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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 第4章

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01 お前が守るってのはどうだ?

 白の月も半ばを越えたころ、アーレイド城内での噂話と言えばシュアラ王女殿下の十八歳の誕生式典についてばかりであった。

 新年の際に開かれた舞踏会は、毎年のことだが贅を尽くしたもので、城下街のように三日続けて行われるようなことはないが、その忙しさと豪奢さでは月に一度行われる――普段の――夜会とは比べものにならなかった。

 だが半月もすればそれは過去のこととなり、いまではもう半月後の次なる一大行事に向けて、城内の働き手たちの話題は一色となっていく。

 それは王女が生まれて十八年、毎年変わらぬことだった。

 だがこの年、〈変異〉の年だからと言うこともないのだろうが、そこに新たなる色彩が加わることになる。

 その頃、新しく城内を駆けめぐる噂は色とりどりだった。

 あまりの極彩色振りに、式典や結婚の噂話には寛容だったヴァリンも、この噂をすることを禁じたほどだ。誰しも顔を合わせればその話、では仕事は滞るし、第一、まだ何もかも「噂」の段階を出ないのであるから。

 しかし、噂はすぐに現実に変わった。

 絵に描いたような異国の服を着た使者が書状を手にしてやってきたのである。

 書の中身は、まるで噂話をそのまま書き写したかの如くだったと言う。即ち、シャムレイの第三王子リャカラーダの乗る御座船が沖の嵐に巻き込まれて航海を続けることが困難となり、近くのアーレイドに寄港したというのだ。

 船を修理して海路に戻るか、陸路でまっすぐシャムレイへ帰還するかは未定だが、どちらにしてもしばらくアーレイドに滞在することを許してほしい、というような至極真っ当、かつ丁寧な中身はマザド王を満足させ、王はその許可を出すことはもちろん、王子一行を城に招くことを約束した。全く交流のない遠国とは言え、王族を名乗る人間を城下に放っておく訳にもいくまい。

 そのような見知らぬ国の第三王子など、騙りではないのかという意見も出た。だが書状に記された流麗な文字や複雑な書印は、詐欺師のものとも思えなかった。

 もっとも、城としてもすぐに信じた訳ではない。魔術師協会(リート・ディル)に裏付けを依頼し、少なくとも東方の都市にその名を持つ第三王子がいることと、その都市の仕組みでは継承権を持たぬも同然である王子が、その身軽さでもってファランシア大陸を「見聞」しているらしい、という程度の情報は手にした上での判断ではあった。

 完全な確証はないままだが、偽物の王子を城に招待する危険と、本物の王子をないがしろにする危険を比較して、同じ危険を冒すなら前者の方がましとの結論を出したというところだろう。

 そうと決まれば、すぐに王子一行を城に招待するのが筋というものだが、当の旅人は五日後の訪問を約束し、自らの滞在する宿も告げなかったと言う。王族が滞在できるような宿が城下にあるとも思えなかったが、とにかく騒ぎ立てられては街を見ることができぬ、という話らしかった。それは貴族たちにはずいぶん酔狂な――奇態な、とは思っても誰も口にしなかった――理由に思えたことだろう。

 城下には、見慣れぬ格好をした旅人を見たという噂こそ流れたものの、中心街区(クェントル)での目撃例は全く聞かれず、目立つ集団がどこの宿を取っているとも判らなかった。少なくとも小さな隊商(トラティア)くらいには人数があるであろうその高貴なる一行が、街のどこへ隠れているものかは、つまり、誰も知らなかったのだ。

「でも……んなの」

 今度はイージェンから最新情報を訊いたエイルは、かまえていた小剣を下ろして言った。

「結局、何も判ってないってことじゃんか」

「そりゃ、本物かどうかなんて、判りようがないさ。東国となんてつき合いがないんだから」

「だからって、名乗ったらハイそうですかと歓迎するのかよ?」

魔術師(リート)に調べてはもらったらしいって言ったろ。シャムレイにリャカラーダって第三王子がいることは間違いないみたいだぜ」

「んなの、知ってれば俺だって名乗れる」

「疑い深いな、街の子供は」

「よく言うぜ、最初っから怪しんでるのはイージェンの方だろ」

「俺が言ってるのは、この時期ってことさ」

 兵士は両手を広げた。

「年頃の王女殿下の誕生祭前に、継承権位の低い王子が偶然立ち寄るなんて、臭いだろうが」

「それじゃ、東国からわざわざ、シュアラを見にきたってのか?」

「アーレイドを、でもいいさ。全く知らない土地にそそられる宝があると聞いて、俺に寄越せと叫ぶ前にそのお宝がいかほどのもんか下調べにきた、と考えたって不思議じゃないだろ? 事実、そう思ってる奴も多い」

 だから噂になる、とイージェンは知ったように言った。

「俺も、思わなかった訳じゃないけど」

 エイルは訓練用に借り受けている小剣を何となく振り回した。と、カンと音を立ててイージェンの剣がそれを弾き落とす。

「何すんだよ」

「よし、お遊びはこれまでにしよう、エイル」

「……何だよ、突然」

 すっと剣をかまえて少年の前に立つにわか(・・・)師匠(キアン)に、エイルは警戒の視線を寄せる。イージェンはそれに真顔で言った。

「いっちょ、本腰入れて教えてやる」

「いままでは片手間だった訳」

 少年が皮肉っぽく言うと、イージェンは肩をすくめた。

「お前は兵士じゃないからな、お前の身が守れればそれでよかったろ」

「イージェン。それって」

「そう《アレイス》」

 近衛兵は真面目な顔のままで続けた。

「異国の王子殿下のご訪問に即し、ファドック様がシュアラ殿下にぴったり張り付いてたんじゃ角が立つだろうが。――お前さんが姫君を守るってのは、どうだ?」


 がしゃがしゃーん、と派手な音がすれば、全員の視線が一斉にこちらに向く。

「エイルっ!」

「ごめん、手が滑ったっ」

 取り落とした皿の山が、片付ける方のものだったことがせめてもだ。出来上がった夕飯をそんな非道な目に遭わせたら、作った人間と食べる人間と、両方にぶん殴られる覚悟をしなければならないところだった。

 だが、料理長はこういった失敗に厳しい。片付けの皿を取り落とすと言うことは、そうでない皿を取り落とす危険性もあるからだ。

「ドジやるくらいだったら、上がれ!」

「大丈夫、もうやらない!」

 ここで、これ以上言い訳めいたことを言えば、却って厨房から蹴り出されること間違いなしだ。失敗は謝罪し反省し、かつ慌てず騒がず、業務へのやる気を見せれば、怒声ひとつで済む。

 正直なところを言えば、いささか上の空だったのだが――そんなことをトルスに知られれば一大事だ。

 イージェンの言葉はどこまで本気か判らなかった。ただ、そのあとの稽古はいつもよりずっと厳しかった。ことによると本当に本気なのかもしれない。

 少年には思いがけぬきつい運動となったが、ぼうっとしてしまったのはそれで疲れていたためではなく、考えごとをしてしまったせいである。

 確かにイージェンをはじめとして多くのものが言う通り、アーレイドがその王子をどう思ったとしても、全面的に信頼することもできねば、あからさまに疑いも見せられない。

 アーレイドに格別な敵はないのだし、何者かがシュアラ王女に害をなす可能性というのは低かったが、それでも、正体不明の自称王族など――対応に困ること甚だしい。

(お前が)

(守るってのはどうだ?)

 騎士が王女についていられぬのなら――給仕が隣に? エイルは思わず笑いをもらしそうになって、咳払いした。

 イージェンの考えは突飛だ。だいたい、護衛騎士ならばともかく、剣を帯びた給仕など聞いたこともない。

 エイルはともすればさまよい出る思考を打ち切って仕事に集中しようとするが、どうにも気がそぞろになる。

(しっかりしろ)

(また何かやらかせば、次は追い出されるぞ)

 余程の失敗をしない限り首を切られるという心配はない職場だったが、トルスがエイルを要らないと判断してほかの仕事にでも回されるようなことにでもなれば――恥だ。

 城下で様々な仕事を経験してきた成果だろうか、必要なときにさっと集中できるというのは彼の特技だ。だと言うのに、今日はそれが巧くいかない。

 何かが気になる。

 何かが、近づいてきているようで。

 ――少年は息をついた。

 どうにか、派手な失敗を繰り返すことなく、この日の後半戦も乗り切ることができたようだ。片づけもほぼ終わり、彼ら自身の夕飯――本日の当番はディレントだ――を食べたら放免である。

「何だ、こっちにいたのか」

 倉庫の荷の整理をしていると、ウィーディーが姿を見せた。

「ん? 俺?」

 自分を探していたのか、とエイルは厨房仲間に顔を向ける。

「それはいいから、早く飯食えよ。片づけもやっとくから」

「ん? 何で?」

「何でも何も」

 男はエイルがしまおうとしていた小箱を脇から奪うようにして言う。

「ファドック様が、お前に用事だと」

 箱を取られる前だったなら、少年は間違いなく、それを取り落としていただろう。


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