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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第3章

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02 約束

「……それは」

 父はゆっくりと口を開いた。

「お前の今後の働きに、よる」

 もちろん父が言うのは一年後からではなく、いまこの瞬間からだろう。

「余はお前に期待したい。さすが我が子であると手放しで褒めてやりたい。そうできるのではないかと思い始めたが、もう職務に飽きたか。これはお前の遊びのひとつだったか。コーレイバンにお前を呼ばせ、その足でまたも出ていこうというのだろう」

「何故、そのような」

 リャカラーダは驚いた。好都合だと思わなかった訳ではないが、そうするつもりはないし、彼が仕組んだことでもない。

「恍けるなと言った。ヴォイドの姪がコーレイバンに仕えておること、余が知らないと思っているのか」

「……私は存じませんでした、と申し上げても信じていただけませんでしょうね」

 リャカラーダは嘆息した。本当に知らなかったのだ。彼の第一侍従はその手段について具体的に語ることを避けた。ヴォイドは、小細工をできる当てがあるからそれが整ったら知らせる、と言うようなことを言っただけだ。整ったとも彼は聞いていなければ、まさか侍従がこっそり彼を旅立たせるつもりでいるはずもない。その「小細工」の中身は見当がつかなかった。

「つまり、父上は私を信頼していない、と仰るのですね」

 だがそんな話はせず、そう返す。

「お前の企みではないと言えるのか?」

「誓うこともできますが――」

 信じてもらえないのでしょう、と繰り返した。王はそんな息子をじっと見る。

「では誓え」

「何をです」

 第三王子は警戒した。二度と旅に出ぬこと――などという誓いは立てられない。

「余の許した場所以外には行かぬことを」

「……永遠に、父上の言うなりになれと?」

「そうは申さぬ」

 メルオーダの目がぎゅっと細められた。これは、何か本当は言いたくないことを言おうとしている兆候だ。ますます、機嫌が悪くなるのではないかとリャカラーダは覚悟を決めた。

「ファランシアを出るなどと言う戯けたことさえ言い出さなければ構わぬ。リャカラーダの名を持ち、好きなところへ行け」

「――と、申されますと……?」

 その言葉の通り受け止めれば、彼の希望はいきなり叶ったことになる。だが、まさかそんなことが有り得ようか?

「言葉の通りだ」

 しかし父王は言った。

「余が許すのはこの一年だけとする。お前がそのまま逃げ出すような真似をすれば、罪人の汚名を着せてでもお前を追う。それだけの覚悟ができるのならば、好きにするがよい」

「――何故です」

「お前は有能な第一侍従を持ったと言うことだ。レグヴィーに不満はないが、後任はヴォイドを置くことを考えねばなるまいな」

 年老いた大侍従長の名を口にして、メルオーダは口をひん曲げた。


 雨期とは言っても、このあたりにはどんよりとした曇り空が続くようなことはない。いささか突然お豪雨の降る日が増える、くらいのものであって、昼間はたいてい乾期と同じように、太陽(リィキア)がこれでもかと陽射しを投げかける。

 この日も、それは同じだった。

 季節に関係なく襲いくる砂嵐もいまは全くその気配を見せず、典型的なシャムレイの、それでも穏やかな日だ。

「どうしてもそうやって、こっそり出て行きたがるのですね」

「当然だろう。父上の苦虫をかみつぶしたような顔や、兄上方の蔑んだ顔を見ながらにこやかに出発などできるか」

「せめて王妃陛下やエムレイデル殿下にはお伝えになればよろしかったのに」

「母上は泣きそうな顔をするだろうし、エムレイデルは怒ったような顔をするだろう。それもご免だ。お前から巧く言っておけ」

「仕方ありませんね」

「お前にも伝えるつもりはなかったのだぞ」

「何ともご親切でお優しい主ですよ、貴方は」

 ヴォイドは言いながら、最後の荷を(ケルク)に結びつけた。

「ならばどうして、早朝に私を叩き起こしたりされたんです」

「それはな」

 リャカラーダは振り返り、太陽の光に目を細めた。

「ミンを覚えているか」

「誰ですと?」

「ウーレの娘だ」

「ああ……砂漠の小娘ですか。殿下のお気に入りの」

 少し蔑むような口調をしかしリャカラーダは咎めなかった。

「そう、その小娘が言ったんだ」

 続ける。

「お前ほど、俺を大事に思っている人間はいないとな」

「……何と」

 ヴォイドはどう返していいのか迷う様子で言った。

「ミンに感謝だな。あの言葉がなければ、俺はお前を信頼しきれず──お前か父上かと大喧嘩してここを半端なままで飛び出し、半端なものを抱えたままでシャムレイから逃げ続けることになったかもしれん」

「左様でございますか」

 だが侍従は、すぐに普段の調子を取り戻していた。

「殿下が私を信頼して下さっていたとは、驚きですね。それも私の行為によってではなく、砂漠の娘の言葉によるものとは、感激の極みです」

「拗ねるな、ヴォイド」

 リャカラーダは笑った。

 ウーレへの別れは、昨夜の内に済ませてきた。

 彼らは自身のミ=サスが彼らと砂漠から離れることを哀しんだが、必ず帰ってくるという言葉を信じた。

 スルだけは、どうしても自分はついていくといって聞かなかったが、ミンに「シーヴ様についていくならあたしで、あたしがついていかないのだから、お前は決して行けないの」とぴしゃりとやられてどうにか黙り込んだものだ。

 そのミンはと言えば、やはり哀しそうにしたが涙をこぼすことはなかった。ただ「やっぱり、あたしから離れないなんて誓わなくてよかったでしょ、シーヴ様」と言って――笑った。

 そして恋人たちは、初めて愛し合ったときのような熱く激しい夜を過ごした。これが最後となるかもしれぬと――どちらもが――思っていたのかも、しれなかった。

「……本当におひとりで行かれるのですか」

「何だ、信用していないのか」

 リャカラーダが口を曲げると、ヴォイドは首を振った。

心配(・・)しているのですよ」

「それはまた、有難いな」

 つい皮肉な調子が出て──リャカラーダは謝罪の仕草をした。

「有難う、ヴォイド」

「……おやめ下さい、気味の悪い」

 侍従は顔をしかめた。

「ひとつ、聞いておこう。……いったい父上とどんな賭けをしたんだ、お前は」

「賭けですと?」

 ヴォイドは意外そうに問い返す。

「賭け事などを陛下が好まれないことはご存知でしょう」

「知ってるさ。父上は負けず嫌いだからな、賽の目の偶然なんかで自分が負けるのは気に入らないんだ。だが自分が勝てると思えば札を引くことは躊躇わない」

 賭けでないのなら取り引きでも駆け引きでもいいさ、と第三王子は言った。ヴォイドは肩をすくめる。

「私はただ、陛下とお話をいたしました。果たしてリャカラーダ様は本当に愚か者なのか、愚か者に見えるけれどそうではないのか、それとも愚か者のふりをする賢人なのかと」

 ヴォイドは肩をすくめて言った。

「どうせお前の結論は、愚か者だろう」

「否定はいたしません」

 リャカラーダが茶化すと、侍従はあっさり答える。

「ならば愚か者の誓言を聞くお前が賢人だということだな」

 〈賢者は愚者の言葉をもおろそかにしない〉という言い回しを使ってリャカラーダは言った。

「それで、お前の賭金は何だ。父上に何を提示した」

「私からは、何も」

「では父上からか。俺が戻らなければ、お前が追って討つとでも約束させられたか」

「それもございます」

「……悪趣味だな」

 リャカラーダは天を仰いだ。

「ほかには」

「エムレイデル殿下にお仕えして、リャカラーダ様で成し得なかったことをするようにと」

「……エムレイデルにドレスを着せ、本から離して宴に列席させろ、と? それは俺に放浪をやめさせるより難儀だぞ」

「貴方は戻られるのですから、そのような心配は無用でしょう」

その通りだ(アレイス)

 リャカラーダは軽く言った。

「もし、父上が許可しなければ、どうした」

「コーレイバン侯爵のご尽力をそのままお借りしようと」

「何だと」

 王子は驚いた。

「お前が……俺がここから脱け出す手伝いをしようとしたのか」

「何度言わせるのです。早く戻っていただいて、立派に責務を果たしていただくためですよ」

「ふん?」

 リャカラーダは気を取り直して言った。

「そのようなことを口にして、父上と何を話したのかは言わぬ気だな」

 それにはヴォイドは答えなかった。

「まあ、よい。父上とお前の秘密という訳か。そうだ、コーレイバン侯爵とお前の姪にも礼を言っておこう」

「伝えましょう」

「ヴォイド」

 リャカラーダはまっすぐに自身の第一侍従を見た。

「俺は本当に、お前の働きに――お前に感謝している」

「リャカラーダ様」

 当惑したような侍従の声ににやりとして、シーヴは言った。

「これからは当分、シーヴだ」

「それはお呼びしかねます」

 侍従は眉をひそめて言った。

「行くのならば早くお行きなさい。貴方がこっそりと旅立ちたがるのはけっこうですが、私が荷担したと思われるのは心外です」

「兵士に見られたくないと言うのだな、いいだろう」

 王子は楽しそうに言うと(ケルク)に飛び乗った。

「エムレイデルを頼むぞ」

「承知いたしております。その代わりと言う訳ではございませんが、殿下」

「何だ」

「約束は、お守りいただきますよ」

 繰り返し言われた台詞に笑った。この年が終わらぬ内、或いは明けてすぐには帰ってくると言ったことに誤魔化しや嘘のつもりはないし、口から出任せでもなかったが、何が起こるのか判らないことだけは確かだ。

「努力しよう」

 言って馬の首を返すと、憤慨した声が追いかける。

「そのようないい加減なお言葉では困ります。もう一度、誓いを思い出していただきたい」

 しつこい奴だな、と笑って言い返そうとしたシーヴは、続いた言葉に沈黙した。

「必死になって――生きて帰ってきていただきますからね」

「──ああ」

 小さな返答は、背後の第一侍従には聞こえなかっただろう。彼はすっと片手を挙げて言葉に代える。

 それは、誓いの仕草に似ていた。


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