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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第4章

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02 哀しみの町

 小さな門――戸口は、何の変哲もない、ごく普通の方法で開かれた。それに拍子抜けしたシーヴはそんな自身に笑う。ここは、西方にあると言う魔術都市ではないのだ。

(おそらくは……だがな)

 そっと、そんな風に思った。スラッセンがどんなに「普通」の拵えをしていたところで、大砂漠(ロン・ディバルン)に存在していると言う大前提からして尋常ではない。まして、長の言葉や、この「門衛」。

「ここがスラッセン。歓迎はできぬが、迎えよう」

 男に続いて戸口をくぐったシーヴとランドは仰天した。

「……どうなってるんだ」

 そこは、砂漠の町、とは言い難かった。

 シーヴの目に飛び込んできたのは、緑色だった。西の地では親しみのあるそれらの色は、しかしこの東の地では異様に見える。

 町のなかは、まるで外見(そとみ)だけではなく、内部までもビナレスの西方から引っ張ってきたかのようだった。草木が生え、花が咲き、鳥が飛んでいる。空気も湿り気を帯び、ほんの何歩か手前の世界からまるで何十ゴウズも離れてしまったかのような、それは――。

「こりゃ、何なんだ。魔術なのか?」

 ランドが震える声で言った。

 スラッセンは街、と言うよりは町、くらいの規模であろうと考えていたし、外から見た様子ではその判断に間違いはないように思った。しかし、それは町というのにもずいぶん素朴で、村、と言われるもの似ていた。

 ささやかな暮らし。農業に携わる者、家畜の世話をする者。穏やかな陽射し、風にそよぐ小さな花、そして流れゆく――小川。

(馬鹿な!)

(――偽物だ)

 シーヴはぎゅっと瞳を閉じて――開けた。肩の力が安堵に脱ける。そこは、砂漠の町、だった。

 荒涼として、砂埃が舞い、熱が支配する。

 乾いた空気は彼には親しんだものであり、ぽつぽつと見える人影もシャムレイやエルオンで見られる普通の町びとと変わらぬ格好だ。土煉瓦でできた建物、小さな井戸――。

(……これがスラッセンか)

(ならば、いま、見たものは?)

「ランド!」

 青年は、ぼうっとしている戦士の向こうずねを蹴り飛ばした。

「よく見ろ、思い出せ、ここは大砂漠の一角だ。この町には砂しかない!」

「あ――ああ……」

 ランドはシーヴの手荒い忠告に文句も礼も言わず、呆然としたままで何度も目をしばたたいた。

「いまの、は……?」

「俺も訊きたいね。魔術か、それとも妖術というのか? 俺たちを惑わせてどうしようと」

 「門衛」を問い詰めようとしたシーヴは不自然に言葉を切った。

「……いない(・・・)

「何だって?」

 ランドも同じように周辺を見回すと、先の男の姿が影も形もないことを知る。

「どこへ、行った?」

「歩き回るなと言ったくせに……俺たちを見張るでもなく放り出したのか?」

 その考えは奇妙だった。だがいまや全てが奇妙だ。

「だが、どこへ行った。隠れるところなんてない」

 スラッセン。ここは魔法の都ではない。そのはずだった。だがそれは――もはや疑わしい。

「怖れているのか」

 急にかけられた声に、二人はばっと振り返った。ランドは反射的に剣を抜きかけ、街なかであることに思い至ったか、途中でそれをとどめた。

「だが怖れることはない、ここには人に害を成すものなど存在しないのだから」

 そこにいたのは、子供だった。

 少年と言うにもまだ幼く、「男の子」という表現が一番適しているようだった。

 しかしその目は、先の門衛のように――深い齢を重ねているようにも見える。

「お前が……その子供(クア=ニルド)、か?」

その通り(アレイス)

 子供にしか見えぬその存在は、子供に不似合いな口調で言った。

「私が、君たちを招いた」


 〈子供〉は先の入り口から数(ティム)と行かぬほどのところにある丘――と言っても、わずかに小高くなっているくらいだ――を目指して、ふたりを案内した。

「さっきの、あれは何だったんだ?」

 その背後を行きながら、ランドはそっとシーヴに語りかけた。

「有り得んものが見えた。シーヴ、お前も見たか?……海を」

「何だって?」

 彼は眉をひそめる。

「海、だと。お前はそんなものを見たのか」

「ああ、そこはサリットに……とてもよく似ていて」

 戦士は故郷を思い出すように言った。それは、シーヴが見たものと、違う。

「……油断、するなよ」

 だがその話をするのは後だ。シーヴはただ、そう言った。

「するもんかね」

 ランドも返す。シーヴはもはや、彼の案内人ではない。もはや経験者でも、先達でもない。だからシーヴの台詞は、忠告ではなく、戒めだ。無論、自らへのものでもある。

「あれは、何も訪問者を騙すための幻影ではないよ」

 先を行く子供が振り返りもせぬままで言った。

「あれが幻だと気づいても気づかなくてもかまわない。気づいた上で、幻に身を委ねる者もいる。そうする者の方が多いくらいだ。スラッセンは哀しみの町だと聞かなかったか? 躊躇いなくにあの誘惑を退けることができる君たちは、あまりに……健全すぎて、ここには向かないね」

「何を言っている」

 子供が見た通りの存在でないことは、明らかだった。ニルド自身、それを隠す気などないようだ。

「ここがどんな場所で、どんな魔術が働いているのでもかまわない。俺たちはこの町を暴きにきた訳じゃないんだ」

「それは判っている」

 丘にたどり着くと子供は足を留め、旅人を振り返った。

「君たちの望みについても」

「ほう?」

 シーヴは片眉をあげた。

「俺たちの望みを知る、おまえの目的は何だと? 俺たちたから何を得るつもりだと言うんだ」

「何も」

 子供は言った。

「私は指針。君には、道標だと言った方がいいか、シーヴ?」

 その言葉に、シーヴはすっと目を細めた。名乗っていない名を呼ばれたことにも、また。

「お前は、吟遊詩人(フィエテ)には見えないな、クア=ニルド」

「道しるべはたくさんの姿を持つ。そして、ランドヴァルン」

 ランドははっとなって子供を見た。

「俺たちちゃ、お前に名前を教えて……ないぞ」

 ランドというのが呼び名に過ぎず、正しくはランドヴァルンと言うのだ――などとは無論、シーヴもこの瞬間まで知らなかった。

「警戒することはない。私は知っているのだ。知っていることを語る。ランドヴァルン」

 子供は繰り返した。

「彼女を追うことはやめろ」

「――何だと」

 不意に、戦士の目が警戒から怒りに変わった。子供はかまわず続ける。

「君に、彼女の苦しみは癒せない」

「何だと! 彼女の何を知っている、ここにいるのか、いるんだな!?」

「いない」

 クア=ニルドは変わらぬ表情のままで言った。

「君の知る彼女はもういない。忘れるのだ。かの吟遊詩人はあの島を訪れ、お前を苦しめることになったのを悔やんでいる」

「嘘だ!」

 戦士は叫んだ。

「いるんだろう、どこだ! 俺になんか会いたくないと言うのなら……それでもいい。だが、俺は彼女の負うものを」

「忘れるのだ」

 子供はまた、繰り返した。

「君が追えば、彼女は苦しむ」

「黙れ!」

 不穏な態度でざっと子供の方に歩を進めようとしたランドをシーヴは体当たり同然でとどめた。

「よせ、ランド」


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