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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第3章

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07 歓迎の宴

 沈黙が天幕を覆った。

 言われた言葉の意味をランドはもちろんのこと、シーヴもまた、理解しかねた。

「魔物」

「そう言って悪ければ、人外のもの。人の形を取り、吟遊詩人の姿をしているが、あれは人ではない」

「何故……そのような」

 言って、首を振る。長には、見えるのだ。

「何者であろうと、俺は俺の道を進むだけです」

「砂漠の子よ」

 長は力を持った声のままで続けた。

「〈変異〉の年はお前に多くの変化を強いる。それに押しやられそうになったら、お前の民を思い出すのだ」

「俺の……民」

どちらの(・・・・)、でもかまわぬ。或いは、両方(・・)でも」

「――判りました。有難うございます」

 彼をミ=サスとするウーレ。彼を王子とする城の者たち。長が何を見たのかは判らない。長はそれを口にしないのだから。

「案内をつけよう。ソーレインがいいだろう。彼についていけば、スラッセンまで一日とかからぬ」

 長は再び優しい声に戻って言った。

「それも、有難いのですが」

 シーヴは躊躇った。

「ソーレインは、ミロンの〈守りの長〉では」

「彼はまだ若い。次の長となるだろうが、それはまだ先だ」

「それでしたら」

 青年は頭を下げた。

「ミロンのご親切をお受けします。このお気遣いに、報いることができる日を祈って」

 ウーレの作法で彼は言い、長はそれを穏やかに笑って受け入れた。

 と言ったところで、すぐに出立、と行くにはあまりに相応しくない時間帯だった。

 太陽(リィキア)がいまから力を発揮しようという刻だ。

 旅人たちはミロンと語り、西の話をしたり――シーヴは南の話、ランドは北の話もした――東の話を聞いたりして時を過ごした。

 これはミロンなりの〈歓迎の宴〉であったと言えるだろう。豪華な食卓や贅沢な飲み物はなくとも、彼らが言葉の上だけでなく、砂漠の民の客人となることができたのは明らかだった。

「この前の客人の話をしてくれないか」

 話題が途切れたとき、シーヴはそんなことを言った。

吟遊詩人(フィエテ)がきたそうじゃないか」

「ああ」

「なかなか、面白い男だった」

「……やっぱり男なのか」

「何だ、長の言葉を信じていなかったのか」

「だってもしかしたら、って思うじゃないか」

「どんな男だった、名前は」

 ランドの肩を慰めるように叩きながらシーヴが言うと、ミロンたちは困惑したように顔を見合わせた。

「名前は」

「知らないんだ」

「名乗らなかった」

「何だって?」

 シーヴは驚いた。奇妙な話だ。大河の西でも常識的なことだが、砂漠の民にとって、名乗り合うことは儀礼のようなものだ。互いの名を知ることで相手を受け入れ、親密になるという意味合いがある。だから前夜、シーヴはソーレインにそうしたのだし、ソーレインも応じてくれた。

「ここに名前が残れば……何て言ったか?」

「狂いが生じる、と」

「そうだ、狂いが生じるから名乗ることはできないって」

「……それを認めたのか」

「長が認めた」

「だから、ミロンはみな認める」

「狂い」

 シーヴは繰り返した。

 その言葉を――彼は知っている。

(歯車は)

(狂い続けている)

「初めのうちは、ただ吟遊詩人(フィエテ)と呼んでいたけれど」

「俺たちで彼に名前を付けた」

 ミロンは満足そうに言った。

「テアル。巡る者、の意味だ」

「戻ってくる者、の意味もある」

「そう。彼はスラッセンに行くと言っていたけれど、きっとそこから出てくる。だから」

巡る者(テアル)

「そうだ」

 民たちは楽しそうに笑う。そこにはどんな裏も含みもなさそうであり、長の「あれは人ではない」という言葉が夢だったのではないかと思いそうなほどだ。

「おかしなところは、なかったのか」

 つい、そんなふうに尋ねていた。ミロンは何を訊かれたのか判らないように首をひねり、ひとりが「砂漠に足を踏み入れようなんて西の人間は、向こうじゃおかしいと思われるだろう」と言った。それはつまり、シーヴもランドも同類だと言っているも同然で、彼らはそれにひとしきり笑い、その話はそこで終わった。

 太陽(リィキア)が半分傾く頃に出立を──と言う話になっていた。陽射しが簡単に命を奪うことのできる砂漠では、普通の話だ。

 ただ、前夜にやってきた客人がもう去ってしまうと言う、それを惜しむミロンも多かった。彼らは口々に、縁があったらまたきてくれと言った。それはどうやら「砂漠の子」シーヴに対してのみならず、戦士ランドにも向けられていたらしい。「女を追って砂漠に足を踏み入れる」という、西ならば笑いものにされそうな話は、砂漠の民には感銘を与えたようだった。

 支度はこちらで整えるからと言うソーレインの言葉に甘えた彼らは、寝床として与えられていた天幕でしばしの休憩となる。

「で」

 ランドが口を開いた。

「さっきの話は、何なんだ」

「どれのことだ」

 シーヴは有難くも分けてもらった砂漠の食物を荷に詰めながら言った。

「翡翠がどうとか言う、お前の話だよ」

「ああ」

 先ほどは驚きと勢いに任せて、普段なら口にしないことを簡単に喋ってしまったようだ。シーヴは考えた。

「言った通りだ。俺は〈翡翠の娘〉を探してる」

「その話をしろって言ってるんだ」

 ランドの要求はもっともだが、シーヴはしばし躊躇った。これまでヴォイドとエムレイデルにしか語ったことのない話である。もっとも、予言の話をランドにしたくないのではなく、どう話せばいいか判らなかっただけだ。

「言いたくないのか」

「いや」

 首を振るとシーヴはランドに向き直った。

「俺は……占い師に予言を受けたんだ」

 彼はランドに話した。〈翡翠の娘〉に出会って運命が変わると言われたこと。道標を見落とすなと言われたこと。伝承や歌物語を追ってビナレスをうろついたこと。ランドが彼の道標だと思ったことをまた話し、先に聞いた吟遊詩人(フィエテ)──テアル──のような手がかりは初めてで、是非追いたいと思っていること。

 彼の身分やアーレイドのことは話さなかった。言わなくても話は充分通じる、問題はないと思ったからだが、彼の第一侍従であれば、言えば面倒だと思ったのでしょう、などと指摘するだろう。

「……だから、俺がこうしてお前と歩くことになったのは、俺にとっても有難いことなんだ」

 そんなふうに言って、シーヴは話を締めくくった。

「偶然か。運命ってやつなのかね」

 ランドもまた、不思議そうに言う。

「俺はお前を巻き込んだと思っていたんだが、もしかしたら逆かもしれんってことか」

「何だって?」

 シーヴは顔をしかめる。

「俺がお前を巻き込んだって言うのか? お前は俺を見つけなくてもどうせ砂漠に乗り込んだだろう。そしていまごろ野垂れ死に。俺がいるから生きてるんだぞ、お前も有難く思え」

 シーヴがそう言うと、ランドは言い返せずにうなった。

 砂漠馬(トアック)は、その生息地によく似合う砂色をしている。西の(ケルク)よりも体幅は広く、足は短いがしっかりと力強い。疾駆には向かなくとも、太陽と乾きに強い身体を持っているのだ。

 ランドは口笛を吹いた。

「護衛隊長様のみならず、乗り物までお貸しいただけるたあ、助かるな」

 連れを見やる。

「本当にいい案内人だ」

 それは先のやりとりへの返答のようで、これはランドなりの礼なのだろうとシーヴは気づいた。

「では、行こう」

 さっと生き物にまたがってソーレインは言った。

「急ぐか?」

「ああ」

「待て、ランド。ソーレイン、飛ばす必要はない。通常の速度で頼む」

「おい」

 ランドが不満そうに言うのをシーヴは制した。

「砂漠の民が出す急ぎの速度を経験したいならとめないが、その後しばらく休養がとれるときにしておけよ」

 ランドは青年の言葉をしばし考えるようにして、判ったとうなずいた。ソーレインは笑って、それでは通常よりもやや少し急ぐようにしよう、と言った。


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