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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 最終章

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10 夢だったのだろう

 あれからもう半年以上が過ぎている。薄れつつある記憶――あんな「魔術的」なことですら、時間が経てば薄れていくとは驚きだった――に思いを馳せたエイルは、呼びかけられて視線を戻す。シュアラが真剣な顔つきで青年を見ていた。

「この前の話は、ちゃんと考えてきたでしょうね?」

 それは「もちろん了承するでしょうね」という意味にも取れた。エイルはうなる。

「俺には無理だよ、シュアラ」

「何を言っているの」

 シュアラは目を細めた。

「お前は、魔術師(リート)なのだから、実際を知らぬ学者よりも上手に魔術のことを教えられるはずだわ」

「だからって」

 エイルは反論した。

「どうして俺がシュアラに魔術の基礎を教えなきゃなんないんだよっ?」

「馬鹿げているように思えても、学ぶのは務めだもの。どうしても興味を抱くことができなかったけれど、お前が教師ならばきっと大丈夫だわ。いいわね、エイル」

 シュアラ王女は、一年半ほど前までにエイル少年が何度も目にしていた「まだ幼さの残る姫君」の強引さをその瞳に取り戻して、そう言った。

「噂の少年をついに見たぞ」

 そう言ってにっと笑ったのは、いまやアーレイドの第一王位継承者となったロジェス前クライン侯爵であった。

「噂、と言われますと」

 近衛隊長は片眉を上げて尋ねた。

「少年、と言うほど幼くはないな。エイルと言ったか」

 その言葉にファドックは、成程、そのことか、と言うようにうなずいた。

「きていたのですか」

「そうだ。シュアラのもとを訪れたら、彼がいた」

 そこに、妻が知らぬ男とふたりで会う――と言ってももちろん王城のなかであるし、侍女もその場にはいる――ことに対する反感はないだろうかとばかりに、ファドックは王子を見た。

 だが、その顔に負の要素は見当たらなかった。それどころかむしろ、どこか嬉しそうに見え、ファドックは内心で首をかしげた。

「なかなか、よい感じの青年だな。下町の出身と聞くが、礼儀も心得ている」

 エイルが泡を食って、かつて叩き込まれた「礼儀作法」を引っ張り出す様子が目に浮かぶようで、近衛隊長は笑んだ。

「シュアラに魔術学を教えることになったそうだ」

「彼がですか?」

「そうらしい」

 ロジェスは、私も習うかな、などと言い、それが冗談なのかどうかファドックには掴みかねた。

「彼は誰かに似ている」

 ふと――ロジェスは窓の外を見やるようにして言った。

「快活で、まっすぐで、地位あるものが相手でも臆することなく話をする。そして、感情を完全に隠すことは、自分が思っているほどには――巧くない」

 聞きながらファドックはロジェスの表情をじっと見ていたが、やはりそこに不興の色はない。

「彼は似ているのだ、ファドック。かつて私に仕えていた娘……テリスンに」

 その名は、ファドックの全身に戦慄を走らせ、その目を警戒に強く彩らせた。

 あの日以来――その名は誰の口にも上ることがなかった。掃除娘の名も顔も姿も、まるでそんな人物は存在しなかったかのように、彼以外の記憶から抜け落ちていた。

 彼の部屋を含むその階の清掃には、解雇されたはずのラスラが戻っていた。彼以外の人間は、ラスラではない娘がいたことなど思いもしないようで、テリスンをエイルのようだと言って可愛がった下厨房のトルスたちすら、彼女のことを忘れていた。

 それは奇妙なことで、レンの仕業にしては違和感があった。引っ掻き回すのでも隠蔽するのでもなく、まるで後始末――掃除――のようにきれいにしたと取れるからだ。

 テリスンと名乗り、呼ばれた娘の痕跡は消えていた。では「あれ」は誰だったのか、という奇妙な感慨だけをファドックに残して。

 ロジェスは、ファドックの内に鋭く走ったものになどまるでは気づかぬように、窓の外を見つめ続ける。

「いつだったか、お前に翡翠(ヴィエル)のことを尋ねたな」

「――覚えております」

「あれは彼女が……知らせてくれたのだ」

「……どういう、意味なのですか」

 警戒を見せるまいとしながら、ファドックはゆっくりと問う。ロジェスは首を振った。

「私は魔術や神託などはあまり信じないが……それでも彼女が、翡翠のことをお前に尋ねろと言ってきた。そういう、夢を見た」

「夢」

 ファドックは繰り返した。ロジェスは、はたと気づいたように、ああ、と言った。

「お前は知らぬな。マルセス閣下のもとに、ガルス男爵の紹介でやってきた彼女は私に仕え……もう、二年は前になるか。病を得て、逝っている」

「――亡くなった」

「ああ。二十歳になるならず、だったのではないかな。――私はそんなことも知らないままだったが」

殿下(カナン)

 ファドックは、ロジェスを呼んだ。アーレイドの王子となった男は振り返って近衛隊長を見る。その瞳には、やはりファドックが怖れるものは――なかった。

「あれはただの……夢だったのだろうな。王女と結婚をした男が何を馬鹿なことを言っている、などと思わないでくれ、近衛隊長。彼女はよい娘だったのだ。元気で、どこか少年めいたところがあって、私の前で顔を赤くした。何となく――エイルを見ていると彼女を思い出す」

 彼はそこまで顕著ではないがな、などとロジェスは言った。

「お前は知らぬだろうが、私がお前が奇妙な関わりを持っていると思うのは……テリスンについてもまた、あるのだ」

「……わたくしが、何か」

 ファドックは警戒を出さないように気をつけながら、言った。その名の音が彼にもたらすものは暗いものばかりである。と言っても、ロジェスの言を疑うのではなかった。そう聞けば腑に落ちるものもある。

 ――では、テリスンという娘は本当にいたのだ。

 主に憧れ、まっすぐで、エイルに似ていると言われた娘。

 レンの王女はどうやってかそれを知り、「人形」としてちょうどいいと考えたのだろう。そして「テリスン」の名前や姿かたち、性格を使った。

 本来のテリスンは、死してなお、ロジェスを守ろうとでもしたのだろうか。ならば、その名を真に持つ娘は、彼が警戒すべき相手ではない。

「そうだ。彼女を連れてきたガルス男爵は、キド殿とも懇意だろう」

「はい。キド閣下の館にお見えになることも珍しくございません」

「そうだ」

 ロジェスはまた言った。

「つまり、お前が使用人を必要としていたら……彼女はお前のところに連れて行かれたかもしれないのだ」

 ファドックは黙って、その言葉の意味を考えた。

「彼女が生きて私のもとにいれば、私はいまこの位置にいないように思う。彼女がお前の隣に行っていれば、お前の位置もまた、違ったかな?」

「――いえ」

 ファドックは短く、しかしはっきり否定した。ロジェスは、果たして近衛隊長は彼の言葉の意味を理解しているのだろうかと言うようにファドックを見て――首を振った。

「そうか。お前は、それでも騎士(コーレス)なのだな」

 王子はふっと笑った。

「近衛隊長の任と騎士の任がかち合ったら、お前は、騎士の任を取るか」

 もし〈ヒュラクスの紐〉のようなことが起きて、アーレイド王――現王陛下でも、次期たるロジェスでも――とシュアラとどちらかひとりしか守れないと言うようなことにでもなれば、近衛隊長ならば王を採るべきである。昔語りに言うヒュラクスは迷った上に両者を死なせるが、ファドックは躊躇いなくシュアラを採るだろうと、ロジェスはそう言ったのだ。

「そのような近衛隊長は、首を切られた方がよろしいのでは」

 ファドックは表情を変えぬままで言い、ロジェスはきょとんとしてから、大きく笑った。

「何だ、首を切られたいのか、お前は。だが駄目だ、お前以上にその任を果たせる男などおらんのだからな」

 ファドックはその言葉にきっちりとした敬礼をし、たとえどのような形ではじまったものであっても、この任にある以上はそれを果たす――との意志を示した。


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