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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 最終章

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13 もういない

「む」

 ゼレットは口髭を歪めた。

「それだ。俺が柄にもなく、この血を残そうと考えたのはそれだぞ、ミレイン」

「またそれですか」

 女性執務官は嫌そうに言った。

「どこにでも残してらっしゃるでしょう。それに申し上げましたわ、真実、魔術的なものがあるのなら、六十年後でしたか? 別な血筋が伯爵家を継いでいても、閣下の子孫の誰かがそれを守りにやってきますわよ。そうじゃなくて、エイル?」

「……まあ、それくらいのことはあると思います」

 ファドックの話を思い出して、エイルは言った。西の護衛騎士の家系は、ずっとアーレイドで暮らしていた訳ではない。

「そっちの味方をするのか」

 伯爵は天を仰いだ。

「この際ですから言っておきますけれど」

 ミレインは言った。

「エイルを陥とせなかったからと言って、その腹いせのように私に無理難題を押しつけるのはおやめ下さい。いつまでも閣下のお遊びにつきあっていられませんわ」

「遊びだと言うのか?」

「甘いお言葉も強引なお言葉も、聞き飽きました」

 きっぱりはっきりと女性執務官は言い、エイルは笑った。

「こりゃ、ゼレット様の負けです。諦めた方がいいですよ」

「諦めはせんが」

 ゼレットは背もたれに寄りかかった。

「仕方がない。こうなったら一時は退くか。そうすれば却って気に病むようになるのが女と言うものだしな」

「……そうしたお話は、当人のいない前の方がよろしいのではないですか」

 ミレインは呆れたように言った。

「それともさっさと退出しろと言うことですの。あら、当然、そうですわね、私としたことが気の利かないことでしたわ」

 にっこりと笑うと女性執務官は退出の礼をした。

「待てミレイン。話は終わっておらん」

「終わりましたわ。終わったとお気づきでないのでしたら、もう一度申し上げます。私は閣下の子を産むつもりはございません」

「……冷たい女だ」

「何とでも。第一、子供を作らせるのならば若い娘の方がいいでしょう。たとえば」

 ミレインは肩をすくめた。

「エイラ嬢なんていかがですの?」

 それにエイルは咳き込み、ゼレットは面白そうな顔をした。

「懐かしい名前が出たな。どうしてまた、一日もここにいなかった彼女のことなどを思い出した」

「正直に申し上げますと」

 ミレインはエイルを見た。

「わたくし、今度エイルがくるときは、彼女と一緒なのじゃないかと思っていたのですわ」

 エイルは目を白黒させた。

「それは、その」

 彼は言った。

「ちょっと難しい、ですね」

 ゼレットはにやりとするのを堪えるようだった。

「難しい、か」

「ええ。本当のところを言うと」

 エイルはミレインを見、ゼレットを見て言った。

「彼女は、もういないんです」

「……ほう」

 エイルの表現は、普通に考えれば、人が他界したときのような言い方であった。ゼレットはそういう意味ではないと――無論――気づいたが、ミレインは少し迷ったようだった。だが、そう告げた青年の声に悲壮なところや、悲痛を隠している様子はなかったので、彼女はやはり、そう、と呟くに留めた。

「もう、エイラ嬢には会えんのか。いささか、残念だな」

「――俺は安心ですけど」

「何の。気に病むな。俺の気持ちは変わらんよ」

「変えてください」

 すげなく青年は言った。

「俺は別に、ゼレット様の気持ちを確かめにきた訳じゃありませんよ」

「ならば、何だ」

 伯爵は不満そうに口髭を歪めた。

「これを持ってきたんです」

 言いながら彼は、手にしていた荷袋を開いた。

「……何だ、それは」

「見ての通り、箱です」

 その木の箱にはきらびやかさこそないが、丁寧な彫刻が施されており、腕のいい職人の作であることを伺わせた。

「例のものですけど、これにしまっておいてください」

 エイルの言うのがカーディル城の翡翠であることは、もちろんゼレットには判った。

「わざわざ、保管のための箱を持ってきたのか?」

「もうひとつの方は立派な宝物庫に守られてますけど、こっちはそれがないでしょう。魔術的な相手じゃなくたって、盗賊(ガーラ)の心配だってあります」

「その箱に、何か仕掛けがあるのか」

「仕掛けと言うか」

 エイルは微かに眉をひそめた。

「たいそうな魔術師さんが、守りの術をかけたんですよ。これを盗もうと考える人間は、いないでしょうね」

「……俺には、判らんが」

 ゼレットは首をひねりながら、しかしそれを受け取った。

「お前がそうした方がいいと言うのなら、そうしよう」

「そうして下さい。俺にはもう関わりのないことではありますけど、やっぱり、気にはなりますから」

 伯爵が箱をひっくり返しながらためつすがめつするのを見つめつつエイルが言うと、不意にその視界の端で動くものがある。

 見れば、主の機嫌が直ったことを感じ取ったか、隅の籠で丸くなっていた白猫がゼレットの足元へと寄ってきていた。

「……どうですか、(ミィ)は」

「すっかり、ただの猫のようだ」

 もともとただの猫にしか見えなかったがな、と伯爵は言った。

「オルエンとやらが何をしたにしても、このカティーラ自体が六十年生きておったと言うのか、ううむ」

「そんなに生きてたら、化け猫(オロミィ)ですよ」

 エイルは笑った。

「実際にもともと、ただの猫です。六十年前にゼレット様の爺さんが飼ってたバックも、このカティーラもね。猫ってのは、魔力と相性がいいんですよ。受け入れ、放出することに負担は覚えない」

「ふん」

 ゼレットは白猫を抱き上げた。ごろごろと言う音がエイルやミレインのところまでも聞こえる。

「以前からすり寄ってはきたが、こうしてのどを鳴らすことはあまりなかったな。やはり、何か変わったと言うところか。これはこれで可愛いが」

 ならばあのカティーラは何処へ行ったのだろうな――などと呟くように言いながら伯爵は短い白毛を撫でた。

「噛み付くことも減ったんじゃないですか」

 エイルがにやりとして言うと、ゼレットは肩をすくめた。

「さてな。近頃、新境地は開拓しておらんからな」

 白猫の危険な性癖を知らずに撫でようと手を出す娘はいないのだ、などと言う。

「少なくとも、ミレインを敵視している様子はないようだ」

「有難いお話ですわ」

 ミレインは言った。

「カティーラには判るのではないですか、所詮、求婚など閣下のお遊びと」

「何。猫が変わったのだと言ったろう」

 そんなやりとりを聞いてエイルはくすくすと笑った。ゼレットがどこまで本気なのかはやはりエイル青年にも判らなかったが、紛う方なき「ゼレット調」ではある、と感じた。彼がきたことで伯爵の不機嫌が解消されていることは、幸か不幸か青年には――通じないことだったが。

「それじゃ、俺はもう行きますよ」

「何」

 ゼレットは片眉を上げた。

「馬鹿なことを言うな。きたばかりではないか」

「ちょっと用事があるんです」

 青年は肩をすくめた。

「延ばせんのか」

「生憎と」

 エイルは言った。

「もっと早くこられればよかったんですけど、俺の方もいろいろ……立て込んでて」

「それはかまわんが」

 謝罪などしそうなエイルを制して、ゼレットは言った。

「では、その用事が終わったら、すぐにこい」

「無茶言いますね」

 エイルは笑った。

「何が無茶だ」

 伯爵は顔をしかめた。

「そうでも言わんと、お前はやってこないではないか。俺はもう、お前には忘れられたのではないかと案じていたのだぞ」

「それで、私を代替にされるのですものね」

 ミレインが言った。

「待ってるわよ、エイル。閣下はあなたに振られるのが楽しくて仕方ないらしいの。私の拒絶では、満足されないのですって」

「俺の趣味は幅広いが」

 ゼレットは肩をすくめた。

「そういう趣味は、ないぞ」

 エイルとミレインは顔を見合わせ、どうだか、と言って笑った。


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