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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第7話・最終話 暁の宮殿 第4章

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07 鍵を渡す者

「さてね」

 シーヴは答えた。

「言ったろう、俺は知らん。だがお前は知ってるんじゃないのか。それで充分だろう」

 そう言いながらシーヴは、自分の言葉が可笑しかった。

 いまの彼はどう考えても魔力の――それとも〈翡翠の女王陛下〉の――影響下にある。スケイズにそうされたときにはあれほど苦々しかったと言うのに、いまは何故だか全く気にならない。それすら魔術のもたらすものかもしれないが、あとになって――術が解かれて――も、かまわないと思うだろう。

 その状態はファドック・ソレスがアスレンの術下にあったときと似ていたが、彼はそれを知らず――また、似ていても同じものではなかった。

「俺に判るのは、お前は勝てんだろうと言うことくらいだな」

 魔力を持たぬ王子は、最高級の魔力を持つ王子にそう言い放った。アスレンの目に暗い光が宿る。

「お前は〈賢者の衣を着た愚者〉にすぎぬ、リャカラーダ。考え違いをするな。お前に力を与えているのが何者であれ、お前という容器に入る力は僅かにすぎぬのだ」

「俺は知らんと、また言おうか?」

 シーヴは肩をすくめた。

「仰る通りなのさ、王子殿下。俺は魔術など使えん。俺にお前の術を打ち消す力などあるはずがない。ならば」

「黙れ」

 アスレンはシーヴの言葉を遮った。その顔は変わらず白いままだったが、左頬にうっすら浮かんだ赤い傷跡がレンの王子の激昂を示していた。

「このようなことは、あるはずがない!」

 アスレンの手が印を結び、その唇から低い詠唱が流れ出した。シーヴは魔術の気配に目を細め、彼のように魔力を持たぬ身ではほとんど意味のない警戒をした。

「リャカラーダ。お前は俺を苛立たせ、不快にさせ、怒らせた。これは万死に値する」

 レンの王子の右手袋が指さす形を作って、まっすぐにシーヴを――その心臓を指した。

「命を以て、償え」

「参った」

 シーヴは呟いた。

「思った以上に短気な王子殿下だ。自尊心の前に、翡翠だの〈鍵〉だのはどうでもよくなったか」

 片方を大きく歪める笑い方は、シーヴにはない癖だった。

「終わりだ、アスレン。はっきりと示してやらねば判らぬか」

 「彼」は続けた。

「愚か者は怖れを知らぬ、そうかもしれん」

 アスレンがいつだったかレンで口にした台詞を「彼」はなぞった。

「たがなアスレン。怖れを知らぬことと越えることは異なるものだ。彼らは越えた。お前が知らぬものを。お前は」

 そこまで言うと「彼」は言葉を切り、微かに嘆息して首を振った。

「惜しいな。お前がそこまでねじ曲がっておらなんだら、お前に教えてやれることがあったやもしれぬ」

「何だと」

 レンの王子の目は奇妙な色を(たた)えた。怒りと憤りと――何よりも、それは畏怖であったろうか。

「無事か!」

 不意に、部屋の人数がひとり増えた。シーヴは片眉を上げる。

「おお、帰ったかエイラ嬢。よいところだ。この青年はそんな様子はかけらも見せずに頑張ったが、魔力に慣れぬ身体はそろそろ限界でな。助けが要る」

「――何だって?」

 どう見てもシーヴのものである姿からどう聞いてもシーヴのものである声が、どう考えてもシーヴのものではない言葉を発した。エイラは瞬時、混乱を覚える。

「話はあとだ、シーヴ青年を支えてやれ」

「おいっ、何」

 何を言っているんだ、とエイラが言い終える間もなく、シーヴの身体ががくりと崩れた。エイラは呪いの言葉を吐いて言われた通りにする――即ち、青年を支えた。

「――馬鹿な」

 アスレンの頬がぴくりと引きつった。

「どうやって……逃れた」

 それに対する返答は、エイラには届かなかった。だが、何らかの答えを聞いたように悔恨めいた表情を浮かべたアスレンは、彼女の前で終始冷たい表情を保った顔を一(リア)にして苦悶に歪ませ、大男に殴られでもしたかのように身をびくりと揺らした。

 重いものに強く押さえつけられるかのように、その膝は限界を超えて次第に崩れ行き、彼は膝をついて、それでもなお、アスレンはかぶせられる力に対抗を続けるようだった。

 エイラには、その魔術界の攻防はほとんど見て取れず、むしろ意識をなくしているように見える砂漠の青年――つい先程まで「その存在」を内に入れていたシーヴの方が、彼らふたりの魔術師、ともに高位とされる魔力の操り手たちの間に起きていることをその心の内で知った。

 大きな雷の音も、何かを叩き壊すような激しい音も、光も熱も――或いは冷気もやはりないまま、アスレンの顔は苦痛に――それは肉体的な痛みに対するものと言うよりも、「敗れる」ことへの苦しみだったやもしれぬ――歪んでいく。

 それでも、この、闇を悦ぶ王子の美麗さが損なわれないと言うのは、しかし却って醜悪ですらあった。

 レンの第一王子は、自らが翻弄してきたアーレイド近衛隊長の、その主なき部屋の床にまるで投げ捨てられた人形のように崩れ落ちた。白金の髪は乱れ、飾り輪は外れかけた。それが人形ではないと示すのは、もがくように動く両の手指。白手袋をまとったそれは、絨毯を叩き、掴もうとした。

 エイラが何もできずに――もちろん、手助けるなどと言うことも有り得なかったが、とどめをさすと言う類のこともできずに――いるうちに、〈ライン〉の息は荒くなり、全身は震え、救いの手を求めるかのように伸ばされた左手は、やはりその絨毯を引っ掻くにとどまった。

 エイラはシーヴの身体を抱えながらそれに目を奪われ、ただ見ていた――アスレンと呼んだ彼女の「敵」の呼吸が途絶え、その指先の動きが、なくなるのを。

 沈黙が降りた。

 その間、この部屋のなかで動く存在はなかった。

 ぴくりとも動かなくなったアスレンを見つめ続けるように、三十(トーア)近い時間をじっとしていたエイラは、シーヴの身体の重みを感じてきて小さく呪いの言葉を吐いた。

 何も考えられないまま、彼女はもう一度彼女の〈鍵〉の身体を抱え直そうとして――均衡を崩した。と言うのは、その身体が突如、エイラに体重を預けなくなったためだ。

「さて、シーヴ青年には悪いが、もう少しだけ」

 何者かの意志と力で身を起こしたシーヴの身体は、彼のものではない言葉を発した。

「――誰だ」

 エイラは警戒をして、シーヴの顔を見た。それは間違いなく彼女の〈鍵〉であるのに、そこに浮かぶ表情は彼女の知る青年のものではない。この「存在」はアスレンの敵であったように見える。だが、敵の敵は味方だと、限ったものだろうか?

「警戒は不要だ、と言っても簡単には信じなさそうだな」

 「それ」は言った。

「私を特別に信用する必要もないが、怖れる必要もない。さっさと翡翠を眠らせろ、そうすれば終わる。リ・ガン」

「あんたは、誰だ。……何を知ってる」

「全てを」

 その回答は、かつてアスレンがシャムレイでシーヴにしたのと同じものだった。だがエイラはそれを知らず、知っていたところで警戒を強めるだけだろう。

「話はあとだと言ったろう。アスレンが倒れた以上、もう翡翠を狙う者はおらんが、時計の針を正すことを躊躇う理由はない。判るな?」

「……シーヴの力が要る。ファドック様のも」

「成程」

 「それ」は言った。

「そう思っておるのか。だが少し違う。お前の力だけでは難しいと言うだけ。足りない分は私が貸そう」

「……その代わりに、と何か条件がつくんじゃないのか」

「成程」

 「それ」はまた言った。

「アスレンはずいぶん、お前に迷惑をかけたようだな。代わって謝罪をしておこう。私の頃にはまだ、レンの王子はもう少しまともであったのだが」

「あんたは、誰だ」

 エイラは再び問うた。「それ」は肩をすくめる。

「判らんのか? 判っておるのだろう?――お前に鍵を渡す者だ、エイラ。それとも、エイル。どちらでもよいが」

「――シーヴをどうする気だ」

 彼女の目が細められた。

「ああ、そうではない」

 「それ」は苦笑した。

「リ・ガンの〈鍵〉の話ではない。彼は無事だ。私が言うのは、文字通り……鍵のこと。錠前を開ける。ほら」

 「それ」が手を振ると、まるで手品のようにその掌に「鍵」が現れた。鈍色の、小さな鍵。

「やろう」

 エイラは意味が判らないままに、しかしそれを受け取った。

「あれは頑固者で、何だかんだと言いつつも自分が主人のつもりなのだ。だがそれがあれば、あれがお前に扉を閉ざそうとしても、簡単に開けられる。あれには、それに抵抗出来る腕はないのだからな」

「……何の話なんだよっ」

「判らんのか?」

 「それ」はまた言った。

「お前が我が後継だろう」

 そう言って「それ」は笑った。

「参ったな、これは可笑しいことだ。お前も、シーヴも、アスレンもみな私の――後継だ」

「何……だって?」

 エイラはそれしか言えなかった。

「判らぬと言い張るのなら、それでよい」

 「それ」は肩をすくめる。

「おお、アスレンの目的について解説をすると約束したな。つまり、あやつは翡翠の力を私の捕縛に使うつもりだったのだ。……判らぬか? まあ、かまわん」

 「それ」は続けた。

「だが早いところ、使命は済ませてくれ。私もクラーナを解放してやりたい」

「クラーナだって? それじゃ、あんた、まさか」

「いまはやることをさっさとやれ。時節は〈時〉を迎え、傍らには〈鍵〉。リ・ガンの使命は、何だ」

「翡翠を」

 ほとんど無意識のうちに、エイラは答えていた。

「目覚めさせ、そして」

「眠らせる」

「そうとは、限らない。〈鍵〉の意思に――よっては」

「左様か」

 「それ」は顎をかいた。

「では致し方ない。シーヴ青年の目覚めを待とう」

 そう言うと、「それ」は手を振った。

「時が移る。いまは、行こう。力はいつでも貸す。それからアスレンは連れていってやる。あんなものが転がっていては近衛隊長に――いや、アーレイドに迷惑だろうからな」

「待て、おいっ!」

 再び――シーヴの身体は崩れ、エイラは盛大に呪いの文句を――意識を失ったままのシーヴと、いままでそれを操っていた存在の両方に向けて吐きながら、青年を支えた。

 そうしてから慌ててそこを見れば、まるで夢ででもあったかのように、アスレンの身体は消え失せていた。夢でなかった証は、レンの第一王子が白手袋越しに掻いた絨毯の乱れだけ。

「――行っちまったのか」

 エイラは呟く。

「……オルエン」

 彼女は頭を振ると、青年を三度(みたび)抱え直して、窓の外へ視線を向けた。


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