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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第4章

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09 忘れてしまったの?

 彼が不機嫌なのは判りきっていた。

 以前は機嫌を悪くすると判りやすい態度を取っていた伯爵だったが、近頃は滅多なことではそれを表には出さなかったものだから、たいていの者はいつもと様子が違うことに気づかないだろう。

 だが、女性執務官には判っていた。

「戻ってくると、言ったのだぞ」

 ゼレットは不満を声に表さないようにしながら言ったが、ミレインに対しては無駄な努力だった。

「仕方がございませんでしょう」

 ミレインはあっさりと言った。

「わたくしにはことの次第はよく飲み込めませんけれど、ここにやってこなくてもエイルの用が済んだと言うのなら、それはそういうことなのでしょう。アーレイドからカーディルまで、どれだけかかると思っていらっしゃるのです。我が儘も大概にしていただけませんか」

「我が儘だと」

 ゼレットはうなった。

「だがあやつは、戻ってくると言ったのだ」

「それなら、戻ってくるでしょう」

 肩をすくめて逆のことを言い出した女に伯爵は片眉を上げた。

「時の月の間は無理でも、来年になればまたやってくるのではないですか。約束を破る少年ではないと思っていますわ。……うっかり忘れていなければ、ですけれど」

「ミレイン」

 伯爵は眉をひそめる。

「お前は、俺を喜ばせたいのか落胆させたいのか、どっちだ」

「思うことを申し上げたまでです」

 カーディルの魔術師協会(リート・ディル)がエイル少年からの――形としては「エイラ術師」からのものであったが――伝言を届けてきたのはつい先ほどだったが、それを読んだゼレットはずっと文句の言い通しであった。

 時の月に為すべき目的は果たされたと、その書は伝えた。大きな力を借りたことで、カーディルの翡翠もアーレイドの地から眠りにつかせることができたと。

 それは即ち、伯爵のもとを訪れずともよくなったという意味に取れ、そう取ったゼレットは不満でいっぱいで、もし彼に猫の尾があればそれは不機嫌にばたんばたんと振られているところである。

「彼は、この件が終われば閣下は彼を忘れるだろうと言いましたけれど」

「俺は、忘れんと言ったぞ」

「でしょうね」

 ミレインは簡単に言う。

「閣下が本当にご執心なところなんて、初めて見ますわ」

「妬くな」

 例によってそれがゼレットの返答である。

「次なる〈守護者〉はお前の子だ、という考えは変わっておらん」

「それは、彼には産めないからでしょう」

 ミレインはやはり淡々と指摘した。

「伯爵家を継がなくても、閣下の落とし子はあちこちにいらっしゃるではありませんか。魔術については判りませんが、その内の誰かがその使命だか任務だかを継ぐのではないのですか。いまからご尽力されなくても」

 ゼレットは、エイラなら産めるだろうな、などとエイルが聞けば本気で殴りかねないことを言うのはやめて――実際には、「エイラ」にはそうしたことはできなかったが――やはり不満そうに口髭を歪めた。

「そんなに、俺の妻になるのは嫌か」

「嫌です」

 何度申し上げればよいのですか、とミレインは言った。

「〈ふる里〉亭のタチアでも、花屋のマギーでも、お気に入りの娘はいくらでもいらっしゃるでしょう。ご身分上のことを考えに入れましたら、モール伯爵の三番目の姫君や、アラス家のご令嬢など」

「パース嬢だと。馬鹿なことを言うな」

「何が、馬鹿ですか」

「あれは、ラムドだぞ」

「それはいけませんわね」

 女性執務官は眉をひそめた。

「閣下がお嬢様の恋人に色目を使って、問題になるようではいけませんものね」

 ここまでやられれば伯爵閣下の負けである。連戦連敗のゼレットがどこまで本気なのかミレインには判らなかったが、おそらくはこれは、エイル少年がいない間の暇つぶし、ゼレットの新しい遊びなのだろうと考えるくらいであった。そうなれば、彼女としては何とも早くエイルに再訪してもらいたいところである。

 そうやって折に触れてはエイルとミレインへの文句を挟みながら業務を終えたゼレットは、珍しくも誰も傍らに呼ぶ気が起こらず、ひとりで寝台へと入った。

 と言っても、本当に彼が毎日誰かを相手にしているという訳でもなければ、このところはそうする日数も目に見えて減っていた。それがエイル、或いはエイラのためか、それともミレインのためか、まさかサズのためか、はたまた、いい加減、落ち着きたくなったというところであるのか、判別出来るものはゼレット本人を含めて誰もいなかったが。

(――様)

 うとうとと微睡みかけたとき、ふと声が聞こえた気がして彼は目を開けた。

「――ゼレット様」

「誰だ」

 ゆっくりと身を起こし、窓から射す(ヴィリア・ルー)の光の前にすっと踏み入れたその姿を見たゼレットは目をしばたたいた。

「……エイラ」

ええ(アレイス)

 肩まで届く長い髪を揺らした若い娘は、真剣な顔でうなずいた。

「どうした。もう、ここには用がないのではなかったのか」

「意地の悪い言い方をしないで下さいよ」

 エイラは顔をしかめた。

「そりゃ、例の件には片が付きましたけど、だからってゼレット様に挨拶にこないような礼儀知らずじゃありません」

「お前の『礼儀』は重々承知だが」

 ゼレットはじろじろと娘を眺めた。

「その『礼儀』上を言えば奇妙ではないか」

「何が、奇妙ですか」

 娘は意味が判らないと言うような顔をした。

「わざわざこんな時間に俺の寝室を訪れるとはどういう了見だ? 期待するぞ」

「期待ですって」

 エイラは苦笑した。

「その前に何か言うことはないんですか。いったいどうなったのかとか、翡翠はもう大丈夫なのかとか」

 言いながらエイラは歩を進め、ため息をつくと寝台に腰を下ろしてゼレットを見た。伯爵は片眉を上げる。

「目的は果たされた、片はついたと言ったのはお前だろう。ならば片はついた。何か心配することがあるか?……お前がそうして寝台で、無防備に俺の隣に座ること以外に」

「ゼレット様は、すぐそれだ」

 エイラは肩をすくめた。

「話があるんですよ。お判りでしょう」

 娘は身を乗り出すようにして言った。

「判らんが」

 ゼレットはそう言うと、間近く迫った娘をさっと引き寄せて横抱きにした。

「話などより、こちらの方がよいな」

 右手でエイラの身体を支え、左手を頬に添えて素早く口づけた。エイラはゼレットの胸を押しやる。

「やめてください」

 だが押しやろうとした手の力は女のものにしても弱く、それは形ばかりの抵抗であるように見えた。

「――どうした」

 思わず、ゼレットは問うた。

「まさか……よいのか」

「何で、まさか、なんです」

 エイラは消え入るような声で言った。

「私が……嫌がってたのは、その……この件が済むまではと思っていたからで……私だって、本当は、その……」

「何と」

 ゼレットは目を見開いた。

「これは、驚きだ」

 そうとだけ言うとゼレットは再びエイラに口づけた。それに応じてくる唇を感じると、彼は娘の全身を抱えて寝台に乗せた。

「驚きだな」

「――ゼレット様?」

「驚きだ」

 ゼレットは繰り返すと身体を起こして娘を眺めた。エイラは不審そうに目を細めた。

「……何を言ってるんですか? こうして覚悟を決めてきたってのに」

「……エイラ嬢はこんなによい身体をしておったかな?」

 エイラは暗がりでも判るくらいに顔を赤くした。

「そんな言い方」

 娘はそれを隠すかのようにむっとした声を作った。

「どういう意味です。『エイル』の方がいいとでも? それとも、からかってただけなんですか。それじゃもう、いいです」

 そう言って身を起こそうとしたエイラの両肩をしかしゼレットは押さえつけた。

「こちらの台詞だ。もう、よい」

「何を言ってるんです」

 エイラは眉をひそめた。

「どうにも騙されそうだが……エイラにあんな口づけができるとは思えんな」

 伯爵はにやりとして言った。

「……からかってるんですか」

「惜しい。実に惜しい」

 ゼレットは残念そうに言った。

「俺を(たばか)ろうとするのはよせ」

「ゼレット様……? 何を言って」

「よく化けたなと言っておる」

 彼は娘の言を遮った。

「だが生憎と――俺にはあやつが判るのだ」

「判って、ないじゃないですか」

 それが娘の返答だった。

「いいや」

 ゼレットは首を振る。

「お前は、違うな」

 すうっと目を細めて、伯爵は続けた。

「話とは、何だ」

「話」

 娘は目をぱちくりとさせた。

「酷い。……覚えて、ないんですか」

「何をだ」

「教えて頂戴と、言ったでしょう?」

 くらりとするような薔薇(リティア)の芳香がした。途端、ゼレットの腕の下にいるのはエイラではなく――美しい銀の髪をした、魔性の娘となる。

「……お前は」

「こんなに早く気づかれるなんて、思わなかったわ」

 レンの王女は不満そうに言った。

「私の姿では、素直に抱いてくれないだろうと思ったのだけれど。それにゼレット、あなたの望みを叶えてあげるのも悪くないと思ったのよ」

「それは……有難いことだ」

 伯爵は苦々しく言った。

「そうでしょう? ラーミフは優しいのよ。約束の前に、あなたを悦ばせてあげるくらい」

「約束だと?」

 悦ぶのはお前ではないのか――との台詞は飲み込んで、ゼレットは言った。

「酷い」

 今度は自身の声で、ラーミフはまた言うと、今度は笑った。ゼレットは彼女を押さえつける腕の力が抜けていくのを感じた。王女の目は、妖しく光を帯びる。

「それも忘れてしまったの? 言ったでしょう、サズが死ねばあなたに復讐をすると」

 ゼレットは娘の笑いにぞくりとし、サズの前では意地でも覚悟しなかったものを――覚悟した。


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