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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 序章
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04 いずれ慣れる

 アーレイド城。

 当然ながら、エイルのような一市民が城内に入ったことなどあるはずがない。

 大きな祭りの際には街に向けた露台に王や王女が姿を現すことが習わしだが、エイルにとってはそんな日は稼ぎどき。祭列くらいを見たことはあったものの、歓声を上げて彼らを讃えるような暇はなかった。

 内部はと言えば、庭園の一部が解放されることはあるが、そこに入ることができるのは一般市民のなかでもほんのわずか――財を成した商人(トラオン)や評判の芸人(トラント)、高名な学者(セリン)、と言ったところだ。

 エイル自身は城門の近くまで行ったことがあるくらいで、なかをのぞいたことすらない。馬車の窓を覆う布を持ち上げて、彼ははじめてその贅沢な空間を呆然と見やった。

「……エイル、判ったのか?」

「えっ、うん。聞いてるよ」

 剣士が簡単に城内の説明をしてくれたのを聞き流していた訳ではない。想像したこともなかった「城内」という世界に見とれてしまっただけだ。

「一度に言っても判らないだろうが、これだけは覚えておけ。お前はまず、ヴァリン殿にお目通りだ。ヴァリン殿の話をよく聞いて、必ず従うようにしろ。逆らわないように。何しろ、絶大な権力をお持ちの方だからな」

 剣士が真顔で言うと、侯爵が笑った。

「確かにな! ヴァリン殿の前では陛下(ダナン)殿下(ラナン)も口をつぐまれる」

「その人、怖い人なのか?」

「そりゃあ」

「怖い」

 侯爵まで真剣な顔になって答え、「重鎮」の前で威勢良く喋っていたエイル少年は少し――緊張した。

「さて、エイル」

 ひとりではとても開けられないような大きな扉をくぐり、鎧に身を固めた兵やお仕着せを着た侍女や下男たちに丁寧な礼を受けながら――もちろん、受けているのは侯爵であってエイルではないが――彼らは城内の片隅に行き着いた。

「さてエイル。今日からここが君の部屋だ。少々狭いが、好きに使い給え」

 そう言って侯爵がエイルを招き入れたのは、彼の半刻前までの住処を三つ合わせてもまだ足りないほどの、彼には充分すぎる広さであった。

「制服は後で届けさせよう。寸法は?」

「え?」

「寸法だ。服の」

「は? 服の、大きさ? んなもん、着て合わせるだけだろ」

「そうか」

 侯爵は苦笑する。

「私ではなかなか話を進められそうにないな。では私は戻るとしよう。あとは」

 言いながら、侯爵は剣士の方を向いた。

「ヴァリン殿に引き合わせてやれ。それからトルスのところへ。ひと通り案内して服を着替え、きれいにできたら王女殿下の元へ、といったところだな。任せたぞ」

「はい、閣下」

 剣士は丁重な礼をしてその指示を了承した。侯爵が部屋をあとにすると、エイルは改めて室内を見回す。やはり、広い。

「荷物はどこへでも置いておけ。城内を回るのに邪魔だろう」

「え?……ああそうか」

 エイルは素直にうなずき、手近な椅子の上に彼の全財産たる背負い袋を下ろした。

「俺……こんな広い部屋で過ごしたことないよ」

 少年がどこかぼんやりと言えば、剣士は肩をすくめた。

「すぐに慣れるさ」

「そう、かな」

 部屋を歩きながら――歩き回る、くらいの大きさがある部屋など、驚きだ――きょろきょろと周囲を見回し続けてエイルは嘆息する。

「ここ、本当に、城んなかなんだな。……広いもんな。本当に俺、こんなとこにきちまったんだ」

 呟きながら、所在なげにうろついた。男はしばらく黙っていたがふっと笑うとエイルを振り向かせる。

「考えすぎるな。いずれ慣れる。いまはまだ突発的な――事件、のような感覚を持っているのだろうが、日々を送ればそれが日常になる」

「そういう、もんかな」

 エイルは首をひねった。これが日常になることなど、想像がつかない。

「よし、ともかくヴァリン殿のところへ行こう」

「その、怖いおっさん?」

「いや」

 剣士は苦笑した。

「ヴァリン殿はシュアラ殿下の乳母で、侍女頭だ。殿下(ラナン)の周囲のいっさいを取り仕切っておいででな、おそらくいちばん厳しいことを言うのは彼女だと思うが、殿下のためを思っての発言だ。気を悪くしないでくれ」

「それはいいけどさ」

 エイルはちらりと男を見た。

「俺、それより、その――あんたの名前も、知らないよ」

 剣士は思いがけないことを聞いた、と言うように一(リア)目を丸くした。それからその黒い瞳で優しく笑う。

「そうだったな。まだお前には名乗っていなかったようだ」

 言うと剣士はすっとその右手を差し出した。

「私はファドック。ファドック・ソレス。シュアラ王女殿下の護衛騎士(コーレス)だ」

「ファドック――」

(ファドック)

 その名が耳に伝わった瞬間、エイルの鼓動は大きく跳ねた。そして差し出された手を反射的に取った、そのときである。

 まるで(ガラサーン)に撃たれでもしたかのような衝撃がほんの一(トーア)、彼を襲った。そしてそれは少年を驚かせるよりも早く――あっという間に、去っていった。

(何だ――いまの)

「殿下とお会いするときは私と顔を合わせることも多いはずだ。判らないことや困ったことがあれば何でも相談に乗ろう」

 ファドックは、そんなエイルの様子に気づいたふうもなく言葉を続けた。

(気のせい、かな)

 或いは、冬の乾燥した日によくあるような、雷の子(ガラシア)の悪戯だったのかもしれない。そんなふうに思った。

「では行こうか」

 ファドックは案内するように先に立った。

「城内は複雑だ。迷うなよ」


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