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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第2話 砂上の旅人 第2章

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11 まだ大丈夫だ

 要するに、早い話が、何も変わっていない。

 父王の怒りは少しは解けたかもしれないが、結局のところはリャカラーダは王子としての務めを果たすように命じられただけである。

 ヴォイドに言わせれば「もっともな」ことだ。彼自身、それに不満がある訳ではない。確かに、もっともなことなのだから。

「だが」

 リャカラーダは楽しそうに言った。

「上出来だな」

「ええ、それは認めましょう」

 第一侍従はうなずいた。

「陛下はリャカラーダ様にかつてない期待を抱かれました。不肖の第三王子が、もしかしたら目を覚ますのかもしれない、と」

「言いたい放題だなお前は」

 いつものことだが、と王子は言う。

「真実をお伝えするのが私の仕事です」

「もちろんそれでいい。いくら〈変異〉の年だと言っても、お前が俺に遠慮をするようになったらそれは世界の終わりだろうからな」

「けっこうです」

 あっさりという主に、侍従もまたあっさりと言うと続けた。

「このまま陛下に上機嫌になっていただくには、殿下は脇目もふらずに真剣に責を果たされねばなりません。西はもちろん、東へも遊びに行っている暇はございませんよ」

「おい待て、話が違うぞ」

「何が違うのです」

 ヴォイドは眉をひそめた。

「そう簡単に、物事が進むとお思いですか?」

「進めるのがお前の『仕事』だろう」

「遊び歩く殿下の背後を補うのでは、これまでと変わりありません。真面目にやっていただいてこそ、私の仕事になります」

「騙すつもりじゃないだろうな」

「こんなことで騙される貴方じゃないでしょう」

 騙されて下さるなら最初からこんな面倒にはなっていません、とヴォイド。リャカラーダはにやりとする。

「そうだな、勉学に励み、王宮の儀式にも欠かさず参加をし、月に一度はランティムを視察、さっさと結婚をして北西の町で実務に没頭する、そんなリャカラーダ殿下だったらそれはお前は楽だろうな」

「想像するだけで気分が悪くなりそうです」

 ヴォイドはぴしゃりとリャカラーダの軽口を遮った。

「この際ですから、演技でも何でも結構です。真剣なご様子を見せていただかないと、いかに私が口先を弄したところで陛下のお心が翻るはずもありません」

「判った判った、判っている。俺が言い出したことだ」

 リャカラーダが両手を挙げて、降参するような姿勢をとったとき、部屋の戸が叩かれた。許可を与える間もなくそれが開く。

「何だ、エムレイデルか」

 第二王女の登場に、ヴォイドが礼をした。リャカラーダの第一侍従は、主以外にはいつも丁寧だ。

「ラーダ兄上。お話があります」

「どうした。……先の席では済まなかったな、お前にまで嫌な思いを」

「何ですって? ああ、あんなのはどうでもいいんです」

 ハムレイダンがリャカラーダとまとめてエムレイデルを貶めるような台詞を言ったことは、特に第二王女の心を傷つけた訳ではなさそうだった。

「それどころか、面白いですよ」

「面白いだと? 何がだ」

 そんなことを言い出す妹の方を面白く思って、兄王子は問う。

「今日か明日のうちには、レイダン兄上は謝ってきます」

「何だって? 何か、兄上の弱みでも握ってるのか?」

「馬鹿なことを言わないで下さい」

 エムレイデルは眉をひそめた。何故か、この妹と第一侍従は反応がよく似ている。

「レイダン兄上は、お前をリャカラーダの引き合いに出して悪かった、あいつなんかよりお前の方がよほど立派だ、というようなことを言うでしょう。そう言いながらも、もっと王女らしくあるように、さり気なく説教もしていくはずです」

「それはそれでハムレイダン兄上らしいが、これまでにもそんなことがあったのか」

「ありましたとも。そして、レイダン兄上はその口で、姉上に言うのです。エムレイデルは生意気で困る、あんな王女を引き受けなくてはならないリリート一族は気の毒だ、と」

「……それはお前に対する侮辱だな。俺が兄上に決闘を申し込んでやろうか」

「そんな冗談は砂漠の民の間にいるときだけにしておいて下さい」

 妹はすげない。

「レイダン兄上は政治家です。姉妹を相手にであっても、どうすれば自分に有利になるか考えて動いているのです。少しやりすぎですが、やらなさすぎるラーダ兄上よりはましです」

 手厳しい意見を遠慮なく投げつける。

「だがさすがの兄上も、姉妹の絆までは見てとれぬという訳か。姉上に話したことがお前に筒抜けだとは気づかぬのだな」

「ええ。だから面白いのです」

 末姫は辛辣に言った。

「しかし私はそんな話をしにきたのではありません。ラーダ兄上」

「何だ」

「先ほどの台詞は、いったい何なのですか」

「先の、とは」

 リャカラーダは父に言ったのと同じ言葉を返したが、これはごまかしのつもりではなく、エムレイデルが指すのが「どの」言葉なのか本当に判らなかったのだ。

「位を返上する話か。シャムレイのためと言う『戯言』か。それとも、立派に責務を果たしてみせると言った……こちらの方がより、戯けているかな?」

「そんなことはどうでもよいのです」

 まるでヴォイドと同じ口調で妹は言う。彼らの顔つきが似ていたら、彼は妹をヴォイドの娘なのではないかと疑うところだ。

「二度と戻らぬと言うのはどう言う意味ですか」

「ああ」

 呟いた。

「それ、か」

「兄上は先ほどたくさんのごまかしをされましたが、あの言葉は……」

「そう」

 リャカラーダは妹の言葉を先取った。

「本気だ」

「何故です。いったい、例の……どんな言葉を聞いたと」

 珍しく、ためらうように言葉を切ったエムレイデルの視線の先が第一侍従に向いているのを見たリャカラーダもまた一(リア)、躊躇した。

「ヴォイド」

「外せ、と?」

 言いながら侍従はもう、戸口の方へ歩を進めていた。エムレイデルの要望は相変わらず素直に受け入れるな、などと主は思い――しかしそこで制止の声を発する。

「勝手に決め付けるな。俺はお前に退出しろなどと言っておらんぞ」

「内緒のお話なのでしょう。私に聞かれれば都合が悪い」

「都合は悪い。だが、聞いてもらう」

 リャカラーダが言うと、エムレイデルもヴォイドも顔をしかめた。

「兄上」

「いいさ。俺はヴォイドに全部話すことにしよう。それで今度こそ本当に呆れられるなら――それも仕方ないさ」


 どう語ろうか、迷わなかった訳ではない。

 言えば、ヴォイドは怒鳴りつけるか呆れるか、もうつきあいきれないと暇でも求めるかもしれない。それでもリャカラーダはヴォイドにその話をすることにした。

「俺は〈翡翠の娘〉を探している」

 まず、そう言った。当然のごとく、ヴォイドの眉はひそめられる。

 そして「馬鹿げた」話を続けた。ウーレの集落で出会った占者に〈翡翠の娘〉と出会うことで運命が変わると言われたこと。宮廷を訪れる数々の占い師に揚々たる未来を謡われていた彼が、その予言に強く惹かれたこと。

「まだ俺がシーヴ以外の何者でもなかった頃のことだ」

 予言――などと言い出す主を侍従が見る視線は、しかし変わらなかった。リャカラーダが予測したような態度は取らず、ただ、こうなったらこの王子がどこまで馬鹿なのか見届けてやろうとでも、いうような。

「俺は、それを信じた」

 愚かだと言われても仕方ない、などとと言い訳めいた口はもう利かなかった。

「俺は信じた。ヴォイド、いまでも信じているんだ」

「具体性が、ありませんね」

 第一侍従の一声はそれだった。

「もう少し、判りやすい話はないのですか。貴方がこの〈変異〉の年の間にどうこうと言った、その根拠はないのですか」

「……そうだな」

 てっきり侍従が怒るか呆れるか、少なくとも嫌みのひとつも言うだろうと思っていたリャカラーダは──嫌みのひとつ、ではあったかもしれないが──意外に思いつつも、考える。

「そう感じるのだ、などという曖昧な理由では納得できまいな」

「当然です」

 ヴォイドは大きくうなずいた。

「だが、それしか答えようはないのだ」

 王子は肩をすくめる。

 その年に始まり、その年に終わると占い婆(ルクリード)は言った。だがそれがこの年であると思い、感じ、確信する根拠となるのは彼自身の感覚、或いは呼び声──翡翠の、それとも〈翡翠の娘〉の、だろうか?──しかない。

「貴方の『感じるもの』を信用しろ、と言われるのですか」

「そうは言わん」

 リャカラーダは妹と侍従を交互に見た。

「俺を――信頼してくれ」

「無茶です、兄上」

「それは難しいですね」

 すぐさまに返ってくる答えは手厳しい。

「だが」

 リャカラーダはにやりとする。

「挑戦する気持ちはあるのだろう? その『難しく無茶』なことに」

「楽観的ですね、兄上」

 エムレイデルが言った。

「何故私が、ラーダ兄上に味方すると思うのです」

「そう言うな、それでは頼み込もう。一年でいい、俺の最後の旅のために協力を」

「最後。本気ですか」

「ああ、エムレイデル。お前にも誓おう」

「軽率な誓いなど、要りませぬ」

「そう言うな」

 王子はまたそう言うと立ち上がり、妹王女のすぐ近くまで行くと、姫君に騎士がするようにひざまずいた。

「兄上、やめてください」

「やめぬ。本気だ、と言ったろう。俺はこの一年、どうしてもここを離れねばならない。そう定められているんだ。いや、聞いてくれ」

 何か言おうとする妹に首を振った。

「だがこの一年で必ず終わる。そうしたら――生きてさえいれば、俺はシャムレイへ戻ってくる。父上に位を廃してもらえぬのなら、ここへ戻ってきて、王子リャカラーダとしてその生涯を全うしよう」

「……本気、なのですね」

 妹は繰り返し、本気だ、と兄も繰り返した。

「兄上を信頼するのは予言を信じるより馬鹿げている気がしますが」

 第二王女は言うとすっと立ち上がってリャカラーダの肩に手を置いた。

「たまには、馬鹿を見るのもいいでしょう。このエムレイデル・ルイ・シャムレイ、リャカラーダ・コム・シャムレイの誓いを信じます」

「有難う」

 リャカラーダはエムレイデルの皮肉ごと、それに礼を言った。

「有難う、エムレイデル」

「お前はどうなの、ヴォイド」

「私は」

 ヴォイドは姿勢を正すと、正式な礼を取った。胸に手を当てる、主に対して忠誠を誓う仕草。

「リャカラーダ第三王子殿下の第一侍従にございます」

「いいわ。それでは私とお前は同志ということね」

「頼もしいな」

 リャカラーダはもちろん皮肉ではなく、そう言った。

「それで、私は何をすればいいのですか。不肖なのは私も――一緒にされたくはありませんが、兄上と変わりません。私の言葉など、父上は聞かないでしょう」

「そうだな。我々よりも元中侍従長の方が余程、発言権がある」

 二人の王族は、召使いを見やった。ヴォイドは深々と礼をする。

「お任せ下さい。そう、その話をしていたのです、リャカラーダ様」

 侍従の様子が、普段に戻った。

「真剣に、やっていただかなくては困りますよ」

「判っている。但し」

 王子は侍従が文句を言うのは承知で言い放った。

「物事が簡単に運ぶようにするのが、お前の仕事だからな」

 ヴォイドの眉がひそめられるのを満足そうに見て、リャカラーダは北に開く窓へ顔を向けた。入る陽射しがきつくなりすぎぬよう設計されたその場所に近寄る。

 大丈夫、まだ大丈夫だ――。

 そんなふうに思った。

 〈変異〉の年は世界を訪れ、彼を訪れ、運命は動く。

 彼はこの街でできることをするのだ。

 その旅に、出るために。


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