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翡翠の宮殿  作者: 一枝 唯
第1話 翡翠の宮殿 第3章

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04 様々な形

(時の月)

(って――何だった? 聞いたこと……あるぞ)

 一年を表す十二の月。白、蒼、桃、碧、明、紫、紺、紅、茶、黄、暗、深の名を持つそれらは、しかし普段はただ一の月、二の月、という呼ばれ方をする。いまは黄の月、つまり十の月の半ばで、これから次第に季節は熱を帯びていく。

(そうだ、来年は〈変異〉の年だ)

(十三番目の月。確かそれが)

(時の――月)

 六十年、即ち一期に一度、月は十三度巡り来る。

 五期に一度、レアキルの年は〈変異〉の年と呼ばれるのだ。善かれ悪しかれ大いなることが起きると言われている。伝説だ。だが六十年ごとに十三番目の月がくることは本当だった。その名を〈時〉と言う。

(何でそんな名前が浮かんだんだろう)

(そんな歌でも、聞いたっけっか)

 彼の「戦場」はだいぶ静かになっていた。

 もちろん食堂の方は賑やかだったが、料理はあらかた行き渡り、厨房の戦士(キエス)たちもその武器たる包丁やら錫の杓子やらを置き、葡萄酒(ウィスト)とはいかなかったが、軽いライファム酒などを手にしているものもいた。彼らと何気ない言葉を交わしながらエイルが洗い場に行こうとすると、それを遮る姿があった。

「洗い物なんぞしてる場合じゃないだろうがお前は」

「おっと、(セラス)

「もうお迎えがくるぞ。さっきイージェンを見かけたんでな、ファドックを探しに行かせた。あいつなら巧いこと言うだろう」

「そう、そいじゃ姫君のささやかな大冒険もそろそろ終わりだね」

「軽口叩いてる暇があったら戻れ。姫さんをひとりにするなんぞ、騎士失格だぞ」

「俺はファドック様じゃないっての。だいたい、その騎士でしょ、姫さんをひとりにしたのは」

「ほう?」

 トルスは面白そうに眉を上げた。

「ファドックの前で言ってみろ、それを」

 言えたら芋の皮むきから格上げしてやる、とトルスは笑った。

「格上げして洗い場専門とか言うんじゃないだろうな」

「お、やる気か? よし、それなら、魚のさばき方を教えてやる」

「本当か? 難しいんだろ、あれ」

「それくらいは難しいことを教えないと、割に合わん賭けだろうよ」

 そう言って笑われれば、ファドックに弱いことを見抜かれているようでむっとするが――これはエイルのみならず、たいていの者がそうだろう。ファドックを面と向かってからかえるのはこの料理長くらいなのだから。

「よし、成果を楽しみにしてるぞ。早く戻れ、姫さんをひとりにしてきたなんて知れたら、何か言う前に殺されるぞ」

 まさか、と笑いかけ、だがエイルに容赦のなかった「護衛騎士」の顔を思い出してその笑いは引きつる。

「……戻っとく」

 本当に殺されるとは思わないが、役立たずだと思われるのも誇りに関わる。エイルは差し出された料理長の手に食器を乗せると、くるりと踵を返した。

「――トルス、どちらにいらっしゃると?」

「おお、間に合わなかったな、エイル」

 ファドックの声にぎくりとする。トルスの面白がった声色に顔をしかめる間もない。

「案内してやれ」

「あ、ああ」

 ファドックに近寄られるのは避けたいところだが、致し方ない。エイルは片手を上げると裏口へと向かった。木戸を開けて、シュアラに肩をすくめる。

「休憩時間はおしまいだってさ、シュアラ」

「ファドックが? もうきたの?」

 王女は少し不満そうに、立ち上がった。

「シュアラ姫」

 背後を振り返ると、ファドックがさっと礼をするのが見える。どんなときでもこういう礼儀を欠かさないのが姫君に対する態度なのだとしたら、エイルのそれはあまりにも酷い。

「まあ。何だかこうして使用人たちの間にいると、お前はずいぶん立派に見えるのね」

 どんな言い訳が口から飛び出してくるかと思えば、シュアラの一声はそれであった。レイジュが聞きでもしたら、怒り心頭だろう。どんな服装でどんな状況にいてもファドック様はご立派です、と──声には出さぬが、内心で絶叫するに違いない。

 だがエイルはもちろんのこと、ファドックもそれに何も答えず、ただシュアラのそばに寄った。「護衛」のための距離だと感じたエイルは、何だかむっとした。

「ファドック様。ここにいる誰も、シュアラ……姫さんを傷つけようなんて思ってないですよ」

「もちろん、判っているさ」

「でもそれが仕事、って訳ですか」

「好きに取ってくれていい」

「ファドック。私を部屋まで連れていくつもり?」

「それがお望みなら」

「じゃあ」

 シュアラは言った。

「私が、まだここにいたいと言ったら?」

「おいっ」

 そんなことを護衛騎士が認めるはずがない。エイルは焦った。

「それが姫のお望みなら」

「ファ、ファドック様」

 だが騎士(コーレス)の台詞はエイルの想像と正反対であり、少年は呆然とする。

「そう。それじゃエイル、いらっしゃい。話の続きを」

「駄目だっ」

 知らず──そんな言葉が口から出ていた。シュアラが驚くのが判る。

「ファドック様を困らせるな。勝手に出てきただけでも護衛騎士と近衛兵に充分すぎるほどの迷惑かけてんだ。これ以上」

「エイル」

 厳しい声でとどめたのは、ファドックの方だった。

「シュアラ様が決められることだ」

「んなの、変です」

 エイルはすぐさま反論した。

「ファドック様はともかく、一兵士なんか減給か厳罰か、クビだって有り得る! それっくらいのこと、判ってもらわなきゃ」

 もちろん、隙を作った近衛兵が悪くない訳ではない。王女が出て行くのではなく、不埒な侵入者でもあったとしたら、こんな騒ぎでは済まない。

 だがそれでも、王女が普段通りにしていれば、問題はなかったはずなのだ。

「近衛の兵のことはとりなしておく、気にするな」

「……そりゃ、そいつのためにはよかったですけどね」

 エイルは息をついた。

「何で、言ってやらないんすか? シュアラの」

「エイル」

 ぐっと、言葉に詰まった。初めて会ったとき――侯爵セラーの隣にいたときのような、厳しい声が少年をとどめる。

「何を言っているの」

 シュアラが声を出した。

「何故、私がいたいところにいてファドックが罰を受けると言うの。私の隣にいることがこの男の務めなのよ」

「だからって、何でも言うなりってこた、ないだろうっ」

 エイルの抗議は、果たしてふたりのどちらに向けられたものだったか。

「それが姫さんを守るってことか? それが騎士だって言うのかよ?」

「騎士にも様々な形があると、言ったことがあったろう」

「それじゃ、これがファドック様と――姫さんの、形ってのか? 俺は」

 エイルは言葉を切った。

 そして、目をしばたたく。まただ――と思った。何故彼の内に浮かぶのか、判らぬ言葉。それだけではない、全く異なるふたつの思考。

(俺は、もっと違う形でシュアラを守ることができる)

(あなたが守るべきものはシュアラだけではないのに)

(何だって?)

 先の思考は、まだ判る。

 まだ彼自身はっきりとは認めがたいが、エイル少年はこの夕の邂逅でシュアラを可愛いと――生意気で腹の立つ王女から、ちゃんと話の通じる一個の存在、それも同じ年頃の可愛い娘だと、思い始めている。

 だがファドックは騎士であり、少年はそうではない。ファドックが、エイルからですらシュアラを守ろうという態度を見せる、それが――気になるのだ。

 気に入らない、と言ってもいい。それは、少年が大人の男に覚える反発心、敵愾心、対抗意識とも言えただろう。

 だが、二番目の思考は、全く意味が判らなかった。

 それはどこか焦燥に似た気持ちだった。そしてそれはどこか、理解し合っている者同士が、仲間意識から発する忠告のような。

 ――そうだ。目前の騎士にその自覚はない。彼がヴィエルの守護者であるということ。そして、それに向かいする、エイルという名を持つ存在は。

リ・ガン(・・・・)

「俺、は」

 ぐらり、と世界が回ったような気がした。それとも、回ったのは自分自身の脳味噌だったろうか。急にふらついた足元に驚いて、少年は数歩、ふらふらとする。

「エイル?」

 自分は、何を知っていると言うのだ? 何かに触発されてしばしば浮かぶ、自分のものとは思われぬ言葉、感情。

 何を言っているのか、とシュアラはよく口にする。エイルの方こそ、知りたいくらいだ。いったい自分は、何を言おうとしている?

 ――翡翠の宮殿が彼を惑わすのだ。


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