の名を呼びながら、少年の腰掛ける椅子の方へと歩を進めた。
「誓えるか」
はっとなって顔を上げた。
誓う。
いつかも、同じように尋ねられ、それにどきりとしたような気がする。そう――もう一人の〈守護者〉に。
「何を、ですか」
だがエイルはその追憶には浸らず、そう返した。
「お前に邪な企みなどないと。お前が翡翠を求めるのなら、それは間違いではないのだと。リ・ガンとして、翡翠を見つけると」
「……全部は、無理です」
また正直に言った。
「企みなんてありません。でも俺には俺がリ・ガンなんてもんだっていう自信がないんです」
「では」
ゼレットは言い換えた。
「お前が間違ったもの……リ・ガンでないのなら、翡翠を求めず、探さず、俺の領地から出ていくことを誓うか」
「どうやったら、それが判りますか」
「さてな」
ゼレットは嘆息した。
「伝承など曖昧だ。俺が信じておらんと言ったことは本当だが、もし万一、そんな伝説の存在が現れれば、俺が何も知らなくともその存在は全てを知っていて、やるべきことを正しく行って去っていくのだろうとそんなふうに思っていた。だから、お前がリ・ガンであろうと邪なものであろうと、何も判らないなどと言われては俺も困る」
かつかつと編み上げ靴と床に喧嘩をさせながら、ゼレットが彼の背後に回ったことが判った。
「……閣下」
振り向こうとして肩を押さえられる。少しだけびくりとしたが、堪えた。
「ゼレットと呼べと、言っているだろう」
腕がそのまま彼の前まで降りてきて胸の前で合わされ、背後から軽く抱かれる形になった。
「あの……閣……ゼレット様?」
「俺はお前を信じたいのだ、エイル」
その声には少し、苦悩が混じっているように聞こえた。
「心のどこかで、お前を信じても大丈夫だという声がする。だがそれが邪な魔法でないとどうして言える? 俺がお前を可愛いと思うのは、俺が守護者でお前がリ・ガンだからか? それが邪な魔法でないとどうして言える?」
状況によっては、まるで「恋の魔法にかけられた」とでもいうような告白だ。ゼレットならばその程度の台詞はしょっちゅう口にしているのかもしれないが、幸か不幸か、いまはそうした意図ではない、はずだ。
表現はどうあれ、ゼレットの抱く迷い、躊躇いはエイルにもはっきりと伝わった。
それはずっと彼が抱き続けているものによく似ていたから。
「ゼレット様……その……」
自分が何を言おうとしたのかは、忘れてしまった。いきなり頭を掴まれて振り向かされると、二度目の接吻を受けたからだ。
「なっ、何なんすかっ、俺を疑ってるんでしょっ!?」
またも椅子から飛び上がって逃げると、エイルは叫んだ。伯爵は仕方ないというように両手を拡げる。
「お前に触れると安心するんだ。邪なものかもしれんが、この手の甘美な魔法にはどうにも逆らえん」
「少しは逆らってもらえると、嬉しいんですけど」
唇をぬぐいながら、エイル。
「俺への嫌疑は晴れたんですか」
この「仕打ち」への賠償には最低でもそれくらいほしいところである。
「いや」
だが伯爵はあっさりと首を振った。
「お前と一緒で俺も判らん。だから、お前を俺の傍に置いておく。お前は我が客人から虜へ変更だ」
待遇は変わらんがな、などと言いながらゼレットは、つまりはエイルをこれまで以上に「見張る」と言ったのだった。




