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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第3章

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06 ミロン

 松明を手に近寄ってきたのは、二十歳から三十歳ほど――ちょうど、シーヴとランドが含まれそうな年齢層の一団だった。

 ここは彼らの陣地であるし、何より人数が多い。ミロンたち――間違いなかった――は警戒よりも興味を持ってふたりを取り囲む。

「旅人か。どうしてこんな夜更けに、こんなところを歩く」

 どうやら一団の長らしい若者が彼らに声をかけた。ウーレのものとは少し異なるが、その訛りは砂漠の民共通だ。シーヴは懐かしく思った。

「砂風に導かれて、な」

 そう言って右手を額の高さまで上げ、すっと横にずらして止める。と、若者は驚いた顔をした。

「どこでそれを覚えた」

「ここよりも南で」

 シーヴはその手を止めたままで言った。若者ははっとしたようにシーヴがしたのとよく似た動作をし、ようやく青年は手を下ろせる。

「距離はあっても、作法はどうやら近いらしいな」

 助かった、とシーヴ。

「作法は近くても、常識は違うようだ」

 若者の言葉に一(リア)、ひやりとした。彼は何か、ミロンの禁忌に触れるようなことをしただろうか?

「南の方では、こうして夜の旅などしていても安全なのか?」

「安全?」

 どうやらシーヴが危惧したような意味ではないらしい。

「何のことだ。太陽神(リィキア)砂の神(ロールー)より怖れるべきものがこのあたりにはあると?」

「神々は、こちらが正しい接し方をすれば怒りはしない。だが怪物は別だ」

「怪物」

 ランドが繰り返した。

「砂漠の魔物ってやつか」

「簡単に言えば、そうだ」

 砂漠の作法に長けているのはシーヴの方だけらしいと素早く見て取った若者は、ぞんざいに言った。

「これは俺の連れだ。ランドという。俺はシーヴ」

「ソーレインだ」

 若者――ソーレインはうなずいた。シーヴが連れだと明言することで、ランドにもシーヴへと同様の態度を取ることを了承したのだ。ソーレインはもう一度うなずくと、改めてふたりの旅人を見やった。

「我々はこうして、夜の見回りをする。怪物の気配が集落に近づいていないかを確かめるためだ。だが今日はもう戻ろう。我らの客人となるか、シーヴ、ランド」

 彼らはもちろん、その招待を受けた。


 ミロンの集落はほど遠くない場所にあり、彼らは長に簡単な挨拶だけをして寝床を提供された。砂漠の民の夜は遅いが、それにしてもいまから歓迎の食卓を開くには夜更け過ぎた。

「シーヴ」

 再びふたりだけになると、ランドが不安そうに声を出す。

「これは、吉兆か?」

「さてな」

 青年は肩をすくめた。

「少なくとも歓迎はされたようだが、手放しってっ訳じゃなさそうだ。砂漠の怪物がどうとか言っていただろう」

「ああ。伝承に言うような、砂虫や魔狼が実在するのか?」

「砂虫なら見たことがある。魔狼は知らないが」

 南にも伝承はあるが、子供の寝物語という点では大河の西と変わらない。ただし、確かに砂漠の生き物――怪物かどうかはさておき――は存在する。

「なあ、どうしてスラッセンの話をしなかったんだ?」

「ん? ああ」

 シーヴはごろりと横になりながら応じた。

「ややこしい話は朝になってからでいいだろう」

「何がややこしい」

「ミロンがスラッセンと交流を持つかどうか判らん。それどころか」

「敵対してでもいると言うのか」

「判らんよ」

 だから言わなかったんだ、と青年は続ける。

「せっかく手に入りそうな寝床を放り出される危険を冒さなくてもいいだろうと思ったんだ。まあ、砂漠の民はそんなに不親切じゃないはずだが何しろ南とは常識が違うそうだからな」

 そう言うとシーヴは薄い布にくるまって目を閉じる。

「眠っておけよ、ランド。放り出されようとそうじゃなかろうと、明日は太陽の下を歩くことになる」


 翌朝の太陽が昇った頃、ひときわ大きな天幕に招かれた彼らはささやかな朝食を取りながらミロンの長と言葉を交わすことができた。

「あなた方は、スラッセンを目指しているのか」

 ミロンの長は、シーヴの言葉に何か考えるようにした。

「それが何か……ミロンに不都合でも?」

 シーヴは慎重に問う。

「不都合だと言うのではないが」

 ふと、長は笑った。

「シーヴ。あなたは砂漠の民のようにしている。だが民ではない。あなたは砂漠がなくとも生きてゆける」

 シーヴはただ、頭を下げた。民の長老が見者のような力を持つことは、どうやら北でも変わりない。

「あなたを受け入れている南の民がいるのだな。それ故、お教えしよう。スラッセンは余所者を嫌う。砂漠の民であろうと、彼らには大河の西の人間と同じ。あの場所が迎えるのは、スラッセンに選ばれた者のみ」

「……選ばれる、とは」

「あなた方は、何か、それとも誰かを追っている。シーヴ、あなたも、そこのランドも」

 急に名を呼ばれてランドは少しびくりとしたが、大きくうなずいた。シーヴも何かを追っているということに興味を抱いたとしても、それは見せなかった。

「ならば、スラッセンはあなた方を歓迎しない。何故ならスラッセンは、逃げていく者のための町だから」

 長は続けた。何か、それとも誰かに追われ、逃げ続けることに疲れた者が行き着くところ。それがかの砂漠の町なのだと。

「そりゃ、犯罪人のたまり場って意味か?……ですか? 伝説に言う、海賊の島みたいな」

 ランドがおそるおそる声を出した。長は首を横に振る。

「海賊の島のことは知らぬ。しかしスラッセンは、悪の集う場所ではない。訪れれば判ろうが、あなた方が訪れることはできないだろう」

「何かを追いかけている、以上は」

 シーヴが呟くように言うと、長はうなずく。

「あの。近づいたら矢を射かけられるって聞いたんすけど、それは」

「そのようなことはないだろう。あれはただ、外壁を固く閉ざすのみ。あれは――哀しみの町なのだ」

「よく……判らねえけど」

 ランドは頭をかいた。

「近づいたら死ぬって言うんじゃなければ、俺は行く。死ぬって言われても、行くかもな。どうにかすれば、入れるさ。探す相手がいるかもしれないのに、入れませんと言われてのこのこ帰るなんざ、気に入る考えじゃない」

「ランド」

 シーヴはいきり立つ連れを諫めた。立ち上がりかけたランドの動きが止まる。

「長の話を聞け」

 そのまま天幕を出て北を目指し出しそうだったランドは、渋々とシーヴの言葉に従った。案内人を信じると決めたからには、彼の言葉を尊重する気なのだ。そんな相棒の気持ちを見て取って、シーヴはにやりとした。

「長。それでも俺たちはスラッセンへ行きます。それが俺たちの……俺の、道標だと思うから」

「道標、と言われるか」

「……何か?」

 長の声の調子が変わったのに気づいて、シーヴは問うた。

「不思議な偶然だ。いや、偶然ではないのかもしれぬ。ならば、あなた方はたとえ門を開かれなくとも、スラッセンを訪れる定めなのやもしれぬ」

「どういうことです」

「一旬ほど前になる。ミロンはひとりの旅人を客人に迎えた」

 このように客人が続くなど稀なことだ、とも長は言ったが、再びランドを立ち上がらせたのは次の一語だった。

「若い吟遊詩人で、我らに歌を歌ってくれた」

「吟遊詩人! それ、若い女じゃなかったか! 長い、茶色の髪の」

「いや」

 しかし長はあっさりとランドの希望を否定した。

「男性であったようだ」

「そ、そうか」

 目に見えて意気消沈して、ランドは再び腰を下ろす。

「旅人自体、この地には珍しいでしょうが……吟遊詩人というのはそのなかでは多いのですか」

「少なくはない」

「〈失われた詩〉を求めて?」

「そう言うのだったな。夢を抱いて東に旅立ち、二度と帰らなかった者もいる。それを求めることに疲れて、スラッセンにたどり着くものも」

「その客人は、どちらだったのです」

 ランドの脳裏に、彼の心の恋人への心配が浮かんだとしても、シーヴはそれを気遣うことをさておいて長に尋ねた。

「どちらでもなかった」

「ならば、どこへ」

「スラッセンへ」

「……しかし」

 そこは逃げ、疲れてたどり着く場所、ではなかったのか。いささか詩的かつ魔術的(・・・)な雰囲気を持つ表現だが、そう言ったのは長自身である。だがいまの言葉はそれを覆しはしないか。

「スラッセンを終着点とする者は多い。だが、そこで羽を休め、再び逃げ続ける旅に戻る者もいる」

「その吟遊詩人は、それだと」

「おそらく。彼の歌には寂しいところがあったが、陽気なものを歌ってもその裏に影はなかった」

 長老の見るものはシーヴには判らない。しかし、彼は知っている。長老の言葉は曖昧であっても、必ず真実を突いている。少なくとも、ウーレの長はそうだった。だからシーヴはミロンの長の言葉も慎重に聴くのだ。

「彼は旅を続けるために休むのだ。ただ、彼もまた、口にした。道標という言葉を」

「何に、対して」

ヴィエル(・・・・)

 今度は――シーヴが立ち上がる番だった。

「彼は言った。自分は翡翠(ヴィエル)への道標だと。それを正しく求める者が自分にたどり着けばよいと。彼は旅に倦んでいるが、それから逃れようとスラッセンへ行くのではないと」

翡翠(ヴィエル)、と?」

「では、あなたが求めるものがそれなのか、シーヴ。彼はあなたのための道標なのか」

「判らない。いや……」

 シーヴはのどの渇きを覚えた。

「そうです。そうなのだと――思います。この道を進んだのは正しかった」

「シーヴ? お前……何を」

「ランド。俺に運命の女がいるのかと訊いたな。俺が追ってるのはそれなんだ。……〈翡翠の娘〉」

 砂漠の民の集落では、大河の西で鼻で笑われそうなこともするりと口にできた。

「お前が翡翠玉を持っているのを見て、お前が俺の道標なのだと思った。それも間違いじゃなかった。俺の道はスラッセンにある」

「シーヴ」

 今度は長が、先ほどシーヴがランドをなだめたように、声を出した。

「それがあなたの定めならば誰にもとめられない。しかし、気をつけなさい」

 穏やかな声。だが、その声は不意に力を得た。シーヴははっとなる。

「気をつけなさい。あなたの道標は――魔物だ」


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