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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 最終章

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04 大変だった

 街は平和だった。

 〈変異〉と謳われた前年に影を見る者も光を見る者もいれば、ただひと月が多いだけで何も変わることなどなかったと見る者もいた。

 そして明けたリィキアの年には何も波乱の気配は見えず、人々は日常を生き、たまの祭りに騒ぐ。それが「平和」だった。

 シュアラ・アーレイド第一王女殿下とロジェス・クライン侯爵の婚礼は、アーレイドで行われたここ何年のものよりも盛大かつ華やか、喜びと祝福に満ち溢れたものとなった。

 昨年末の祓厄祭や、年初にあるシュアラの十九の誕生祭で王女の隣に立ってきた婚約者の青年は、はっと人目を惹く顔立ちですらなかったが、知的な美男子と言った印象でもって民たちに歓迎された。「シュアラの隣」ではなく、紛う方なき主役のひとりとなった婚礼の式典では、純粋なる歓呼の声がアーレイドの未来の支配者を迎えたものだ。

 そうして明るい次代への約束がはっきりと見えるこの街は絵に描いたように平和で、誰も彼もが笑い合っているかのようであった。

 そんなふうに穏やかな日々を送る街の一角で、その母は、じろじろと息子を見た。

「ふうん」

 何かに納得いったのか、それとも納得するのを諦めたのか、アニーナはひとつ肩をすくめると、好きにしたら、と言った。

「いい加減、母さん母さんってついて回る年齢でもないだろ。行きたきゃさっさと出ていきゃいいのさ」

「誰がついて回ったよっ」

 いつものようにエイルは反論したが、いつものようにアニーナは相手にしない。

「行く当てはあるんだろうね。支度もせずに飛びだすのは馬鹿げてるよ」

「ああ、まあ、ね」

 エイルは曖昧にうなずいた。アニーナは片眉を上げる。

「言いたくなきゃ、黙ってていいさ。私に訪れてほしくないならそれでかまわないし、だいたい私は馬鹿息子の顔見たさに新婚夫婦の邪魔をするほど野暮でもないよ」

「ちょいっ」

 エイルは叫んだ。

「何か、誤解が入ってるぞっ」

「誤解だって? 年頃の息子がいきなり、ここを出る、ほかの場所で暮らすことにした、なんて言い出せば、いい娘を見つけたんだと思うも道理だろう?」

「勝手に推測するなって!」

「……何だい、甲斐性のない」

 アニーナはがっかりしたように息をついた。

「一年も歩いてきて、恋人のひとりも見つけられなかったってのかい」

「あのなっ」

 息子は、どん、と卓を叩く。

「俺はねっ、大変だったのっ」

 素直に「大変だった」と言える相手は母くらいであり――ほかの相手にはどうしても、大したことはない、などと意地や見栄を張った――彼はそうひと声叫ぶとずいぶんすっきりとしたものを覚える。

「馬鹿だね。そう言うときこそ、女の子に元気にしてもらうもんさ。……本当に、誰かいないのかい」

「……そこまでの話になる娘は、いないよ」

「へえ」

 母はにやりとした。

「『そこまで』にならない程度なら、いるんだね」

 そのほのめかしに、エイルは咳払いをした。

「その、ちょっとばかり仲のいいのはいるけどさ、一緒に暮らすとかそういう話には、なんないから」

 アニーナはじっと息子を見て、その微妙な関係について問い質すべきかどうか考えるように腕を組んだ。

「エイル、あんた」

「何だよ」

 彼は思わず身を引いた。母は続ける。

「シュアラ様に懸想してるんならやめておくんだね」

「ばっ、馬鹿言ってんじゃねえよ」

 エイルは顔を引きつらせて叫んだ。

「あいつは姫さんで、それも結婚したじゃんかよ。冗談にもそんなこと言ってみろ、不敬罪で手討ちだ、手討ち!」

「近衛隊長様にかい?」

 アニーナは面白そうに言った。思わずエイルは吹き出しかける。

「あの旦那(セル)も、たいへんだったみたいだね。おかしな男に脅されて刺されて? 様子がおかしかったも道理って訳」

「……その話、余所ではすんなよ」

 エイルは思わず、そんなことを言った。作り話だという事実を知っているせいもあったが――近衛隊長が宮中で刺されたなど、外聞のいい話ではない。ファドックは自分個人の名誉など気にしないだろうが、「アーレイド近衛隊長」の名に傷がつくことは懸念を抱くはずだ。

「当たり前だろ、私は旦那の味方だもの」

 つまり、とアニーナは言った。

「騎士の旦那があんたを捕まえにくれば、私はやっぱり、旦那に力を貸すからね」

 後ろに手が回るような真似はおやめ、などと母はどこまで冗談か判らぬ口調で言うのだった。


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