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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第4章

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08 お前の、望みは

 風を感じた。

 それは、風神(イル・スーン)がもたらす自然のものとは異なったけれど、それを「風」と表現する以外の方法を知らなかった。

 優しく、やわらかく、身体を撫でる。

 いや、身体の外側だけではない。

 まるでそれは肉体のなかを――心や魂と呼ばれるものまでも、暖かく包み込み、愛撫していくようだった。

 この、充たされるような思いがリ・ガンだけのものであるのは、何とも残念なことのように思った。

 翡翠とともにあり、その力を本来の流れに乗せること、言うなればたったそれだけの何ともささやかな「使命」。

 そのためにリ・ガンは生まれ、六十年に一度の〈変異〉の年を送る。

 「人間」には計り知れない理の上に成り立つ、その「存在」が望むこと。「望む」という言い方は、人間的すぎただろうか。

 そうあるべきこと。

 ただ、そうあるべきこと。

 その力を感じているとき、リ・ガンにはそれは当たり前すぎることだった。

 人間である〈鍵〉が「女王」と表現した存在は、無であると同時に、巨大だった。何にも影響をもたらさないのに、多くを支配した。

 人の子はそれを知らぬ。

 〈変異〉の年を境界として払われる、穢れと呼ばれた淀み。それを感じ取らぬ者も感じ取る者も、知ることはない。

 知るのはただ、リ・ガンのみ。

 それは「女王陛下」の下僕であり、その一部。

 こうしているときは、全てのことがあまりにも当たり前すぎて、何を思い悩んでいたのか判らない。

 思い悩んでいたのは、「人間」の部分。

 その部分には理解できないことを「目隠し」されていたのもまた、当たり前のこと。

 リ・ガンが「人間」という形を取るために必要なこと。

 或いは、「その部分」がそういう形を取りたいと望んだために起きたこと。

 「望む」という言い方は、人間的すぎただろうか――?

 リ・ガンは目を開いた。

 そこは――真白き宮殿だった。

「シーヴ」

 リ・ガンは、〈鍵〉の名を呼んだ。傍らに立つ砂漠の青年は、ゆっくりとリ・ガンを見た。

「お前の、望みは?」

「俺の――望み」

 やはりゆっくりと、青年は繰り返した。

そう(アレイス)。翡翠たちは、百二十年の眠りから覚め、穢れを払っている。けれど、お前が望むならばその力をどうとでも使うことができる」

「どうとでも、とは?」

「たとえば、シャムレイの支配」

「それは、断ったはずだ」

「そうか。それなら、『王子』の身分を捨てること」

 きゅっと青年は目を細くした。そうしたいと常々口にし、だができぬと言ってきたそれは、現実問題として「無理だ」ということ。

 それを可能にするのか?

 「リャカラーダ」を捨て、ただの「シーヴ」としてウーレたちと過ごし、気ままに旅を続けることが、できると?

 青年のうちに湧き上がったそれは、強い憧れ。血筋故につけられた足枷を外し、ただの――シーヴとして。

「……いや」

 青年は、首を振った。

「俺はそれも、望まない」

 彼の第一侍従。妹姫。母。慕わしい顔が浮かぶ。「慕わしい」とは言えずとも、父の顔も。

「俺は、シーヴでありたい。だが同時に、俺はリャカラーダだ」

「そうか」

 リ・ガンは反駁しなかった。

「ならば、ほかには?」

「ほかに」

 青年はまた、繰り返す。

「俺は」

 彼はじっとリ・ガンを見た。長い茶金の髪。その瞳は、いまは濃緑。

「――エイラ」

「言ってみろ、何だって叶えてやる」

 自信に満ちた、その台詞。青年の知る娘のものとは、異なるような。

「『何だって』?」

「まあ、可能な限りってことになるけどな。よっぽど無茶苦茶を言い出しさえしなけりゃ」

 何だって、とリ・ガンはまた言った。

「エイラ」

 青年は、再び呼んだ。リ・ガンを。いや、娘を。

「俺の、望みは」

 そこで青年は言葉をとめた。リ・ガンは訝しげに〈鍵〉を見る。

「言ってみろ」

「俺は」

 何を言おうとしているのか、青年自身、判然としなかった。

 一年前ならば、青年の望みは〈翡翠の娘〉を見つけることだった。それはいま、彼の傍らにいる。翡翠の不思議な波動に包まれ、人の姿を取りながら人ではない存在として。

「俺は、お前に」

 言いかけて、しかし彼は首を振る。

 「幸せになってほしい」などとは――どうにも陳腐ではないか?

「言えよ」

 リ・ガンは促す。

「俺は、望む。エイラ、俺は在るように在ってほしい」

 彼女が。自分自身が。翡翠が。シャムレイが。アーレイドが。カーディルが。――全てが。

 曖昧な台詞に、だがリ・ガンは問い返すことをしなかった。

「判った」

 リ・ガンは、ただそうとだけ言った。そして、その濃緑の瞳を閉じる。

 在るように在ること。

 翡翠は――眠りにつくことを選ばれた。

 触れずとも、目に届くところになくとも、乱れた力の均衡を保つために振るわれる「翡翠」の力を操り、再び六十年の――今度こそ六十年だけの眠りにつかせることは、容易なことだった。

 本来ならば〈鍵〉と〈守護者〉の力を借りて為されるそれは、しかしそうでなければならぬと言うのではない。

 リ・ガンを知り、リ・ガンの力に合わせられる力が存在すればよいのだ。

 まして、それがかつての〈鍵〉だと言うのなら――リ・ガンの助け手として十二分。

 アーレイドの宝玉。

 カーディルの輝玉。

 そして旅する輝石。

 従来よりも二倍長い月日を半端に過ごした翡翠たちは、今度こそ従来の長さの眠りにつく。

 リ・ガンの使命は終わる。

 六十年後の「後継」のことは、いまのリ・ガンは知らない。

 ただ知るのは、自分の番が終わった、ということ。

 多少の不都合もあった。

 だが、いまやそれは問題ではない。

 風がリ・ガンを覆う。

 翡翠は眠った。

 リ・ガンもまた――眠るのか。

 「女王」の下僕は再び目を閉じると首を振った。

 答えは、いずれ、出る。


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