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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第3章

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01 下僕と言うより目付

 ファランシア地方の大砂漠(ロン・ディバルン)は、ラスカルト大陸にある無限砂漠(コズ・ディバルン)とは違う。

 魔術めいたものがあるとしても呪われているとしても――真実は、誰も知らぬだろう――それは有限だ。それはファランシア大陸のほぼ半分を占めるが、必ず終わりがある。

 その西端が〈聖なる河〉と呼ばれる大河だ。河の名はない。その辺りではただ河、大河、と言えばそれを指した。

 南北に大陸を分断する大河の、ほぼ中ほど。それに接するようにシャムレイの街はあった。

 砂漠が近しい故に中央や西に比べれば暮らしは快適とはいかなかった。それでも〈東国〉は〈東国〉なりの快適さを知り、持っていた。

 わずかながらも季節の変化はあり、秋になれば貧弱な大地なりに実りの時期はやってくるものだし、わずかな収穫を喜び、神に感謝する気持ちは豊かな土地よりも多いだろう。

「どうやら、これで収穫の祭りも終わりだな」

 高価な石で作られた卓に肘を乗せて、王子は言った。年中が暖かいこの地方では、この卓が極端に冷たくなることはない。

「ご立派でしたよ、殿下」

「気味が悪いぞ、お前がそんなことを言うと」

「では訂正しましょう。ご立派に見えました、と」

 王子の言葉に、侍従はあっさりと自身の言葉を言い換えた。

「第二正装など久しぶりだったな。軽い分、第一よりずっとましだが、それでも肩が凝る」

「屋外でしたからね。第一正装は……そうですね、殿下は新年の儀をさぼられたのですから、当分着る機会はございませんね」

「それはいい考えだな、毎年、新年は街の外で迎えることにするか。……そんな顔をするな、冗談だ」

 リャカラーダはヴォイドの小言が出る前にそう言った。また〈誓い〉を忘れるな、などと責め立てられてはかなわない。

「焦らなくても第一正装ならば、貴方の婚礼で着られます。安心なさい」

「またその話か」

 リャカラーダは嘆息する。

「それは、勘弁してもらいたいところだが」

「何を馬鹿なことを」

 ふん、とばかりに鼻を鳴らして侍従は言う。

「第一の務め、ですよ。リャカラーダ様のお好きな」

「好きなものか」

 彼は天を仰ぐ。

「こんなのは茶番で、方便だと判っているだろう」

「方便なのは判っていますが、茶番というのはいただけませんね」

 ヴォイドは眉をひそめた。

「戻ってこられるのでしょう。それなら、これらは全て貴方が戻られたあとのための下準備と言うことになります。一年近くを留守にしても問題のなくなる下地作りであり、そして」

「判っている」

 リャカラーダは遮った。

「嫌だと言っているのではない。ただ、どうにかして父上を説得して出ていこうというのに――婚約は(まず)かろう」

「馬鹿なことを」

 ヴォイドは繰り返した。

「この話がようやく出てきたのは、貴方が認められた証ですよ」

「認められるのは歓迎だが、決まった姫などできればますます、父上が俺を放り出すはずがないではないか」

「まだ決まった訳ではありません。見合いだと言っているでしょう」

「決まったも同然なんだろうが」

「何処の姫かは聞かないのですか」

「何処でもかまわん。子を産める年齢で、そこそこの美人ならそれでいい」

 リャカラーダはあっさりと言う。どうせ彼には決められぬと投げやりになっているのではなかった。本当にどうでもいいのだ。

「それは姫君に対する侮辱と取られかねませんよ、殿下」

「俺に対する侮辱はどうなんだ、どうにか職務もこなせるようだからようやく結婚してもよろしい、というのは侮辱じゃないのか」

「そう思われるようなことばかりしてきた貴方が悪いのです」

 この侍従は王子への「侮辱」も「無礼」も躊躇わない。

 西の使用人に比べて東の召使いは、侍従と呼ばれる段階になればだいぶ強い権限を持っていたが、それにしても主人に遠慮会釈が全くないということは、普通は、なかった。ヴォイドの場合は幼い頃からリャカラーダ――当時は、シーヴ――の世話をしてきたせいもあって、下僕と言うより目付のままなのだ。

 もしリャカラーダがそれを咎めればヴォイドは従順なる下僕となるだろうが、第三王子がそれを要求することはなかった。これからもないだろう。

「父上が決めたことならばそれに従うとも。誰だか知らんがその姫でいい。ただ、会うのは避けたい」

「何故です」

「その姫君が会うなり俺に惚れてしまって、どこへも行かないでくださいなどと泣いたら可哀想だろう」

「馬鹿も休み休み言いなさい」

「本当だぞ」

 リャカラーダは軽い調子で続けた。

「待たせる女は、ひとりでいい」

「砂漠の――娘のことですか。では……」

 珍しく、侍従の言葉がとぎれがちになった。

「おひとりで、行かれるおつもりなのですか。砂漠の民は」

「誰も連れては行かぬ」

 王子ははっきりと言った。

「俺の道を歩くのは俺だけだ」

「そのように……お考えとは」

「本気だ、と何度言わせれば気が済む?」

「――申し訳ございません」

 その言葉にリャカラーダは目を丸くした。ヴォイドの謝罪など、これまで聞いたことがあっただろうか。

「どうした、熱でもあるのか」

「このヴォイド、リャカラーダ殿下の決意を甘く考えていたところがあるようです」

「何だ、まだ信用がおけないのか、俺は」

 言いながらリャカラーダはにやりとした。ヴォイドにここまで言わせられるのなら、何とも上出来だ。もちろん、ヴォイドに感服されるために一人で旅立つなどと言ったのではないが、洩れた本音が思わぬ功を奏したというところである。

「申し上げましょう。ひとつ、『物事を簡単に進める』手段がございます」

「何だと?」

 リャカラーダは改めて侍従を見た。ヴォイドは目を伏せている。

 この第三王子が、責務をしっかり果たすことで父王の信頼を勝ち得、これで最後だという約束で、どこだか判らぬ地へ一年の旅に出る――という、考えようによっては無茶苦茶な計画はどうやら順調に進行していたが、リャカラーダとしては一日でも早く旅に出たかった。

 彼自身にも行き先は判らぬし、「いまは待つべき時間(とき)だ」という思いは変わらず彼の内にあったが、それでもじっとしているのは性に合わない。王子が「早くどうにかしろ」と言い、侍従が「そう簡単には参りません」と言えば、主がまた「簡単にするのがお前の仕事だろう」と答える――このやりとりは何度も繰り返されていた。だと言うのに。

「何かいい手があるのか。それを俺に黙っていたと?」

「いい手――だとは言えません」

 ヴォイドは考えるようにしながら目を上げた。

「それどころか、いささか小狡い方法と言ってよろしいかと。王陛下は、すぐに気づかれるはずです」

「それでも、やってみる価値があるというのだな。……話してみろ」


 王子が王に会うのに、正装は必要ない。

 執務として正式に王を訪問するのならば話は別だが、突然王から呼び出されて、何を置いても早く来るように、と言われれば、最低限のきちっとした格好をしていれば充分だ。

 そんな訳でリャカラーダは、通常、執務中に来ている普段の服装――と言ってもシャムレイの王族であるから、上等のものだ――に、屋内でも使える簡単な頭布(ソルゥ)だけ巻いて、その召し出しに応じることになる。

「お呼びですか、父上」

「ひとりか」

「ヴォイドも日がな一日、私についている訳ではありませんからね」

「よかろう」

 メルオーダがうなずいたのを見て、リャカラーダは内心で首をかしげた。ヴォイドがいなければ話にならん、とでも言い出すかと思ったのに、第一侍従がいない方が都合がいい話とは――何だろうか。

「南から書状が来た」

「南、ですか」

「コーレイバン侯の町だ」

「ああ、〈シャムレイの南端〉ですね」

 シャムレイに納税している町のなかでいちばん南にある、と言う程度の意味だ。大雑把に「国」という言い方をすることはあるものの、はっきりとした国境線のような概念はなかった。王や領主は土地を囲いでくくって「保有」するが、世界は「誰のものでもない土地」ばかりだ。言うなれば、シャムレイの城壁のすぐ外でさえ、もうシャムレイ王のものではないのだった。

「何を言ってきたのですか」

「お前を招待したいそうだ」

「……私をですか」

「そうだ。リャカラーダ第三王子とはっきり指名してきた。ハムレイダンでもパーシェケルでもない」

 王の言葉に、リャカラーダは訝しんだ。

「何故です。年頃の姫がいるという話も聞きませんが」

「ふん、判ってきたな」

 王の言葉にリャカラーダは肩をすくめた。いまのは〈蜂の巣の下で踊る〉ような発言だったかもしれない。

「お前に都合のいい娘は幾人か見つけてあるが……それは後回しと行こう。安心したか」

「とんでもございません」

「まあ、それはよい」

 王は手を振った。

「野心家ならば、頭角を現してきたお前を早めに手懐けておこうと思っても不思議はないが、コーレイバンは富など望まぬ純朴な男、悪く言えば世間と政治に疎い田舎者だ。シャムレイにも滅多に出てこん。それがいきなり、これとは」

 メルオーダは手元の容器からその書を取り出した。

「何故だと思う」

「私に予測を立てろと?」

「恍けるつもりか。下らぬ策略を」

 リャカラーダは黙った。図星を指されて返答に窮したのでは、ない。彼は何も策略など巡らしてはいないのだから。だがこれは――考えどころだ。

「父上」

「言い訳をしてみろ」

「いたしましょう」

 姿勢を正した。

「父上。私は責務を全うしておりますか」

「半年前に比べれば雲泥の差だがな、まだまだだ」

「では」

 続けた。

「いずれは責務を果たし、私が所有することになる町での政を任せられるだろうとお思い下さいますか」

「そうあってほしいものだ」

「ならば」

 どう言うべきか。いまの父王はどうやら、上機嫌とは行かぬ。下手なことを言えば逆鱗に触れるだけである。

「わたくしをご信頼いただけますか」

「――何についてだ、リャカラーダ」

「未だ至らぬこと多い務めにおいてではございません。わたくし自身を」


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