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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 第4章

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02 協力してくれるか

 何だか、気まずい。

 いや、おそらくそれはエイルだけが感じているのだろう。護衛騎士はいつもと何も変わったことなどないと言った様子で、少年についてくるよう、促した。

 (ヴィリア・ルー)の輝く夜の中庭は、昼のそれとはずいぶん違う雰囲気を見せる。

 エイルは緊張していた。このところずっと、ファドックとふたりで話をしたことなどない。当然だ。彼ができ得る限りでそれを避けていたのだから。

「仕事の後に、済まなかったな。疲れているだろう」

「別に、いいですけど」

 緊張感は、彼の返事を愛想のないものにさせる。この動悸さえなければ彼も、ファドック様だって疲れてるでしょう、くらい言えそうなものなのに。

「何なんですか、用事って」

「東国からの訪問者の話は、お前の耳にも入っていると思うが」

「王子殿下ってあれですか」

 聞き返すまでもない。だがファドックは特に混ぜ返さず、そうだ、とうなずいた。

「どう思う」

「どうって」

 これには、簡単に返答する訳にいかなくて少し困った。まさかファドックが、彼の意見など聞きたいのだとは思わないが。

「怪しいとは思いますけど」

 やはり短く答える。それで終わらせたつもりだったが、ファドックは黙ったままだ。エイルの言葉が続くのを待っている。

「……俺の考えなんか聞いたって、仕方ないんじゃないですか」

「私も嫌われたな」

 苦笑混じりの声に、目を逸らした。

「んなこと、ないです」

 そうは言ってみても、彼の態度が冷たいことは間違いがない。

「何がお前の気に入らないのか判らないが、ひとつ、私の頼みを聞いてはもらえないか」

「気に入らないことなんか……頼み、だって?」

 思わず、目を上げた。ファドックが彼に頼みごとをするなど思ってもみないし、その内容についてはまして、考えもつかない。

「いったい、何なんです」

「今日、イージェンが何か馬鹿げたことを言っただろう」

「ああ……あれですか」

 やはり「馬鹿げたこと」なのだろう。エイルですら突飛だと思ったのだ。

「どう思った」

「どうって」

 先と同じやりとりを繰り返す。

「ファドック様は馬鹿げてると思ったんでしょう。俺だって似たり寄ったりです」

「そうだな、だが、それを頼みたいと言ったらどうする?」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

 エイルは一歩、後じさった。だがファドックは少年の動揺に気づかぬかのように――気づいているに決まっているのに――続ける。

「時間に余裕のある話じゃない、即席のにわか仕込みにはなるが――私に、お前を指導させてくれないか、エイル」

 考え得る限りの最悪の展開だ、とエイルは頭がくらくらするのを覚えた。


 嫌だ、とは言えなかった。

 イージェンは決して悪い師匠ではないが、ファドックには及ぶべくもない。イージェン自身、いまでもファドックに教わっているのだ。

 剣技にしても体術にしても、ファドックに二日教われば、イージェンに一旬教わるよりも理解が早いだろう。

 これは近衛の青年を馬鹿にした話ではなく、イージェン当人が言ったことでもある。自分よりもファドックに習え、と。

 少年はそれを時間が合わない何とかとか適当な理由をつけて退けており、それを続けるうちにイージェンも何も言わなくなっていた。理由はともあれ、エイルがファドックを避けていることに気づいたのかもしれないし、ファドックが何か言ったのかもしれない。

 結局、エイルが直接ファドックに指導を受けたのは城にきたばかりの頃の一、二回で、その後はずっとイージェンと剣を交えていた。それでも基礎の基礎くらいは身に付いたと思うし、言われたように自身の身を守るくらいなら最低限、できそうな段階にたどり着いてはいた。と言っても街道で魔物やら(イネファ)やらを相手にすると言うところにはまだまだ遠く、街でチンピラに脅されたときに少しは役立つだろう、くらいのものだったが。

 上達したいという心は、ファドックの指導なら両手をあげて歓迎する。

 だがやはり、ファドックと近しくなれば何か望まないことが起こる、という漠然とした怖れ――不思議と、それは確信に近かった――の方が大きい。

 それでも、彼は否とは言えなかった。

(エイル、お前も)

「お前も――シュアラ姫を守りたいのではないのか」

「……俺は」

 ファドックがどういう意味でその言葉を口にしたのかは判らない。

 エイル少年の、王女シュアラへの――或いは、「少女」シュアラへの気持ちをファドックがどう考えているのか。

 それが、分をわきまえない恋心だとでも思うのならば、「騎士」としてはそれをたしなめ、退けるべきだろう。だがファドックはときに、エイルが「護衛騎士ならばそうするだろう」と想像する方向とはしばしば違う方向へ動く。

「俺はシュアラを守りますよ」

 エイルは言った。久しぶりに、まっすぐ、ファドックの目を見て。

 その言が、少年のシュアラへの――どういう種類のものなのか、恋の手前のようなものなのか、彼自身にも判別のつかない――思いから出たものか、はたまた、いつだか彼の内に浮かび上がった、|ファドックの守るものを守る《・・・・・・・・・・・・・》、という思いから出たものなのかは、やはり判らない。

「ならば」

 ゆっくりと騎士は言った。

「協力してくれるか」

「俺に、何ができるんです」

 自らを卑下するつもりはないが、たとえファドックにつきっきりで剣なり体術なり教えてもらったとしても、遠くないうちに開かれる舞踏会とやらまでに彼が兵士並みの能力を身につけられるはずもない。

「五(トーア)、姫を護れれば充分だ」

 はっきりとした護衛騎士の言葉。

「三秒でもいい」

 その間に必ず自分が駆けつける、という――これはファドック・ソレスの自信か。エイルははっとなった。

 浮かぶ、一語。

 守護者。

「判りました」

 エイルは覚悟を決めた。

「俺の方こそ、お願いします。俺に稽古をつけてください」

 これで、運命から逃れ続ける日々もおしまいだ、とエイルは思った。


 エイル少年の日常は、忙しい。

 城下で暮らしていたときのように仕事を求める時間は必要ないが、仕事に就いている時間を数えてみれば倍増ではきかないだろう。

 だがそれでもはっきりとリズムのある生活は余裕ができるもので、彼の忙しさはレイジュやほかに親しくなった城内での友人との雑談や、時間外でときどき行われるトルスの指導、そしてイージェンとの稽古、たまに飛び込んでくる、予定外のシュアラの召し出し、などに起因した。

 そういうことに当てていた時間をファドックとの稽古に費やす。

 と言っても、護衛騎士にも外せない仕事があるから、必ずしも空き時間の全てをファドックと過ごすと言うことでもなかったが、これまた新たな城内の噂になった。

 エイルがファドックを避けていたなど知る者はおらず、むしろ護衛騎士が王女の話し相手である下町の少年を好いていないのではないかと思っていた者もいたくらいだから、ふたりが一緒にいるだけで驚かれることもあった。

 そして、どうやらファドックが本気でエイルに稽古をつけているらしいということが判ってくると、「いったい何故だ」ということになる。事情を考え当てて得心する者もいれば、「姫様の気紛れではないか」とでも考えて納得する者も多かったようだ。幸い、エイルが質問されて余計な時間を取られることはなかった。

 若い身体は多少の無茶にもすぐに慣れ、仕事と稽古でくたくたになっても一晩休めばそれで済んだ。疲れ切って倒れるように眠ってしまえば余計なことも考えずに済んだ。

 それでもファドックと言葉を交わし、近寄られ触れられれば、石を打って火花がはぜるかのように、少年のなかに何かを提示するものがある。

 暗闇のなかの一(リア)の火花では、その正体は掴めない。

「力が入りすぎているぞ、息を整えろ」

「ああ……そうか」

「ここだ」

 力を抜け、と両肩に手を乗せられれば、余計に力が入ってしまいそうだ。エイルは深呼吸する。

 と、くるりと世界が回った。空が見える。

「呼吸を読まれるようではいかんがな」

 下草が生えているとは言え、ここは訓練用に親切に設えた道場ではない。下は固い地面だ。本気で叩きつけられれば、相当の衝撃を食らうだろう。直前で引き上げられたエイルは背中を打ち付けこそしなかったが、ファドックの意地悪に顔をしかめる。

「不意打ちはなしですぜ、ファドック様」

「それに対応できなければ、二(トーア)と保たんぞ」

「投げられる分しか、時間を稼げないって訳っすね」

 言いながら起き上がる──ふりをしてさっとファドックに足をかけた。巧くいった、と思ったのはほんの一(リア)で、気がつくとエイルはどうなったのか判らぬままに地面にうつぶせとなり、両腕を背中で取られる形となる。

「元気で結構だ」

「わあっ、すっすいません、俺が悪かっ……」

「いや、上出来だ」

 腕が解放された。もう数ファインも捻られれば痛さに悲鳴を上げるところだっただろうが、騎士もそこまで少年を苛めるつもりはないようだ。

「だが無茶はするな。取り押さえられるだけで済めばよいが、相手が刀子のひとつも持っていればこのまま背を刺されて終わりだ」

「怖いこと、言わないでくださいよ」

 腕をさすりながら少年は顔をしかめる。

「言わねば判るまい? 何事も経験だが、試しに死んでみることだけはできないからな」

 いまのは冗談だろうか、とエイルは身を起こしてファドックを見たが、騎士の表情は何か面白いことを言ったとも、真剣に説教をしたとも受け取りがたい。

「でもファドック様。俺は五秒だけ、シュアラの()になれればそれでいい訳でしょ」

「そうだ」

 エイルは別に皮肉のつもりではなくそう言ったが、あっさり認められれば少し腹立たしい。


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