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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第3章

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08 砂風の導くまま

「……いい天気だな」

 集落を離れて一刻もたたぬうちに、ランドの口からそんな憎々しげな言葉がもれる。

「まだ居すわる気か、あの野郎は」

 言う先は無論、太陽神だ。ソーレインは肩をすくめた。

「日が落ちれば太陽(リィキア)に感謝の踊りでも捧げたくなるだろうがね?」

「そりゃ夜は冷えるが、そっちの方がましだ」

「我慢しろ、もう少しで楽になる。だが」

 シーヴも笑ってそう言ったが、ふとソーレインの方を見た。

「夜は夜で――厄介なのか」

「怪物が出るとか言ってたな」

「そのことか」

 ソーレインは沈んでいく太陽から目をそらし、客人たちの方に向いた。

「南では〈塔〉の話は聞かないか、シーヴ」

「塔、だって?」

「……魔術師が住んでるって、あれか?」

 ランドの方が答えた。と言うより、尋ね返した。大河の西でも聞かれることがある「物語」。人形師(トラント)が演じる芝居にそう言った話がある。〈砂漠の塔〉。シーヴは思い返した。

「ああ、それなら聞いたことがあるが、街でだ。ウーレに聞いたんじゃない」

「かつては〈塔〉に魔術師が住んでいたと、伝わっている」

 ソーレインは思い出すようにしながら語り出した。

「ロン・ディバルンのどこか。魔法で隠されたその塔は、砂漠の民を守っていた」

「魔術師が砂漠の民を?」

 あまり聞かない話だ。

「そう。大自然の脅威から我らを守ることこそできなかったが、魔術師がその塔にいた間は、このあたりに怪物はいなかったと言う」

「それじゃ、魔術師はもういないのか」

「いない。死んだのか、どこかへ出ていったのか、何も伝わってこない。それがいつのことなのかも、正しくは判らない。このソーレインの父の父の父がまだ子供だった頃、と聞いている」

「その頃から化け物が現れたと?」

「そうだ」

「どんな化け物なんだ。巨大な砂虫とか、人食い茨とか、そう言う奴か」

 興味を持ったようにランドが言う。草木はないが、砂虫は確かに出る、とソーレインは真顔でうなずいた。

「好奇心を持つな。出会わずに済むのならそれに越したことはない」

「そりゃ正論だが」

 ランドは笑った。

「腰に差しっぱなしじゃ、剣も錆びつくんでね」

「やめとけ、ランド。こういう場所じゃ、軽口だって力を持つぞ」

 シーヴが言うと、仕方がないと言った様子でランドは口を閉ざした。

 こうしてソーレインが案内役を果たすいま、そしてシーヴもまたシーヴ自身の目的でスラッセンを果たすこととなったいま、ランドがシーヴに従う謂われはない。だが戦士はこれまでとやり方を変えようとはしなかった。

「もう少し〈塔〉の話を聞かせてくれるか」

 シーヴはソーレインに話を振った。砂漠の男はうなずく。

「〈塔〉から守り手が消えたことで、怪物たちが目覚めた。これは先々代、先代、そしていまの長も認め、受け入れてきたこと。ミロンへの試練だ」

 ミロンの若者の顔に、何故守り手が消えてしまったのかと言った疑問や苦渋はない。

「守り手、か」

 どこかで聞いたような言葉だ、とシーヴは思った。

 実際には、彼は「聞いて」はいない。翡翠の名を持つ西の街で、彼自身がひとりの男に覚えた言葉だった。だが、魔術師(リート)――塔の守り手、砂漠の民の守り手という表現はシーヴの内を刺激することはない。

「その魔術師は……戻るのか?」

「判らない。彼が戻り、またミロンが夜を怖れずに眠る日がくればよいと思う。だが全ては砂風の導くまま」

 やはり、ソーレインの言葉には、守り手のいる時代に生きられればよかったなどという憤りもない。そう、彼らは受け入れる。あるものをあるがままに。それが砂漠の民だ。

 シーヴも常々そうありたいと思い、「西の人間」のなかではそれに成功しつつあるようだが――彼はやはり、ウーレにはなれないだろう。いまはこうして砂を踏みしめているが、彼の道は砂漠の外にも続くのだ。

 それが彼の道であり、それが彼だと言うのなら、それをもまた、受け入れて。

「深刻なのか、怪物の被害は」

 だがそんな思いは心の隅に押しやり、青年は実質的な問題を尋ねた。

「現れ始めたころは、ミロンの若者も子供も、たくさん死んだと言う。けれどいまはもう、我らは身を守る術を身に付けた。昨夜お前たちに会ったときにやっていた夜の見回りもそのひとつ。怪物は火を嫌う。集団で動くものを嫌う。それが判っているから、もうミロンはそう簡単にやられはしない」

「んじゃ、つまり」

 ランドが頭をかいた。

「昨夜の俺たちは、やばかったってことか?」

「そうだ」

 ソーレインは簡単にうなずいて、ランドは天を仰ぐ。

「西に出没する賊だの魔物だのを叩き切ったことはあるがなあ、砂漠でも効くんかね、こいつは」

 言いながら左腰の剣を叩く。

「砂虫相手ならば、効くだろう。だが、魔妖には効かない」

「西と同じってことさ、ランド」

 ただし、とシーヴはつけ加える。

「後者の出る確率が、西よりやや高めなだけ、ってところだろうな」

「何だよ、俺を脅かそうってのか?」

 ランドは口を曲げた。

「言っとくが、怪物だろうがお化け(ベットル)だろうと俺の行く先の邪魔はさせんからな」

「その意気だ」

 言いながらシーヴは、ふと視線を遠くへ向けた。

 ランドはもとより、ソーレインもじっと見つめている北方をではなく、その視線は東の方向を向いた。

(道標を――見落とすな)

 ランドは、「テアル」は彼の道標かもしれない。彼はそれを見落とさなかった。そうなのだと思う。だが。

(その道標が指すのは、どこなんだ?)

 砂漠の風が、東の砂漠を知る男と北の海を知る男とを吹き付ける。

 シーヴはと言えば、その風であるかのようだった。

 東から――西へ。どこから生まれ、どこまで流れていくのか判らぬまま、彼は東のものとも西のものとも、つかぬまま。


 魔除けの香と火――これには、暖を取る意味もあった――をくべ、河から少し離れた場所で彼らが休みを取ったのは、もう少しで早朝という括りに入りそうな深更のことだった。

 交代で見張りをしようと言ったが、ソーレインがそれを断った。砂漠の怪物の兆候は旅人たちには見分けづらいだろうし、「客人」にそのようなことはさせられぬという訳だ。

「気にするな。火を絶やさないようにすれば危険はない」

 そんなふうにソーレインは保証した。考えようによっては、(イネファ)を警戒せねばならぬような、治安の行き届かない街道より余程安心かもしれない。

 民の急ぎの速度という訳にはいかなかったが、気が急いて先へ先へと進みたくなっているのは、いまやシーヴもランド同様。いや、もしかしたらそれ以上かもしれなかった。

 ランドには眠るよう忠告しておきながら、彼自身は――彼自身も、だろうか――寝付けずに寝返りを繰り返していた。

(道標)

(翡翠への道標)

(人ではないもの)

(不思議だ)

 ミロンの長と、テアルと呼ばれた存在を思い返すシーヴは奇妙に思った。奇妙に思わないことを――奇妙に思った。

(シャムレイでなら、俺はこの話を苦笑混じりに思い出すだろう。心では信じていても、信じている自分自身をどこかで笑う自分がいるだろう)

(だが)

(ここは違う世界だな)

 どんな作り話めいた出来事でも、この砂の上ならば簡単に信じられる。

(近づいている)

(いったい、何が)

(それとも、何に)

 答えは近いうちに出るだろう。答えへの指標が示されるだろう。

(スラッセン)

(哀しみの町――)

 そんな物語のような響きさえ、砂風のなかではしっくりときた。


 夜明けまでの数刻だけを休息とすると天幕を畳み、彼らはまたも砂上を進んだ。

 太陽(リィキア)が天頂にかかれば、特にランドにはつらいだろう。だがこの日だけを耐えることができれば、早くスラッセンを訪れたいふたりの旅人にも都合がよい。砂漠の男はひとりで「急ぎの」旅をすれば、翌日の太陽(リィキア)と戦わずに彼の集落へ戻れるはずだ。

「化け物の気配はなかったのか」

 剣を振るう機会がなかったことを残念そうに、ランドは言った。

「なかった。実際のところ、近頃は落ち着いている。お前たちはよいときにきた」

「それじゃ〈守り手〉とやらが戻ってきたのかもしれないな?」

「もしかしたらそうかもしれない。だが期待に身を任せて警戒を怠るのは愚かだ」

 そうやって砂漠の民は生きていく。砂漠とともに。

 ソーレインは真面目な男で、ランドの軽口にもいちいち真剣に対応したが、それは決して互いを軽んじる結果にはならなかった。ふたりの間に、両方の世界を知るシーヴがいればこそであったかもしれないが、灼熱の砂漠を行く割には和やかな一日であったと言えよう。

「見えるだろう」

 ソーレインがそのよく見える目で指摘しなくても、二人の旅人はそれに気づいていた。

「あれがスラッセンだ」

 近づくにつれ、シーヴは驚いた。

 そこにあるのは、町としか見えなかった。

 まるで、ビナレスの中央からそのまま持ってきたような。

「石壁、じゃないか」

 ランドもそれに気づいたようだった。

「岩肌なんかないだろうに、どうやって造ったんだ。大河を渡って運んででもきたのかね」

「その方法はミロンには伝わっていない」

「魔術、なのかね」

「ロン・ディバルンは遥か昔は砂漠ではなかった、なんて伝説もあるな」

「馬鹿な」

 西の男たちの言葉にソーレインは首を振った。

「砂漠は、世界が生まれたときから砂漠だ」

 それが真実であるのかは知らない。誰にも知りようがない。だが、ミロンにはそれが真実であり、それでいいのだろう。

「ではシーヴ、ランド。ここでお分かれだ」

「そうか」

 シーヴは短く答えた。

「有難う、ソーレイン」

「何だ、町の近くまではきてくれんのか」

「私が行ったところで、門は開かれない。それどころか、長の言葉を考えれば、私がいれば門は開かれないかもしれない」

 出会った夜ならば、行かぬ、の一言で終わらせたかもしれないソーレインは、しかしいまではランドに親しみを感じているようで、シーヴが聞かずとも理解したことを丁寧に説明した。

「助かった、ソーレイン。長とみんなによろしくな」

「伝えよう」

 ランドの差し出した手を取って、ソーレインはにっこりと笑った。これもまた、親愛の証だ。――砂漠の民に、握手の習慣はない。

「ミロンとあなたに平和が続くよう」

 シーヴはそうとだけ言った。ソーレインは、ウーレとあなたにも、と返礼をするとシーヴに差し出された――手ではなく、手綱を受け取る。それ以上、別れを惜しむことはせず、ミロンの男は彼らに背を向けた。見送るように二人はしばらくその影を見ていたが、どちらからともなく、再び北へと目を向けた。

「スラッセン」

「では、行くか」

「もちろんだ」

 シーヴの問いかけにランドは大きくうなずくと、ざっと足を進める。青年は数歩遅れて、戦士に続いた。

 太陽(リィキア)が痛いほどの光を投げつける。

 翡翠。〈翡翠の娘〉。道標。守り手。

 哀しみの町。砂漠の塔。

(まるで吟遊詩人(フィエテ)の歌う冒険譚だな)

 吟遊詩人。――テアル。

 浮かんだ名に首を振ると、シーヴは大きく歩を進めて先を行くランドに追いついた。

「ランド」

「何だ」

「お前の探しものが見つかるといいな」

 その言葉はまるで、シーヴ自身の探しものは既に見つかっていると言うかのようだった。ランドはそれをどう思ったか、何も答えずにただ、うなずく。

 沈黙のなか、照りつける太陽に肌が焦げていく音が聞こえそうだ。砂を踏みしめる音だけは、確かに聞こえている。

 青年の道は、いまだ砂上に続いているのだ。


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