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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 第3章

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06 城下

 年越しの準備、新年の祭り、大きな行事を乗り越えると、しばらくはのんびりといきたいところである。ビナレス中のどの都市も多かれ少なかれ、そのような傾向があるだろう。年末の忙しなさと昨年の穢れを払ったあとの、「新しい日々」へのぼんやりとした期待感。

 今年が六十年の一度の〈変異〉の年であることは誰の口にも上ったが、それは必ずしも不吉を意味しない。変化――新しい風へと人々が乗せる夢は様々だ。季節はこれから寒く暗くなっていこうと言うのに、まるで世界は春を迎えるかのように、心はどこかゆったりとしていた。

 と言うのは、ビナレスのほかのたいていの都市のことであって、アーレイドはそうはいかなかった。二の月の頭には、シュアラ王女殿下の誕生記念式典を控えているのだ。

 普通の街びとたちにとっては、それでもひと月先のことであるから、それに向けて慌ただしく支度をするようなことはない。

 たいへんなのは、ただ王宮の――働き手たちである。

 新年の儀式やら宴やらの波がようやく過ぎたかと思えば、次の式典の企画を進めねばならない。伝統的な通過儀礼ならば、伝統に則って伝統的にやればいい。もちろん、王女の式典にもそれなりの伝統的な決まりごとはあったが、ちょっとした花を添えることも必要だ。

 王女が十七を迎えた去年は、十七の乙女の象徴である白花を空に撒いたと言う。そのような、文字通り「花のある」催しでなくてもよい。実際には、振舞う酒樽をひとつふたつ増やした方が市民には喜ばれるのだし、ライファムの樽に並んで、花を漬けたミュラン酒は毎年提供されている。

 ただ、今年は、姫の隣に父王だけが立つ最後の年ではないかと言われいてた。

 来年には新王候補たる彼女の婿が、王女の手をとっているだろうと。だから、その前にきっと何か特別な企画があるに違いないと、人々は一方的に期待していたのだ。

 その話に根拠はなく、どこの王子が候補と言う噂もろくになかった。

 しかし貴族の姫が十六から二十歳のうちに婚礼を迎えるのは一般的なことであり、シュアラ姫の亡き母姫も、またその母姫も十八で嫁いできたことからだろうか、人々は何となく、シュアラも十八で結婚をするものだと思っていた。

 しかしそれは民の勝手かつ下世話な噂話、という訳でもなかった。〈水辺の夢は水音が見せる〉との言葉通り、どんな噂にもそれが立つ理由があるものだ。

 実際、その件は王宮の中枢で取り沙汰されていた。

 もちろん、王女が十八を迎えるまで彼らの頭にそのことが浮かばなかったというのではない。王女生誕の瞬間から――当時は王女でなく、王の孫姫であったが――次代――当時は、次々代だ――のアーレイドの支配者はどうなるのか、姫に婿を取るのか、それとも女王を立てるのか、祝祭の予定と同じ速度で議論されたものだ。

 その頃は王妃ケイシアも存命であり、王子の生誕の可能性も十二分にあったが、何と言ってもシュアラは長子である。アーレイドでは男女を問わず、長子が第一王位継承の権利を持つ。つまり、王妃が病で世を去り、マザド王が二人目の妻は持たぬと誓ったことは、世継ぎの問題にはそれほど影響を与えなかった。

 ただ、女王として厳しく彼女を育てるというのは、亡き妻の形見としてシュアラを猫可愛がりしたがったマザドにはあまり喜ばしくない考えだった。王は姫に王女としての教育は施したが、女王のそれからは引き離していた。

 王がそう宣言したことはなかったが、いずれシュアラ目当て、或いはアーレイド目当てでやってくる求婚者がシュアラの権利を継ぐだろうと言うことは、暗黙の了解となっていた。

 そうなれば必然的に、姫に近づく男はじっくりと検分されることとなり、年頃の息子を持つ貴族たちはその教育に必死となっていた。候補とされる貴族やほかの街の第二、第三王子も幾人かいたが、決め手となる話は何も出ぬままで月日はこうして流れてきたという訳だ。

 しかしそう言った「お偉い方々」の事情はどうあれ、誕生祭は誕生祭だ。

 祭りである。

 仕事にしろ娯楽にしろ、城内にしろ城下にしろ、それらが増えることを歓迎する向きは多いものだ。

「――よう、ザック」

「エイル!」

 いまやエイル少年の「職」は安定し、彼は一旬に一日から二日の完全なる休日をもらえることになっていた。そんな日、イージェンと稽古の約束でもなければ、彼は城下を訪れ、久しぶりの仲間たちと飲み騒ぐこともあった。

 突然姿の見えなくなった少年を心配した友人は幾人かいたようだが、わざわざ彼の生家を訪れてその安否を確かめようとしたのはザック青年くらいのものだったらしい。

 これは別に、エイルが嫌われ者であるということではなく、彼の友人はみな、人の心配より自分の心配で忙しいことが多いだけだ。エイルが逆の立場でも、同じようにしただろう。即ち、気にしながらも何もしない、ということだ。斜に見た言い方をすれば、ザックがエイルを心配できたのは、彼が町憲兵(レドキア)という安定した職についているせいかもしれなかった。

 ともあれ、アニーナは息子がどこで働いているかこそ語らなかったが、ザックはエイルがどこかで元気でやっていることを知って仲間内に流れた誘拐説だの死亡説だのを打ち消し、少年は久しぶりに姿を見せても幽霊(ベットル)扱いされなかったという訳だ。

 特に禁じられた訳ではなかったが、エイルは、彼の新しい職場について吹聴して回るのはあまり賢いことではないと思っていた。

 かと言って完全に隠せば不自然だ。彼は、違う街区の商人(トラオン)に雇われたということにした。力のある商家で、たまに城に納品に行くこともある、と。こう言っておけば、城へ入るところを目撃されても、城に「帰った」のではなく城を「訪れた」のだと言うことになる。

 ――生憎とこの案は少年の頭からでたものではなく、レイジュに相談して得た結論だったが。

「順調か、町憲兵さん(セル・レドキア)よ」

 城内は誕生祭の噂で持ちきりだが、シュアラとの面会を除く普段の厨房での仕事には、とりあえず関わりのないことだ。エイルはその休みの日も城下へ行き、定例の巡回をする友人に再会することとなる。

「俺は変わりないよ、生活も、勤務時間も休暇も、給金もね」

 肩をすくめてザックがそう言うのは、ふたりの間の冗談だった。

 いささか鈍い感のあるザックが町憲兵(レドキア)であるのが不思議でたまらないエイルは、いつかきっと彼が失敗をしてクビになるか減給されると決めつけ、賭けよう、と言ったのだ。ザックは逆に、認められて昇給すると言い張っている。

 減給はともかく、昇給などは余程の手柄を立てねば難しいもので、この賭けはエイル少年に分があったと言えよう。しかしザック青年は問題なくその任務をこなしているようで、そう簡単にエイルの勝利とはならない。

「エイルの方こそ、順調みたいだね? ちょっと背が伸びたんじゃないかい?」

「俺の年頃でもそんなに目に見えて成長するもんならね。逞しくなったと言えよ、最近ちょっと……練習してんだ」

 少年はぽん、と左腰を叩いてみせる。

「練習って、何を?」

「だから、これだよ」

 剣を帯びてなどいなかったが、左腰に差すものと言ったら決まっている。

「お前のここに、ついてるだろ」

「ああ」

 得心がいった、というようにうなずいてから、ザックは驚く。

「えっ、剣の練習? エイルが?」

「文句でもあんのか」

「どうして? 兵士にでもなるつもり?」

「そういうんじゃねえけど、思ってたより面白えな」

 言いながら、剣を構える真似をして見せた。ザックが何か疑問に思ったとしても、それはすぐに振り払われたようで、青年は楽しそうに笑う。

「それじゃ、今度見てあげようか?」

「おっ、言うじゃねえか。俺に負けて泣くなよ」

 もちろん、少しばかり指導を受けた少年が、毎日訓練をしている町憲兵に敵うとは思っていないが、そんなふうに言われたザックは驚いたような顔をする。

「へえ、自信あるんだなあ。いったい」

「まあ、それはいいや」

 誰に教わったの、と訊かれかけたことに気づいて、エイルは慌てて打ち消した。姫の護衛騎士とはもちろんのこと、近衛兵とも言えないではないか。

「仕事はいい調子だよ」

 話を戻した。嘘ではない。万事、順調だ。ファドックとの間を除けばだが、騎士との付き合いは彼の仕事の範疇ではないのだから。

「だと思っていたよ。元気そうだから」

「何だよ、俺が落ち込んでることがあったって?」

「そうじゃないけど」

 むっとしたように言うと友人は困った顔をする。それににやりとして、エイルはぽん、と手を叩いた。

「さて。俺は、いくら休みの日でもいつまでもお前なんかとしゃべくってる暇はないんだ。行くとこがある」

「ああ」

 ザックははっとしたように周囲を見回した。

「俺だって仕事中さ、暇って訳じゃ」

「――町憲兵さん!」

 ふたりは同時に振り返った。見ると、女が慌てた様子でザックを手招いている。

「どうしました?」

 いくらエイルが馬鹿にしても、ザックはちゃんと仕事をこなしている。すぐに「町憲兵」の調子に戻って対応した。

「喧嘩だよ、早くきとくれ」

「判りました、それじゃエイル。俺は」

「おら、早く行こうぜ相棒」

 エイルはザックの背中を叩いてそう言うと、友人を促す。

「用事があるんだろ?」

「急ぐ用じゃねえし」

 呼ばれた方に駆け出しながら言う友人に、エイルは知らん顔でついていく。

「こっちの方が面白そうだかんな」


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