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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 最終章

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14 婚礼祭列

 それは、穏やかな日だった。

 秋の終わりと言ったところで、砂漠に近しい酷暑の東国には、季節の変化はあまりない。

 それでも、その日はまるで中心部(クェンナル)辺りで言うところの〈母なる女神(ムーン・ルー)の微笑む日〉のように優しい風と爽やかな晴天が街を包んだ。

 リャカラーダ・コム・シャムレイ第三王子の――ようやくの――婚礼は、そうした天候の恵まれた日に行われた。

「お支度はよろしいですか」

 開けられた扉の向こうに珍しいものを目にした彼は、思わずにやりとする。

「久しぶりだな、その格好は」

「致し方ございませんでしょう。リャカラーダ様のご婚礼に、簡易式の正装で済ませる訳には参りません」

 第一侍従はそう言って、滅多に身につけない長い衣を引いた。

「殿下こそ、何年ぶりでいらっしゃるのですか。そうした第一正装など」

 それは旅路にあってありとあらゆる公式の儀式から逃れていた主への皮肉だったが、リャカラーダは平然と指を折って数え、三年かな、などと答えた。

「――よくお似合いですよ」

 感じ入ったように言う侍従に王子は口の端を上げ、新品の衣装に気遣うようにしながら椅子に腰を下ろす。

「もう、時間か?」

「いえ、いま少しございます」

「助かった。婚礼の儀式など肩が凝るばかりでな。レ=ザラは平然とやっておったが、俺は疲れた」

「何を言われるのですか。まだはじまったばかりですよ。このあとは街の者にお姿をお見せになって、夕刻からは宴です。夜半までお出になっている必要はございませんが、主役はあなたなのですから早々に退出はできませんよ。そして明日になればランティムへ発ち、向こうでもまた」

「判っている、繰り返さずともよい」

 リャカラーダは手を振って侍従の小言を制した。

「……私がこの予定をお話ししたことはございませんが」

「そうだったかな」

 彼は言った。

「そうか、言ったのはレ=ザラだ。全く、ランティムへ去ればお前の説教から逃れられると思ったのに、この血筋は俺について回る気らしいな」

 ヴォイドは片眉を上げた。

「何を言われるのです」

「まさか、知らぬのか? レ=ザラはお前の」

「もちろん、それは存じております」

 侍従は言った。

「私が申し上げるのは、私が不肖の王子殿下を余所の町に放って安心すると思っているのではないでしょうね、と言うことです」

「……おい」

 リャカラーダは眉をひそめた。

「冗談ではないぞ。次期大侍従長候補のお前を伴いでもしたら、父上に何を言われるか」

「ご安心下さい。陛下にはご説明済みです」

 ヴォイドは当然のように言う。

「何と言って父上を説得した?」

 第三王子は尋ね、聞きたくないような気がするが、などとつけ加えた。

「ひとつには、リャカラーダ様にお任せしてランティムの経済が破綻することの危惧を」

「そこまで信用がないか」

「可能性の話です。たとえ優秀な生徒でも、初めての実践には大きな失敗をするもの。まして、殿下でいらっしゃいますからね」

「……それで、ふたつ目は」

「ふたつ目めは」

 第一侍従は繰り返した。

「レ=ザラ様にリャカラーダ様の操縦法をお教えできるのはわたくしだけだと」

「……そりゃ、有難い」

 リャカラーダは天を仰いだ。

「これから、説教は二倍か。〈結婚とは樽に漬け込まれることだ〉とは言うが、俺の上の重石はほかの人間より多いようだ」

 それにヴォイドが何か言い返そうとすると、扉が叩かれた。侍従は反論をとどめてそれを開けに行き、何かを受け取って戻ってくる。

「何だ」

「ご婚礼のお祝いのようですよ」

 ヴォイドは首をかしげながら言った。

「直接、こちらに届くことはないはずなのですが」

「どれ」

 言いながら彼はその細長い箱を受け取り、美しく結ばれた紐を解いて蓋を開けた。

「――ふん」

 そこに一輪の花と、添えられた伝言を見た彼は、唇を歪めた。

「ご丁寧なことだ」

「『リャカラーダ様のお幸せを心より願っております』……品のよい手蹟ですな。隻眼の梟の絵柄とは、あまり祝い事に相応しいとは思えませぬが、どこの愛人の恨みをお買いですか」

「あまり思い出したくはない」

 そう言うと彼は箱に蓋をして、部屋に百合(フオル)の香りがこれ以上漂わぬようにした。

「箱ごと焼き捨てるように言っておけ」

「……女性関係をきれいにするに越したことはございませんが、いささか冷たすぎるご対応ですな」

「何の」

 リャカラーダは顔をしかめる。

「喜ぶだろうよ」

 その台詞に侍従は、どんな歪んだ感覚を持つ愛人なのだろうと考えるようにしたが、主同様にあまり楽しくない想像が浮かびそうになったか、首を振って追及をやめた。

「ではそろそろ」

 ヴォイドはふと、窓の外を見るようにした。

「階下へ降りられるご準備を。民が待っておりますよ」

 ゆっくりと進む祭礼用の馬車の上で、彼らは終始にこやかな笑顔をシャムレイの街びとたちに向けていた。

 リャカラーダ第三王子の評判は、年配の者にはあまり芳しくなかったが、若者にはなかなか受けがよかった。一部の街区には「シーヴ」を知る者も少なくない。

 ともあれ、めでたい日、めでたい出来事であるから、普段は第三王子の行動を辛辣に批評する気難しい識者であっても、この日ばかりは歓声を上げて馬車を迎えた。

「人気がおありですわね」

 妻となった女の言葉に、リャカラーダは片眉を上げた。

「ここに座っているのが誰でも、同じだろう。祭りがあれば、それでよいのさ」

 彼はそんなふうに言ったが、それはもちろん民草を見下した言い方ではなく――彼も市井の身であったらそうであろうと思うだけだった。

「そうでもありませんわ」

 レ=ザラは人々を見ながら言った。

「ハムレイダン様のご婚礼祭列を覚えております。第一王子殿下のご婚礼の割には、彼らは冷淡だったかと」

「兄上のことだ。どうせこの場所に座っていてもむっつりとしていて、笑顔ひとつ見せなかったんじゃないのか」

「まあ」

 レ=ザラは口に手を当てた。

「そのように言われるものではございませんわ」

「かまわぬだろう。お前のほかには誰も聞いておらぬ」

「聞いていても、同じように言われるのでしょう」

 その言いように彼は思わずにやりとし、あまりこの場に相応しくないと思い返して愛想のよい笑みを浮かべ直した。

 そろそろひと回りしただろうかと、少し疲れて民衆を見ていた彼は、ふと、ひとつの姿を目にとめた。

 浅黒い肌の住民のなかに白い肌の人間がいれば確かに目立つが、皆無だと言うのでもない。だから、彼は一(リア)判らなかった。何故、その姿が目にとまったのか。

 茶色い髪をした若い青年。まだ少年だと言っても――通りそうだ。

 歓声を上げる街びとたちのなかで、彼は黙って、ただどこか奇妙な表情をして第三王子を――見ていた。

 リャカラーダの鼓動が跳ねた。

「――待て!」

「殿下?」

 彼の妻が驚いたように声を上げた。

「どうされましたの?」

「いや……いや、何でもない」

 まさか、祭礼の馬車をとめさせる訳にもいかない。彼はどうにか、新郎としての笑みを取り戻した。

(あれは――誰だ)

 見も知らぬ青年が、何故こうして彼の目に、心に飛び込んできたのか?

 いや、と彼は思った。

 彼はいまの男を――知っている。

「どう、されたのです?」

「――何でも、ない」

 彼は繰り返した。

 リャカラーダが理解したことを彼は――それとも彼女は、知っただろうか?

 ではそうなのだ(アリシャス)と、何かが彼のなかですとんと落ちた。リャカラーダ――シーヴはその事実を一(リア)で知り、同じだけの時間で受け入れていた。

 〈変異〉の年が終わっても、残るものは、ある。

(しっかりやれよ、シーヴ)

 砂漠の王子は、一度も耳にしたことのない青年の声が、彼の内に届いたかのように――感じた。


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