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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第4章

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01 スラッセンに入る資格

 石でできた城壁は、西に暮らす人間が慣れ親しんでいるものに非常によく似ていた。

 いや、それどころか全く同じだと言ってもいいだろう。異なるのは、それが砂上にあるという点だけだ。

 町の造り自体は、外から見ても西とは異なった。

 と言うのも、たいていの街は東西南北に大門を置くものであり、となれば遠くからやってくる旅人がそれを見落とすはずがない。

 しかし、この砂漠の町スラッセンには、これとはっきり判る門を認めることができなかった。

「……入り口は、どこなんだ」

 困惑したように肌の白い――太陽(リィキア)の熱に焦がされて、頬の辺りは赤くなっていた――戦士(キエス)は言った。

「いくら余所者を拒むったって、門がなけりゃ『選ばれた者』とやらも入れないだろうに」

「目立たないようにしているんだろう」

 しかし、浅黒い肌をした青年は、戸惑う様子も見せずにそう言った。

「大門がなくても、通用門程度の小さいものがあるはずだ。それとも」

 皮肉げに笑う。

「訪問者を見定める〈冥界の小窓〉かもしれんがね」

 人の魂を冥界に導くガルダ神は、人間の世界を小さな窓から見やっており、導くべき死者が生前どのような行為を行っていたか知っていると言う。そんな連れの言いように、ランドはうなった。

「矢の射口かもしれんじゃないか、そんな小窓は」

 スラッセンに近寄るだけで矢を射られるという大河の西での噂話は、砂漠の民ミロンに否定されていた。だが戦士としては、油断は禁物だと言いたいのだろう。

「ここで入れなきゃ、日干しだぞ」

「判ってる」

 青年はうなずいた。

「大丈夫だ」

「……自信、あるんだな」

 戦士が不思議そうに言うとシーヴは笑う。

「そんなものはないさ。ただ、必ず道は続く。どんな形でも」

 石の壁に触れることができるほど町に近づいても、幸いにして、一本の矢も飛んでこなかった。彼らは「入り口」を求めて、壁を東へと歩く。

 城壁と言ってもそう高いものではないし、鉤とロープでもあれば上部に引っかけて登ることすらできそうだ。だが生憎と彼らはそのようなものは持っておらず、門を見つけるか、或いは、それが例え攻撃的なものであっても町からの反応を待つか、しなくてはならない。

 東へと歩いたのは単に、そちら側の方が壁を曲がるための距離が短かったせいだが、その角にきたシーヴの足が――とまった。

「どうした」

「どうやら正解(レグル)だぞ」

 シーヴが角の向こうを指さすと、ランドはその先をのぞき込むようにしてから、うなるような声を出した。

「お出迎えか」

「やはり、どこかに小窓でもあったかな」

 シーヴは呑気に言うと、一歩を進めた。

「おい、気をつけろ」

 先を切って進んできたのはランドの方だったが、ここは戦士としての警戒心が頭をもたげたようだ。男はシーヴの肩を掴む。

「大丈夫だ、と言っただろう。矢を射る気ならとっくに射ってきているはずだ。こうして迎えだか、それともその逆だか知らないが、町から人間が出てくるなら話をする気があると言うことだ」

 シーヴはその手をのけると、ついてこいというようにランドを促した。それは彼の民にする仕草のようだったが、ランドはそれを尊大だと言って怒ることもなく、ただ嘆息して彼に続いた。

 戦士の手はおそらく、剣にかけられていることだろう。それをやめろという気はシーヴにもなかった。必要以上の警戒心は誤解のもとになり得るだが、必要な警戒心を忘れれば死ぬだけだ。

 人影は、ひとつだった。

 長い壁の半ばよりやや手前の方で影は歩みをとめ、彼らを待つようにじっとしている。事実、待っているのだろう。

 そう、人影は、じっと待っていた。旅人が歩を進め、声が届く距離になっても、何も言わないままで。

「おい」

 ランドが、何となく声を潜めてシーヴの注意を引く。

「そこが入り口だ」

 確かに、そこには門があった。

 城門、と言うにも大門、というにも相応しくない、それはシャムレイの通用門よりも小さいただの扉。

 だがそれは間違いなくこのスラッセンの内部へと続く扉であり、人影はその前で彼らを待っているのだ。

 ふと――気になった。

 スラッセンは東を向いている。何もない、大砂漠を。

 東からくる者などいるはずもなく、ここから東を訪れる者もいないだろうに。

 スラッセンは隠されているのだ、とそんな考えが彼の内に浮かんだ。

 伝説やソーレインの言った〈砂漠の塔〉が魔術で隠されているのなら、ここは噂と、東という閉ざされた方角への入り口で、世界から隠されている。

 言葉を交わすのにちょうどよい距離まで近づいて、二人は足を止めた。ランドはいつでも剣を抜けるようにシーヴから一歩離れ、だがシーヴは自身の細剣はおろか、刀子にも手をかける気はなかった。

 彼は何も言わず、じっと、門の前に立つ人物を見る。

 それは「人物」としか言いようがなかった。

 男であることは間違いないが、奇妙なことに、彼にはそれが老人なのか若者なのかすら見当がつかなかったのだ。

 静かな瞳は深い海の色を湛え、百年も齢を重ねたようにも見える。だがその様子に年老いた感はなく、ランドほどの年齢にも見えれば、シーヴと同年代にも思えた。

「あなた方は」

 ついには、その「人物」の方から声を出した。言葉ははっきりとしていたが、声はしわがれているようにも聞こえ、ますます目の前の人間を判らなくさせる。

「スラッセンに入る資格を持たない」

 何の前置きもなしに、そう告げられた。シーヴは無言で砂漠の民に通じる動作をしてみたが、「門衛」は反応しなかった。それは彼が砂漠の民でないことを表すのか、そうであってもそれを返す気がないのかは、判らない。

「何だと」

 身を乗り出して言い返そうとするランドをとどめる。

「資格がないと言うのは、我々が『追う者』だからか」

 シーヴは、ミロンの長に言われた話を思い出しながら言った。スラッセンは逃げ行く者のための町、何かを──誰かを追う彼らに門は開かれない、と。

「そうだ」

 人物は表情を変えずに言った。

「あなた方が探すものがこの壁の中にあろうとなかろうと、何かを追いかけてきた者はスラッセンに入れない」

 シーヴは意外に思っていた。道標が──運命がここを指したのだから簡単に入れるだろうと思っていた訳ではない。拒否される可能性の方が高いだろうとは思っていた。

 彼が驚いたのは、こうして門番だか導き手だかが現れて、拒絶の意をはっきりと告げたことに対してだ。

「わざわざ俺たちにそれを言うために、ここへ?」

 思ったことをそのまま口にした。砂漠馬で遠くからこの町を見たとき、ここに人影などはなかったように思う。彼はそう遠目が効くという訳ではなかったが、近くまで彼らを送ってくれたミロンの若者ならば必ず気づくだろうし、気づけば必ず、言ったはずだ。

 ここには、常に門番がいる訳ではない。

「あなた方に、スラッセンを訪れる資格はない」

 人物はシーヴの問いには答えず、そう繰り返した。だが、同じ意味合いの台詞を何度も告げてきた訳ではなかった。

「だが、資格のない者でもスラッセンに入ることはできる」

 言葉はそう、続いたのだ。

「クア=ニルドがあなた方に会いたいと言っている」

「……子供(ニルド)……だって?」

 期待と困惑の入り交じった声でランドが言う。

「何の、子供だと言った?」

「クア=ニルド。クアというのは砂漠の民が使う言葉で、唯一の、だとか、その、だとか言った意味合いだ」

 シーヴがそれに答える。

「つまり、ひとりの子供……そう呼ばれる何者かが、俺たちに会いたいんだと」

その通り(アレイス)

 門衛は言った。

「特例だ。クア=ニルドがあなた方と話したいと言っている。だからあなた方はスラッセンに入ってもよい」

「……そりゃ」

「助かる」

 ふたりは呟いたが、そこに皮肉や混ぜ返す調子はなかった。

 このまま外にいれば冗談ではなく日干しだ。その前にミロンが助けてくれるかもしれないが、それを当てにする訳にもいかない。拒絶されてもどうにかして入り込んでやりたいという気持ちは、口に出さなくともふたりに共通していた。

「ただし」

 人物は言葉を続けた。旅人はどちらも、そらきた、と思った。特例とやらを許可するのに無条件ということもなかろう、くらいの予測はつく。

「町を自由に歩くことは適わない。あなた方はクア=ニルドと話をするだけ。彼が話を終えたならそのまま帰っていただく」

 彼らは顔を見合わせた。冗談ではない。

「何だ? せっかくここまできたのに、ちょいとお話をしてまた大砂漠(ロン・ディバルン)に放り出そうってのかよ?」

「一夜の寝床くらい、許してほしいもんだ」

 彼らには、探しもの――探しびとがあるのだ。だがそうは言わずに、そのスラッセンの仕打ちは人道にもとるとでも言うような言い方をした。

「クア=ニルドが許せば」

 きっぱりと拒否が返ってくるか、或いは誰か――領主でもいるならそれか、とにかく実力者――に掛け合うとでも言われるだろうと考えていたシーヴはその返答に警戒する。

「クア=ニルドとは、何者だ?」

 無論、答えは返ってこない。

 子供だと言う。

 本当に「子供」なのか。それとも、それはこの町の支配者の呼び名なのか、それはどのような力を――権力でも、魔力でも――持つものか。

「……いいだろう」

 シーヴはその条件を了承した。何か言いかけるランドをとめ、微かにうなずいてみせる。戦士は了承したように、うなずき返した。

 もちろん、このような、彼らの目的に適わぬ条件など、本気で受ける気はないのだ。


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